そのつぎあさ島村しまむらうたいこえめた。

しばらくしずかにうたいいていると、駒子こまこ鏡台きょうだいまえからかえって、にっと微笑ほほえみながら、

うめのおきゃくさま。昨夜ゆうべ宴会えんかいあとばれたでしょう」

「ええ」

うたいかい団体だんたい旅行りょこうかね」

ゆきだろう?」

「ええ」と、駒子こまこあがって、さっと障子しょうじをあけてせた。

「もう紅葉もみじもおしまいね」

まど区切くぎられた灰色はいいろそらからおおきい牡丹雪ぼたんゆきがほうっとこちらへながれてる。なんだかしずかなうそのようだった。島村しまむら寝足ねたりぬむなしさでながめていた。

うたい人々ひとびとつづみっていた。

島村しまむら去年きょねんのあのあさゆきかがみおもして鏡台きょうだいほうると、かがみのなかでは牡丹雪ぼたんゆきつめたいはなびらがなおおおきくび、えりひらいてくびいている駒子こまこのまわりに、しろせんただよわした。

駒子こまこはだあらてのように清潔せいけつで、島村しまむらのふとした言葉ことばもあんなふうきちがえねばならぬおんなとはとうていおもえないところに、かえってさからいがたかなしみがあるかとえた。

紅葉もみじ銹色さびいろごとにくらくなっていたとおやまは、初雪はつゆきであざやかにきかえった。

うすゆきをつけた杉林すぎばやしは、そのすぎひとひとつがくっきりと目立めだって、するどてんしながらゆきった。

ゆきのなかでいとをつくり、ゆきのなかでり、ゆきみずあらい、ゆきうえさらす。はじめてからるまで、すべてはゆきのなかであった。ゆきありてちぢみあり、ゆきちぢみおやというべしと、むかしひとほんいている。

村里むらざとおんなたちながゆきごもりのあいだの手仕事てしごと、この雪国ゆきぐにあさちぢみ島村しまむら古着屋ふるぎやであさってなつごろもにしていたものだ。おどりほう縁故えんこから能衣裳のういしょう古物こぶつなどをあつかみせっているので、すじのいいちぢみたらいつでもせてほしいとたのんであるほど、このちぢみこのんで、一重ひとえ襦袢じゅばんにもした。

ゆきがこいのすだれをあけて、雪解ゆきげはるのころ、むかしちぢみ初市はついちったという。はるばるちぢみいに三都さんと呉服ごふく問屋どんや定宿じょうやどさえあったし、むすめたち半年はんとし丹精たんせいげたのもこの初市はついちのためだから、遠近えんきん村里むらざと男女だんじょあつまってて、見世物みせもの物売ものうみせならび、まちまつりのようににぎわったという。ちぢみには織子おりこところとをいた紙札かみふだをつけて、その出来栄できばえを一番いちばん二番にばんというふう品定しなさだめした。よめえらびにもなった。子供こどものうちにならって、そうして十五、六じゅうごろくから二十四、五にじゅうしごまでのおんなわかさでなければ、ひんのいいちぢみ出来できなかった。としっては機面はたづらのつやがうしなわれた。むすめたち指折ゆびおりの織子おりこかずはいろうとしてわざをみがいただろうし、旧暦きゅうれき十月じゅうがつからいとはじめてくるとし二月にがつなかばにさらおわるというふうに、ほかにすることもないゆきごもりの月日つきひ手仕事てしごとだからねんれ、製品せいひんには愛着あいちゃくもこもっただろう。

島村しまむらちぢみのうちにも、明治めいじはじめから江戸えどすえむすめったものはあるかもしれなかった。

自分じぶんちぢみ島村しまむらいまでも「雪晒ゆきざらし」にす。だれはだにつけたかしれない古着ふるぎを、毎年まいとし産地さんちさらしにおくるなど厄介やっかいだけれども、むかしむすめゆきごもりの丹精たんせいおもうと、やはりその織子おりこ土地とちでほんとうのさらかたをしてやりたいのだった。ふかゆきうえさらした白麻しろあさ朝日あさひって、ゆきぬのかがくれないまるありさまをかんがえるだけでも、なつのよごれがれそうだし、わがをさらされるように気持きもよかった。もっとも東京とうきょう古着屋ふるぎやあつかってくれるので、むかしどおりのさらかたいまつたわっているのかどうか、島村しまむららない。

晒屋さらしやむかしからあった。織子おりこ銘々めいめいいえさらすということはすくく、たいがい晒屋さらしやした。白縮しろちぢみりおろしてからさらし、いろのあるちぢみいとにつくったのをかせにかけてさらす。白縮しろちぢみゆきへじかにのばしてさらす。きゅう一月いちがつから二月にがつにかけてさらすので、はたけめつくしたゆきうえ晒場さらしばにすることもあるという。

ぬのにしろいとにしろ、夜通よどお灰汁あくひたしておいたのをあくあさ幾度いくどみずあらってはしぼげてさらす。これを幾日いくにちかえすのだった。そうして白縮しろちぢみをいよいよさらおわろうとするところへ朝日あさひてあかあかとさす景色けしきはたとえるものがなく、暖国だんこくひとせたいと、むかしひといている。またちぢみさらおわるということは雪国ゆきぐにはるちかいしらせであったろう。

ちぢみ産地さんちはこの温泉おんせんちかい。山峡さんきょうすこしずつひらけてゆく川下かわしもがそれで、島村しまむら部屋へやからもえていそうだった。むかしちぢみいちったというまちにはみな汽車きしゃえき出来できて、いま機業地きぎょうちとしてられている。

しかし島村しまむらちぢみ真夏まなつにもちぢみ真冬まふゆにも、この温泉おんせんたことがないので、駒子こまこちぢみはなしをしてみるおりはなかった。むかし民芸みんげいのあとをたずねてみるというがらでもなかった。

ところが葉子ようこ湯殿ゆどのうたっていたうたいて、このむすめむかしれていたら、糸車いとぐるまはたにかかって、あんなふううたったのかもしれないと、ふとおもわれた。葉子ようこうたはいかにもそういうこえだった。

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けれどこんな愛着あいちゃく一枚いちまいちぢみほどのたしかなかたちのこしもしないだろう。ぬの工芸品こうげいひんのうちで寿命じゅみょうみじかほうにしても、大切たいせつにあつかえば五十年ごじゅうねんからもつとまえちぢみいろせないでられるが、こうした人間にんげん添い馴れそいなれちぢみほどの寿命じゅみょうもないなどとぼんやりかんがえていると、ほかのおとこ子供こどもんで母親ははおやになった駒子こまこ姿すがた不意ふいんでたりして、島村しまむらははっとあたりをまわした。つかれているのかとおもった。

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