「あの、こまちゃんがこれよこしました」

葉子ようこったまま郵便配達ゆうびんはいたつのような恰好かっこうしたが、あわててひざいた。島村しまむらがそのむすぶみひろげていると、葉子ようこはもういなくなっていた。なにをもなかった。

いまとってもほがらかにさわいでますさけのんで」と、懐紙ふところがみったいてあるだけだった。

たよ」

しかし十分じゅっぷんたぬうちに、駒子こまこみだれた足音あしおとはいってて、

いまあの子がなにかってた?」

「そう?」と、上機嫌じょうきげん片目かためほそめながら、

「ふう、いい気持きもち。おさけ註文ちゅうもんしにく、そうって、そうっとけてた。番頭ばんとうさんにつかってしかられた。おさけはいい、しかられても、足音あしおとにならん。ああ、いやだわ。ここへると、きゅういがる。これからはたらきにくの」

ゆびさきまでいいいろだよ」

だれが?」

「さあ、商売しょうばい。あの子なんてった? おそろしいやきもちきなの、ってる?」

ころされちゃいますよ」

「あのむすめさんも手伝てつだってるんだね」

「お銚子ちょうしはこんでて、廊下ろうかかげって、じいっとてんのよ、きらきらひからして。あんたああいうきなんでしょう」

「あさましいありさまだとおもっててたんだよ」

「だから、これってらっしゃいって、いてよこしたんだわ。みずみたい、みずちょうだい。どっちがあさましいか、おんな口説くどおとしてみないことには、わからないわよ。わたしってる?」と、たおれるように鏡台きょうだい両端りょうはしをつかまえてのぞきこむと、しゃんとすそさばいてった。

やがて宴会えんかいおわったらしく、きゅうにひっそりして、瀬戸物せとものおととおえたりするので、駒子こまこきゃくれられてべつ宿やど二次会にじかいまわったのかとおもっていると、葉子ようこがまた駒子こまこむすぶみってた。

山風館さんぷうかんやめにしましたこれからうめかえりによりますおやすみ」

島村しまむらすこかしそうに苦笑くしょうして、

「どうもありがとう。手伝てつだいにてるの?」

「ええ」と、うなずくはずみに、葉子ようこはあのすようにうつくしいで、島村しまむらをちらっとた。島村しまむらはなにか狼狽ろうばいした。

これまで幾度いくどかけるたびごとに、いつも感動かんどうてき印象いんしょうのこしている、このむすめがなにごともなくこうしてかれまえすわっているのは、みょう不安ふあんであった。彼女かのじょ真剣しんけんぎる素振そぶりは、いつも異常いじょう事件じけん真中まんなかにいるというふうえるのだった。

「いそがしそうだね」

「ええ。でも、わたしはなんにも出来できません」

きみにはずいぶんたびたびったな。はじめはあのひと介抱かいほうしてかえ汽車きしゃのなかで、駅長えきちょうおとうとさんのことをたのんでたの、おぼえてる?」

「ええ」

まえにおのなかでうたうたうんだって?」

「あら、お行儀ぎょうぎわるい、いやだわ」と、そのこえおどろくほどうつくしかった。

きみのことはなにもかもってるようながするね」

「そうですか。こまちゃんにおきになったんですか」

「あのひとはしゃべりゃしない。きみはなしをするのをいやがるくらいだよ」

「そうですか」と、葉子ようこはそっとよこいて、

こまちゃんはいいんですけれども、可哀想かわいそうなんですから、よくしてあげてください」

早口はやくちう、そのこえおわりのかたかすかにふるえた。

「しかしぼくには、なんにもしてやれないんだよ」

葉子ようこいまからだまでふるえてそうにえた。危険きけんかがやきがせまってるようなかおから島村しまむらをそらせてわらいながら、

はや東京とうきょうかえったほうがいいかもしれないんだけれどね」

わたし東京とうきょうきますわ」

「いつ?」

「いつでもいいんですの」

「それじゃ、かえときれてってあげようか」

「ええ、れてかえってください」と、こともなげに、しかし真剣しんけんこえうので、島村しまむらおどろいた。

きみのうちのひとがよければね」

「うちのひとって、鉄道てつどうているおとうと一人ひとりですから、わたしがきめちゃっていいんです」

東京とうきょうになんかあてがあるの?」

「いいえ」

「あのひと相談そうだんした?」

こまちゃんですか。こまちゃんはにくいからわないんです」

そうって、のゆるみか、すこれたかれ見上みあげた葉子ようこに、島村しまむら奇怪きかい魅力みりょくかんじると、どうしてかかえって、駒子こまこたいする愛情あいじょう荒々あらあらしくえてるようであった。為体えたいれないむすめ駆落ちかけおちのようにかえってしまうことは、駒子こまこへのはげしい謝罪しゃざい方法ほうほうであるかともおもわれた。またなにかしら刑罰けいばつのようでもあった。

きみはそんな、おとこひとってこわくはないのかい」

「どうしてですか」

きみ東京とうきょうでさしずめちつくきとか、なにをしたいとかいうことくらいきまってないとあぶないじゃないか」

おんな一人ひとりくらいどうにでもなりますわ」と、葉子ようこ言葉尻ことばじりうつくしくあがるようにって、島村しまむらつめたまま、

女中じょちゅう使つかっていただけませんの?」

「なあんだ、女中じょちゅうにか?」

女中じょちゅうはいやなんです」

「このまえ東京とうきょうにいたときは、なにをしてたんだ」

看護婦かんごふです」

病院びょういん学校がっこうはいってたの」

「いいえ、ただなりたいとおもっただけですわ」

島村しまむらはまた汽車きしゃのなかで師匠ししょう息子むすこ介抱かいほうしていた葉子ようこ姿すがたおもして、あの真剣しんけんさのうちには葉子ようこ志望しぼうあらわれていたのかと微笑ほほえまれた。

「それじゃ今度こんど看護婦かんごふ勉強べんきょうがしたいんだね」

看護婦かんごふにはもうなりません」

「そんななしじゃいけないね」

「あら、なんて、いやだわ」と、葉子ようこはじかえすようにわらった。

そのわらごえかなしいほどたかんでいるので、白痴はくちじみてはえなかった。しかし島村しまむらこころからむなしくたたいてえてゆく。

「なにがおかしいんだ」

「だって、わたし一人ひとりひとしか看病かんびょうしないんです」

「え?」

「もう出来できませんの」

「そうか」と、島村しまむらはまた不意打ふいうちをわされてしずかにった。

毎日まいにちきみ蕎麦そばばたけしたはかにばかりまいってるそうだね」

「ええ」

一生いっしょうのうちに、ほか病人びょうにん世話せわすることも、ほかひとはかまいることも、もうないとおもってるのか?」

「ないわ」

「それにはかはなれて、よく東京とうきょうけるね?」

「あら、すみません。れてってください」

きみおそろしいやきもちきだって、駒子こまこってたよ。あのひと駒子こまこのいいなずけじゃなかったの?」

行男ゆきおさんの? うそうそですよ」

駒子こまこにくいって、どういうわけだ」

こまちゃん?」と、そこにいるひとぶかのようにって、葉子ようこ島村しまむらをきらきらにらんだ。

こまちゃんをよくしてあげてください」

ぼくはなんにもしてやれないんだよ」

葉子ようこ目頭めがしらなみだあふれてると、たたみちていたちいさいつかんできじゃくりながら、

こまちゃんはわたしちがいになるとうんです」と、ふっと部屋へやってしまった。

島村しまむら寒気さむけがした。

葉子ようこころしたてようとしてまどをあけると、った駒子こまこきゃくいつめるような中腰ちゅうごしになってこぶしっているのがえた。そらくもっていた。

島村しまむら内湯うちゆった。

となりの女湯おんなゆ葉子ようこ宿やどをつれてはいってた。

着物きものがせたり、あらってやったりするのが、いかにも親切しんせつなものいいで、初々ういういしいははあまこえくようにこのもしかった。

そしてあのこえうたした。

うらたれば

なし三本さんぼん

すぎ三本さんぼん

みんなで六本ろっぽん

したからからす

をかける

うえからすずめ

をかける

もりなか螽嘶きりぎりす

どういうてさえずるや

すぎ友達ともだち墓参はかまい

墓参はかまい一丁いっちょう一丁いっちょう一丁いっちょう

手鞠歌てまりうたおさな早口はやくちきとはずんだ調子ちょうしは、ついさっきの葉子ようこなどゆめかと島村しまむらおもわせた。

葉子ようこなく子供こどもにしゃべりててあがってからも、そのこえふえのようにまだそこらにのこっていそうで、黒光くろびかりにふるびた玄関げんかん板敷いたじきに片寄かたよせてある、きり三味線しゃみせんばこあき夜更よふけらしいしずまりにも、島村しまむらはなんとなくこころかれて、持主もちぬし芸者げいしゃんでいると、食器しょっきあらおとほうから駒子こまこた。

「なにてんの?」

「このひととまりかい?」

だれ。ああ、これ? 馬鹿ばかねえ、あんた、そんなものいちいちってあるけやしないじゃないの。幾日いくにちきっぱなしにしとくことがあるのよ」とわらったはずみに、くるしいいききながらをつぶると、つまはなして島村しまむらによろけかかった。

「ねえ、おくってちょうだい」

かえることないじゃないか」

「だめ、だめ、かえる。ひと宴会えんかいで、みんな二次会にじかいへついてったのに、わたしだけのこったのよ。ここにお座敷ざしきがあったからいいようなものの、お友達ともだちかえりにおへでもさそってくれて、わたしいえにいなかったら、あんまりだわ」

したたかってるのに、駒子こまこけわしいさかをしゃんしゃんあるいた。

「あの子をあんたかしたのね」

「そうえば、たしかにすこちがいじみてるね」

ひとのことをそんなふうて、面白おもしろいの?」

きみったんじゃないか、ちがいになりそうだって、きみわれたのをおもすと、くやしくてしたらしかったよ」

「それならいいわ」

「ものの十分じゅっぷんもたたぬうちに、おはいっていいこえうたってるんだ」

「おのなかでうたうたうのは、あの子のくせなのよ」

きみのことをよくしてあげてくださいって、真剣しんけんたのむんだ」

馬鹿ばかねえ。だけど、そんなこと、あなたわたし吹聴ふいちょうなさらなくってもいいじゃないの」

吹聴ふいちょうきみはあのむすめのことになると、どうしてだからないがみょう意地いじるんだね」

「あんたあの子がしいの?」

「それ、そういうことをう」

「じょうだんじゃないのよ。あの子をてると、行末ゆくすえわたしのつらい荷物にもつになりそうながするの。なんとなくそうなの。あんただってりにあの子がきだとして、あの子のことよくてごらんなさい。きっとそうおおもいになってよ」と、駒子こまこ島村しまむらかたをかけてしなだれてたが、突然とつぜんくびると、

「ちがう。あんたみたいなひとにかかったら、あの子はちがいにならずにすむかもしれないわ。わたしってっちゃってくれない?」

「いい加減かげんにしろよ」

ってくだいてるとおもってらっしゃるわ? あの子があんたのそば可愛かわいがられてるとおもって、わたしはこのやまのなかでくずすの。しいんといい気持きもち」

「おい」

「ほっといてちょうだい」と、小走こばしりにげて雨戸あまどにどんとぶっつかると、そこは駒子こまこいえだった。