またうすれた。あしもとのみちにポンプのみずながれてた。島村しまむら駒子こまこ人垣ひとがき自然しぜんちどまった。火事かじ焦臭こげくさにまゆるようなにおいがまじっていた。

映画えいがのフィルムからたとか、見物けんぶつ子供こども二階にかいからぽんぽんげおろしたとか、怪我人けがにんはなかったとか、いまむらまゆこめはいっていなくてよかったとか、人々ひとびとはあちこちでたことを声高こわだかにしゃべりっているのに、みなむかって無言むごんでいるような、遠近えんきん中心ちゅうしんけたような、ひとつのしずかさが火事場かじば統一とういつしていた。おととポンプのおととをいているというふうだった。

時々ときどき、おくれてけつける村人むらびとがあって、肉親にくしんびまわる。こたえるものがあって、よろこんでさけう。それらのこえだけはきととおった。擦半鐘すりばんしょうはもうりやんでいた。

人目ひとめもあるとおもって、島村しまむら駒子こまこからそっとはなれると、ひとかたまりの子供こどものうしろにった。火照ひでりで子供こどもたちあとずさりした。あしもとのゆきすこしゆるんでるらしかった。人垣ひとがきまえゆきみずけ、みだれた足形あしがたにぬかるんでいた。

そこは繭倉まゆぐらよこ畑地はたちで、島村しまむらたちといっしょにけつけた村人むらびと大方おおかたそこにはいったのだった。

映写機えいしゃきえた入口いりぐちほうからたらしく、繭倉まゆぐらなかばほどはもう屋根やねかべちていたが、はしらはりなどの骨組ほねぐみはいぶりながらっていた。板葺板壁いたぶきいたかべいたゆかだけでがらんどうだから、屋内おくないにはそうけむりいていないし、たっぷりみずびた屋根やねえていそうにはえないのに、うつりはまらぬらしく、おもいがけないところからほのおた。三台さんだいのポンプのみずがあわててしにうと、どっとげて黒煙くろけむりった。

そのあまがわのなかにひろがりって、島村しまむらはまたあまがわすくげられてゆくようだった。けむりあまがわながれるのとぎゃくあまがわがさあっとながくだりてた。屋根やねはずれたポンプの水先みずさきれて、水煙すいえんとなって薄白うすじろいのも、あまがわひかりうつるかのようだった。

いつのまにってたのか、駒子こまこ島村しまむらにぎった。島村しまむらいたがだまっていた。駒子こまこほうたきりで、すこ上気じょうきした生真面目きまじめかおほのお呼吸こきゅうがゆらめいていた。島村しまむらむねはげしいものがこみげてた。駒子こまこまげはゆるんで、のどびている。そこにつとをやりそうになって島村しまむら指先ゆびさきがふるえた。島村しまむらあたたまっていたが、駒子こまこはもっとあつかった。なぜか島村しまむら別離べつりせまっているようにかんじた。

入口いりぐちほうはしらかなにかからまたきてし、ポンプのみず一筋ひとすじしにむかうと、むねはりがじゅうじゅう湯気ゆげててかたむきかかった。

あっと人垣ひとがきいきんで、おんなからだちるのをた。

繭倉まゆぐら芝居しばいなどにも使つかえるように、かたちばかりの二階にかい客席きゃくせきがつけてある。二階にかいってもひくいその二階にかいからちたので、地上ちじょうまでほんの瞬間しゅんかんのはずだが、ちる姿すがたをはっきりえたほどの時間じかんがあったかのようにえた。人形にんぎょうじみた、不思議ふしぎかたのせいかもしれない。一目ひとめ失心しっしんしているとわかった。したちてもおとはしなかった。みずのかかった場所ばしょで、ほこりたなかった。あたらしくうつってゆくふるえかすにきるとの中程なかほどちたのだった。

ふるえかすのむかって、ポンプが一台いちだいななめに弓形ゆみがたみずてていたが、そのまえにふっとおんなからだうかんだ。そういうかただった。おんなからだ空中くうちゅう水平すいへいだった。島村しまむらはぎっとしたけれども、とっさに危険きけん恐怖きょうふかんじなかった。非現実ひげんじつてき世界せかい幻影げんえいのようだった。硬直こうちょくしていたからだ空中くうちゅうほうされて柔軟じゅうなんになり、しかし、人形にんぎょうじみた無抵抗むていこういのちかよっていない自由じゆうさで、せい休止きゅうししたような姿すがただった。島村しまむらひらめいた不安ふあんえば、水平すいへいびたおんなからだあたまほうしたになりはしないか、こしひざまがりはしないかということだった。そうなりそうなければえたが、水平すいへいのままちた。

「ああっ」

駒子こまこするどさけんでりょうをおさえた。島村しまむらまたたきもせずにていた。

ちたおんな葉子ようこだと、島村しまむらわかったのはいつのことだったろう。人垣ひとがきがあっといきんだのも駒子こまこがああとさけんだのも、じつおな瞬間しゅんかんのようだった。葉子ようこあし地上ちじょう痙攣けいれんしたのも、おな瞬間しゅんかんのようだった。