変体漢文の文体的性格を測る手段について
—— 形容詞ヒサシと形容動詞ワヅカナリを例に ——
第二節・第一項 和文におけるヒサシの用法pp. 32–34
前節で述べたように、本稿において、ある語の和文及び訓読文における用法を調査する直接の目的は、変体漢文におけるその語の性格を理解する指標を得ることにある。よって、和文におけるその語(ここではヒサシ)がどのように用いられているかということを、なるべく具体的に示していくことが後のために有効であると考える。
形容詞ヒサシは、やや文語調ではあるもののヒサシイとして現代でもよく使われる語であるが、平安時代においても現代と同様に長期間であることを表わすのに用いられる。
(1イ)翁竹を取ること久しくなりぬ。(竹取物語)
(1ロ)去年より例のやうにもおはしまさず、物きこしめさで久しうならせたまひたるに、(栄華物語)
(1ハ)いとあはあはしうおぼされて、久しう御文もなし。(和泉式部日記)
(1ニ)久しき病の、絶え間ありて、いとかく重くなりゆくは、いと頼もしげなきことなり。(夜の寝覚め)
但し、現代語と比較すると次のような例の見られることは注目に値する。
(2イ)御硯、紙など取り賄ひて奉りたまへば、「何ごとをか書くべき」とて、ひさしく思ひつつ書きたまふ。(宇津保物語・蔵開中)
(2ロ)いとひさしうたたくに音もせねば、寝入りたりとや思ふらんとねたくて。(三巻本枕草子・七十八段)
(2ハ)又御らむずるほどのひさしさはいかばかり御心にしむことならん。(源氏物語・椎本)
(2ニ)腕たゆさも知らせ給はず、久しう寝給へるを、心苦しう悲しうて。(狭衣物語)
上の諸例は、時間にして数分〜数時間ほどの、現代語のヒサシイでは表現し難い短い期間について用いた例である。これを要するに、現代語ヒサシイでは用いられる期間に制限がある(普通には数週間〜数ヶ月以上であろう)のに対して、平安時代語のヒサシは、何らかの状態が長く続いていると感じられさえすれば、(1)諸例の如き長期間でも、(2)諸例の如き長時間でも、物理的時間に関係なく用いることができるという違いがある。
便宜的に一日を境として、それ以上を「長期間」、それ以下を「長時間」として区別すると、平安時代和文の各資料における両用法の内訳は下の【表1】のようになる(表中の(3)(4)は後述の用例(3・4)における用法の例数、「良久」はヤヤヒサシ〈後述〉の例数である)。
【表1】和文資料におけるヒサシの使用状況
| 資料 | 良久 | (4) | (3) | 計 | 長時間 | 長期間 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 竹取 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 |
| 伊勢 | 1 | 0 | 0 | 6 | 2 | 4 |
| 土左 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 大和 | 0 | 0 | 0 | 16 | 1 | 15 |
| 平中 | 0 | 0 | 0 | 10 | 1 | 9 |
| 蜻蛉 | 2 | 1 | 0 | 19 | 7 | 12 |
| 宇津保 | 0 | 2 | 3 | 148 | 22 | 126 |
| 落窪 | 1 | 0 | 1 | 3 | 1 | 2 |
| 枕 | 0 | 2 | 1 | 36 | 24 | 12 |
| 和泉 | 0 | 1 | 0 | 8 | 1 | 7 |
| 源氏 | 2 | 4 | 2 | 106 | 19 | 87 |
| 紫 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 |
| 栄華 | 0 | 2 | 2 | 52 | 5 | 47 |
| 浜松 | 0 | 0 | 0 | 13 | 0 | 13 |
| 更級 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 |
| 寝覚 | 1 | 2 | 0 | 21 | 6 | 15 |
| 狭衣 | 0 | 0 | 0 | 19 | 3 | 16 |
| 讃岐 | 1 | 0 | 0 | 3 | 2 | 1 |
| とりかへばや | 0 | 1 | 1 | 11 | 1 | 10 |
| 総数 | 8 | 15 | 10 | 476 | 95 | 381 |
この表からも判るように、長時間の例は、今回調査した和文資料中にヒサシの例があった十八資料の内、竹取物語、紫式部日記、浜松中納言物語、更級日記を除く十四資料で確認された。なお、ヒサシの用例数そのものが竹取は三例、紫、更級は一例のみである。よってヒサシを長時間について用いるのは当時普通の用法であったと判断される。
この他に、和文資料のヒサシに見られる注意すべき特徴を二点ほど挙げる。一つは、次のように期間を表わす語と共起した例の見られることである。
(3イ)日ごろひさしく参りたまはねば、おぼつかなきこと多くなむ。(宇津保・嵯峨の院)
(3ロ)おとど、「口惜しきこと。…」とて、手づから御文書きたまふ。日ごろひさしく参りたまはぬよしなど書きて、(宇津保・嵯峨の院)
(3ハ)年ごろひさしく承らざりつる御遊びは、今宵の料に置かせたまひけるにこそは。(宇津保・国譲中)
(3ニ)「さらにな聞え給そ」などいひて、日比ひさしうなりぬ。(枕・八十八段)
(3ホ)東の院にものするひたたちの君のひごろわづらひてひさしくなりにけるを、ものさわがしき紛れにとぶらはねば、いとほしくてなむ。(源氏・若菜上)
(3ヘ)月ごろ久しくなりにける御里居、若き人々なほ心ことに今めくめり。(源氏・幻)
これらの例では、経過した期間はヒゴロやトシゴロといった波線部の語によって既に示されているのであって、ヒサシは実際的な時間の表現に関与していない。これらにヒサシという語が加えられているのは偏に、そのヒゴロなりトシゴロなりの期間が――只の無機質な期間でなく――「長期と感じられる」ものなのだ、と述べるために外ならない。
また、例数は多くないが、次のような用法も現代からすると奇異に見えるものである。
(4イ)日ごろはいかでとなむ。近けれどしばしばと聞こえぬを、今はおぼつかなき心地なむ。対面ひさしくなりにけりや。(宇津保・国譲中)
(4ロ)心もとなきもの…子産みたる後の事のひさしき…また、とみにて炭焼をこすもいとひさし。(枕・一六四段)
(4ハ)おほいどのにもひさしうなりにけるとおぼせど、若君も心苦しければ、こしらへむと思して、二条院へおはしぬ。(源氏・花宴)
(4ニ)衣などを着て、夜居の僧のやうになりはべらむとすれば、見たてまつらむこともいとどひさしかるべきぞ。(源氏・賢木)
(4ホ)御返いとひさし。内に入りてそそのかせど、むすめはさらに聞かず。(源氏・明石)
イは手紙の文面であるが、前文から明らかなように対面がなくて久しいという意味である。同様に、ロは後産がなくて/炭が熾らなくて、ハは大殿への訪れがなくて、ニは会うことがなくて、ホは手紙の返事がなくて久しいという意味である。
つまり、これらは言葉の表面上には全く現れていない打消語を補わなくては、解釈ができない用例なのである。小倉百人一首に収められて古来高名な「嘆きつつ一人寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る」(藤原道綱母)もこれと同種のものと捉えられる(なお、これは長時間の例でもある)。この現象は現行の辞書類には全く指摘されていないようであるが、ヒサシの注目すべき特徴と言えるであろう。
文法・表現
- 〜に値する(〜に値する)
- 「〜するだけの価値がある」という肯定的評価表現。「注目に値する」=「注目する価値がある・注目すべきだ」。学術文でデータの意義を強調する際に用いる。
- 〜の如き(文語・比況)
- 「〜のような」の文語形。「如し」の連体形。「(1)諸例の如き長期間でも」=「(1)諸例に示されるような長期間でも」。学術文体に格調を与える漢語系表現。
- 〜のみである(限定の強調)
- 「だけだ・に過ぎない」という限定・少量を強調する表現。「竹取は三例のみである」→ データが少ないため一般化できないという留保を示唆する。
- 〜に外ならない(〜にほかならない)
- 「ほかの何でもなく〜だ」という強い限定・断定。「〜のためにほかならない」=「まさしくそのためだ」。英語の "nothing but" に相当する強調表現。
中文翻譯
如前節所述,本稿中調查某語在和文及訓讀文中用法的直接目的,在於取得理解該語在變體漢文中性格的指標。因此,盡可能具體地展示和文中該語(此處為ヒサシ)的用法,對後文的分析是有益的。
形容詞ヒサシ,雖略帶文語色彩,但在現代語中也常以ヒサシイ的形式使用。在平安時代,它也與現代相同,用來表示「長期間」。
(用例1イ〜1ニ:竹取物語・栄華物語・和泉式部日記・夜の寝覚め)
但是,若與現代語相比,下列例子值得注意:
(用例2イ〜2ニ:宇津保物語・枕草子・源氏物語・狭衣物語)
以上諸例是將ヒサシ用於數分鐘至數小時左右、在現代語ヒサシイ中難以表達的短暫時間的例子。總結而言:現代語ヒサシイ在使用的時間上有限制(通常是數週至數月以上),而平安時代語ヒサシ,只要感覺到某種狀態持續了一段時間,無論是如(1)諸例的長期間,還是如(2)諸例的長時間,都可以使用,這與物理時間無關。
以一天為界,一天以上稱為「長期間」、一天以下稱為「長時間」,平安時代和文各資料中兩種用法的分布如【表1】所示(表中(3)(4)為後述用例(3・4)的用法例數,「良久」為ヤヤヒサシ〈後述〉的例數)。
由此表可知,長時間的例子在本次調查的和文資料中有ヒサシ例子的十八種資料裡,除竹取物語、紫式部日記、浜松中納言物語、更級日記之外的十四種資料中均得到確認。另外,竹取物語中ヒサシ的用例數本身只有三例,紫、更級只有一例。因此,可判斷將ヒサシ用於長時間在當時是普通的用法。
此外,和文資料中ヒサシ還有以下兩點值得注意的特徵。其一,如(3)諸例所示,有時與表示期間的詞語共現:
(用例3イ〜3ヘ:宇津保物語・枕草子・源氏物語,ヒゴロ・トシゴロ等期間語との共起)
在這些例子中,所經過的期間已由ヒゴロ、トシゴロ等詞語來表示,ヒサシ本身並不參與實際時間的表達。這些例子中之所以加上ヒサシ,完全是為了說明那段ヒゴロ或トシゴロ的期間——不是單純無機質的期間,而是「令人感到漫長的」時間。
此外,如(4)諸例,有一種從現代角度看來奇特的用法:「対面ひさしくなりにけりや」(久未見面)、「後産がなくて久しい」「大殿への訪れがなくて久しい」「会うことがなくて久しい」「手紙の返事がなくて久しい」等,文字表面完全看不到否定詞,卻需要補充理解其否定意涵。百人一首「嘆きつつ一人寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る」(藤原道綱母)也屬此類(同時也是長時間的例子)。這一現象在現行辭書中似乎全無記載,可以說是ヒサシ值得注目的特徵。
第二節・第二項 漢文訓読文におけるヒサシpp. 34–37
漢文訓読においてヒサシという和訓が充てられた漢字・字句は、築島裕編『訓点語彙集成』に示されたもので二十八あるが、変体漢文資料においてはその内で「久」が常用であってその他は皆無ではないにせよ常用には至らなかったと考えられるため(次項参照)、本項でもヒサシと加点された、乃至そう訓ぜられると推定される「久」字についてのみ見ていくこととする。
漢文訓読が元の漢文に対して厳密に逐字的な翻訳作業である以上、訓読文におけるある語の語義は、元の漢文における対応語の(古典中国語における)語義といわば不即不離の関係にあると考えて良いであろう。大型の中国語辞書である『漢語大詞典』を見ると、「久」の意味としては、「時間長」を筆頭に複数を掲げるが、例えば和語ヒサシのように長期間と長時間の両用であるかといったことは判らない。漢文、及びそれを訓み下した漢文訓読文におけるヒサシの用法を見るために複数の訓点資料を調査した。
興福寺本大慈恩寺三蔵法師伝院政期点(以下、単に慈恩伝)では、ヒサシと訓ずると推定される例は三十一見つかった[注七]。その内二十八例は長期間を指し、三例は長時間を指して用いられているようである。
まず長期間と判定した例を幾つか挙げる。[注八]
(5イ)降慈ヲ沐浴シテ歳月久シ[矣](9-390)
(5ロ)年月既(ニ)久(シク)シテ漸(ク)変(シ)テ石爲リ(4-32)
(5ハ)久(シク)シテ[而]子無(シ)、因(リ)テ毘沙門天ノ廟ニ祷ル、廟ノ神ノ額ノ上ニ剖ケテ一ノ男ヲ出(ス)(5-450)
(5ニ)耶蘇眞ヲ乱ル、其(ノ)來(ル)コト自(ラ)久(シ)(5-164)
(5ホ)玄奘、昔危途ヲ冒シテ久(シ)ク痾疾ニ嬰レリ(7-167)
これらは、(5イ・ロ)のように主格に相当する部分が「歳月」「年月」などであって長期間であることが確定的であるものと、(5ハ〜ホ)のように、文意・文脈からして長期間であると推定されるものとがある。
次に、長時間であると判断した三例を挙げる。
(6イ)余再び懐慚して退いて沈吟す、久シクして[之]紙を執り翰を採りて顳顬に沈潤す(1〈序〉-51)
(6ロ)法師顧視シテ掌(ヲ)合(セ)テ良久シ、遂ニ右ノ手ヲ以テ[而]自(ラ)頷ヲ支へ、次ニ左(ノ)手ヲ以テ[而]左ノ脛ノ上ニ申ネテ足ヲ舒(ヘ)テ重累シテ右脇ニシテ[而]臥(シ)タマフ、(10-115)
(6ハ)聞(キ)已(リ)テ眉ヲ俛(レ)テ良久(シク)シテ手ヲ以テ髪ヲ擧(ケ)テ起(チ)テ虚空ニ昇(リ)テ(5-431)
これらは、「沈吟する→ヒサシ→紙と筆を取って云々」「顧視して掌を合わせる→ヒサシ→右手で顎を支えて云々」「聞き終わって眉を垂れる→ヒサシ→手で髪を掻き上げて云々」といった文脈によって、ヒサシが指す時間は一日未満であろうと判断されるのである。
注意されるのは、これらは皆単なるヒサシでなくヤヤヒサシであることである。ロとハでは「良久」なる文字列をそのように訓じたものであるが、イの左訓については、「久」一字を敢てヤヤヒサシと訓じているのである。
他資料ではどうなっているか。今回の調査で文脈まで確認することができた訓点資料のヤヤヒサシの例を全て掲げる。まず、「良久」の例を見る。これは東大寺図書館本法華文句巻第二平安後期点、天理大学図書館・京都国立博物館蔵南海寄帰内法伝院政期点、大谷大学本三教指帰注集長承三年(1134)点に例が見られた。
(7イ)毎に晨・旦(ニ)必(ス)水を観る須(シ)。…手を以(テ)口を掩(ヒ)て、良久、ハ之を視ヨ。(内法伝 1-7-23)
※ヤ、〜は「ヤヽヒサシク」と訓ずるべきものと見られる。
(7ロ)逕ニ佛ノ所ニ往イテ思-惟スルコト良久シウシテ一法トシテ心に入ルコトヲ得不。(法華文句 19ウ1)
(7ハ)喟焉(ト)シテ良久ク輾然(ト)シテ 殆 曰ク(三教注集 1-29オ4)
(7ニ)仙公カ曰(ク)諸君見(ム)ト欲スヤ[乎]。即(チ)口ノ中ノ飯ヲ吐(ク)ニ尽(ク)飛-蜂(ト)成(リテ)屋ニ満チ。…良久シテ仙公・乃(チ)口ヲ張(テ) 蜂ニ見(ルニ)。皆悉ニ口ノ中ニ飛テ入ヌ 飯ト成ル。公復(タ)食ヒツ(三教注集 2-43オ6)
(7ホ)於是頌ノ詞 取リ畢テ沈吟スルコト良久シ。(三教注集 4-29ウ2)
ロは長期間とも取れなくはないが、(6)と同様の状況で用いた例が多く、いずれも長時間を指したものと判断することができる。
次に単字の「久」にヤヤヒサシと加点した例を全て挙げる。築島裕氏蔵辨正論巻第三保安点に一例と、石山寺本大唐西域記長寛元年(1163)点に二例が見られた。
(8イ)[於]恩を獄-市に流(ス)に至(リテ)は、多ク慈・恕を行フ。其の罪有(リ)て懲ス可(カラ)不ある者をは・容ヲ改(ムル)こと久-之シクして、然(シテ)後に筆を下す。奸を察し誦を聴(キ)て、明なること神に通せるか若し。(辨正論巻第三 153)
(8ロ)世親観音菩薩書を覧、論を閲イ(テ)沈吟スルコト久之(クシ)て門人に謂(テ)曰(ク)、(西域記 4-334)
(8ハ)母の曰(ク)、[…]トノタマヒツ。時に王聞(キ)已(9リ)て悲(シ)ビ號(ビ)頓レ・躃シヌ。久 而醒・悟(シ)て駕を命(ジテ)馳(セ)赴(キ)て雙樹の間に至ル。(西域記 3-177)
これら三例も、みな長時間と解釈されるものである。
以上、多数の例を集めるには至っていないが、慈恩伝の例を加えて、ヤヤヒサシと訓じられる「良久」七例、「久」四例は、総じて長時間を指したものであると認め得ることを示した。
一方、単字の「久」を単にヒサシと訓じた例は、慈恩伝の二十八例に加え、十一資料から併せて一一四例を検討したが、西大寺本金光明最勝王経古点に一例の例外を確認した[注九]以外は、長時間の例と判断すべきものは見られなかった。
以上のことを要するに、漢文訓読においては次の如き「訳し分け」のルールがあったと考えられるのである。
語(用法) 和訓
久 (長期間) → ヒサシ
良久・久(長時間)→ ヤヤヒサシ
なお中国古典文の「良久」に長期間の例が全く無いかどうかは確認し得ていないが、当時の日本人が参照し得た範囲の資料において「良久」が長時間専用、もしくはそれに近い状態にあれば(今回の訓点資料の調査からもそのような状態であったろうことは窺われる)、この語句に対する和訓であるヤヤヒサシが、長時間を指す語として独立していったのは不自然なことではあるまい。
因みに、前掲【表1】にも示したように、ヤヤヒサシは和文にも少数ながら例がある。
(9イ)しゐて御室にまうでておがみ奉るに、徒然といとものがなしくておはしましければ、ややひさしくさぶらひて、古の事など思ひいでてきこえけり。(伊勢物語・八十三)
(9ロ)助と物語しのびやかにして、笏に扇のうちあたる音ばかりときどきしてゐたり。(御簾ノ)内に音なうてややひさしければ、(蜻蛉日記)
(9ハ)中将殿の御車どもは、梯殿に引立て、無期に立ちたまへるに、ややひさしうありてからうじてよろぼひ来ぬ。(落窪物語)
(9ニ)(門ヲ)ややひさしうひこしらひあけていり給ふ。(源氏・朝顔)
和文におけるヤヤヒサシも訓読文と同様に長時間専用のようであり、漢文における「良久」の定訓ヤヤヒサシが和文においても長時間専用の特徴を保ったまま用いられるようになったものかと思われる。
和文のヒサシが長期間・長時間のいずれについても問題なく用いられるのに対して、漢文訓読文においては、そもそも漢文で「久」が長時間の場合に用いられることが非常に少ないのに加えて、長時間の場合にも単字の「久」でなく「良久(ヤヤヒサシ)」が用いられる傾向があり、更に単字「久」でも敢てヤヤヒサシと加点された例が複数資料に見られる。則ち、長時間について容易に用いられるか否かという点で、和文のヒサシと訓読文のヒサシとは確かに文体間で一つの対照を成していると言って良いであろう。
因みに今回の調査では訓読文のヒサシの用法において、和文のヒサシに見られるとした用例(3・4)の如き用法は確認されなかった。
文法・表現
- いわば〜の関係にある(いわば)
- 「言うなれば・たとえて言えば」の意。厳密には正確でないかもしれないが、おおよそのイメージを伝えるために用いる副詞。「不即不離の関係にある」=「密接に関係するが完全には一致しない」。
- 〜ものと思われる(推量)
- 「〜と考えられる」という客観的推量。「思われる」は直接断定を避ける学術的表現。データが不十分な場合の留保を示す。
- 敢て(あえて)
- 「わざわざ・あえて」の意。通常とは異なる選択をする際に使う強調副詞。「久一字を敢てヤヤヒサシと訓じている」=通常ならヒサシと訓じるところを意図的にヤヤヒサシと加点した。
- 則ち(すなわち)
- 前述の内容を受けてまとめる接続詞。「つまり・言い換えれば」の意。漢文由来の表現で、学術文の論証の締めくくりに頻用。
中文翻譯
在漢文訓讀中被標注ヒサシ和訓的漢字・字句,據築島裕編《訓點語彙集成》所示共有二十八個;然而,在變體漢文資料中,其中「久」字常用,其他字雖非全無,卻未達到常用程度(詳見下項),因此本項也僅就被加點為ヒサシ,或推定應如此訓讀的「久」字進行考察。
漢文訓讀既然是對原漢文嚴格的逐字翻譯作業,訓讀文中某語的語義,可以說與其在原漢文(古典中文)對應語的語義存在著密不可分的關係。查閱大型中文辭書《漢語大詞典》,「久」的意思以「時間長」為首列舉多條,但究竟是否像和語ヒサシ那樣兼用長期間與長時間,則無從得知。為了了解漢文及其訓讀文中ヒサシ的用法,本文對多種訓點資料進行了調查。
在《興福寺本大慈恩寺三藏法師傳》院政期點(以下簡稱「慈恩傳」)中,推定訓讀為ヒサシ的例子共發現三十一例[注七],其中二十八例指長期間,三例似乎指長時間。
長時間的三例(6イ〜6ハ)皆為ヤヤヒサシ(良久或加點久字),非單純ヒサシ。其他訓點資料的ヤヤヒサシ例(7イ〜7ホ,及8イ〜8ハ)也都可解釋為長時間。
另一方面,將單字「久」訓讀為單純ヒサシ的例子,除慈恩傳二十八例外,另從十一種資料中共計確認一一四例,除在《西大寺本金光明最勝王経古點》中發現一例例外[注九]外,未見可判斷為長時間的例子。
總結以上,漢文訓讀中似乎存在如下的「譯讀區分」規則:
久(長期間)→ ヒサシ / 良久・久(長時間)→ ヤヤヒサシ
和文ヒサシ可自由用於長期間與長時間,而漢文訓讀文中,漢文的「久」本來就很少用於長時間,長時間時傾向用「良久(ヤヤヒサシ)」,且有複數資料中單字「久」也被加點為ヤヤヒサシ。因此,在能否輕易用於長時間這一點上,和文的ヒサシ與訓讀文的ヒサシ確實在文體間形成了一種對照。此外,本次調查中,在訓讀文ヒサシ的用法中,未能確認和文ヒサシ中所見的用例(3・4)類型的用法。
第二節・第三項 変体漢文におけるヒサシの用法pp. 38–41
前二項で見た和文・訓読文それぞれにおけるヒサシの語法と照らし合わせることによって、変体漢文におけるヒサシがどのような性格を持つかを探ることが可能であると考える。
まず、変体漢文において、ヒサシという語を表す常用の漢字は「久」であったことを確認する。変体漢文資料は、少数の例外を除いて仮名などによる加点がなく、厳密に言えばある字がどのように訓読されたかを完全に特定することは不可能である。しかしながら、前項の訓点資料の状況に加え、観智院本類聚名義抄において「久」字の和訓がヒサシのみであること(僧下一〇八)、三巻本色葉字類抄においてヒサシの掲出第一位字が「久」であり、合点も差されている(辞字部・前田本下九十六オ3)ことなどから、当時一般の書記においても「久」が形容詞ヒサシを表す常用漢字であったと結論づけて良いと考えられる。
なお、ヒサシを表す他字の候補としては「尚」があり(三巻本字類抄でも「久」に次いで二番目に掲出されており、合点も差されている)、変体漢文資料にあっても次の如く、ヒサシを表すために用いられたと見られる例がある。なお(10イ)は山中裕編『御堂関白記全注釈』ではナホと訓じられ、倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』でもそのように訳されているが、既述の如く和文に「ヒゴロヒサシ」の表現が時折見られることを勘案すると、ここはヒサシクと訓じて良いかと思われる。
(10イ)日来尚依レ悩、僧正并明救闍梨両於レ壇修善、[注十](御堂関白記・長保二年四月二十九日)
(10ロ)唐人来経年尚、或飢饉死去、或請レ還二本国一者、尤可二哀憐一、(小右記・天元五年三月二十五日)
(10ハ)自二先年一奉レ造二石清水八幡大菩薩像一、安置年尚、(古事談・五ノ十二)
しかしこのような例はごく僅かであって、「尚」は基本的には副詞ナホの用字であったと見て良いと思われる。なお、三巻本字類抄ではもう一字「淹」にも合点が差されている(掲出は二十三字中十九位)が、今回調査した変体漢文資料では例が見られなかった。
以上を確認した上で変体漢文資料の「久」を見てゆく。まず長期間の例は次のようなものである。(イ〜ニ)が記録、(ホ・ヘ)が文書、(ト・チ)が典籍の例である。
(11イ)明経博士維興宿祢年八十余、久沈二重病一、(貞信公記・天慶三年六月三日)
(11ロ)出家後漸以年久、(小右記・長和二年七月十七日)
(11ハ)三井寺座主久絶、故宇治僧正覚円之後未レ聞、(殿暦・長治二年閏二月十四日)
(11ニ)雨脚滂沱、久雨不レ下、民間有二憂之由風聞之比一、已以大雨、誠是甘雨歟、(中右記・嘉保二年五月二十五日)
(11ホ)此間何等事候哉、不レ指口候之間、久不令申、(4675 大江則遠書状・元永二年六月十一日)
(11ヘ)右、得二彼寺去寛和二年三月二日解一偁、件田畠施入之後、年序久、因レ茲土人致レ妨、称二己治田領畠一、不レ辨二地利一、仍難レ叶二本願之企一、望請官裁、(333 太政官符案・永延三年四月二十六日)
(11ト)古今蔵人頭久被レ処二勘事一之例云々、(江談抄・二ノ三十)
(11チ)入道殿被レ仰云、久無レ出二交盃酒座一、今日殊有レ所レ思、慇懃勧盃、(古事談・二ノ七)
前項までで確認したように、長期間のみならず長時間の場合にも用いることも可能か否かが、変体漢文のヒサシが和文的であるか訓読文的であるかを判断する重要な指標と考えられるのであるが、記録資料には次のように長時間での例が確認される。御堂関白記より例を挙げる。
(12イ)余以二右手一賜二除目一、定義挿二笏之間一、太久、前々也如レ挿只置、不レ知二前例一歟、(長徳二年三月十九日)
(12ロ)所労漸以平復、而時々心神不レ宜、久居太苦、股肉如レ削、(長和元年七月五日)
(12ハ)左相府足更不快、猶不レ被二踏立一、久起居太苦、仍多以被レ臥、進退惟谷、(長和四年七月七日)
(12ニ)久不二開門一、高声仰二可レ開門一由、即開門、(寛仁二年十一月二十二日)
(12ホ)伝二関白御消息一云今日可レ参入一也、而依二神事一不レ参入、〈軽服〉極熱之間久被レ候二陣如何一、(万寿四年六月二十三日)
(12ヘ)依レ召参入、聊有二所労一不レ能レ久候、欲レ早退出、(万寿四年正月十六日)
(12ト)召二行事右中弁章信一、仰二可レ打レ鍾之由一、殊仰二令レ久打一、此間参議経通・広業等参入、(治安元年三月七日)
訓読文においてヤヤヒサシならぬヒサシは基本的に長期間でしか用いられないので、右のヒサシ単体での長時間の例は和文的特徴であると言えよう。加えて、漢文での「久」の長時間の例(則ちヤヤヒサシと訓読されるもの)は、今回確認した限りではいずれもヒサシクシテ、ヒサシクアリテという形であって(12ロ)以下の例のように連用修飾として用いたものはない。その点からも、右の諸例は和文的用法であると捉えられる。
なお記録資料におけるヒサシの特徴として、「良久」の頻用されていることが挙げられる。これは基本的に訓読文と同じく長時間専用である。この語句が特に頻用されている小右記から数例を挙げる。
(13イ)右大臣良久不レ着二幄座一、未時許着座、(永観二年十月十日)
(13ロ)次召二右馬助実正一、良久不レ参、令レ申云、忽煩二胸病一、不レ参二御前一、身候二花徳門陣一者、(永観二年十月二十二日)
(13ハ)神祇官亀筮・陰陽寮占文等各納二於覧筥一進二藤突一奉レ之、〈神祇官先進、陰陽寮良久之後奉レ之〉(永祚元年六月二十五日)
(13ニ)未剋許参内、相続左将軍〈内大臣〉参入、良久徘徊陣腋、(寛弘二年正月十八日)
(13ホ)召二外記一仰二可レ候二管文一之由一、良久不レ持出、以二陣官一令レ催仰、(万寿元年十月十六日)
「良久」は前項で確認したように古典中国語文/漢文訓読文に見られる語句であり、和文や変体漢文で見られるヤヤヒサシもそれを流用したものと見られる。よってこの語句自体は三文体に共通に見られるものではあるが、後掲の【表2】からも判るように、古記録ではこの語句の頻用が顕著であり、資料によってはヒサシの用例の中心を成しているものさえある(九暦、小右記、愚昧記など)。この点は古記録の特徴と言って良いであろう。
「良久」を含め、記録資料でこのように長時間の用法が多用されるのは、記録(日次記)というものが基本的に一日の内部に収まる出来事について記すものであり、内容的に長期間よりも長時間に関わる物事の方が現れ易いことが一つの要因になっていよう。
その一方で、文書(竹内理三編『平安遺文』所収文書の内、西暦九〇〇〜一一〇〇年の分より一四〇余例が得られた)には長時間の例が見られなかった(「良久」が一例見られたがこれも長期間であった)。これは、記録に対して文書は訓読語的であるというよりも、記録が一日の内部の出来事を描くのと対照的に、文書に描かれる出来事はしばしば一日という範囲を飛び出たものであるからと捉えられよう。加えて、文書に準ずるものと言える古往来では次のような例が確認された。
(14イ)年變レ節改、面談既久(和泉往来003)
(14ロ)謹言 日來之間久不奉謁、鬱望之至如レ送歳月(高山寺本古往来389)
イは面談がなくて久しいという意味の筈であるから、和文の(4)諸例と同様に文字面には現れていない打消の意味を補って解釈してやる必要がある。またロは期間を表す語と共起したものであり、和文の(3)諸例に相当するものである。
期間を表す語と共起した例は記録資料にも見られる。
(15イ)従二夜部一通夜雨降、日来久不レ雨。(御堂関白記・長和五年五月十二日)
(15ロ)日者霪雨久以不レ霽、(権記・長徳四年九月一日)
(15ハ)被レ仰月来久不レ参入、今日依二吉日一初参也、(権記・長徳四年九月二十六日)
典籍でも文書と同様に長時間の例が見られない。採集し得た例数が必ずしも多くないため(次頁の【表2】参照)、判断し難いが、オドロクの調査(本稿註六参照)において訓読語的かと指摘した将門記・往生伝・法華験記が含まれていることは注意される。
【表2】変体漢文資料におけるヒサシ(久)使用状況 (丸括弧内は例数中のヤヤヒサシの数)[注十二]
| 資料 | 計 | 長時間 | 長期間 |
|---|---|---|---|
| 貞信公記 | 5(1) | 1(1) | 4(0) |
| 九暦 | 32(28) | 29(28) | 3(0) |
| 小右記 | 384(317) | 331(315) | 53(2) |
| 権記 | 23(11) | 15(11) | 8(0) |
| 御堂関白記 | 35(14) | 19(14) | 16(0) |
| 左経記 | 41(18) | 19(18) | 22(0) |
| 後二条師通記 | 59(46) | 48(46) | 11(0) |
| 中右記 | 23(2) | 0(0) | 23(2) |
| 殿暦 | 28(2) | 3(2) | 25(0) |
| 長範記 | 13(0) | 0(0) | 13(0) |
| 山槐記 | 108(95) | 102(95) | 6(0) |
| 愚昧記 | 105(99) | 99(99) | 6(0) |
| 和泉往来 | 3(0) | 0(0) | 3(0) |
| 高山寺本古往来 | 7(0) | 0(0) | 7(0) |
| 雲州往来 | 8(0) | 0(0) | 8(0) |
| 将門記 | 1(0) | 0(0) | 1(0) |
| 江談抄 | 7(0) | 0(0) | 7(0) |
| 古事談 | 15(1) | 1(1) | 14(0) |
| 日本往生極楽記 | 5(1) | 1(1) | 4(0) |
| 法華験記 | 15(2) | 2(2) | 13(0) |
| 続本朝往生伝 | 2(1) | 1(1) | 1(0) |
文法・表現
- 〜であると言えよう(断定の「よう」)
- 「〜だと言えるだろう」という控えめな断定。直接「〜だ」と断言するより柔らかく、読者に判断の余地を残す学術的表現。「であろう」の連体形的用法。
- 〜からと捉えられよう(原因の「から」+推量)
- 「〜という理由によるものと考えられる」の意。「から」は原因・理由を示す格助詞、「捉えられよう」は受身+推量の形。客観的な解釈を提示する。
- 〜するに至っていないが(到達点の否定)
- 「〜という状態・段階にはまだ達していないが」。「至る」(到達する)の否定で、調査の限界を正直に示す学術的誠実さを表す表現。
中文翻譯
透過與前兩項所見的和文、訓讀文各自的ヒサシ語法相互對照,可以探討變體漢文中ヒサシ的性格。
首先確認:在變體漢文中,表示ヒサシ這一詞語的常用漢字是「久」。變體漢文資料除少數例外,並無假名等加點,嚴格而言無法完全確定某字是如何訓讀的。然而,除前項訓點資料的情況外,《觀智院本類聚名義抄》中「久」字的和訓僅有ヒサシ(僧下一〇八),以及三卷本色葉字類抄中ヒサシ列舉第一位字為「久」且有合點(辭字部・前田本下九十六オ3)等情況,可以得出結論:在當時的一般書記中,「久」也是表示形容詞ヒサシ的常用漢字。
變體漢文資料中的長期間例(11イ〜11チ:記錄・文書・典籍各類資料)見原文。
如前兩項所確認,能否用於長時間(不只限於長期間)是判斷變體漢文ヒサシ是和文性還是訓讀文性的重要指標。記錄資料中確認了長時間的例子(12イ〜12ト,御堂関白記各條)。訓讀文中非ヤヤヒサシ的ヒサシ基本上只用於長期間,因此上述ヒサシ單獨用於長時間的例子可以說是和文性特徵。
記錄資料中「良久」被頻繁使用(13イ〜13ホ,小右記各條),基本上與訓讀文相同,專用於長時間。記錄(日次記)描述一日之內的事情,長時間相關事項較容易出現,這是原因之一。
另一方面,文書資料中未見長時間的例子。古往來中(14イ・14ロ)見到了與和文(3・4)類型相應的用法(打消意涵省略,及與期間語共現)。記錄資料中也有與期間語共現的例子(15イ〜15ハ)。典籍中也未見長時間的例子,但值得注意的是,其中包含此前調查オドロク時被指出為訓讀語性的資料(將門記・往生傳・法華驗記)。