変体漢文の文体的性格を測る手段について
—— 形容詞ヒサシと形容動詞ワヅカナリを例に ——
第一節 変体漢文の文体的性格を測る指標に特有語を用いることの問題点(前半)pp. 29–30
平安時代、殊に平安後期及び院政期の日本語において、和文語と漢文訓読語とが文体上の顕著な対照を成していたことはよく知られている。この対照とは、例えば「イトホシ」という語は和文において普通に用いられるが訓読文では例に乏しく、また「イサギヨシ」という語はその反対であるといったこと、更に和文では「ミソカニ」と表現されるところが訓読文では「ヒソカニ」と表現されるというような「二形対立」[注一]の例によって具体的に捉えることが可能である。
この和文語・漢文訓読語に、記録や文書など主として実用的な文章に用いられる変体漢文の言語をも加えて、三様に捉えることも一般的になりつつある。例えば和文語の「ミソカニ」、訓読語の「ヒソカニ」に相当するものは変体漢文では「密密」であるとされている[注二]。これらは先学の研究において「特有語」と呼ばれるものである。則ち、「ミソカニ」は和文特有語、「ヒソカニ」は漢文訓読特有語、「密密」は変体漢文特有語である。
平安鎌倉時代の言語資料を文体的に分類する時に、この特有語が指標として用いられることがある。例えば、峰岸明(一九七四)では説話文学の諸作品が和文体・漢文体・記録体の要素をどのように含むかを整理して一覧を作成しているが、ここでの分類の指標となっているのは、右記の如き「特有語」の有無及び多寡である。
また、山口仲美(一九六七)でも、説話集における和文調/漢文訓読調の度合いを測るために和文特有語と訓読特有語(但し接続詞に限定する)の使用率[注三]が指標として採用されている。
調査対象とされた説話集の中には、日本霊異記、日本往生極楽記、法華験記、江談抄、本朝新修往生伝、中外抄、富家語談、古事談などの変体漢文資料があるが、山口氏の調査では総じて「きわめて漢文訓読調の強い説話集群」の中に位置づけられている。
接続詞の特有語とは、山口氏が列挙されているものから例示すると、「アルハ」「サテ」等が和文特有語とされ、「アルイハ」「シカシテ」等が訓読特有語とされる。
しかし変体漢文資料には無加点のものも多いので、山口氏の調査ではこれらの資料における「然」字を(サテでなく)シカシテ、「或」字を(アルハでなく)アルイハと訓ずるという前提がまずあって、その結果これらの資料が漢文訓読調の強い資料と判定されることになっているものと思われる。
恐らく、右記の如き変体漢文資料中に見られる「然」は実際に(サテでなく)シカシテ、「或」は(アルハでなく)アルイハと訓ぜらるべきものであろう。しかしながら、漢字に対する一定の和訓(=所謂「定訓」)というものが原則として漢文訓読という営為の下で成立するのである以上は、その定訓というものを文字通り礎として日本語文を綴る変体漢文においては、訓読語が必然的に採用されることになるのではないか。つまり、変体漢文の記主にとってはシカシテ/アルイハでなくサテ/アルハを記すという選択自体が剥奪されていたと言える(無論、仮名を用いればこれらの和文特有語をも記すことは可能であるが、平安時代の変体漢文書記において仮名の使用は――資料毎の若干の相違こそあれ――原則として異例のものであったと見て良かろう)。
右は「アルハ/アルイハ」「サテ/シカシテ」の如く二形対立の特有語の場合であるが、そうでない語(例えばイトホシ)でも、訓読文には現れない(則ちその語を正字表記[注四]するための漢字を持ちにくい)語が、定訓を基礎とする変体漢文においては(記主にとって)選択し得ない(選択し難しい)語であることは明らかであろう。
これらの事実を以て、変体漢文は文体的に必然的に訓読文的性格を有すると結論付けることも可能であろうし、実際にそのように説明する先行研究も存する[注五]。
しかしながらこうした主張は、定訓に基づく漢字専用文である変体漢文にとって「訓読語を用いるしか道がない」ような場面に目を向けて、その場面において実際に訓読語が用いられている → 故に変体漢文は訓読語的だ、と結論付ける理屈であるようにも見えるのである。このように捉えた時にすぐさま問題になるのは次の如き点である。則ち、
変体漢文が「和文的にも訓読文的にも書ける」ような場合においてなお、訓読文的性格が確認されるのであろうか。
そもそも、右に記したような、変体漢文の起源に関わる事情がある以上、仮名や宛字の使用を除いて変体漢文が「和文的にも訓読文的にも書ける」ような場合など有り得るであろうか。
文法・表現
- とされている
- 「とされる」(受身)の継続態。「〜と見なされている」の意。学術文で学界の共通認識を客観的に提示する際に用いる。「とする」(話者自身の立場表明)との対比に注意。
- 〜ことがある
- 「〜という事例が存在する」という可能性・事実の提示。必ずではないが実例があることを示す。「指標として用いられることがある」=「そうする場合がある」。
- 〜のである以上は(〜以上は)
- 「〜という事実がある以上」という、前提から結論を必然的に導く表現。「既然~,就~」の意で、論理的な因果関係を強調する。
- 〜ではないか(婉曲断定)
- 「〜なのではないだろうか」の省略。直接断定「〜だ」より控えめで、読者に思考を促す学術的修辞として機能する。著者の主張を婉曲に提示する。
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眾所周知,在平安時代——尤其是平安後期及院政期的日本語中,和文語與漢文訓讀語在文體上形成了顯著的對照。這種對照,可以透過以下例子具體地加以掌握:如「イトホシ」一語在和文中普通使用,在訓讀文中卻幾乎不見,「イサギヨシ」一語則恰好相反;以及和文用「ミソカニ」表達之處,訓讀文用「ヒソカニ」表達之類「二形對立」[注一]的例子。
在和文語、漢文訓讀語之外,再加上主要用於記錄、文書等實用性文章的變體漢文語言,以三種方式來理解的做法,也日益普及。例如,對應和文語「ミソカニ」、訓讀語「ヒソカニ」的變體漢文詞語,被認為是「密密」[注二]。這些在前人研究中被稱為「特有語」。亦即,「ミソカニ」是和文特有語、「ヒソカニ」是漢文訓讀特有語、「密密」是變體漢文特有語。
在對平安鎌倉時代的語言資料進行文體分類時,有時會採用這種特有語作為指標。例如,峰岸明(1974)整理了各說話文學作品如何包含和文體、漢文體、記錄體的要素並製作一覽表,而這裡作為分類指標的,正是上述「特有語」的有無與多寡。
此外,山口仲美(1967)也以和文特有語與訓讀特有語(但限定於接續詞)的使用率[注三]作為指標,來衡量說話集的和文調/漢文訓讀調的程度。
調查對象的說話集中,包含《日本靈異記》《日本往生極樂記》《法華驗記》《江談抄》《本朝新修往生傳》《中外抄》《富家語談》《古事談》等變體漢文資料,但在山口氏的調查中,總體上被歸入「漢文訓讀調極強的說話集群」之中。
接續詞的特有語,以山口氏所列舉的為例:「アルハ」「サテ」等被視為和文特有語,「アルイハ」「シカシテ」等被視為訓讀特有語。
然而,變體漢文資料中有許多是無加點的,因此山口氏的調查首先預設這些資料中的「然」字讀作(非サテ而是)シカシテ、「或」字讀作(非アルハ而是)アルイハ,其結果便使得這些資料被判定為漢文訓讀調強烈的資料。
上述變體漢文資料中的「然」大概確實應讀作シカシテ,「或」應讀作アルイハ。然而,漢字的固定和訓(即所謂「定訓」)原則上是在漢文訓讀這一行為之下形成的;既然如此,在以定訓為字面基礎來書寫日語文的變體漢文中,訓讀語的採用便是必然的吧。也就是說,對於變體漢文的書寫者而言,選擇記寫サテ/アルハ而非シカシテ/アルイハ這一選項本身,就已被剝奪了(當然,若使用假名,這些和文特有語也可以書寫;但在平安時代的變體漢文書寫中,假名的使用——儘管各資料間略有差異——原則上被視為例外)。
上述是針對「アルハ/アルイハ」「サテ/シカシテ」這類二形對立特有語的情況,但對於非此類的詞語(例如イトホシ),在訓讀文中不出現的詞語(即難以找到能以正字書寫的漢字的詞語),在以定訓為基礎的變體漢文中,對書寫者而言是無法選擇(或難以選擇)的,這一點應是明顯的。
基於這些事實,也可以得出「變體漢文在文體上必然具有訓讀文的性格」這一結論,實際上也有先行研究如此說明[注五]。
然而,這種主張,似乎是著眼於變體漢文「別無選擇只能使用訓讀語」的場合,指出該場合實際使用了訓讀語→因此變體漢文是訓讀語的——這樣一種邏輯。如此理解時,隨即浮現的問題如下:在變體漢文「既可以和文方式、也可以訓讀文方式書寫」的情況下,是否仍能確認訓讀文的性格?而且,既然存在上述與變體漢文起源相關的情形,除假名與宛字的使用之外,變體漢文是否存在「既可以和文方式、也可以訓讀文方式書寫」的情況呢?
第一節 文体間共通語の提案・本稿の目的(後半)p. 31
稿者は、「文体間共通語」の使用時こそがそのような場合であると考える。
「文体間共通語」は、先述の「特有語」に対立するものであって、和文・漢文訓読文・変体漢文の三者いずれでも用いられる語である。このような語は、いずれの文体でも用いられるのであるから当然ではあるが、文章を文体的に分類する指標にはこれまで採られなかった。しかしながら、ある語がどのような文章においても同様の語義・用法によって用いられるとは限らない。むしろ、和文の文章が記主の思想をそのまま言語化したものであるのに対して、訓読語は中国語文を逐字的に翻訳したものであり、その背後には古典中国語という古典日本語とは全く異なる言語が存するのであるから、同一語と雖も、その用法において両文体間に多少の相違が生ずることは珍しいことではないのである。このような「和文・訓読文の双方で普通に用いられるが、その用法において両文体間で相違が見られる語」を本稿では以下、狭義の「文体間共通語」とする。
この狭義の文体間共通語では、特有語において指摘し得る「本当は和文語を使いたいのだが(定訓を用いて漢字専用で書く以上)訓読語を用いざるを得ない(=書いた漢字が自動的に訓読語になってしまう)」という問題は解消される。喩え和文に独特の用法であっても、語形の上では訓読語と共通しているため、訓読語と全く同様に漢字によってその語を表記することが可能なためである。
このような文体間共通語について、和文・訓読文でそれぞれ如何なる語義・用法を持っているかを示し、その上で変体漢文ではどのような語義・用法であるかを観察することによって、その語の変体漢文での語義・用法が和文的であるか或いは訓読文的であるかを明らかにすることができる。文体間共通語は、和文的性格の発現可能性が予め阻害されている特有語とは違って、(記主にとって)和文的性格と訓読文的性格とのいずれでも充分に発揮し得るという点で、変体漢文の文体的性格を測る指標として一層適切であるとさえ考えられるのである。
右のような考えに依拠して、稿者は以前に動詞オドロク・オドロカスを取り上げて[注六]この語が和文と訓読文の双方で用いられながらその語義・用法は両文体間で相違のある狭義の文体間共通語であることを示し、且つ変体漢文におけるこの語の用法は和文のそれと共通するものであることを指摘した。
本稿では、他の文体間共通語の例として、形容詞ヒサシ(久)及び形容動詞ワヅカナリ(僅・纔)を取り上げ、これらの語が和文と訓読語とでそれぞれどのような用法を有するかを確認した上で、変体漢文ではどう用いられているかを見ることとする。なお対象とする時代は主に平安中期〜院政期(九〇〇〜一二〇〇年頃)である。
文法・表現
- 〜に対立するものであって(順接の「て」)
- 「対立する+ものであって」:「〜なものであり、さらに〜」という順接の継起・追加関係。「であって」は「である」の中止形。学術文では複数の性質を列挙する際に多用。
- 同一語と雖も(いえども)
- 文語表現。「たとえ〜であっても」の意の逆接仮定。漢文由来の「雖」を和訓読みした表現で、学術文体に格調を与える。現代語訳:「同じ語とはいえ」。
- 〜とは限らない
- 「必ずしも〜というわけではない」という部分否定。全面的に否定するのではなく「そうでない場合もある」と留保する表現。論文で反例・例外を示す際に多用。
- 〜とさえ考えられるのである
- 「さえ」は添加的強調(「〜どころか」)。「〜と考えられる」に「さえ」が加わり、「それ以上のこと(一層適切である)とさえ言える」という強調表現。「のである」は説明・強調の終助詞。
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筆者認為,正是在使用「文體間共通語」之時,才是那種情況。
「文體間共通語」是與上述「特有語」相對立的概念,指的是和文、漢文訓讀文、變體漢文三者均可使用的詞語。這類詞語既然在任何文體中均可使用,這一點固然理所當然,但迄今未被採用為對文章進行文體分類的指標。然而,某一詞語在任何文章中都以相同的語義與用法被使用,這並非必然。不如說,和文是書寫者將自身思想直接語言化的產物,而訓讀語則是對中國語文逐字翻譯的結果,其背後存在著與古典日語截然不同的語言——古典中文;因此,即便是同一詞語,其用法在兩種文體之間出現若干差異,也不是罕見之事。本稿以下,將這種「在和文與訓讀文中均普通使用、但用法在兩種文體之間存在差異的詞語」稱為狹義的「文體間共通語」。
在這種狹義的文體間共通語的情況下,特有語中所指出的「本想使用和文語,但(既然要以定訓用漢字專用書寫)不得不使用訓讀語(=所寫漢字自動成為訓讀語)」的問題便得以消解。因為,即便是和文所獨有的用法,在語形上與訓讀語相同,因此可以與訓讀語完全相同地以漢字書寫該詞語。
關於這種文體間共通語,透過分別展示其在和文與訓讀文中各有怎樣的語義與用法,再在此基礎上觀察其在變體漢文中的語義與用法,便可以明確該詞語在變體漢文中的語義與用法究竟是和文性的還是訓讀文性的。文體間共通語,與和文性發現可能性預先受到阻礙的特有語不同,在(對於書寫者而言)和文性格與訓讀文性格兩者都能充分發揮這一點上,可以說是衡量變體漢文文體性格的更為適切的指標。
基於上述想法,筆者此前曾以動詞オドロク・オドロカス為例[注六],指出該語雖在和文與訓讀文中均被使用,但其語義與用法在兩種文體之間存在差異,屬於狹義的文體間共通語,並指出其在變體漢文中的用法與和文中的用法相通。
本稿以形容詞ヒサシ(久)及形容動詞ワヅカナリ(僅・纔)作為其他文體間共通語的例子,在確認這些詞語在和文與訓讀語中各有怎樣的用法之後,觀察其在變體漢文中的用法。此外,所研究的時代主要為平安中期至院政期(約900至1200年)。