p.248 芥川龍之介 — 新理智派・芸術至上主義
新理智派
芥川龍之介
一八九二(明治25)〜一九二七(昭和2)
新理智派・芸術至上主義の作家。東京都生まれ。
早熟な文学少年
東京京橋区入船町(現中央区)に新原敏三の長男として生まれる。生後八ヶ月で生母発狂、母方の伯父芥川道章の家に引き取られ、芥川を養家として育つ。府立三中、第一高等学校を経て、東京帝大英文科に進学。早くから古今東西の文学に通じ、文学少年として頭角を現した。
芸術至上主義へ
一九一四(大正3)年、東京帝大入学後、久米正雄・菊池寛らと第三次『新思潮』を創刊。一九一五年、『帝国文学』に『羅生門』を発表。翌一六年、第四次『新思潮』を創刊、創刊号に『鼻』を発表、夏目漱石の激賞を得た。古典を素材とした王朝物・歴史小説で芸術至上主義の作品を次々と発表。
華やかな文壇登場
一九一六(大正5)年、東京帝大を卒業。海軍機関学校(横須賀)の英語教官となる。大阪毎日新聞社の社員となり、執筆に専念。鎌倉・田端で創作生活。一九一七年、第一短編集『羅生門』を刊行、文壇の寵児となる。
現実への傾斜
大正後期に入り、芥川は王朝物の歴史素材から離れ、現代の人間心理・社会への関心を強める。「保吉物」と呼ばれる自伝的作品群、自身の精神を解き明かす作品を多く書き、芸術主義の手法から離れ、人間性に深く立ち入る作風に変化していった。
ぼんやりした不安
晩年、神経衰弱と肉親の不幸(実姉の夫の自殺)に苦しみ、一九二七(昭和2)年7月24日、田端の自宅で多量のヴェロナール服用により自殺。遺書に「ぼんやりした不安」と書き残した。彼の自殺は時代の不安・芸術と社会の乖離を象徴する事件として、近代日本文学の一つの転換点となった。