p.244 耽美派 — 永井荷風・谷崎潤一郎
耽美派
永井荷風
一八七九(明治12)〜一九五九(昭和34)
耽美派・享楽と反抗の作家。自然主義から出発し、耽美派・享楽の世界に存在の哲学をもつ。
反俗の精神
本名壯吉。東京外国語学校(現東京外大)に入学。一八九九(明治31)年、エリート官僚の父への反発から学校を除籍となる。広津柳浪に入門して作家修業に入る。一九〇一(明治34)年、ゾラ(→P.336)に心酔し、一九〇二年、上流家庭の暗い本能や衝動を描いた「ゾライズム小説」『地獄の花』を発表、日本の前期自然主義の代表作家となった。一九〇三(明治36)年、父の命令で実業家修業のため渡米するが、文学に傾倒して帰国。渡仏した荷風は『あめりか物語』『ふらんす物語』で異国での感慨を書いた。同時に、明治の西洋化に無秩序を感じた荷風は『すみだ川』(一九〇九)で「古きよきもの」(江戸戯作者の姿勢に託した享楽的作品)を書いた。
耽美・享楽志向へ
前期自然主義の代表作家となった荷風は、その後、雑誌『三田文学』(一九一〇創刊、編集主幹)に依拠して、東京の下町・花柳界・芸者を題材とする耽美と享楽の作品を次々と発表、不動の地位を築いた。『つゆのあとさき』(一九三一)、代表作『濹東綺譚』(一九三七)などを書く。昭和に入り、雑誌『三田文学』の編集を辞めた荷風の反俗精神が示された日記『断腸亭日乗』、訳詩集『珊瑚集』(→P.223)も評価が高い。
腕くらべ
長編小説 一九一六〜一七年連載
花街を舞台に、物欲・情欲が交わる男女の人間模様を描いた、現代的な功利主義に陥る人々の物語。荷風の集大成的な作品の一つで、谷崎の作風の変化に影響を与えた。
古典への回帰
一九二三(大正12)年、関東大震災以後、関西に伝統的な文化を求め、谷崎の集大成的な作風の変化、つまり古典への回帰となる『痴人の愛』(一九二四)、その後、『春琴抄』、古典的様式美の絶頂を示した『細雪』(一九四三)と続く。
谷崎潤一郎
一八八六(明治19)〜一九六五(昭和40)
耽美派・女性美と王朝美への憧れ。東京都生まれ。
耽美の世界
一九一〇(明治43)年、東大国文科に入学した秀才。同人誌『新思潮』を発表し、永井荷風に激賞された『刺青』『麒麟』などを発表、昭和に入り、雑誌『三田文学』『中央公論』を中心に作家活動を行う。病的なまでに官能美を探求。伝統的古典美、「永遠の女性」像を豊かな感性で描く。
文壇の大家
戦時中も独自の道を歩み、『源氏物語』現代語訳に取り組み、戦後一九四八(昭和23)年に大作『細雪』『少将滋幹の母』『鍵』などを執筆し、旺盛な創作力を見せた。
春琴抄
中編小説 一九三三年発表
至盲の三絃師春琴に仕える佐助は、美しく気位高い春琴を慕い、その芸の修練に献身する。春琴が顔に大火傷を負ったとき、佐助は自らの目をも傷つけ、自分の目を突いた。
細雪
長編小説 一九四三年連載
戦時中に検閲で連載中断、一九四八年に完成。大阪船場の旧家蒔岡家の四姉妹(鶴子・幸子・雪子・妙子)の四人姉妹の生活を、折々の伝統行事を絡めながら華麗な絵巻物風に展開している。
陰翳礼讃
随筆 (→P.290)
昭和の西洋化風潮を嫌い、随想『陰翳礼讃』に、昭和9(1933)年に発表。日本の伝統的「美」を求める。「文章読本」とともに、日本の伝統的西洋美と「文学性」を論じた、谷崎の代表的随筆。