p.240 夏目漱石(1)江戸生まれ・松山熊本・英国留学・吾輩は猫
近代文学を体現した明治の文豪
概観
夏目漱石(本名・金之助、1867–1916)は、江戸牛込(現在の東京新宿区)の生まれ。実家は名主の家だったが、生まれてすぐに養子に出され、後に夏目家へ戻された。東京帝国大学英文科を1893年に卒業。第五高等学校(熊本)教師・松山中学校教師を経て、1900年(明治33年)から3年間イギリスに官費留学。帰国後は東京帝国大学英文科講師となった。1905年(明治38年)『吾輩は猫である』を雑誌『ホトトギス』に連載、作家デビュー。
漢学から英文学へ
幼少時から漢詩・漢文に親しみ、東京府立第一中学校(現日比谷高校)で漢学を学んだ。第一高等中学校英文科を経て、東京帝大英文科に進学。在学中に正岡子規と出会い、終生の親友となる。「漱石」のペンネームは子規が中国の故事「漱石枕流」から名付けたものを譲り受けた。漱石は東洋の伝統と西洋近代知の両方に深い理解を持つ、明治期最高の知識人の一人として育った。
松山・熊本時代
1895年(明治28年)4月、東京帝大卒業後、愛媛県松山中学校英語教師となる。後の小説『坊っちゃん』の舞台となる体験。翌1896年(明治29年)に第五高等学校(現熊本大学)英語教師として熊本に移り、結婚(鏡子と)、4年間を過ごした。この時期、第一作『木屑録』(漢詩文集)など漢学に深い造詣を見せた。
イギリス留学
1900年(明治33年)9月、文部省の命でイギリスに官費留学(2年余)。ロンドンで英文学・英語学を独学で研究したが、孤独と神経衰弱に苦しみ、「金縛りに遭った」「精神的危機」を経験した。1903年(明治36年)に帰国、東京帝大英文科講師に就任、ラフカディオ・ハーンの後任となった。イギリスでの孤独な留学体験は、後の作品『倫敦塔』『カーライル博物館』『文芸の哲学的基礎』にも反映される。
作家的出発
1905年(明治38年)正岡子規没後の『ホトトギス』(高浜虚子主宰)に『吾輩は猫である』を発表、翌1906年に『坊っちゃん』『草枕』『二百十日』など連発、一躍人気作家となった。1907年(明治40年)4月、東京帝大講師の職を辞して朝日新聞社の専属作家となる。以後、新聞連載の形式で『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』(前期三部作)、後期の『彼岸過迄』『行人』『こころ』『道草』『明暗』(未完)を著した。
修善寺の大患
1910年(明治43年)8月、伊豆の修善寺温泉で療養中、漱石は胃潰瘍で大量吐血、約30分間意識を失った。「死んだ」と思われたこの体験は、後の作品『門』の続編、『彼岸過迄』『行人』『こころ』に深く影響した。死を見つめた経験は、漱石を晩年の境地「則天去私」へと導く契機となった。漱石は1916年(大正5年)12月9日、胃潰瘍で死去、49歳。