p.233 樋口一葉(明治女流文学の頂点・奇蹟の14ヶ月)
明治女流文学の頂点 — 短い天才の生涯
概観
樋口一葉(本名・夏子、1872–1896)は、東京の旧幕府御家人の家に生まれた。父の死と家計の困窮の中で短歌や小説の執筆に専念、1894–96年のわずか14ヶ月間に『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』『大つごもり』『うつせみ』など、明治女流文学の頂点となる傑作を次々に書き上げた。24歳11ヶ月で肺結核により早逝。「奇蹟の14ヶ月」と呼ばれる短い活動期間に書かれた作品は、その後の日本文学に深い影響を与えた。
歌才の育成
幼少より文学に親しみ、12歳で小説を書き始める。14歳の頃から、当時の女流歌人・中島歌子の歌塾「萩の舎」に入門し、和歌の研鑽を積んだ。萩の舎で出会った優れた歌人たちとの交流は、後の文学的素地となった。
新たな生活
明治22年(1889)父の急死で経済的に困窮、一葉は一家を支えなければならなくなった。母・妹と共に下谷竜泉寺町(現在の東京台東区竜泉)に移り住み、駄菓子屋を開いた。下谷竜泉寺町時代の経験は、後に『たけくらべ』『にごりえ』の遊郭の世界を描く素材となった。
文壇の開花
明治27年(1894)の『大つごもり』を皮切りに、奇蹟の14ヶ月が始まる。雑誌『文学界』に作品を発表し、馬場孤蝶・平田禿木らとの交流を持つ。森鷗外・幸田露伴・斎藤緑雨らの推奨を得て、明治女流文学の最高峰として名声を確立した。森鷗外は『たけくらべ』を絶賛し、後に「真の詩人」と評した。
代表作 — 『たけくらべ』
1895–96年に『文学界』に連載された短編小説(最終話完結)。吉原遊郭近くの大音寺前を舞台に、遊女の妹・美登利と僧侶になる予定の信如の淡い恋を中心に、子供たちが大人へと移っていく季節の悲しみを描く。雅文体と口語を混ぜた洗練された文体、繊細な心理描写、明治期の遊郭文化の描写などで、近代女流文学の頂点とされる。
代表作 — 『にごりえ』『十三夜』
『にごりえ』(1895)は丸山福山町の小料理屋・菊の井のお力という女性を主人公とする、貧困と階級の悲劇を描いた短編。『十三夜』(1895)は不幸な結婚をした女性が実家へ帰る夜の哀しみを描く。共に明治期の女性の苦境を、雅文体の中に生々しい現実感を込めて描いた傑作。