文学改良運動の主導者・写実主義の理論家
美濃国(現在の岐阜県美濃加茂市)の生まれ。東京大学を卒業後、1885年(明治18年)に『小説神髄』を発表し、近代小説の理論的基礎を築いた。「人情を描く」「世相を写す」「儒教的勧善懲悪を排する」と主張。同年『当世書生気質』を発表、当時の書生の風俗をリアルに描いた。後年は早稲田大学教授・文学者として、シェイクスピア全集の翻訳に40年を費やすなど、英文学・古典劇の研究・翻訳・上演でも功績を残した。
言文一致体の創始者・写実主義の到達点
本名長谷川辰之助。江戸(現在の東京)生まれ。東京外国語学校でロシア語を学び、外務省勤務・大東文化学院長などを経た。坪内逍遥の影響で1887–1889年に『浮雲』を連載、近代小説で初めて言文一致体(口語で文を書く)を採用した画期的作品。主人公・内海文三の精神的迷いを、当時としては斬新な内面描写で描いた。続いて『其面影』『平凡』を発表したが、ロシア語訳『あひゞき』『めぐりあひ』など翻訳でも功績。45歳でロシア渡航中に船上で病死した。
硯友社の主宰・擬古典主義の旗手
本名徳太郎。江戸芝(現在の東京港区)の生まれ。東京帝大国文学科を中退。1885年(明治18年)に友人と硯友社を結成し、機関誌『我楽多文庫』を創刊。日本最初の純文学同人誌として、明治20年代の文壇の中心となった。代表作『多情多恨』(1896)『金色夜叉』(1897–1903、未完)。井原西鶴の文体を範とした擬古典主義的な雅文体で、市井の人情を巧みに描いた。門下に泉鏡花・徳田秋声・小栗風葉らがいる。35歳で胃癌により死去。
擬古典主義の双璧・「紅露時代」の一翼
本名成行。江戸下谷(現在の東京台東区)の生まれ。東京府立第一中学校(現日比谷高校)を卒業後、北海道電信技手として赴任、4年後に文学を志して帰京。1889年『露団々』『風流仏』、1891–92年『五重塔』を発表。明治20–30年代に尾崎紅葉と並んで文壇の中心となり、「紅露時代」を作った。仏教・古典・漢学への深い造詣を背景に、職人気質・武士道精神・自己鍛錬の物語を雄渾な漢文書下しの文体で描いた。後年は『連環記』『運命』など歴史小説、随筆、考証学に転じた。