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浜島書店 — pilot v2 OCR + ruby 版(PDF 5–253 ページ)

p.232 近代文学の先駆者 坪内逍遥/二葉亭四迷/尾崎紅葉/幸田露伴

坪内逍遥(1859–1935)つぼうち しょうよう

文学改良運動の主導者・写実主義の理論家

美濃国みののくに現在げんざい岐阜県ぎふけん美濃加茂市みのかもし)のまれ。東京とうきょう大学だいがく卒業後そつぎょうご、1885ねん明治めいじ18ねん)に『小説神髄しょうせつ しんずい』を発表はっぴょうし、近代きんだい小説しょうせつ理論的りろんてき基礎きそきずいた。「人情にんじょうえがく」「世相せそううつす」「儒教的じゅきょうてき勧善懲悪かんぜんちょうあくはいする」と主張しゅちょう同年どうねん当世書生気質とうせい しょせい かたぎ』を発表はっぴょう当時とうじ書生しょせい風俗ふうぞくをリアルにえがいた。後年こうねん早稲田大学わせだ だいがく教授きょうじゅ文学者ぶんがくしゃとして、シェイクスピアしぇいくすぴあ全集ぜんしゅう翻訳ほんやくに40ねんついやすなど、英文学えいぶんがく古典劇こてんげき研究けんきゅう翻訳ほんやく上演じょうえんでも功績こうせきのこした。

二葉亭四迷(1864–1909)ふたばてい しめい

言文一致体の創始者・写実主義の到達点

本名ほんみょう長谷川辰之助はせがわ たつのすけ江戸えど現在げんざい東京とうきょうまれ。東京とうきょう外国語学校がいこくご がっこうロシア語ろしあごまなび、外務省がいむしょう勤務きんむ大東文化学院長だいとう ぶんか がくいんちょうなどをた。坪内逍遥つぼうち しょうよう影響えいきょうで1887–1889ねんに『浮雲うきぐも』を連載れんさい近代きんだい小説しょうせつはじめて言文一致体げんぶん いっち たい口語こうごぶんく)を採用さいようした画期的かっきてき作品さくひん主人公しゅじんこう内海文三うつみ ぶんぞう精神的せいしんてきまよいを、当時とうじとしては斬新ざんしん内面ないめん描写びょうしゃえがいた。つづいて『其面影そのおもかげ』『平凡へいぼん』を発表はっぴょうしたが、ロシア語ろしあごやく『あひゞき』『めぐりあひ』など翻訳ほんやくでも功績こうせき。45さいでロシア渡航中とこうちゅう船上せんじょう病死びょうしした。

尾崎紅葉(1868–1903)おざき こうよう

硯友社の主宰・擬古典主義の旗手

本名ほんみょう徳太郎とくたろう江戸えどしば現在げんざい東京とうきょう港区みなとく)のまれ。東京とうきょう帝大ていだい国文学科こくぶんがくか中退ちゅうたい。1885ねん明治めいじ18ねん)に友人ゆうじん硯友社けんゆうしゃ結成けっせいし、機関誌きかんし我楽多文庫がらくたぶんこ』を創刊そうかん日本にほん最初さいしょ純文学じゅんぶんがく同人誌どうじんしとして、明治めいじ20年代ねんだい文壇ぶんだん中心ちゅうしんとなった。代表作だいひょうさく多情多恨たじょう たこん』(1896)『金色夜叉こんじき やしゃ』(1897–1903、未完みかん)。井原西鶴いはら さいかく文体ぶんたいはんとした擬古典主義的ぎこてんしゅぎてき雅文体がぶんたいで、市井しせい人情にんじょうたくみにえがいた。門下もんか泉鏡花いずみ きょうか徳田秋声とくだ しゅうせい小栗風葉おぐり ふうようらがいる。35さい胃癌いがんにより死去しきょ

幸田露伴(1867–1947)こうだ ろはん

擬古典主義の双璧・「紅露時代」の一翼

本名ほんみょう成行しげゆき江戸えど下谷したや現在げんざい東京とうきょう台東区たいとうく)のまれ。東京とうきょう府立ふりつ第一中学校だいいち ちゅうがっこうげん日比谷ひびや高校こうこう)を卒業後そつぎょうご北海道ほっかいどう電信でんしん技手ぎしゅとして赴任ふにん、4年後ねんご文学ぶんがくこころざして帰京ききょう。1889ねん露団々つゆ だんだん』『風流仏ふうりゅう ぶつ』、1891–92ねん五重塔ごじゅうのとう』を発表はっぴょう明治めいじ20–30年代ねんだい尾崎紅葉おざき こうようならんで文壇ぶんだん中心ちゅうしんとなり、「紅露時代こうろじだい」をつくった。仏教ぶっきょう古典こてん漢学かんがくへのふか造詣ぞうけい背景はいけいに、職人しょくにん気質かたぎ武士道ぶしどう精神せいしん自己じこ鍛錬たんれん物語ものがたり雄渾ゆうこん漢文書下かんぶん かきくだしの文体ぶんたいえがいた。後年こうねんは『連環記れんかんき』『運命うんめい』など歴史れきし小説しょうせつ随筆ずいひつ考証学こうしょうがくてんじた。