p.162 小倉百人一首 — 概観
鎌倉時代前期 — 藤原定家撰の代表的歌仙集
名称
「百人一首」は、藤原定家が一人一首ずつ百人の和歌を選んだ秀歌撰。当初は単に「百人秀歌」「定家詠百首」などとも呼ばれ、後に小倉山の山荘で選定したという伝承から「小倉百人一首」と呼ばれるようになった。「百人一首」と単に言えばこの定家撰のものを指す。
成立
定家の日記『明月記』の文暦2年(1235)5月27日の条に、養子の宇都宮頼綱(嵯峨小倉山に山荘を構えた武家)の依頼で和歌百首を選び書き贈ったとの記述があり、これが百人一首成立の伝承とされる。歌は飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代前期の順徳院まで、約600年間にわたる百人の歌を時代順に並べる。
内容
選歌は『古今集』『新古今集』など八代集と『新勅撰集』に採られた歌から大半が採られている。題材別に分類すると、恋歌が圧倒的に多く(約44首)、四季歌(春・夏・秋・冬)、雑歌(旅・離別・哀傷など)と続く。男性歌人79名、女性歌人21名。読み下し・覚えやすさから、室町時代以降の歌かるた・教養書として定着し、現代まで広く親しまれる。
小倉山と関連の地(地図)
京都の西郊嵯峨にある小倉山の周辺地図。定家の山荘「時雨亭」があったとされる地点、二尊院、常寂光寺など、嵯峨野ゆかりの寺院が並ぶ。本ページにはこの周辺の景観写真も添えられる。
歌集別の採歌数
百人一首の歌は主に古今集・後撰集・拾遺集・後拾遺集・金葉集・詞花集・千載集・新古今集の八代集(および新勅撰集)から採られている。ページ右側の表ではそれぞれの勅撰集からの採歌数が春・夏・秋・冬・雑などの題別に整理されている。総数100首。
歌かるた
百人一首は江戸時代以降、正月の遊戯としても定着した。読み手が読み札(上の句)を詠み、取り手が下の句の取り札を取る遊び。「百人一首かるた取り」「源平合戦」など競技形式が発達し、近代になって全国大会も開かれるようになった。