p.160 近松門左衛門
江戸時代前期 — 日本最大の劇作家
概観
近松門左衛門(1653–1724)は、江戸時代前期の人形浄瑠璃・歌舞伎の脚本家。越前国(現在の福井県)の武家の出で、京都・大坂で公家・武家に仕えた後、戯作の道に転じた。一生のうちに浄瑠璃約100作、歌舞伎約30作を残し、特に竹本義太夫の人形浄瑠璃の隆盛を支えた。「世話物」「時代物」の両方で傑作を残し、日本最大の劇作家と称される。
作劇開業時代
近松は1683年頃から本格的に戯作者として活動を始め、初期は歌舞伎の坂田藤十郎のために脚本を書いた。後に大坂で人形浄瑠璃の竹本義太夫と組み、竹本座を本拠地として浄瑠璃作品の創作に専念した。義太夫節と近松の脚本の組み合わせは大坂で大流行となった。
浄瑠璃の完成
近松は浄瑠璃の脚本を文芸の域に高めた。物語の構成、人物の心理描写、和漢混淆文の格調ある詞章で、人形浄瑠璃を単なる人形劇から芸術作品へと昇華させた。時代物では『国性爺合戦』など歴史的英雄譚を、世話物では『曾根崎心中』『心中天網島』など同時代の市井の心中事件を題材として、人間の情念を深く描いた。
『曾根崎心中』
元禄16年(1703)初演 — 世話物の最初
近松の世話物の最初の傑作。実際に大坂で起きた、醤油屋手代の徳兵衛と遊女お初の心中事件を、事件発生のわずか数週間後に脚本化して上演した。「この世の名残、夜も名残」の名高い「道行(みちゆき)」で結ばれる悲恋の名作。
『心中天網島』
享保5年(1720)初演 — 世話物の到達点
近松の世話物の代表作。紙屋治兵衛と遊女小春の心中を、彼らを取り巻く妻おさん・兄弟・親など人間関係の網(網島の意)の中で描く。家族・社会・恋愛の三角関係に苦しむ町人の悲劇として、近松世話物の到達点とされる。
『国性爺合戦』
正徳5年(1715)初演 — 時代物の最大作
明朝復興のために戦った鄭成功(和藤内)を主人公とする時代物。日中の英雄を主役に、漢土と日本の合戦を雄大に描く。初演から17ヶ月のロングランとなり、当時の浄瑠璃史上最大のヒットとなった。「虎退治」など名場面が多い。
「虚実皮膜論」
近松の劇作論として伝わる思想。芸術は事実そのままでも嘘そのままでもなく、両者の境(皮膜)にあって最高の魅力を生むという。『難波土産』(穂積以貫編)に収められた近松の言葉として知られる。