p.148 芭蕉と平泉・芭蕉紀行地図
黄金の都「平泉」
平安時代末期、奥州藤原氏の本拠地として栄えた平泉(現在の岩手県平泉町)の復元イラスト。中尊寺・毛越寺・無量光院・伽羅御所・平泉館などの主要遺構が配される。約100年にわたって栄華を誇ったが、1189年に源頼朝の奥州征伐で滅亡。芭蕉は『おくのほそ道』で平泉に立ち寄り、「夏草や兵どもが夢の跡」「五月雨の降残してや光堂」の句を残した。
毛越寺・中尊寺金色堂(写真)
毛越寺の浄土庭園や中尊寺の景観の写真が添えられる。中尊寺金色堂は奥州藤原氏三代(清衡・基衡・秀衡)の遺体を納めた阿弥陀堂で、内部・外部とも金箔で覆われた荘厳な堂宇。
芭蕉紀行地図
日本中部から東北までの地図に、芭蕉の代表的紀行の経路を線で示す。『野ざらし紀行』『笈の小文』『更科紀行』『おくのほそ道』のそれぞれの経路と立ち寄り地が異なる色で示される。
日光東照宮神橋(写真)
『おくのほそ道』の途次、芭蕉が訪れた日光東照宮の神橋の写真。芭蕉は「あらたうと青葉若葉の日の光」の句を詠んだ。
松島(写真)
宮城県松島の景観の写真。日本三景の一つで、奥松島・塩釜湾に約260の島々が点在する。芭蕉は『おくのほそ道』で松島に到り、その絶景に句を詠めなかったと記し、同行の曾良が「松島や鶴に身をかれほととぎす」と詠じた。
深川芭蕉庵(参考画)
東京江東区深川にあった芭蕉庵の参考図。芭蕉は1680年からここに住み、芭蕉という雅号もここで贈られたバショウの株に由来する。蕉風確立の拠点であった。