京都府八幡市にある神社で、徒然草第52段「仁和寺にある法師」の舞台。石清水八幡宮は男山の山上にあり、山麓は高良神社などの摂社が立ち並ぶ。法師が「年寄りて」石清水を「拝みて」「これだけだ」と思って戻ったが、実は本宮の方を見ずに帰ってきたという話。
「仁和寺にある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、あるとき思ひ立ちて、ただ一人、徒歩より詣でけり」と始まる。法師は仁和寺の麓の高良神社を石清水と勘違いして帰ってしまう。帰宅後同僚に話して、勘違いに気づく。教訓「先達はあらまほしき事なり」(少し物事も先輩が必要だ)。
「高名の木登りといひしをのこ、人を掟てて、高き木にのぼせて、梢を切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに、軒たけばかりになりて、『あやまちすな。心して降りよ』とことばをかけ侍りしを」。樹上の高い場所では人は注意するが、低い場所まで降りた時に油断して落ちる。「これは易きことなり。みな知れり。されども覚えあらん」と兼好が記す教訓。
緑の常緑樹を讃える徒然草の段。冬枯れの中でも緑を保つ松・杉などの木の美しさと、命の永遠さを象徴する。
徒然草の中の人生観・処世訓の例。「物事の見方や心の持ち方を変えることで、悩みが減ずる」という思想を伝える。