10世紀せいきから12世紀せいきにかけて、ひらがな(女手おんなで)を使つかって書かかれた女流文学じょりゅう ぶんがくの系譜けいふを時系列じけいれつで示しめす。藤原定家ふじわらの ていか家け・道綱母みちつなの はは家け・紫式部むらさきしきぶ家け・清少納言せいしょうなごん家けなど、貴族きぞくの女房にょうぼうや娘むすめたちが文学ぶんがくの中心ちゅうしんとなった。900年代ねんだい後半こうはんから1100年代ねんだい前半ぜんはんまでの活動かつどうが中心ちゅうしん。
中古ちゅうこ女流文学家じょりゅう ぶんがくかは、互たがいに親族しんぞく・知人ちじん関係かんけいで結むすばれていた。中宮ちゅうぐう彰子しょうしの女房にょうぼう集団しゅうだん(紫式部むらさきしきぶ・和泉式部いずみしきぶ・赤染衛門あかぞめ えもん)と中宮ちゅうぐう定子ていしの女房にょうぼう集団しゅうだん(清少納言せいしょうなごん)が二大にだいグループ。両りょう中宮ちゅうぐうの対立的たいりつてきな政治状況せいじ じょうきょうの中で、女房にょうぼうたちの文学的ぶんがくてき競争きょうそうが生うまれた。