近世以前の日本では、中国の暦(『書経』を踏襲した)太陰太陽暦であった。月の満ち欠けの周期で日を数え、太陽の運行で季節を調整するこの暦は、一太陽年の三六五日に比べ一一日少ないため、二、三年に一度閏月(一三か月となる一閏年)を入れなければならなかった(五月の次であれば閏五月という)。また、大の月(30日)と小の月(29日)は毎年変わった。(月の満ち欠けは約29.5日(ひと月の日数を30と29にし、その交互に配した)。
暦は、毎年陰陽寮で造暦され、年中行事の他、日の吉凶(→ P.35)などの暦注を入れたものが発行された(具注暦)。
真注暦(『御堂関白記』) 藤原道長の日記。旧暦中の空白に、年中行事や物忌記事を書き入れ、暦が生活の中心であった。
「五行(木火土金水)」と「兄(え)・弟(と)」を組み合わせる十干と、「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)」の十二支を組み合わせて60通り。
木・火・土・金・水
甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十干を分けると、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)。
方位を示すのも十二支を用いた。子=北、午=南、卯=東、酉=西。間の方角を艮(うしとら)、巽(たつみ)、坤(ひつじさる)、乾(いぬい)といった。北東を「鬼門」、陰陽道で忌むべき方角とされた「裏鬼門」「方違(→ P.35)」。
一刻を二時間とし、夜中の11時から翌日の11時まで、順に子の刻、丑の刻、…と十二支を割り当て、最初の数字を1の刻とすると、二時間の中の数字を加えた。定時刻と不定時刻があり、不定時刻は近世になると変遷した。日の出から日の入りまでを昼間、夜の時間を夜間とし、昼間を六等分・夜間を六等分し、季節によって時間が変動した。「九つ」から「四つ」までで二刻ずつ「九」「八」「七」「六」「五」「四」とした。
数え年とは、生まれた時を1歳とし、正月を迎えるたび年を重ねる数え方。