最新国語便覧

浜島書店 — pilot v2 OCR + ruby 版(PDF 5–53 ページ)

p.35 信仰しんこうつづき)

p.35 全体図

末法思想まっぽうしそう

貴族政治きぞくせいじかげりと末法思想まっぽうしそう おとろ疫病えきびょう天変地異てんぺんちいつづく「すえ」にるとしんじられていた。

釈迦しゃか死後しご二千年にせんねんであるー〇五二ねんには、仏教ぶっきょうはしたたきょうには盗賊とうぞく横行おうこうするように…なっていた。極楽往生ごくらくおうじょうねが貴族きぞくたちは仏教ぶっきょうすくいをもとめるようになった。

藤原道長ふじわら の みちなが出家しゅっけして入道殿にゅうどうどのばれた。法成寺ほうじょうじ建立こんりゅう阿弥陀仏あみだぶつ自分じぶん五色ごしきいとむすび、念仏ねんぶつとなえるなかむかえたといわれる。頼通よりみち宇治うじ別荘べっそう平等院びょうどういんとし極楽往生ごくらくおうじょうねがった。鳳凰ほうおうつばさひろげた姿すがた鳳凰堂ほうおうどう平等院びょうどういんとし極楽往生ごくらくおうじょうねがった。鳳凰堂ほうおうどう内部ないぶには阿弥陀来迎図あみだ らいごうずえがかれ、極楽浄土ごくらくじょうど世界せかい出現しゅつげんさせた。『源氏物語げんじものがたり』の舞台ぶたいとしてられる宇治うじは、当時貴族の別荘地べっそうちであり、長谷寺はせでら参詣さんけいとおりであった。

極楽往生ごくらくおうじょういのった貴族きぞく ▲ 平等院びょうどういん鳳凰堂ほうおうどう宇治うじ) 阿弥陀如来像あみだ にょらいぞう(右下) 内部ないぶのCG復元ふくげん(左下)

鎌倉新仏教かまくら しんぶっきょう

平安時代後期へいあんじだいこうき

出家しゅっけした歌人かじん西行さいぎょう名高なだかい。大寺院だいじいん僧兵そうへいによる強訴ごうそ、うちつづ戦乱せんらんの中で仏教ぶっきょう次第しだい民衆みんしゅうひろまり、鎌倉かまくら新仏教しんぶっきょう素地そじとなる。隠者いんじゃらによってまれた説話集せつわしゅうによって仏教ぶっきょう民衆みんしゅう普及ふきゅうし、永久えいきゅう不変ふへんのものはないとする無常観むじょうかん身近みぢかかんじる時代じだいとなっていった。

陰陽道おんみょうどう

中国ちゅうごくから伝来でんらいし、陰陽寮おんみょうりょうという役所やくしょかれた。陰陽五行おんみょうごぎょう(→ P.188)にもとづき、各日かくにち吉凶きっきょうしるした具注暦ぐちゅうれき(→ P.38)を、貴族きぞくはこれにしたがって生活せいかつした。陰陽寮おんみょうりょうは、おとこおんなつきてんなどをいんようとして相対そうたいするいんようとして、現象げんしょうが、相反あいはんするいんようとすることで「そう」を将来しょうらいうらなう。ひとの「そう」を将来しょうらいうらなう。事故にあった謹慎きんしんすること。わざわいをけるため謹慎きんしんすること。物忌ものいみは「そう」にじこもりひとわず手紙てがみってはいけない方角ほうがくや、出産しゅっさんする際にかい行きたい方角ほうがく外出がいしゅつする際に、かいたい方角ほうがくいんよう道で判断はんだんし、行動こうどう制限せいげんした。

方塞かたふたぎ方違かたたがえ

みちをしてけなければならない方角ほうがくであったとき(方塞かたふたぎ)、前日ぜんじつべつ方角ほうがく場所ばしょうつ一泊いっぱくして目的地もくてきちかった(方違かたたがえ)。

図中ラベル

不動利益縁起ふどう りやく えんぎ模型もけい

(『大鏡』『花山天皇の出家』 → P.134)

神道しんとう日本固有にほんこゆう民族信仰みんぞくしんこう

みそぎ」や「はらえ」によってきよめられることを「かみ」にいのる。天皇てんのう祖先そせんをまつる伊勢神宮いせじんぐうをはじめ、賀茂神社かもじんじゃ春日神社かすがじんじゃ住吉神社すみよしじんじゃ石清水八幡宮いわしみず はちまんぐう、(諏訪すわ遠江とおとうみ上総かずさ宇佐神宮うさじんぐう)などがとうとばれた。天皇てんのうは、伊勢神宮いせじんぐう斎宮さいぐう賀茂神社かもじんじゃ斎院さいいんき、未婚みこん皇女おうじょ斎宮さいぐう斎院さいいん斎宮さいぐうきよめの御禊ぎょけいにこもった伊勢神宮いせじんぐうに移る。斎宮さいぐう祭事さいじまえ、次の天皇てんのうまでみやこはなれた。賀茂かもまつり葵祭あおいまつり)→ P.47 でよくられた。

写真しゃしんキャプション