最新国語便覧

浜島書店 — pilot v2 OCR + ruby 版(PDF 5–53 ページ)

p.32 平安貴族へいあんきぞく生活せいかつ

p.32 全体図

出産・誕生しゅっさん・たんじょう

後宮こうきゅう女性じょせい懐妊かいにん三か月頃に宮中きゅうちゅうから退出たいしゅつし、さと実家じっか)で①出産しゅっさんした。産室さんしつ調度ちょうどは、しろ統一とういつされ、衣服いふくしろ御帳みちょう几帳きちょうなどをもちいた。出産しゅっさんともな危険きけんが大きかったため、『源氏物語げんじものがたり』にも『六条ろくじょう御息所みやすどころ生霊いきりょう夕霧ゆうぎりを産んだ葵上あおいのうえをとりころはなしがある。』として加持祈祷かじきとう(→ P.34)が行われた。

成長・成人せいちょう・せいじん

子供こども誕生たんじょうすると、吉方きっぽうみずくちふくませる「御湯殿おゆどの」のが行われ、孔明経こうめいきょう博士はかせが出てきて漢籍かんせき三回さんかいみ、ゆみつるらす儀式ぎしき読書始とくしょはじめ」が行われた。さんしちにちよるには祝宴しゅくえんもよおされ、また「産養うぶやしない」といい、したしい人々ひとびと衣類いるい食物しょくもつおくがあり、❷五十日いか(いか)に「妻問つまどい」となった。

結婚けっこん

きょう子弟していは、「殿上童てんじょうわらわ」として作法さほう見習みならいのため昇殿しょうでんゆるされて出仕しゅっしした。12さいから16さいになると❸元服げんぷく儀式ぎしきがあり、成人せいじんとしての加冠かかんが行われた。平安前期へいあんぜんき結婚けっこんは、「妻問つまどい」といいおっとつまやしきかようもので、一夫多妻いっぷたさいであった。結婚けっこんまでの過程かていは、男性だんせい女房にょうぼうなどから女性じょせいうわさを聞いたり、うたかえかえしごと)をおくる。これを機会きかいに二人の贈答ぞうとうとなるが、手紙てがみ女房にょうぼう兄弟きょうだい・⓹文使ふみつかいいなどがはこぶのが普通ふつうだった。何度かのやりとりで、こいうた本人同士ほんにんどうししかわからないようにむのが礼儀れいぎであった。最初さいしょ男性だんせい簾子すだれ女性じょせいやしきおとずれる。三日目みっかめには正式せいしき結婚けっこんし、両親りょうしんゆるして男性だんせいかよわせる披露ひろううたげを行った。それ以後いごは、ひる女性じょせいやしきにいることが多くなり、儀式ぎしきの方や女性じょせいははなどが、やしきの方で待つようになる。⓺どころあらわしあらわ)という披露ひろう儀式ぎしきとなった。次第しだい夫婦ふうふ同居どうきょの「婿取むことり」となった。「妻問つまどい」が正婚せいこんとされた。

死・服喪し・ふくも

P.395 仏教ぶっきょう影響えいきょう火葬かそうとして鳥辺野とりべの付近ふきん霊屋たまやもうけ、れいまつ柴祀しばまつりにするひろ流布るふした。火葬かそうとされ、れいまつ柴祀しばまつりにとされた。死後しご四九日しじゅうくにちあいだは「中陰ちゅういん中有ちゅうう)」とび、死者ししゃ後生ごしょうねん七日なのかごとに供養くようをし、一定いってい期間きかん服喪ふくもとして、喪服もふくつつしんだ。わりを、「はて」「四十九日しじゅうくにち」「一周忌いっしゅうき」といった。「四九日しじゅうくにち」は、近世きんせいより還暦かんれき古稀こき喜寿きじゅ米寿べいじゅなどをいわうようになり、これらも算賀さんが(→ P.395)の影響えいきょうけたものである。

出産しゅっさん祝儀しゅくぎ場面ばめん

平安貴族へいあんきぞく一日いちにち

平安時代へいあんじだい中期ちゅうき以後いご政治せいじ大内裏だいだいりから天皇てんのう住居じゅうきょ内裏だいりうつったため、夕方ゆうがた夜間やかん公事くじおおくなった。ちょう摂関政治せっかんせいじ全盛期ぜんせいき)は、一〇日の参内さんだい、その三回さんかい宿泊しゅくはくした。

スケジュール(凡例)

時刻ベース(十二支):丑(2)-寅(3,4)-卯(5,6,7)-辰(8,9)-巳(10,11)-午(12,13)-未(14,15)-申(16,17)-酉(18,19)-戌(20,21)-亥(22,23)-子(0,1)