NHK 高校こうこう講座こうざ 言語げんご文化ぶんか時間じかんです。

木本きもと 景子けいこ:ご機嫌きげんいかがですか? 木本きもと 景子けいこです。今回こんかいから夏目なつめ 漱石そうせき小説しょうせつ夢十夜ゆめじゅうや』を4かいにわたってんでいきます。講師こうし齋藤さいとう ゆう先生せんせいです。よろしくおねがいします。

齋藤さいとう ゆう:はい、よろしくおねがいします。さて、今回こんかいから夏目なつめ 漱石そうせき小説しょうせつ夢十夜ゆめじゅうや』をんでいきます。

木本きもと 景子けいこ:それでは、今回こんかい学習がくしゅうのポイントを確認かくにんしましょう。

1.「ゆめ」が「十夜じゅうや」?
2.ゆめゆめらしさ
3.「おんな」と「自分じぶん

この3つです。それでは、学習がくしゅうはじめましょう。

■「ゆめ」が「十夜じゅうや」?

齋藤さいとう ゆう:それでは、今回こんかい学習がくしゅうする箇所かしょ朗読ろうどくいてください。朗読ろうどく高山たかやま 久美子くみこさんです。

高山たかやま 久美子くみこ朗読ろうどく:『夢十夜ゆめじゅうや夏目なつめ 漱石そうせき第一夜だいいちや

こんなゆめた。
腕組みうでぐみをして枕元まくらもとすわっていると、仰向きあおむきおんなが、しずかなこえで「もうにます」とう。
おんなながかみまくらいて、輪郭りんかくやわらかな瓜実顔うりざねがおをそのなかよこたえている。真っ白まっしろほうそこあたたかいいろほどよくして、くちびるいろ無論むろんあかい。到底とうていにそうにはえない。しかしおんなしずかなこえで「もうにます」とはっきりった。
自分じぶん確かたしかにこれはぬなとおもった。そこで「そうかあね、もうぬのかね」とうえからのぞ込むこむようにしていてみた。
にますとも」といながら、おんなはパっちりとけた。おおきなうるおいのあるで、ながいまつげにつつまれたなかはただ一面いちめん真っ黒まっくろであった。その真っ黒まっくろひとみおく自分じぶん姿すがたあざやかにかんでいる。
自分じぶん通るとおるほどふかえるこの黒目くろめつや眺めながめて、「これでもぬのか」とおもった。それで懇ろねんごろまくらのそばへくちをつけて、「ぬんじゃなかろうね。だいじょうぶだろうね」とまた聞き返しききかえしした。
するとおんなくろねむそうに見張っみはったまま、やっぱりしずかなこえで「でもぬんですもの、仕方しかたがないわ」とった。
「じゃあ、わたしかおえるかい」と一心いっしん聞くきくと、「えるかいって、そら、そこに映っうつってるじゃありませんか」とにこりと笑っわらっ見せみせた。
自分じぶん黙っだまっかおまくらから離しはなした。腕組みうでぐみをしながら、「どうしてもぬのかな」と思っおまった。
しばらくしておんながまたこう言っいった。
死んしんだら埋めうめてください。おおきな真珠貝しんじゅがいあな掘っほって、そうしててんから落ちおちてくるほし欠けかけ墓印はかじるし置いおいてください。そうしてはかのそばに待っまっていてください。またいにますから」
自分じぶんは「いついに来るくるかね」と聞いきいた。
出るでるでしょう。それから沈むしずむでしょう。それからまた出るでるでしょう。そうしてまた沈むしずむでしょう。――あかひがしから西にしへ、ひがしから西にしへと落ちおち行くゆくうちに、あなた待っまっていられますか」
自分じぶん黙っだまっ頷いうなずいた。おんなしずかな調子ちょうし一段いちだん上げあげて、「100ねん待っまっていてください」と思い切っおもいきっこえ言っいった。
「100ねんわたくしはかのそばに座っすわっ待っまっていてください。きっといにますから」
自分じぶんは「ただ待っまっている」と答えこたえた。すると、くろひとみなかあざやかに見えみえ自分じぶん姿すがたが、ぼうっと崩れくずれてきた。しずかなみず動いうごい映るうつるかげ乱しみだしたように、流れ出しながれだしたと思っおもったら、おんながぱちりと閉じとじた。ながいまつげのあいだからなみだほう垂れたれた。もう死んしんんでいた。

木本きもと 景子けいこ齋藤さいとう先生せんせい朗読ろうどく聞いきいていかがですか?

齋藤さいとう ゆう:なんだか不思議ふしぎなおはなしですね。「夢十夜ゆめじゅうや」というのは、ゆめが「十夜じゅうや」ということでしょうか?

齋藤さいとう ゆう:そうです。発表はっぴょう当時とうじは、1にちに1ずつ新聞しんぶん載っのっていたようです。この講座こうざでは、第一夜だいいちや第六夜だいろくや取り上げとりあげます。第一夜だいいちやは「こんなゆめた」で始まっはじまっています。一方いっぽう第六夜だいろくやでは、書き出しかきだしに「これはゆめだ」という表現ひょうげんはないのですが、それぞれべつゆめ物語ものがたり、という想定そうていになっています。

木本きもと 景子けいこ夏目なつめ 漱石そうせきが、それぞれのゆめた、ということなんでしょうか?

齋藤さいとう ゆう漱石そうせきゆめたと言いい切るいいきるには、もうちょっと構造こうぞう複雑ふくざつです。ここでは「こんなゆめた」という言い方いいかたで、物語ものがたりにおける虚構きょこう語り手かたりてゆめ描かえがかれている、としておきましょう。

ゆめゆめらしさ

齋藤さいとう ゆう突然とつぜんですが、木本きもとさんは、自分じぶんゆめ覚えおぼえていますか?

木本きもと 景子けいこ最近さいきんゆめはあまり覚えおぼえていないんですけれど、あの、怖かっこわかっゆめだったり、とてもなんか不思議ふしぎだなと思っおもっゆめ覚えおぼえているときもありますね。

齋藤さいとう ゆう:なるほど。 ゆめから覚めさめて、あらためてそのゆめをもう一度いちどたどり直そうなおそうとすると、もうそれはリアリティを失っうしなっていて、ずいぶんと色褪せいろあせたものに感じかんじられます。 ゆめ本人ほんにんさえも知り得しりえないような意識いしき深いふかいところに張っはっていて、しかも、それは意識いしきひかりもとでは死んしんでしまうのだと考えかんがえられます。ゆめには「ゆめ居場所いばしょ」があるといえるでしょう。

木本きもと 景子けいこ:なるほど。たしかにそんながします。

齋藤さいとう ゆう:そう考えかんがえると、この小説しょうせつ夢十夜ゆめじゅうや』は、ゆめというものの手触りてざわりを、小説しょうせつ読むよむという行為こうい通じつうじて「追体験可能ついたいけんかのうなもの」として読者どくしゃ差し出しさしだしている、といえそうです。

木本きもと 景子けいこ:どういうことでしょうか?

齋藤さいとう ゆうゆめ語るかたる時点じてんで、その中身なかみはずでに過去かこのもののはずなのに、『夢十夜ゆめじゅうや』においては「現在進行中げんざいしんこうちゅう出来事できごと」として語られかたられていきます。いわば、ゆめの「実況中継じっきょうちゅうけい」のような感じかんじです。

木本きもと 景子けいこ:なるほど。そういう構成こうせいだから共感きょうかんできるんですね。

齋藤さいとう ゆう:はい。この語り口かたりくちによって、読者どくしゃは、語り手かたりてによって見られみられ奇妙きみょうゆめ物語世界ものがたりせかい引き込まれひきこまれ、それを自分自身じぶんじしんによって想像そうぞうされたものとして受け止めるうけとめることが可能かのうになるのです。

■「おんな」と「自分じぶん

齋藤さいとう ゆう:では、物語ものがたり登場人物とうじょうじんぶつについて見てみていきましょう。木本きもとさん、「こんなゆめ見たみた」と言っいっている人物じんぶつは、具体的ぐたいてき表現ひょうげんとして、どこにてきますか?

木本きもと 景子けいこ:はい。少しすこし読み進めよみすすめたところに、「自分じぶん確かたしかにこれは死ぬしぬなと思っおもった」というぶんがあります。この「自分じぶん」が「こんなゆめ見たみた」と語り出しかたりだしているんだと思いおもいます。

齋藤さいとう ゆう:そうですね。まずは1番大きなばんおおきなゆめ」という枠組みわくぐみ与えあたえられて、そののち後にのちに自分じぶん」と名乗るなのる人物じんぶつ腕組みうでぐみをして、言葉遣いことばづかいからすると「おとこ」といえそうですが、このおとこがだれかの枕元まくらもと座っすわっています。それがだれの枕元まくらもとかと見るみると、そこには仰向きあおむき寝たねたおんながいて、静かなしずかなこえで「もう死にしにます」とつぶやくのです。

木本きもと 景子けいこ:この「おんな」も不思議なふしぎな感じかんじですよね。「輪郭りんかく柔らかなやわらかな瓜実顔うりざねがお」とありましたけど、どんなかおなんですか?

齋藤さいとう ゆう瓜実顔うりざねがおとは、平安時代へいあんじだい美人顔びじんがお特徴とくちょうです。ウリというと、スイカやカボチャがありますが、ここでいわれているのは「」のほうではなく、「たね」のほうです。スイカやカボチャのたねはよく見るみると、真ん中まんなか少しすこし膨らんふくらんだ、細長いほそながいたまごのようなかたちをしていますよね。そこで「面長おもながで、すっきりした輪郭りんかく」のことを「瓜実顔うりざねがお」といいます。和風わふう美人顔びじんがおですね。

木本きもと 景子けいこ:うーん、それはいまでも褒め言葉ほめことばですよね。でも、このおんなは、あっさりと死んしんでしまうんですよね。

齋藤さいとう ゆう:そうなんです。「おんな静かなしずかなこえで『もう死にしにます』とはっきり言ったいった」とあります。

木本きもと 景子けいこ:はい。

齋藤さいとう ゆう:ただ、おんなは「もう死にしにます」という言葉ことば繰り返しくりかえして2かい言ったいったわけではありません。この人物じんぶつおんな言葉ことば反芻はんすうしているだけです。ということは、1行目ぎょうめからここまで、おんな言葉ことば発しはっしたまま、その状態じょうたいで「時間じかん止まっとまっている」と考えるかんがえることができます。

木本きもと 景子けいこ:なるほど。まだ何もなにも始まっはじまっていない、ということですか?

齋藤さいとう ゆう:そうなんです。場面ばめん設定せっていがあって、おんながつぶやいて、おとこ見えみえているおんな様子ようす描かえがかれているこのあいだ描写びょうしゃ進んすすんでいますが、物語ものがたり時間じかんは1びょう進んすすんでいません。

木本きもと 景子けいこ:この時点じてんで、すでに「ゆめっぽい」感じかんじているんですね。

齋藤さいとう ゆう:はい。つぎに「到底死にとうていしにそうには見えみえない」とありますね。ここも、もう少し丁寧すこしていねい見るみると、おとこにも、このおんなが「死にしにそう」には映っうつっていないのです。それなのに、おんなこえ聞くきくと、「確かたしかにこれは死ぬしぬな」と思っおもってしまう。

木本きもと 景子けいこ:どういうことなんでしょう?

齋藤さいとう ゆうおとこ思っおもっていることと、実際のじっさいの発言はつげん行動こうどうとの間にあいだに辻褄つじつま合っあっていません。つまり、自分じぶん見えみえている「死にしにそうに見えみえない様子ようす」よりも、「もう死にしにます」というおんなの「言葉ことば」のほうが影響力えいきょうりょく大きいおおきい、ということになります。だから、たとえどんなに「おんなのほう」が赤みあかみ帯びおびていても、おんなが「死ぬしぬ」というなら死ぬしぬんだ、ということですよね。

木本きもと 景子けいこ:なるほど。この「おんな」のちから強いつよいんですね。

齋藤さいとう ゆう:はい。そして、このてんこそが、『夢十夜ゆめじゅうや』の第一夜だいいちや設定せっていされた「唯一ゆいいつのルール」なのです。

木本きもと 景子けいこ:「唯一ゆいいつのルール」ですか?

齋藤さいとう ゆう:はい。「おんなのいうことは、すべて本当だほんとうだ」というルールです。あとは、どんなに荒唐無稽こうとうむけいでも、「おんな発しはっし言葉ことばだけが真実だしんじつだ」ということになります。このさき読み進めるよみすすめると、「真っ黒なまっくろなひとみおくに、自分じぶん姿すがた鮮やかにあざやかに浮かんでうかんでいる」とありますね。木本きもとさん、これ、どういうことか、わかりますか?

木本きもと 景子けいこおんな黒いくろい部分ぶぶんに、覗き込んのぞきこんでいる「おとこ」の姿すがた映っうつっている、ということですよね。

齋藤さいとう ゆう:そうです。問題もんだいはこのあとです。おとこおんなに「わたしかお見えるみえるかい」と聞いきいたとき、おんなはどう答えこたえていますか?

木本きもと 景子けいこ:「見えるみえるかいって、そら、そこに映っうつってるじゃありませんか」と言っいっています。

齋藤さいとう ゆうおんな見えみえている「おとこ黒目くろめ」には「おんな」が映っうつっていて、おとこ黒目くろめには「おんな」が映っうつっているはずですから、おんながいう「そこに映っうつっているかお」というのは、「おとこかお」ということになりますね。

木本きもと 景子けいこ:そうですね。でも、おんなのいう「そこ」には「おんな」が映っうつっているんですよね。

齋藤さいとう ゆう:そうなんです。「そこ」とは「自分以外じぶんいがい場所ばしょ」を指し示すさししめす言葉ことばなので、いったんは「おとこ同向どうこう映っうつっおんなかお」と読めるよめるのですが、おとこ質問しつもんしているのは「わたしかお見えるみえるかい」なので、「見えるみえるか」という問いかけといかけに「映っうつっている」と答えこたえているのだと重ねかさねてみると、おんなが「そこ」と言っいっているのは「おんな同向どうこう」である、ともいえます。

木本きもと 景子けいこ:ということは、ここでおんな言っいっているのは、「おとこ見えみえているもの」なんですね。

齋藤さいとう ゆう:そうです。「おんな視線しせん」が「おとこ」に重なっかさなっています。おんなおとこ同じおなじものを見てみているのです。

木本きもと 景子けいこ:なんだか、ますます「ゆめっぽく」なってきましたね。

齋藤さいとう ゆう:それから、途中とちゅうからおんなのセリフに「鍵括弧かぎかっこ」がつきますね。「死んしんだら埋めうめてください」の部分ぶぶんです。

木本きもと 景子けいこ:あ、たしかにそうですね。

齋藤さいとう ゆう:このおんなのセリフは冒頭ぼうとうからあるのですが、鍵括弧かぎかっこがついているのは中盤ちゅうばんの4箇所かしょだけです。さて、おんなは、「自分じぶん死んしんだら、真珠のしんじゅの養殖ようしょく使われつかわれる『真珠貝しんじゅがい』であな掘っほって、てんから落ちおちてくる『ほし欠けかけ』を墓印はかじるしにする」よう、おとこ伝えつたえます。

木本きもと 景子けいこ:どういうことなんでしょう?

齋藤さいとう ゆう:「ほし欠けかけ」とは「隕石いんせき」のことでしょう。「真珠貝しんじゅがい」も、すぐには入りはいりなそうですが、「ほし欠けかけ」はそれ以上いじょうに「入手困難にゅうしゅこんなん」に思われおもわれます。

木本きもと 景子けいこ:でも、「ほし欠けかけ」をおはか使うつかうなんて、ロマンチックですね。

齋藤さいとう ゆう:そうですよね。そして、おんなのなくなる瞬間しゅんかんも、描写びょうしゃ普通ふつうとは違っちがっています。おとこが「ただ待っまっている」と答えこたえあと、「黒い瞳くろいひとみなかに、鮮やかにあざやかに見えみえ自分じぶん姿すがた」――これは、おんな黒いくろい瞳孔どうこう映っうつった、あの姿すがたですね。それが、「静かなしずかなみず動いうごいて、映る影うつるかげ乱しみだしたように」ですから、おんなの「なみだ」で、おとこの「ぞう滲んにじんだ」ということになります。

木本きもと 景子けいこ:どこが「変わっかわっ描写びょうしゃ」なんでしょうか?

齋藤さいとう ゆう:はい。おとこおんな見てみているはずなのに、おとこはじつは「かがみ映っうつっ自分じぶん姿すがた」を見てみています。まるで「水鏡みずかがみ」のように、おんな描かえがかれるのです。すると、おんな閉じるとじることは、かがみ映っうつっおとこ見えみえなくなると同時どうじに、おとこおんなあいだの「とびら」が永遠えいえん閉じられとじられてしまうような、そんな描き方えがきかたになっています。

さて、今回こんかい講座こうざのポイントをまとめおきましょう。学習がくしゅうのポイントは、

1.「ゆめ」が「十夜じゅうや」?
2.ゆめゆめらしさ
3.「おんな」と「自分じぶん

この3つでした。『夢十夜ゆめじゅうや』の第一夜だいいちや前半部分ぜんぱんぶぶん読んよんでみるだけでも、場面ばめん設定せってい時間じかん経過けいか仕方しかたおとこおんなのやりとりのおちぐはぐさが、作家さっか描くえがくゆめ世界せかい」を存分ぞんぶん見せみせていることが読み取れよみとれましたね。

さて、今回こんかい齋藤さいとう ゆう先生せんせいと、夏目なつめ 漱石そうせきの『夢十夜ゆめじゅうや』を学習がくしゅうしてきました。齋藤さいとう先生せんせい、ありがとうございました。

齋藤さいとう ゆう:ありがとうございました。

NHK 高校こうこう講座こうざ 言語げんご文化ぶんか木本きもと 景子けいこ齋藤さいとう ゆう先生せんせいでお送りおくりしました。