言語文化 #77-80
夏目漱石
講師 齋藤 祐
学習のねらい
表現に即して小説を丁寧に読み、そこに展開する独自の世界を味わおう。
順著表現仔細閱讀小說,品味其中展開的獨特世界。
●学習のポイント●
〈一〉 「夢」が「十夜」?
〈二〉 夢の夢らしさ
〈三〉 「女」と「自分」
『夢十夜』は、「夢」について描かれた短編十本で構成されています。各話に共通して登場する言葉や人物もなかにはありますが、それぞれが別の夢の物語、という想定になっています。この学習では、『夢十夜』の中から「第一夜」と「第六夜」を味わっていきます。
《夢十夜》由描寫「夢」的十篇短篇構成。各篇之間雖然也有共通出現的詞語或人物,但設定上各自是不同的夢的故事。在這次學習中,從《夢十夜》中品味「第一夜」和「第六夜」。
ここで、小説作品など、虚構の物語を読む際の前提について確認しておきましょう。あらゆる文章は、書き手の意図に基づいて書かれている。だから必ず文章には、書き手の主張、書き手の「言いたいこと」が含まれていると思われがちですが、そもそも言葉自体が虚構の産物で、かつ、書き手でさえ、運んだ筆に任せて「書かされている」という側面もあります。皆さんも、自分がしらばく前に書いたものを見ると、自分が書いたはずの文なのに、どこかよそよそしく感じてしまう経験はありませんか。
在這裡,讓我們確認一下閱讀小說作品等虛構故事時的前提。所有文章都是根據書寫者的意圖寫成的。因此,文章中往往被認為必定包含書寫者的主張、書寫者「想說的事」,但詞語本身就是虛構的產物,而且書寫者也有被運筆的手所帶動、「被書寫」的側面。大家看看自己不久前所寫的東西,那是自己所寫的文章,是否也會感到有些陌生呢?
文章は、できあがったとたんに書き手の元を離れ、読み手によってさまざまな読み取りが行われます。それゆえ、夏目漱石がそれぞれの夢を見た、のではなく、「こんな夢を見た」という言い方で、物語における虚構の語り手の夢が描かれている、と考えてみてください。書かれたものを私たちがどう読み込むのかという点に、文学作品を読む醍醐味が隠されています。
文章一完成就離開書寫者,由讀者進行各種各樣的解讀。因此,請不要認為是夏目漱石分別做了那些夢,而要認為,以「做了這樣一個夢」的說法,描繪的是故事中虛構的敘述者的夢。我們如何讀入所寫下的東西,文學作品的醍醐味正隱藏於此。
私たちは、自分が見た夢の多くをいつまでも覚えていることができません。夢から覚めて、あらためてその夢をもう一度たどり直そうとすると、それはもうリアリティを失っていて、ずいぶんと色あせたものに感じられます。
我們沒有辦法一直記住自己所做的大多數夢。從夢中醒來,重新想要再次追尋那個夢時,它已經失去了真實感,感覺大為褪色了。
夢は、本人さえも知り得ないような意識の深いところに根を張っていて、しかもそれは、意識の光の元では死んでしまうのだ、と考えられます。「夢」には「夢」の居場所があるのです。そう考えると『夢十夜』は、夢というものの手触りを、小説を読むという行為を通じて、追体験可能なものとして読者に差し出している、と言えそうです。
夢紮根於連本人都無從知曉的、意識深處,而且那一旦暴露在意識的光芒下便會消亡,如此認為。「夢」有「夢」的棲身之處。這樣想來,《夢十夜》,可以說是將夢這東西的質感,通過閱讀小說這一行為,作為可以追體驗的東西呈獻給讀者的。
夢を語る時点で、その中身はすでに過去のもののはずなのに、『夢十夜』においては、現在進行中の出来事として語られていきます。いわば、夢の実況中継のような感じです。この語り口によって読者は、語り手によって見られた奇妙な夢の物語世界に引き込まれ、それを自分自身によって想像されたものとして受け止めることが可能になるのです。
在講述夢的時間點上,其內容理應已是過去的事物,但在《夢十夜》中,卻作為現在進行中的事件被講述下去。可以說是夢的現場直播一般的感覺。通過這種敘述方式,讀者被吸引進敘述者所見的奇妙夢的故事世界,並能夠將其作為由自己本身所想象的東西來接受。
では、物語の登場人物について見ていきましょう。「こんな夢を見た」と言っている当の人物自身は誰でしょうか。読み進めていくと、「自分も確かにこれは死ぬなと思った」とありますから、「自分」と名乗る人物 ─ ─ 言葉遣いからすると 「男」 と言えそうです ─ が、「こんな夢を見た」 と語り出している、と言えます。
那麼,讓我們來看看故事的登場人物。說「做了這樣一個夢」的那個人物自身是誰呢?讀下去可以看到「自分也確實覺得這要死了」,所以,可以說是自稱「自分」的人物——從用詞看來可以說是「男」——正在講述「做了這樣一個夢」。
まずは一番大きな 「夢」 という枠組が与えられて、その後、のちに 「自分」 と名乗る人物が腕組みをして、枕元に座っている。誰の枕元かと見ると、そこには 「あおむきに寝た女」 がいて、静かな声で 「もう死にます」 とつぶやきます。
文章が積み重ねられるごとに、幻想世界の舞台が整っていきます。ただ、ここがどこなのか、いつのことなのかは判然とせず、どこまでも不思議な感じがつきまといます。
次に 「女」 の描かれ方について見ておきましょう。「女」 の顔の輪郭は 「柔らかなうりざね顔」 とあります。これは平安時代の美人顔の象徴です。ウリ科には、スイカやカボチャが含まれます。そして 「うりざね」 は漢字で 「瓜実」 と書くので、てっきり 「うりざね顔」 はスイカやカボチャのような、ぽっちゃりした顔のことだど誤解されがちですが、ここで言われているのは 「実」 の方ではなく 「種」 のほうです。スイカやカボチャの種は、よく見ると、真んなかが少し膨んだ、細長い卵のような形をしています。そこで、面長ですっきりした輪郭のことを 「うりざね顔」 と言うのです。
接下來讓我們看看「女」的描繪方式。「女」的臉部輪廓寫作「柔和的瓜實臉」。這是平安時代美人臉的象徵。瓜科包含西瓜和南瓜。「瓜實」用漢字寫作「瓜実」,往往被誤解為「瓜實臉」是像西瓜或南瓜那樣圓潤的臉,但這裡說的不是「果實」而是「種子」那一邊。西瓜或南瓜的種子仔細看,是中間稍微鼓起、細長的蛋形。因此,面部修長、輪廓清晰的臉被稱為「瓜實臉」。
また、冒頭の 「もう死にます」 と、そのあとの 「女は静かな声で、もう死にますとはっきり言った」 の部分は、「女」 が 「もう死にます」 という言葉を、繰り返して言ったわけではありません。「自分」 と名乗る語り手が、女の言葉を反芻しているだけです。ということは、冒頭からここまで、「女」 が言葉を発したまま、その状態で時間が止まっている、と考えることができます。
場面の設定があって、女がつぶやいて、「自分」 に見えている女の様子が描かれているこの間、描写は進んでいますが、物語の時間は一秒も進んでいません。描かれる時間と物語内の時間進行は同時ではないということを押さえておきましょう。
それから、前半は人物のセリフに 「 」 なしで進んでいきます。これも、発せられたセリフなのか、それとも心の声なのかが曖昧で、事物の輪郭を曖昧にして見せる効果があるど言えそうです。
一方で、色づかいはとっても鮮やかです。「女」 の描写として 「真っ白な頬の底に温かい血の色が程よく差して、唇の色は無論赤い」 とあります。とうてい死にそうには見えないですね。「男」 の目にも、この 「女」 が死にそうには映っていません。それなのに 「女」 の声を聞くと 「確かにこれは死ぬな」 と思ってしまう。「男」 が思っていることと実際の発言や行動との間に、つじつまが合っていないのです。
另一方面,色彩的運用非常鮮艷。作為「女」的描繪,寫有「雪白的臉頰底下、溫熱的血色恰到好處地映出,嘴唇的顏色自然是紅的」。完全看不出像要死的樣子啊。在「男」的眼中,這個「女」也不像要死。然而一聽到「女」的聲音,便覺得「確實這要死了」。「男」所想的與實際的發言和行動之間,是前後不一致的。
つまり、自分に見えている 「死にそうに見えない」 様子よりも、「もう死にます」 という 「女」 の言葉のほうが、影響が大きいということになります。たとえどんなに 「女」 の頬が赤みを帯びていても 「女」 が死ぬと言うなら死ぬんだ、というこどです。そしてこの点こそが、『夢十夜』 の 「第一夜」 で設定された、唯一のルールなのだと言えます。これは、「女」 の言うことがすべて本当だ、というこどであり、あとはどんなに荒唐無稽でも、「女」 の発した言葉だけが真実だ、ということになります。
今度は、二人のやり取りとまなざしに注目してみましょう。「真っ黒な瞳の奥に、自分の姿が鮮やかに浮かんでいる」 というのは、「女」 の目の黒い部分に、のぞき込んでいる 「男」 の姿が映っている、というこどです。「女」 の黒目の部分 (瞳孔) に 「男」 の姿が映っています。
問題はこのあとです。「男」 が 「女」 に 「私の顔が見えるかい」 と聞いたとき、「女」 は 「見えるかいって、そら、そこに、映ってるじゃありませんか」 と言っています。では、「そこに、映ってるじゃありませんか」 というときの 「そこ」 って、いったいどこでしょうか。
「そこ」 とは、自分以外の場所を指し示すものなので、いったんは 「男」 の瞳孔に映った 「女」 の顔、と読めるのですが、「男」 が質問しているのは 「私の顔が見えるかい」 なので、「見えるか」 という問いかけに 「映っている」 と答えているのだと重ねてみると、「女」 が 「そこ」 と言っているのは、「女」 の瞳孔である、ということにもなります。
つまり、「女」 が自身の目を見ることはできないはずなのに、まるで 「男」 と一緒になって、「女」 の目をのぞき込んでいるかのように言っているのです。「女」 の視線は 「男」 に重なっています。「女」 は 「男」 と同じものを見ているのだといえるでしょう。
学習のねらい
表現の特徴に即して小説を丁寧に読み、独自の世界を味わっていこう。
順著表現特徵仔細閱讀小說,品味獨特的世界吧。
●学習のポイント●
〈一〉 表現の特徴
〈二〉 「百年はもう来ていたんだな」
〈三〉 第一夜の意味
前回は、語りが進んでいるのに物語の時間が止まっていたり、「女」 の見ているものと 「男」 の見ているものと重なっていたりということを読み取りました。ここから先の部分についても表現の特徴に即して見ていきましょう。
上回讀取了故事雖在推進但故事時間卻停止著、「女」所看到的和「男」所看到的重疊著等情形。從這裡以後的部分,也讓我們順著表現的特徵來看。
まず、途中から 「女」 のセリフに 「 」 がつきます。「死んだら、埋めてください」 の部分です。「女」 のセリフは冒頭からあるのですが、「 」 がついているのは、中盤の四か所だけです。
さて 「女」 は、自分が死んだら、真珠の養殖で使われる 「真珠貝」 で穴を掘って、天から落ちてくる 「星の破片」 を墓標にするよう、男に伝えます。ここで 「星の破片」 とは隕石のこと、「真珠貝」 は真珠養殖で使われる大き目の二枚貝のことです。どちらもすぐには手に入らなそうな代物ですが、この文脈に置かれると、幻想的な雰囲気を醸し出すのに一役買っています。
那麼,「女」在自己死後,讓男用真珠養殖所用的「真珠貝」挖洞,並告訴男要將從天上落下來的「星の破片」作為墓標。這裡「星の破片」指的是隕石,「真珠貝」是用於真珠養殖的較大的雙殼貝。兩者都是不容易馬上到手的東西,但被放在這個語境中,在營造夢幻氣氛上起到了一定作用。
そのうえで 「女」 は、また会いに来るから墓のそばで待っていてください、と告げます。明治時代における、人々の平均寿命は五十歳程度ですから、百年というと人生二回分に相当します。気が遠くなるような時間軸です。
また、「女」 の亡くなる瞬間も、描写が普通とは違っています。「男」 がただ 「待っている」 と答えたあと、「黒い瞳の中に鮮やかに見えた自分の姿」 とありますから、これは、「女の黒い目、瞳孔に映った男の姿」 です。それが 「静かな水」 が動いて、「映る影」 を乱すということは、「女」 の涙で 「男」 の像がにじんだ、というこどになります。
「男」 はずっと鏡に写った自分の姿を見ているかのようです。「女」 の黒目の部分は 「大きな潤いのある目」 で、「透き通るほど深く見える」 とも言われていたのですが、ここではまるで水面に姿を映す 「水鏡」 のように描かれます。先ほどまでは姿が 「映る」 こどが 「見えている」 ことの担保として機能していたはずなのに、ここでは、姿を 「映す」 ことも 「まなざす」 こどをもできなくなってしまうのです。
ついに 「女」 が死んだ後、「男」 は言われたとおりに真珠貝で穴を掘り、「女」 の体を埋めます。「貝の裏に月の光が差し」 たり、「柔らかい土を、上からそっとかけ」 たりする様子には、「男」 の愛情さえ感じられます。
「女」終於死後,「男」照著被告知的用真珠貝挖了洞,將「女」的身體埋入。「貝の裏に月の光が差し」、「柔らかい土を、上からそっとかけ」等樣子,甚至能感受到「男」的愛情。撿來的「星の破片」,雖然按照「抱き上げて」所寫應該相當大,但已是一個連重力也被解放了的空間。埋葬場面卻感受到令人難以想象的寧靜和輕盈。
拾ってきた 「星の破片」 も、「抱き上げて」 とあるように相当大きいはずですが、すでに重力からも解放された空間になっています。穴を掘るときも、「湿った土の匂い」 がしたり、墓の上に石を置いたら 「自分の胸と手が少し暖かくなった」 りとあるので、埋葬の場面とは思えない静けさや軽やかさが感じられます。
「女」 に言われた通り 「男」 が墓のそばで待っていると、「女」 が言った通りに東から日が昇り、やがて西へ沈んでいきます。そうしてまた日が昇り、沈んでゆく。冒頭では女のセリフを繰り返し描いてその間の時間が止まっているように見せていましたが、ここは逆に太陽が高速で回転していくような時間の進み具合です。
何時しか 「男」 が置いた星の破片の墓石も 「苔の生えた丸い石」 になっています。これは、石が苔むすほど、長い時間が経ったということでしょう。それでも百年はまだ来ません。ついに、「自分は女にだまされたのではないかろうか」 と 「男」 が思い始めたその瞬間、石の下から青い茎が伸びてきます。この茎の伸び方も、まるで植物とはちがった生き物のようなスピード感があります。
不知不覺間,「男」所放的星之碎片的墓碑也成了「長了苔蘚的圓石頭」。這意味著石頭長滿苔蘚,已過去了相當長的時間。即便如此,百年還沒到來。終於,就在「男」開始想「難道是被女欺騙了嗎」的那一瞬間,石頭下面伸出了青色的莖。青莖的伸長方式,也有著與植物截然不同的生物般的速度感。那青色的莖伸到自分的胸口處停下,「ふっくらと花びら」便綻開,「真っ白な百合」出現了。「露」令人聯想到「女」死去時的「涙」,「真っ白な百合」令人聯想到冒頭「女」的「真っ白な頬」。
そしてその青い茎が 「ちょうど自分の胸の辺りまで来て止まった」 かと思うと 「ふっくらと花びら」 が開き、「真っ白な百合」 が現れます。「男」 が見下ろしている極小の世界と、見上げている極大の宇宙とが、落ちてくる 「露」 によって交差する瞬間です。この 「露」 は 「女」 が亡くなるときの 「涙」 を、「真っ白な百合」 というのは冒頭の 「女」 の 「真っ白な頬」 を連想させます。
「ゆり」 は漢字で 「百」 に 「合う」 と書きます。「第一夜」 においては、「男」 と 「女」 が 「百」 年後に再び 「合う (会う)」 から 「百合」 が選ばれた、とも言えます。
「第一夜」 は、「こんな夢を見た」 という書き出しで一気に幻想世界に引き込まれたあと、「女」 と 「男」 の間の距離が非常に接近した状態でストーリーが進行します。「女」 は全身ではなく 「顔」 だけで描かれ、「男」 に至っては 「腕組み」 をしているほかに何の説明もありません。いわば読者が 「女」 の顔と 「男」 の胴体しか想像できないような書かれ方をしています。
「第一夜」以「こんな夢を見た」這個書寫開頭,一口氣被引入幻想世界後,在「女」和「男」之間的距離非常接近的狀態下故事推進。「女」只以「臉」而非全身來描繪,至於「男」,除了「抱著臂」之外完全沒有說明。可以說是讀者只能想象「女」的臉和「男」的身體的一種書寫方式。然而,正因為兩者如此被描繪,結末部分「男」終於確信,「女」履行了約定而來與他相會了。可以說,這是超越了現實世界的生死、非常美麗的兩情相悅的成就。
しかし、両者がこのような書かれ方をしているからこそ、結末部分の 「真っ白な百合が鼻の先で骨にこたえるほど匂った」 や、「はるかの上から、ぽたりと露が落ちた」、「自分は首を前に出して、冷たい露の滴る、白い花びらに接吻した」 という描写が生きているのだどとも言えます。既に指摘したように、「百合」 の 「白さ」 は 「女」 の頬の 「白さ」 を、天から降る 「露」 は 「女」 の 「涙」 を連想させます。そして、生前ついに触れることのできなかった 「女」 = 「百合」 の匂いが 「男」 の 「骨にこたえるほど匂った」 とき、「男」 はついに 「女」 が約束を果たして会いに来てくれたことを確信するのです。現実世界の生死を超えた、非常に美しい両想いの成就だど言っていいでしょう。
夏目漱石
こんな夢を見た。
腕組みをして枕元に座っていると、あおむきに寝た女が、静かな声でもう死にますと言う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかなうりざね顔をその中に横たえている。真っ白な頰の底に温かい血の色が程よく差して、唇の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますとはっきり言った。自分も確かにこれは死ぬなと思った。そこで、そうか子、もう死ぬのか子、と上からのぞき込むようにしてきいてみた。死にますとも、と言いながら、女はぱっちりと目を開けた。大きな潤いのある目で、長いまつげに包まれた中は、ただ一面に真っ黒であった。その真っ黒な瞳の奥に、自分の姿が鮮やかに浮かんでいる。
自分は透き通るほど深く見えるこの黒目のつやを眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕のそばへ口をつけた、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまたきき返した。すると女は黒い目を眠そうに見張ったまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと言った。
じゃ、私の顔が見えるかいと一心にきくと、見えるかいって、そら、そこに、映ってるじゃありませんかと、にこりと笑ってみせた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組みをしながら、どうしても死ぬのかなと思った。
しばらくして、女がまたこう言った。
「死んだら、埋めてください。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちてくる星の破片を墓標に置いてください。そうして墓のそばに待っていてください。また会いに来ますから。」
自分は、いつ会いに来るねときいた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。──赤い日が東から西へ、東から西へと落ちてゆくうちに、──あなた、待っていられますか。」
自分は黙ってうなずいた。女は静かな調子をいちだん張り上げて、
「百年待っていてください。」と思い切った声で言った。
「百年、私の墓のそばに座って待っていてください。きっど会いに来ますから。」
自分は、ただ待っていると答えた。すると、黒い瞳の中に鮮やかに見えた自分の姿が、ぼうっと崩れてきた。静かな水が動いて映る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の目がぱちりと閉じた。長いまつげの間から涙が頰へ垂れた。
──もう死んでいた。
自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑らかな縁の鋭い貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿った土の匂いもした。穴はしばらくして掘れた。女をその中へ入れた。そうして柔らかい土を、上からそっとかけた。かけるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。それから星の破片の落ちたのを拾ってきて、かろく土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちている間に、角が取れて滑らかになったんだろうと思った。抱き上げて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖かくなった。
自分は苔の上に座った。これから百年の間、こうして待っているんだなと考えながら、腕組みをして、丸い墓石を眺めていた。そのうちに、女の言ったとおり日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の言ったとおり、やがて西へ落ちた。赤いまんまで、のっと落ちていった。一つと自分は勘定した。
しばらくするとまた唐紅の天道がのそりと上ってきた。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定をした。
自分はこういうふうに一つ二つと勘定してゆくうちに、赤い日をいくつ見たかわからない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越していった。それでも百年がまだ来ない。終いには、苔の生えた丸い石を眺めて、自分は女にだまされたのではないかろうかど思いだした。
すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びてきた。見る間に長くなって、ちょうど自分の胸の辺りまで来て止まった。と思うと、すらりと、揺らぐ茎の頂に、心持ち首を傾けていた細長い一輪のつぼみが、ふっくらと花びらを開いた。真っ白な百合が鼻の先で骨にこたえるほど匂った。そこへはるかの上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して、冷たい露の滴る、白い花びらに接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな。」とこのとき初めて気がついた。
● 夏目漱石 一八六七年 [慶応 3] ─ 一九一六年 [大正 5]。
東京都生まれ。本名、金之助。小説家、英文学者。本文は『漱石全集』第十二巻 (一九九四年刊) による。
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