NHKえぬえいちけい高校こうこう講座こうざ 言語げんご文化ぶんか はじまります。

かわ 実里夏みりか みなさん、ご機嫌きげんいかがですか? かわ 実里夏みりかです。今回こんかいは『おく細道ほそみち平泉ひらいずみんでいきます。講師こうし山本やまもと 章博あきひろ先生せんせいです。よろしくおねがいします。

山本やまもと 章博あきひろ こちらこそ、よろしくおねがいします。松尾まつお芭蕉ばしょうおく細道ほそみち』のたび前回ぜんかいは「旅立たびだちの場面ばめん」をみました。今回こんかいは「平泉ひらいずみ場面ばめん」をんでいきます。

かわ 実里夏みりか それでは、今回こんかい学習がくしゅうのポイントです。
1、平泉ひらいずみがどのようにえがかれているか理解りかいする。
2、中尊寺ちゅうそんじがどのようにえがかているか理解りかいする。
3、「夏草なつくさや」「五月雨さみだれの」のから作者さくしゃ心情しんじょうかんがえる。
以上いじょうみっつです。それでは学習がくしゅうはじめましょう。まずはお朗読ろうどくをおきください。朗読ろうどく松田まつだ 佑貴ゆうきさんです。

朗読ろうどく松田まつだ 佑貴ゆうき
平泉ひらいずみ
三代さんだい栄耀えよう一睡いっすいのうちにして、大門だいもんあと一里いちりこなたにあり。秀衡ひでひらあと田野でんやになりて、金鶏山きんけいざんのみかたちをのこす。まず高館たかだちにのぼれば、北上川きたかみがわ南部なんぶよりながるる大河たいがなり。衣川ころもがわ和泉が城いづみがじょうをめぐり、高館たかだちもとにて大河たいがちいる。泰衡やすひららが旧跡きゅうせきは、衣が関ころもがせきをへだてて南部口なんぶぐちをさしかため、えぞをふせぐとみえたり。さても義臣ぎしんすぐってこのしろにこもり、功名こうみょう一時いちじくさむらとなる。「くにやぶれて山河さんがあり、しろはるにしてくさあおみたり」と、かさうちきて、ときのうつるまでなみだをおとしはべりぬ。

夏草なつくさつわものどもがゆめあと

はな兼房かねふさゆる白髪しらがかな 曽良そら

かねてみみおどろかしたる二堂にどう開帳かいちょうす。経堂きょうどう三将さんしょうぞうをのこし、光堂ひかりどう三代さんだいひつぎををさめ、三尊さんぞんほとけ安置あんじす。七宝しっぽうちりうせて、たまとびらかぜやぶれ、黄金こがねはしら霜雪そうせつちて、すでに頽廃たいはい空虚くうきょくさむらとなるべきを、四面しめんあらたにかこみて、いらかをおほいて風雨ふううをしのぎ、しばらく千歳せんざい記念かたみとはなれり。

五月雨さみだれのこし残してや光堂ひかりどう

平泉ひらいずみがどのようにえがかれているか理解りかいする

山本やまもと 章博あきひろ それでは解釈かいしゃくしていきましょう。「三代さんだい栄耀えよう一睡いっすいのうちにして」。「三代さんだい」とは、平安へいあん時代じだい後半こうはんに、この平泉ひらいずみ中心ちゅうしん東北とうほく地方ちほうおさめていた藤原清衡ふじわらのきよひら基衡もとひら秀衡ひでひら三代さんだいのことをします。よく「奥州藤原氏おうしゅうふじわらし」ともばれますが、いたことがあるでしょうか? 「栄耀えよう」は栄華えいが繁栄はんえい意味いみします。陸奥みちのくきん産地さんちであったことからも、この時代じだい平泉ひらいずみは大いにさかえました。「一睡いっすいのうち」とは「ひとねむりのあいだゆめ」ということで、はかなくることをあらわしています。つまり、平安へいあん時代じだい三代さんだい繁栄はんえいながくはつづかず、一瞬いっしゅんのうちにほろびた、ということをいっています。

かわ 実里夏みりか とてもかなしいですね。

山本やまもと 章博あきひろ そうですね。「大門だいもんあと一里いちりこなたにあり」。平泉館ひらいずみだちばれた建物たてものがありました。奥州藤原氏おうしゅうふじわらし三代さんだい拠点きょてんとなった場所ばしょです。建物たてものの「大門だいもん」、つまり正門せいもんあとが、建物たてものよりも一里いちり(およそ四キロ)手前てまえにある。それだけおおきな規模きぼであった、ということで、いかに当時とうじ平泉ひらいずみ繁栄はんえいしていたか、ということがあらわされています。

かわ 実里夏みりか なるほど。

山本やまもと 章博あきひろ秀衡ひでひら旧跡きゅうせき田野でんやになりて、金鶏山きんけいざんのみかたちをのこす」。三代目の秀衡ひでひらんでいた建物たてもののあたりは、ただ田んぼたんぼ野原のはらひろがっているばかりでそのあとはなく、秀衡ひでひら平泉ひらいずみまもるためにきずいたという「金鶏山きんけいざん」だけが、当時とうじのままのこっていました。「まず高館たかだちにのぼれば」。高館たかだちおかうえしろあとで、源義経みなもとのよしつねんでいたところです。

かわ 実里夏みりか 源義経みなもとのよしつねは『平家物語へいけものがたり』にてきましたね。

山本やまもと 章博あきひろ はい。源平げんぺい合戦かっせん大活躍だいかつやくをした人物じんぶつです。その源平げんぺいの合戦のあと、義経よしつね頼朝よりとも仲違なかたがいをして、平泉ひらいずみのがれますが、三代目の秀衡ひでひら次男じなん泰衡やすひらぐん襲撃しゅうげきされて自害じがいげました。その最後さいご場所ばしょが、この高館たかだちでした。高館たかだちのぼって芭蕉ばしょう平泉ひらいずみ土地とちながめます。

かわ 実里夏みりか なるほど。いまでいう「聖地巡礼せいちじゅんれい」でしょうか。

山本やまもと 章博あきひろ そうかもしれませんね。「北上川きたかみがわ南部なんぶよりながるる大河たいがなり」。まず、北上川きたかみがわえます。岩手県いわてけん盛岡もりおか中心ちゅうしんとする地域ちいきを「南部地方なんぶちほう」とびますが、そこからみなみかってながれるおおきなかわです。「衣川ころもがわ和泉が城いづみがじょうをめぐり、高館たかだちもとにて大河たいがちいる」。つぎ北上川きたかみがわ支流しりゅう衣川ころもがわます。衣川ころもがわはその和泉が城いづみがじょうとおって、この高館たかだちした北上川きたかみがわ合流ごうりゅうしている、ということです。

かわ 実里夏みりか 景色けしきかびますね。

山本やまもと 章博あきひろ泰衡やすひららが旧跡きゅうせき衣が関ころもがせきをへだてて南部口なんぶぐちをさしかためめ、えぞをふせぐとみえたり」。泰衡やすひらたちがんでいたあとは、衣が関ころもがせきをはさんで南部地方なんぶちほうからの侵入しんにゅうふせいでいたとみえる。平泉ひらいずみという当時とうじ重要じゅうよう防衛ぼうえい拠点きょてんでもあったのですね。そのことを、芭蕉ばしょう風景ふうけいながめながら確認かくにんをてしているようです。「さても義臣ぎしんすぐってこのしろにこもり、功名こうみょう一時いちじくさむらとなる」。芭蕉ばしょう風景ふうけい見渡みわたしたあと、自分じぶんっている高館たかだち歴史れきし思いを馳おもいをはせます。

かわ 実里夏みりか義臣ぎしん」ってどういうことですか?

山本やまもと 章博あきひろ義臣ぎしん」は、義経よしつね忠誠ちゅうせいちかった家臣かしんたちのことです。義経よしつねはこのしろ、つまり高館たかだち拠点きょてんとして家臣かしんたちとともに最後さいごたたかいをしたけれど、結局けっきょく義経よしつねはここで自害じがいし、その「功名こうみょう名声めいせい)」もはかなくってしまった。そしてこの高館たかだちは、いまはただの「くさむら」としている。なんとむなしいことか、というおもいですね。「くにやぶれて山河さんがあり、しろはるにしてくさあおみたり」。

かわ 実里夏みりか あ、漢文かんぶん勉強べんきょうした『春望しゅんぼう』にてきたていますね。

山本やまもと 章博あきひろ そうですね。中国ちゅうごく杜甫とほの『春望しゅんぼう』という有名ゆうめい一節いっせつもとづいています。「みやこ長安ちょうあん破壊はかいされてやまかわとなり、しろ(つまり城壁じょうへきかこまれたまち)ははるになってくさおおわれているばかりだ」という意味いみですが、ここ平泉ひらいずみもまさにそれとおなじだ、と芭蕉ばしょうおもったのです。「かさうちきて、ときのうつるまでなみだをおとしはべりぬ」。かさいて、こしろして、ときのたつつのもわすれてなみだとした。いくら繁栄はんえいしても、いくら有名ゆうめいになっても、それはながくはつづかない。この平泉ひらいずみのようにむなしく「くさむら」となってしまうのだ。そうおもうと、人間にんげんという存在そんざいのはかなさに、自然しぜんなみだあふれてきた、ということでしょう。
つぎの「夏草なつくさや」のは、最後さいごかんがえます。さき同行どうこうしていた曽良そらておきましょう。

かわ 実里夏みりか はい。

山本やまもと 章博あきひろはな兼房かねふさゆる白髪しらがかな」。はななつのこの季節きせつしろはなです。兼房かねふさ義経よしつね家臣かしん一人ひとりで、白髪しらがをふりみだしながらたたかって討死うちじにしたとされるひとです。

かわ 実里夏みりか しろはなが、兼房かねふさ白髪しらがのようだ、ということですか?

山本やまもと 章博あきひろ いいですね。そういうことです。はなかぜれている。その様子ようすが、兼房かねふさ白髪しらがをみだしながらたたかっているようにえる、といったものです。なかなかに大胆なだいたんな比喩ひゆ使つかったですね。

中尊寺ちゅうそんじがどのようにえがかれているか理解りかいする

山本やまもと 章博あきひろ 後半こうはん中尊寺ちゅうそんじについてかたられています。「かねてみみおどろかしたる二堂にどう開帳かいちょうす」。「二堂にどう」は、中尊寺ちゅうそんじの「経堂きょうどう」と「光堂ひかりどう」のことです。前々まえまえからはなしいていておどろいていた、この二堂にどうひらかれていた。「光堂ひかりどう」は「金色堂こんじきどう」ともばれ、いまも国宝こくほうとして有名ゆうめいです。

かわ 実里夏みりか光堂ひかりどう」って「金色堂こんじきどう」のことなんですね。きんきらきんの、おどうですね。

山本やまもと 章博あきひろ そうです。ったことはなくても、画像がぞうたことがあるひとおおいのではないでしょうか。「経堂きょうどう三将さんしょうぞうをのこし、光堂ひかりどう三代さんだいひつぎををさめ、三尊さんぞんほとけ安置あんじす」。「三将さんしょう」は「三代さんだい」とおなじことで、清衡きよひら基衡もとひら秀衡ひでひらのことです。経堂きょうどうには三代さんだいぞうのこっていて、光堂ひかりどうには三代さんだいひつぎと「三尊さんぞん仏様ほとけさま」が安置あんじされていました。
七宝しっぽうちりうせて、たまとびらかぜやぶれ、黄金こがねはしら霜雪そうせつちて、すでに頽廃たいはい空虚くうきょくさむらとなるべきを」。「七宝しっぽう」はきんぎんなどのさまざまなたから。「たま」も宝石ほうせきのことです。「頽廃たいはい」はくずれすたれること。「空虚くうきょ」はなにもなくなることです。この金色堂こんじきどうは、かざられたさまざまなたからもちりうせて、宝石ほうせきかざったとびらかぜかれてこわれ、金箔きんぱくをはったはしらしもゆきのためにちてなくなり、そうしてすべてなくなり、むなしい「くさむら」となってもおかしくなかったのに……
四面しめんあらたにかこみて、いらかをおほいて風雨ふううをしのぎ、しばらく千歳せんざい記念かたみとはなれり」。この金色堂こんじきどう東西南北とうざいなんぼくの「四面しめん」をさらにかべかこんで、うえには屋根やねいらか)をおおって雨風あめかぜからまもり、しばらくのあいだとおむかししのぶ「記念かたみ」となっている。つまり、金色堂こんじきどうまもるために、金色堂こんじきどうをおおう「鞘堂さやどう覆堂おおいどう)」をつくった。そのおかげで、金色堂こんじきどうちはてることなく、むかしのままの姿すがたのこっている、ということをいっているのです。現在げんざいでも、金色堂こんじきどう建物たてものにおおわれていますね。

夏草なつくさや」「五月雨さみだれの」のから作者さくしゃ心情しんじょうかんがえる

山本やまもと 章博あきひろ それでは、この平泉ひらいずみでの芭蕉ばしょう解釈かいしゃくしてみましょう。まず、高館たかだちなみだをながしたときの
夏草なつくさつわものどもがゆめあと」。
夏草なつくさ」は文字通もじどおり、なつくさ。このとき旧暦きゅうれき五月ごがつ中旬ちゅうじゅんなつまっさかりで、「夏草やなつくさや」は、さかんにくさいしげっているよ、ということです。「つわものども」は兵士へいしたちのことですが、だれのことをさしているのでしょうか?

かわ 実里夏みりか この高館たかだちつくられたことになっていますから、源義経みなもとのよしつねとその家臣かしんたちをさしますか?

山本やまもと 章博あきひろ はい。この高館たかだち義経よしつねたちのそれまでの「功名こうみょう」や「ゆめ」は、まさにゆめのように、はかなくった。そのあとにはただひたすら、夏草なつくさいしげるばかりであるよ。このような意味いみになります。ひとはいくら名声めいせい明星みょうじょう)をえてちからをもったとしても、かならずほろびてしまう。永遠えいえんにはつづかない。しかし、夏草なつくさはいつの時代じだいおなじようにしげつづけている。〈夏草なつくさ〉という自然しぜんたいして、人間にんげん無力むりょくさのようなものがかんじられますね。

最後さいごは、光堂ひかりどうについてのです。
五月雨さみだれのこし残してや光堂ひかりどう」。
これはどうでしょうか?

かわ 実里夏みりか五月雨さみだれ」と「光堂ひかりどう」はわかりますが、むずかしいですね。「りのこす」というのがよくわかりません。

山本やまもと 章博あきひろ これは「五月雨さみだれ」がらなかった、ということです。五月雨さみだれればどこもかしこも一面いちめんにぬれる。でも、この「光堂ひかりどう」だけを、五月雨さみだれりのこした。つまり、あめ光堂ひかりどうだけを長年ながねんあいだ、さけたのではないか。そこだけらないようにしたのではないか。だから光堂ひかりどうちることなく、何百年なんびゃくねんむかしのままの姿すがたでいるのではないか。といったものです。

かわ 実里夏みりか なるほど、そうなんですね。さきほどの「夏草なつくさや」のでは、かわらない「夏草なつくさ」にたいして、はかなくえていく「人間にんげん」を表現ひょうげんしていましたが、こちらはどうでしょう?

山本やまもと 章博あきひろ さっきとはぎゃくで、光堂ひかりどうがいつまでもかがやいている様子ようすがうたわれていますね。はい。人間にんげんつくった「光堂ひかりどう」というものが、はかなくるのではなく、〈あめ〉という自然しぜんあらがって永遠えいえんにいきつづけている。人間にんげんいとなみというのは、それをまも努力どりょくをすれば、永遠えいえんぐことができるのだ、そんな「感動かんどう」をあらわしたなのですね。〈希望きぼう〉をかんじさせてくれるです。

まとめ

かわ 実里夏みりか それでは、今回こんかい講座こうざのポイントをまとめておきましょう。
1、平泉ひらいずみがどのようにえがかれているか理解りかいする。
2、中尊寺ちゅうそんじがどのようにえがかているか理解りかいする。
3、「夏草なつくさや」「五月雨さみだれの」のから作者さくしゃ心情しんじょうかんがえる。
このみっつでした。

山本やまもと 章博あきひろ 今回こんかいは「平泉ひらいずみ」の場面ばめんみました。その土地とち歴史れきしおもいをはせ、人間にんげん存在そんざいのはかなさと、一方いっぽうでは人間にんげん永遠えいえんもとめることの素晴すばららしさを、芭蕉ばしょうかんじています。〈たび醍醐味だいごみ〉をかんじることができたでしょうか?

かわ 実里夏みりか さて、今回こんかい山本やまもと 章博あきひろ先生せんせいと、『おく細道ほそみち』の「平泉ひらいずみ」を学習がくしゅうしました。山本やまもと先生せんせい、ありがとうございました。

山本やまもと 章博あきひろ ありがとうございました。

かわ 実里夏みりか NHKえぬえいちけい高校こうこう講座こうざ 言語げんご文化ぶんかかわ 実里夏みりか山本やまもと 章博あきひろ先生せんせいでおおくりしました。