NHK高校講座 言語文化 始まります。
河 実里夏: 皆さん、ご機嫌いかがですか? 河 実里夏です。今回から二回にわたって『奥の細道』を読んでいきます。講師は山本 章博先生です。よろしくお願いします。
山本 章博: こちらこそ、よろしくお願いします。今回、松尾芭蕉の『奥の細道』を読んでいきます。『奥の細道』はどのような作品か、皆さん知っていることはありますか? 河さんはいかがですか?
河 実里夏: はい、旅のイメージがあります。
山本 章博: その通りですね。松尾芭蕉は東北・北陸を巡る旅をしました。その旅を描いたのが『奥の細道』です。ここではそのすべてを読むことはできませんので、「旅立ちの場面」と東北の「平泉の場面」を二回にわたって読んでいきたいと思います。
河 実里夏: それでは、今回の学習のポイントです。学習のポイントは、
1、松尾芭蕉について知る。
2、旅立ちの際の作者の心情を考える。
3、「行く春や」の句を理解し鑑賞する。
以上の三つです。それでは学習を始めましょう。
松尾芭蕉について知る
山本 章博: さて、松尾芭蕉ですが、何時代の人だと思いますか? 河さんいかがですか?
河 実里夏: 江戸時代でしょうか?
山本 章博: その通りですね。江戸時代の一六四四年に生まれて、一六九四年に亡くなっています。生まれは伊賀の国の上野、今の三重県伊賀市です。二十代の終わりに江戸、現在の東京に来て、江戸の文学者たちと交流を深めます。三十七歳の時に、江戸の町中から離れて、深川の小さな家に住むようになります。「庵」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
河 実里夏: はい、聞いたことはあります。
山本 章博: 町から離れて侘住まいをする小さな簡素な家のことを「庵」と言います。深川は現在の東京都江東区で、芭蕉の「芭蕉庵」は隅田川沿いにありました。この深川に移住してから、近畿地方や常陸の国(茨城県の鹿島)、信濃の国(長野県の姨捨山)など多くの旅をして句を詠んでいました。
河 実里夏: いろんなところに旅していたんですね。『奥の細道』の旅はいつ始まったんですか?
山本 章博: はい。芭蕉が『奥の細道』の旅に出たのは、一六八九年、四十六歳の時です。この深川の芭蕉庵から出発しています。この『奥の細道』の旅には弟子の曽良という人物が同行し、弟子との二人旅だったのです。これらを前提として、以下読んでいきましょう。
旅立ちの際の作者の心情を考える
山本 章博: それでは、『奥の細道』「旅立ち」の朗読をお聞きください。朗読は松田 佑貴さんです。
(朗読:松田 佑貴)
『奥の細道』 松尾芭蕉 旅立ち
弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として、月は有明にて光収まれるものから、富士の峰かすかに見えて、上野・谷中の花の梢、またいつかはと心細し。むつまじき限りは宵より集いて、舟に乗りて送る。千住といふ所にて舟をあがれば、前途三千里の思い胸にふさがりて、幻の巷に離別の涙をそそぐ。
行く春や鳥啼き魚の目は涙
これを矢立の初めとして、行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後影の見ゆるまではと見送るなるべし。
山本 章博: それでは「旅立ち」の場面を解釈していきます。「弥生も末の七日」。これは出発した時の日付です。
河 実里夏: 「弥生」ということは、三月ですか?
山本 章博: そうです。旧暦の三月です。「末の七日」は月末の七日ということで、二十七日ということになります。「あけぼのの空朧々として、月は有明にて光収まれるものから」。「あけぼの」は夜がほのぼのと明けていくということで、夜明けのことです。
河 実里夏: 三月二十七日の夜明け頃に出発した、ということですね。
山本 章博: その通りです。「朧々」はぼんやりかすんでいる、ということ。「有明」は夜明け方に空に残っている月のことをいいます。「光収まれる」というのは、光が収まる、つまり、照り輝いていた月の光が薄らいで弱くなっている、という意味です。夜明け方、空が徐々に明るくなり、しかもかすんでいて、夜中には照り輝いていた月の光がうすらいできている。そういう風景ですね。
河 実里夏: なるほど。
山本 章博: 「富士の峰かすかに見えて、上野・谷中の花の梢、またいつかはと心細し」。今でも東京の各所から富士山が見えますが、ビルのない江戸時代はもっとよく見えたでしょう。西の空も明るくなってきて、富士山もかすみがかかって、かすかにその輪郭が見える。上野や谷中は当時から桜の名所でした。出発の時、その桜が咲いていました。「またいつかはと心細し」。さて、ここに芭蕉の心情がはっきりと書かれていますね。
河 実里夏: どういうことでしょうか?
山本 章博: はい。江戸から見える富士山、上野・谷中の桜。それを「またいつ見られるのだろうか」。旅に出てしまったらいつ戻れるかわからない。もしかしたらもう帰ってくることはないかもしれない、と思ったということです。いつも見慣れた風景も、もしかしたらこれが最後かもしれないと思うと、しんみりとしてくるでしょう。
河 実里夏: はい。とても切なく感じます。
山本 章博: 「むつまじき限りは宵より集いて、舟に乗りて送る。千住といふ所にて舟をあがれば」。「むつまじき限り」は「親しい人々はすべて」ということで、「宵」は夜の始めの時間帯を意味します。つまり、芭蕉が長い旅に出るということで、親しい友人たちがこぞって集まって、前日の夜からお別れの会を夜通し行っていた、ということです。そこは江戸の深川という所でした。そしていよいよ出発ということで、まずはみんなで深川から舟に乗って隅田川をさかのぼっていき、千住で降りました。
山本 章博: 「前途三千里の思い胸にふさがりて、幻の巷に離別の涙をそそぐ」。芭蕉の心情がはっきり書かれたところですが、なかなか難しい表現ですね。どのような心情でしょうか。
山本 章博: はい。「前途」は行く先ということ。「三千里」は距離を表しています。一里はおよそ四キロですので、一万二千キロということになりますが、これは正確な距離を示しているのではなく、「はるか遠い」ということを表しています。これから東北・北陸とはるか遠くまで行くのだなあ、と思うと、期待と不安で胸がいっぱいになる。ということです。
河 実里夏: 「幻の巷」ってどういうことでしょうか?
山本 章博: 「幻」ははかない、ということをイメージさせています。また「巷」は道が分かれるところのことです。千住からいよいよ東北への道にさしかかる。その別れ道に立って友人たちと別れる。そこで涙を流す。こうして旅の間の一時的な友人との別れを悲しんでいるのですが、そもそも人生も永遠ではなく、いまの旅の別れのようにいつかこの世との別れの時がくる。人生ってはかないものだ。そんな思いに駆られたのですね。
「行く春や」の句を理解し鑑賞する
山本 章博: 芭蕉はこの旅において五・七・五の句を作って、それを『奥の細道』のなかにちりばめています。これがこの『奥の細道』の最大の特徴であり、読みどころになります。その最初の句が、次の「行く春や鳥啼き魚の目は涙」ですが、この句の解釈はあとで詳しくしましょう。
河 実里夏: はい。
山本 章博: では、続きを解釈していきます。「これを矢立の初めとして」。「矢立」は筆と墨をいれる壺からなる、携帯用の筆記具のことです。「矢立の初め」とは、その筆記具をはじめて使う、ということから「旅における最初の句」のことをここでは意味しています。「行く道なほ進まず」。名残りおしくて、なかなか足がすすまないのですね。「人々は途中に立ち並びて、後影の見ゆるまではと見送るなるべし」。人々は路上に立ち並んで、わたしの姿が見えるまでは、と見送っているようだ。こうして、はるか東北・北陸へと旅立ちました。
山本 章博: どうでしょうか? はるかなる旅路への思い、友人たちとの別れがよく表現されていますね。
河 実里夏: はい。さみしくなります。
山本 章博: さて、それでは『奥の細道』の最初の句、「行く春や鳥啼き魚の目は涙」。これを考えてみましょう。
河 実里夏: はい。
山本 章博: まず五・七・五は現代では「俳句」と言いますが、この当時はまだ「俳句」という用語はありませんでした。ですので「芭蕉の俳句」といういい方は、厳密には正確ではありません。当時は「発句」といいましたが、聞き慣れない用語だと思いますので、ここでは単に「句」と呼ぶことにします。これまで俳句を習ってきたなかで、季節を表す「季語」をいれるとか、「切れ字」をいれるということがあったと思いますが、その原則的なルールは同じです。芭蕉の句の季語は「行く春」で、切れ字は「なになにだなあ」という意味を表す「や」になります。では、この句は何をいおうとしているのでしょうか?
河 実里夏: うーん、難しいですね。でも「涙」とあるので、別れの悲しさを表現しているように思います。
山本 章博: その通りですね。まず「行く春や」は「春だなあ」というように訳せますが、どういうことだと思いますか? 河さんいかがでしょう?
河 実里夏: 旅に行く春、ということでしょうか?
山本 章博: はい、正解です。「旅に行く」、つまり「旅に出る春」ということです。この時は三月二十七日でしたね。
河 実里夏: はい、そうでした。
山本 章博: 三月二十七日は春の終わりの時期です。旧暦では一月から三月までが春、四月に入ると夏になります。旧暦といまの暦はおよそ一か月ずれていますので、旧暦の三月末は、現在の四月末頃をイメージすればよいのです。「行く春」は「春がいってしまう」、「春が終わる」という意味も含んでいます。「春もまさに終わりでどこかへいってしまう、それと同時に自分も旅立つことだよ」といっているわけです。
河 実里夏: なるほど。
山本 章博: 次の「鳥啼き魚の目は涙」は、鳥が鳴き、魚も目に涙を浮かべているということですね。
河 実里夏: なぜ鳥も魚も泣いているのでしょうか?
山本 章博: はい。これは春が終わってしまうからです。終わっていく春を惜しんで、鳥はかなしげに鳴き、魚は涙をたたえている。わたしが春を惜しむのに加えて、旅立ちの別れの悲しさに、鳥や魚と同じように涙をうかべているのだ、こう表現したのですね。
河 実里夏: わずかな言葉で、これだけのことが表現できるんですね。
山本 章博: そうなんです。五・七・五の魅力ですね。それでは、今回の講座のポイントをまとめておきましょう。学習のポイントは、
1、松尾芭蕉について知る。
2、旅立ちの際の作者の心情を考える。
3、「行く春や」の句を理解し鑑賞する。
この三つでした。今回は、松尾芭蕉『奥の細道』「旅立ち」の場面を読みました。春の終わりという季節のなか、旅立ちを迎えた時の芭蕉の心情に迫りました。たとい小さな旅であったとしても、旅に出る時の気持ちはなにか特別ですね。今後、旅に出る機会があったら、この場面を思い出してもらいたいと思います。
河 実里夏: さて、今回は山本 章博先生と『奥の細道』「旅立ち」を学習しました。山本先生、ありがとうございました。
山本 章博: ありがとうございました。
河 実里夏: NHK高校講座 言語文化、河 実里夏と山本 章博先生でお送りしました。