NHKえぬえいちけい高校こうこう講座こうざ 言語げんご文化ぶんか時間じかんです。

木本きもと 景子けいこ みなさん、ご機嫌きげんいかがですか? 木本きもと 景子けいこです。今回こんかいは『論語ろんご』「人間にんげんつめる」について学習がくしゅうしていきます。講師こうし渡辺わたなべ 恭子きょうこ先生せんせいです。よろしくおねがいいします。

渡辺わたなべ 恭子きょうこ 渡辺わたなべ 恭子きょうこです。よろしくおねがいいします。さあ、今回こんかい一緒いっしょたのしく漢文かんぶんまなびましょう。今回こんかいは『論語ろんご』のかいです。今回こんかい学習がくしゅうする『論語ろんご』のみっつの章句しょうくは「人間にんげん」をテーマにしたものです。もうすこかりやすくうと、このみっつの章句しょうくには孔子こうし人間にんげんたいするかんがかた人間にんげんとはどうあるべきかということがかれているんです。

木本きもと 景子けいこ それでは学習がくしゅうはいまえ今回こんかいのポイントをさんてん確認かくにんしておきましょう。 1、『論語ろんご』とはどんな書物しょもつなのか。 2、「人間にんげん」についてべたみっつの章句しょうくあじわおう。 3、「孔子こうし人間にんげんかん」についての理解りかいふかめよう。 以上いじょうみっつです。それでは学習がくしゅうはじめましょう。

論語ろんご』とはどんな書物しょもつなのか

木本きもと 景子けいこ 先生せんせい、『論語ろんご』とはどういうものなんですか?

渡辺わたなべ 恭子きょうこ はい。『論語ろんご』は孔子こうしおよびその弟子でしたちがはなしたりおこなったりしたことの記録きろくです。孔子こうし中心ちゅうしんとしておこなわれた対話たいわ主なおもな内容ないようになっています。孔子こうし死後しご弟子でし、またその弟子でしといった門人もんじんたちのによってまとめられました。『論語ろんご』というと孔子こうしいたものだと思っている人が案外多いんですが、そうではありませんから注意してくださいね。

木本きもと 景子けいこ はい。

渡辺わたなべ 恭子きょうこ 次に構成についてです。現在の『論語ろんご』では五百ごひゃくに近いしょうが、二十にじゅうのまとまりにけられているんです。しかもこの二十にじゅうのまとまりにはそれぞれ名前がついています。これを「篇名へんめい」と言いますが、今回学習する章句しょうくは「学而がくじへん」、「郷党きょうとうへん」というへんの中におさめられているものです。

木本きもと 景子けいこ 先生せんせい、『論語ろんご』はいつごろ日本にほんたんですか?

渡辺わたなべ 恭子きょうこ はい。『古事記こじき』によるとななねんごろ百済くだら博士はかせである王仁わにさんによって伝えつたえられたと言われています。日本にほんに入ってきた中国ちゅうごく書物しょもつの中ではいちばんはやいものだそうです。奈良なら時代じだいに入ると、日本にほんでも『論語ろんご』は必読ひつどくしょのひとつになっていて、『論語ろんご』を勉強べんきょうしていない人は役人やくにんとして採用さいようされなかったそうです。

木本きもと 景子けいこ それほど『論語ろんご』が重要じゅうようとされていたんですね。

渡辺わたなべ 恭子きょうこ そうなんです。そして時代じだいんで、江戸えど時代じだい平和へいわつづいたこの時代じだいには、『論語ろんご』は幕府ばくふ教育きょういく政策せいさくのもと、次第しだい庶民しょみんにも広まひろまっていきました。学者がくしゃから寺子屋てらこや至るいたるまで、おおくの人にまれるようになったんです。徳川とくがわ 家康いえやす有名ゆうめい言葉ことばに「ひと一生いっしょう重荷おもに負いおい遠きとおきみち行くゆくがごとし、急ぐいそぐべからず」というのがありますが、これも『論語ろんご』の「にん重くおもくしてみち遠しとおし」という言葉ことば踏まえふまえたものだと言われています。

木本きもと 景子けいこ 家康いえやす幼いおさないころから『論語ろんご』を読んよんでいたということなんですね。

渡辺わたなべ 恭子きょうこ そういうことですね。そして最後さいごに、『論語ろんご』から伺えるうかがえる人間にんげんとしてのあり方ですが、一言ひとことうと「ひと愛するあいすること」。つまり、自分じぶん対してたいしてこころ忠実ちゅうじつであり、他人たにん対してたいして思いやりおもいやりこころ持つもつことです。

木本きもと 景子けいこ どういうことなんでしょうか。

渡辺わたなべ 恭子きょうこ ちょっとかりにくいですよね。ですからこのさんかい講座こうざの中で、実際じっさいに『論語ろんご』をみながら具体的ぐたいてきかんがえていくことにしましょう。前回ぜんかい孔子こうし目指すめざす学問がくもん」について学びまなびました。学問がくもん大切たいせつなことは、習うならうこと、学ぶまなぶこと、そして「知っしっていること」と「知らしらないこと」をしっかり区別くべつ認識にんしきすることでした。それでは今回こんかいは、孔子こうし理想りそうとした人間にんげんとはどんなひとか、一緒いっしょ理解りかい深めふかめていきましょうね。

人間にんげん」についてべたみっつの章句しょうくあじわおう

木本きもと 景子けいこ では『論語ろんご』を実際じっさい読んよんでいきましょう。まずは今回こんかい学習がくしゅうする章句しょうく朗読ろうどく聞いきいてください。朗読ろうどく高山たかやま 久美子くみこさんです。

朗読ろうどく高山たかやま 久美子くみこ
曾子そうし曰くいわくわれたび吾がわが省みるかえりみるひとのために謀りはかりちゅうならざるか、朋友ほうゆう交わりまじわりしんならざるか、習わならわざるを伝うるつたうるか、と。(学而がくじへん
曰くいわく巧言こうげん令色れいしょくすくなじん、と。(学而がくじへん
うまや焼けやけたり。ちょうより退きしりぞき曰くいわく、「ひと損なえるそこなえるか」と。うま問わとわず。(郷党きょうとうへん

渡辺わたなべ 恭子きょうこ いかがでしたか。それでは早速さっそく初めはじめ章句しょうくから解釈かいしゃくしていきましょう。木本きもとさん、読んよんでください。

木本きもと 景子けいこ曾子そうし曰くいわくわれたび吾がわが省みるかえりみるひとのために謀りはかりちゅうならざるか、朋友ほうゆう交わりまじわりしんならざるか、習わならわざるを伝うるつたうるか、と」。

渡辺わたなべ 恭子きょうこ はい、いいですね。「そう先生せんせいがおっしゃった。『わたし一日いちにちのうちになん自分じぶん自身じしん反省はんせいする。ひと相談そうだん乗っのってあげながら真心まごころ尽くさつくさないことはなかったか。友達ともだち交際こうさいして誠実せいじつでなかったのではないか。についていない生かじりなまかじりのことをひと教えおしえ伝えるつたえることはなかったか』と訳せやくせます。
曾子そうし」についてですが、孔子こうしよりも四十よんじゅうろくさい若いわかい弟子でしで、『論語ろんご』の中でも重要じゅうよう人物じんぶつ一人ひとりです。誠実で努力どりょく、そのうえ親孝行おやこうこうと、人間にんげんてき高いたかい評価ひょうかています。曾子そうし孔子こうしまご先生せんせいとなったり、孔子こうし死後しご弟子でしたちの中でリーダーてき役割やくわり果たしはたしたりしました。
さて、語句ごくについてていきましょう。まず「三省さんせい」ですが、「三省さんせい」はなん反省はんせいするということです。「さん」を「さんかい」と訳すやくすせつもありますが、ここではかず多いおおいことを表すあらわす考えかんがえましょう。次に「謀りはかりて」ですが、相談そうだん乗りのり相手あいてになって考えかんがえてあげることを言いいいます。「ちゅうならざるか」の「ちゅう」は、「なか」に「こころ」と書きかきますから「こころ込めるこめる」という意味いみです。つまり、他人たにん対してたいして真心まごころ尽くすつくすことです。「ちゅうならざるか」の「か」は疑問ぎもん表しあらわしますから、ここのやくは「真心まごころ尽くさつくさないことはなかったか」となるのです。

木本きもと 景子けいこ なるほど。

渡辺わたなべ 恭子きょうこ では、次のぶんの「朋友ほうゆう」は友達ともだち友人ゆうじんのこと。「交わりまじわり」とは交際こうさいすることです。「しんならざるか」の「しん」は、言ういうこととやることが一致いっちしている、うそ偽りいつわりのない誠実せいじつさを言いいいます。「誠実でなかったのではないか」ぐらいに訳しやくしておきましょう。最後さいごぶんの「習うならう」は、前回ぜんかい学んまなん通りとおり繰り返しくりかえし復習ふくしゅうする」ことです。ですから、ここのやくは「自分じぶんにつけていないことを他人たにん教えおしえ伝えるつたえることはなかったか」となります。この章句しょうくから、曾子そうしがいかに誠実せいじつ努力どりょくであったか分かわかりますね。ところで、ここで反省はんせいされるみっつの事柄ことがらですが、共通きょうつうすることは何だと思いますか? 木本きもとさんいかがでしょうか。

木本きもと 景子けいこ うーん、全てすべて他人たにん関係かんけいしていることですか?

渡辺わたなべ 恭子きょうこ はい、そうですね。つまり、他人たにん対するたいする深いふかい思いやりおもいやりから発せはっせられる行為こういというわけです。
さて、次の章句しょうく行きいきましょう。
曰くいわく巧言こうげん令色れいしょくすくなじん、と」

渡辺わたなべ 恭子きょうこ 先生せんせいがおっしゃった。「巧みたくみ弁舌べんぜつ取り繕っとりつくろっ表情ひょうじょうひとには、少ないすくないなあ、本当ほんとうじんこころは」と訳せやくせます。「」とは孔子こうしのことでしたね。また、「巧言こうげん」とはくち上手いうまいこと、巧みたくみ弁舌べんぜつ。「令色れいしょく」は取り繕っとりつくろっ表情ひょうじょう努めてつとめてひと入るいるような表情ひょうじょうをすることを言いいいます。「巧言こうげん令色れいしょく」というよん熟語じゅくごもありますが、これは見せかけみせかけだけで誠実せいじつさのないことをいう意味いみ使わつかわれますから覚えおぼえておきましょうね。

木本きもと 景子けいこ はい。

渡辺わたなべ 恭子きょうこすくなじん」は、「じんすくなし」、つまり「じん少ないすくない」ということを強調きょうちょうするために「すくなし」をさき言っいっ倒置とうち表現ひょうげんです。そのうえ「すくなし」は「きわめて少ないすくない、ほとんどない」というニュアンスですから、「じんはほとんどない」ということになります。ここでのキーワードは「じん」です。

木本きもと 景子けいこ 先生せんせいそもそも「じん」とは一体いったいなにでしょうか?

渡辺わたなべ 恭子きょうこ はい。あとでまた説明せつめいしますけれども、一般いっぱんてきには「あい」という言葉ことば置き換えおきかえられると言われています。ですから、「あいがほとんどない」となりますね。そして「すくなし」のあとの漢字かんじかな)は置きおきです。この置きおきは、きっぱり言い切るいいきる断定だんてい意味いみがあります。ところで、皆さんみなさんはこの言葉ことばについてどう思いおもいますか? 現代げんだいでは、ひと対してたいして優しいやさしい笑顔えがお向けむけたり、温かいあたたかい言葉ことばをかけたりすることは、決してけっして悪いわるいことではありませんよね。しかし、それが本心ほんしんからではなく、うわべだけのお世辞おせじや、ひとにうまく取り入っとりいっ利用りようしようとする手段しゅだんだとしたらどうでしょうか? 木本きもとさん、どう思われますか?

木本きもと 景子けいこ うーん、それはとてもいや気持ちきもちになりますよね。どうして『論語ろんご』に入っているんでしょうか?

渡辺わたなべ 恭子きょうこ その「下心したごころ」「不誠実ふせいじつさ」を孔子こうし戒めいましめているんです。孔子こうしは、自分じぶん対してたいしてはもちろん、ひと対してたいして誠実せいじつでなければならないと強くつよく言っいっています。誠実せいじつ態度たいどが「じん」。つまり、ひと思いやるおもいやるこころあい通じるつうじるというのです。では、最後さいご章句しょうくです。
うまや焼けやけたり。ちょうより退きしりぞき曰くいわく、『ひと損なえるそこなえるか』と。うま問わとわず」

渡辺わたなべ 恭子きょうこ 現代語げんだいご訳すやくすと、「孔子こうしいえうまや焼けやけてしまった。こう先生せんせい朝廷ちょうていから退出たいしゅつして、いえ帰っかえってきた。そしてすぐ言ういうことに、『だれも怪我けがはなかったかね』と。そのあと、うまのことにについては何一つなにひとつ尋ねたずねなかった」となります。この章句しょうくはあまり難しいむずかしい言葉ことばがないので分かりわかやすいですね。「ちょう」とは朝廷ちょうていのことです。「ひと損なえるそこなえるか」の「か」は、ここでは疑問ぎもん表しあらわします。この章句しょうくは、孔子こうしがいかにひといのち大切たいせつにしていたかということを示すしめすエピソードです。当時とうじうまといえば貴重きちょう財産ざいさんでしたし、大切たいせつなものでした。また、孔子こうし決してけっしてうま愛さあいさなかったわけではないでしょう。しかし、ここではなによりも孔子こうしが「ひと」を案じあんじたということがポイントなんです。

孔子こうし人間にんげんかん」についての理解りかい深めふかめよう

渡辺わたなべ 恭子きょうこ 今回こんかい学んまなんだ『論語ろんご』のみっつの章句しょうくから、「人間にんげんはどうあるべきか」、孔子こうし人間にんげんかんについて理解りかい深めふかめていきましょう。ここでは「じん」と「ちゅう」、そして「しん」という言葉ことばがキーワード、重要じゅうよう言葉ことばになっていました。

木本きもと 景子けいこ はい。そうでしたね。

渡辺わたなべ 恭子きょうこ まず「じん」ですが、『論語ろんご』の中で頻繁ひんぱんてくる言葉ことばにもかかわらず、「じん」がなに意味いみするかという定義ていぎについては、孔子こうし自身じしんもはっきりとは述べのべていません。しかし、「じん」が孔子こうし目指しめざした「人間にんげんとしてもっとも理想りそうてき生き方いきかた」であることは間違いまちがいありません。

木本きもと 景子けいこ人間にんげんとしてもっとも理想りそうてき生き方いきかた」とは、どんな生き方いきかたなんでしょうか?

渡辺わたなべ 恭子きょうこ はい。「じん」という言葉ことばは、左側ひだりがわへん」に「にんべん」(ひと)を持ちもち右側みぎがわつくり」はかん数字すうじの「」と書きかきます。ひとひととのあいだ通うかよう親しみしたしみ意味いみ表しあらわしているそうです。ですから、ひとひととのあいだにある愛情あいじょうひと対してたいして真心まごころ持っもっ接するせっするあい」を意味いみします。そして、このような「あい」を、まずは家族かぞく近親きんしんから、そして次第しだいおおくの人々ひとびとへと広めひろめ及ぼしおよぼし調和ちょうわ保ちたもちながら生きいきていくことを人間にんげんとしての義務ぎむとみなす考えかんがえかた。それを『論語ろんご』における「じん」というのです。

木本きもと 景子けいこ なるほど。

渡辺わたなべ 恭子きょうこ それからもうひとつのキーワード「ちゅう」と「しん」ですが、「ちゅう」とは「他人たにんのために自分じぶん真心まごころ尽くすつくすこと」でした。また「しん」とは「うそ偽りいつわりのない誠実せいじつさ」。もっとかりやすくうと「言ういうことと行うおこなうことが一致いっちしていること」です。自分じぶん言葉ことば責任せきにん持ちもち言っいっ言葉ことば約束やくそくをどこまでも守りまもり通すとおす。そんな誠実せいじつ生き方いきかた、それが友達ともだちとの付き合いつきあいでは大切たいせつなのですね。つまり、「ちゅう」や「しん」といった態度たいどは、「じん」に達するたっするための重要じゅうよう手段しゅだんなのです。孔子こうしは、個人こじん個人こじんが「じん」をにつければ、人間にんげんあい溢れあふれ理想りそうてき社会しゃかいができると考えかんがえていたのです。

木本きもと 景子けいこ それでは今回こんかい講座こうざのポイントをまとめましょう。
学習がくしゅうのポイントは、
1、『論語ろんご』とはどんな書物しょもつなのか。
2、「人間にんげん」についてべたみっつの章句しょうくあじわおう。
3、「孔子こうし人間にんげんかん」についての理解りかい深めふかめよう。
このみっつでした。

渡辺わたなべ 恭子きょうこ わたしたちも、ひとには常につねに思いやりおもいやりこころ接しせっしたいものですね。そして漢文かんぶん学ぶまなぶことで、ますます魅力みりょくてき人間にんげんになりたいですね。

木本きもと 景子けいこ さて、今回こんかい渡辺わたなべ 恭子きょうこ先生せんせいと『論語ろんご』「人間にんげんつめる」を学習がくしゅうしました。渡辺わたなべ先生せんせいありがとうございました。

渡辺わたなべ 恭子きょうこ ありがとうございました。

木本きもと 景子けいこ NHKえぬえいちけい高校こうこう講座こうざ 言語げんご文化ぶんか木本きもと 景子けいこ渡辺わたなべ 恭子きょうこ先生せんせいでお送りおくりしました。