NHK高校講座 言語文化始まります。皆さんご機嫌いかがですか? 河 実里夏です。今回は『平家物語』「木曾の最期」の三回目です。講師は山本 章博先生です。よろしくお願いします。
山本 章博:こちらこそよろしくお願いします。前回の場面を復習しておきましょう。この戦で残ったのは、木曾義仲と今井の四郎兼平のたった二騎でした。そして、兼平は義仲に自害することを勧め、義仲は一騎で「粟津の松原」に向かいます。兼平は義仲が自害するまで敵を防ぐために、一騎で五十騎を相手にして「大奮戦」しました。その激しい戦闘の様子が描かれていたのが、前回の場面でした。
河 実里夏:とても迫力のある、惹き付けられる場面でした。それでは今回の学習のポイントです。
1.木曾義仲の最期の状況を理解する。
2.今井の四郎兼平の最期の状況を理解する。
3.それぞれの最期の描かれ方を比較する。
以上の三つです。それでは学習を始めましょう。
――木曾義仲の最期の状況を理解する――
山本 章博:その後、義仲と兼平はどうなったのでしょうか? 続きを読んでいきましょう。朗読は松田 佑貴さんです。
松田 佑貴:義仲の最期と兼平の自害
木曾殿はただ一騎、粟津の松原へ駆けたもうが、正月二十一日、入相ばかりのことなるに、薄氷は張ったりけり。深田ありとも知らずして、馬をざっと打ち入れたれば、馬の頭も見えざりけり。
煽れども煽れども、打てども打てども働かず。今井が行方のおぼつかなさに、振り仰ぎたまえる内兜を、三浦の石田の次郎為久、追っかかってよっぴいて、表ふっと射る。
痛手なれば、真っ向を馬の頭に当てて、うつぶしたまえるところに、石田が郎等二人、落ち合うて、ついに木曾殿の首をば取ってんげり。太刀の先に貫き、高く差し上げ、大音声をあげて、
「この日ごろ日本国に聞こえさせたまいつる木曾殿をば、三浦の石田の次郎為久が打ち奉ったるぞや」
と名乗りければ、今井の四郎戦いしけるが、これを聞き、
「今は誰をか庇わんとてか戦をもすべき。これを見たまえ、東国の殿ばら。日本一の剛の者の自害する手本」
と、太刀の先を口に含み、馬より逆さまに飛び落ち、貫かってぞ失せにける。さてこそ「粟津の戦」はなかりけれ。
山本 章博:それでは解釈していきます。義仲はたった一騎で「粟津の松原」に向かいましたが、それは1月21日の夕方のことでした。「入相」とは太陽が入る頃ということで、夕方を意味します。寒い季節の夕方だったので、「薄氷は張ったりけり。深田ありとも知らずして、馬をざっと打ち入れたれば、馬の頭も見えざりけり」。底の深い田んぼに薄い氷が張っていて、馬に乗った義仲はそれに気づかずにその「深田」に突っ込んでいってしまいました。馬はその「深田」にはまって頭も見えないということですから、馬はほぼ完全に埋まってしまったということでしょう。
河 実里夏:動けなくなってしまったのですか? どうしましょう!
山本 章博:「煽れども煽れども、打てども打てども働かず」。「煽る」は鐙で馬の腹を蹴ること、「打つ」は鞭で馬を打つことです。「働く」はここでは「動く」という意味です。義仲は抜け出そうとして馬をなんとか動かそうとしますが、深くはまった馬は動くことができません。
河 実里夏:義仲はどうしたんですか?
山本 章博:はい。いよいよ義仲の最後の場面です。「今井が行方のおぼつかなさに、振り仰ぎたまえる内兜を」。「おぼつかなさ」とは「心配・気がかりである」という意味です。動けなくなった義仲は、「兼平はどうなったか」と心配で顔を振り向けた。
河 実里夏:内兜ですか?
山本 章博:はい。「内兜」は兜の内側、つまり「顔面」のことです。今井兼平の行方を見定めようと振り向いた義仲の顔を、三浦の石田次郎為久という敵が追いついてきて矢で射抜きました。「追っかかって」は「追いかかりて」が発音しやすいように変化したもので、こうした変化を「音便」といいましたね。「よっぴいて」も音便によって変化したものです。意味は「弓をよく引いて」ということになります。
山本 章博:次の「表ふっと」は面白い表現ですね。そうです。「ひょう」というのは矢が風を切って飛ぶ音、「ふっ」というのは矢が刺さる音を表現しています。為久は義仲に追いついて、弓をよく引いて狙いを定めて矢を放ち、矢は「ひょう」と飛び、「ふっ」と義仲の顔面を射抜いたということです。
河 実里夏:義仲はどうなったんですか? もうこれが最後だったのでしょうか?
山本 章博:そうですね。「痛手なれば真っ向を馬の頭に当ててうつぶしたまえるところに」。「痛手」は深い傷、重傷のこと。「真っ向」は兜の正面のことです。傷は深く、義仲は兜の正面を馬の頭に当てて、うつ伏せの状態になってしまった。そこに「石田が郎等二人、ついに木曾殿の首をば取ってんげり」。「郎等」は家来のことでしたね。石田次郎為久の家来二人がその場にやってきて、ついに義仲の首を取った。「取ってんげり」は「取りてけり」が音便で変化したものです。
河 実里夏:義仲は殺されてしまったんですか?
山本 章博:そうなんです。これが義仲の最後のありさまでした。
――今井の四郎兼平の最後の状況を理解する――
山本 章博:一方で義仲を打ち取った為久は、義仲の首を長い太刀の先にさして、それを高く差し上げ、大きな声をあげてこういいました。「この日ごろ日本国に聞こえさせたまいつる木曾殿をば、三浦の石田の次郎為久が打ち奉ったるぞや」と名乗りければ、「あの日本国中に名を轟かせる義仲殿を、この為久が打ち取ったぞ」と大声で叫び、周囲にその勝利を伝えました。
その為久の「勝ち名乗り」を聞いて、一騎で大奮戦していた兼平は、義仲が討たれたことを知ります。兼平は、義仲が自害を果たすまで敵を防ごうと思っていたわけですから、義仲が討たれてしまっては、もう戦う意味がありませんね。
河 実里夏:そうですね。
山本 章博:「今は誰をか庇わんとてか戦をもすべき」。「今は誰をかばおうと言って、戦をしようか。いや、かばう人もいなくなり、もう戦はしまい」と兼平は言います。「なになにしようか、いや、なになにしない」という「反語」の構文ですね。
そして、「これを見たまえ東国の殿ばら、日本一のこの者の自害する手本」と、太刀の先を口に含み、馬より逆さまに飛び落ち、貫かってぞ失せにける。さて、どういう状態か分かりますか?
河 実里夏:馬から落ちたのは分かりますが、具体的には「イメージ」できません。
山本 章博:はい。「殿ばら」は「皆さん、方々」ぐらいの意味です。「この者(剛の者)」は「強くて勇敢な者、強い武者」ということです。「これをごらんあれ、源氏方の東国の方々よ、日本一の兵の自害の手本だ」と言って、太刀、つまり「長く大きな刀」の先を口に入れて、馬から逆さまに飛び降りました。地面に叩きつけられた時、口に入れていた太刀が体を貫いた。「貫かって」は「貫かれて」が音便で変化したものです。長い太刀に全身を貫かれて亡くなったのです。
河 実里夏:勇ましい死に方ですね。でも怖いです。
山本 章博:そうですね。こうして「粟津」での戦いは終わりました。
――それぞれの最後の描かれ方を比較する――
山本 章博:さて、ここまで義仲と兼平の最後の場面を読んできましたが、この二つのシーンを比較して、なにか思うところはあるでしょうか? 河さんはどうですか?
河 実里夏:はい。義仲は敵にやられてしまって、少し残念な死に方で、兼平はかっこよく自害していて、全く対照的だと思います。
山本 章博:そうですね。全く違いますね。兼平は主人を最後まで守り抜こうとし、その死は自ら「自害の手本」というように潔く豪快で、「ショッキング」なものです。ですからこちらの方が深く印象に残るかもしれません。しかし、いろいろと考えさせられるのは義仲の「死」ではないでしょうか。義仲はそもそもどのような武将だったのか。前々回、少しお話しをしましたが覚えてますか?
河 実里夏:はい。初めは源氏方の武将として、北陸では平家の大軍に勝利し、都に向かい平家を追い合っていました。しかし、横暴な振る舞いを繰り返したため、頼朝をも敵に回し、源氏方にも攻められることになった、ということでしたね。
山本 章博:その通りです。非常に強くて、荒々しい武将の「イメージ」ですね。河さんはこの「木曾の最期」の場面での義仲に、このような荒々しさを感じますか?
河 実里夏:感じないですね。兼平に「自害」を勧められても、「兼平と一緒のところで討死したい」と言ったり、どちらかというと「優しいイメージ」があります。
山本 章博:そうですね。では、義仲は最後の瞬間、何を思ってていたのでしょうか? これはどうでしょう?
河 実里夏:兼平のことを思ってていたのではないでしょうか?
山本 章博:その通りですね。義仲は矢で射られる直前に、「今井が行方のおぼつかなさに振り仰ぎたまえる」とありました。「兼平は大丈夫か?」と兼平を心配する。これが義仲の「最後の瞬間」だったわけです。荒々しい義仲が、不覚にも「深田」にはまってしまい、動けなくなったところを討たれてしまう。
河 実里夏:なんか、義仲らしくない感じがしますね。
山本 章博:そうですね。兼平は「なにもない郎等に討たれたら末代の恥になるから、自害をしてほしい」と、義仲の「名誉」のために願いました。しかし兼平一騎では敵を防ぎきることはできず、義仲は結局自害できずに、兼平が心配していたように、石田次郎為久という、本来であれば負けるはずのない相手に打ち取られてしまいました。
おそらく義仲ほどの武将が「深田」に気づかなかったのも、どうしても兼平のことが気になり、振り返りながら馬を走らせていて気づかなかった、ということかもしれません。兼平への「思い」があったからこそ、こうした「不様な死に方」になってしまったとも言えるでしょう。
河 実里夏:なんだか、二人の絆の強さを感じる死に方だと思います。
山本 章博:はい、そうですね。この二人は「主人」と「家来」ですが、幼い頃から一緒に育ってきた「特別な仲」でした。
それでは、今回の講座のポイントをまとめましょう。学習のポイントは、1.木曾義仲の最期の状況を理解する。2.今井の四郎兼平の最期の状況を理解する。3.それぞれの最後の描かれ方を比較する。この三つでした。三回にわたって『平家物語』の「木曾の最期」を読んできました。全体を通じて感想はどうでしょうか? 河さんいかがですか?
河 実里夏:はい。最初は単なる「戦いのお話」かと思っていましたが、最後まで兼平を気にかけていた「人間味のある義仲」に興味を持ちました。
山本 章博:なるほど、そうですか。実は、江戸時代の松尾芭蕉は、義仲の「ファン」だったようなのです。芭蕉のお墓は、この戦があった場所に建てられた「義仲寺」というお寺にあります。ここに墓が立てられたのは、芭蕉の「遺言」によるものでした。芭蕉もこの義仲の「死に様」に心を打たれた一人であったのかもしれませんね。
『平家物語』はこのように、戦を中心に描きながらも、その中のさまざまな「人間模様」を書き記したものです。次回はこの『平家物語』の「全体像」を捉えてみたいと思います。さて、今回は山本章博先生と『平家物語』「木曾の最期」の三回目の学習でした。山本先生、ありがとうございました。
山本 章博:ありがとうございました。
NHK高校講座 言語文化、河実里夏と山本章博先生でお送りしました。じゃあね。