NHK高校講座 言語文化の時間です。皆様ご機嫌いかがですか? 木本景子です。『伊勢物語』の三回目です。講師は吉田茂先生です。よろしくお願いします。
吉田茂:こちらこそ、よろしくお願いします。今回から二回にわたって、『伊勢物語』の「筒井筒」を読んでいきます。
木本景子:どんなお話なんですか?
吉田茂:幼なじみの男女の結婚にまつわる話です。
木本景子:時代が違うと、結婚の形も今とはだいぶ違うんですよね。
吉田茂:はい。平安時代の結婚形態は、妻の家に夜、夫が通う形が一般的で、「妻問婚」「通い婚」などと呼ばれています。正式に結婚すると、二人が同居することもありました。特に若い夫婦の場合、妻の両親が二人の経済的支援をしました。ですから女の家の経済力が重要になってきます。また男は、正妻以外に妻を持つこともあったようです。
木本景子:それでは、今回の学習のポイントです。
1.男女の成長と心の変化を理解する。
2.男女の歌の贈答を読み味わう。
3.男の行動とそれに対する女の行動や思いを読み取る。
以上の三つです。
木本景子:それでは、「筒井筒」の朗読を聴いてみましょう。朗読は高山久美子さんです。
高山久美子:筒井筒
昔、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出でて遊びけるを、大人になりにければ、男も女も恥ぢかはしてありけれど、男は「この女をこそ得め」と思う。女は「この男を」と思いつつ、親のあはすれども聞かでなむありける。
さて、この隣の男のもとより、かく。
筒井筒 いづつにかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに
女返し、
くらべこし 振り分け髪も 肩過ぎぬ 君ならずして 誰か上ぐべき
など言い言いて、ついに本意のごとく会いにけり。
さて年頃経るほどに、女、親なく頼りなくなるままに、もろともに言う甲斐なくてあらんやはとて、河内の国、高安の郡に、行き通う所出で来にけり。さりけれど、この元の女、悪しと思える気色もなくていだしやりければ、男、異心ありてかかるにやあらんと思い疑いて、前栽の中に隠れいて、河内へ往ぬる顔にて見れば、この女、いとよく化粧じて、打ち眺めて、
風吹けば 沖つ白波 たつた山 夜半にや君が ひとり越ゆらむ
と詠みけるを聞きて、限りなく愛しと思いて、河内へも行かずなりにけり。
――男女の成長と心の変化を理解する――
吉田茂:それでは、解釈に入ります。「昔、田舎わたらひしける人の子ども」。「田舎わたらひしける人」には、「田舎回りの商人」とする説や、「地方官を務める人」などの説がありますが、ここでは「地方暮らしをしていた人」と解釈しておきます。ですから、「昔、地方暮らしをしていた人の子どもが、井のもとに出でて遊びけるを」は、当時は村の中央などに共同利用の井戸があるのが一般でした。そこが子どもの遊び場でもあったのでしょう。「井戸のところに出て遊んでいたのが」ということです。
木本景子:井戸のそばで遊んで、危なくないんですか?
吉田茂:もちろん、落ちないように井戸には「囲い」がありました。それを「井筒」というのです。次の「大人になりにければ」の「ければ」に注目します。「けれ」は過去の助動詞「けり」の已然形で、それに接続助詞「ば」がついていますので、「なになに……ので」と訳します。「大人になったので」。「男も女も恥ぢかはしてありけれど」の「かはし」は、前の動詞について「互いに……なになにする」という意味ですから、「男も女も、互いに恥ずかしがっていたのだけれども」となります。
木本景子:大人になって、異性を意識し始めて、恥ずかしくなったんでしょうか。この二人の気持ちはよくわかる気がしますね。昔も今も同じですね。
吉田茂:はい。「男はこの女をこそ得めと思ふ」には、係り結びが用いられています。係助詞「こそ」と、結びは已然形で「得め」の「め」がそれです。「得め」の「え」は、『芥川』に出てきた「え得まじかりけるを」の「う」と同じで、「手に入れる」「結婚する」という意味のア行下二段動詞の未然形です。その未然形に意志の助動詞「む」の已然形「め」がついたものです。
木本景子:ということは、「男はこの女と結婚したいと強く思っている」ということですね。
吉田茂:はい。「女はこの男をと思ひつつ」は、「女はこの男と結婚しようと思い続け」となります。この「男を」の下には、「こそ得め」が省略されていると考えられますが、この省略によって文章が引き締まっています。
木本景子:つまり二人は相思相愛であったということですね。
吉田茂:はい。そのため、「親のあはすれども、聞かでなむありける」となります。「あはす」は「結婚させる」という意味です。また、使役の意味のない「会う」は『伊勢物語』では「結婚する」の意で用いられることが多いのです。「親の」の「の」は主格を表す格助詞ですから、「親が他の男と結婚させようとするけれども、その結婚話を聞き入れないでいた」となります。ここでも係助詞「なむ」と連体形「ける」で係り結びになっています。親は身分が高く、家柄のよい男との結婚を勧めたのでしょう。でも女の、幼なじみの男と結婚しようという意志は強固であったことが、係り結びからも想像されます。
――男女の歌の贈答を読み味わう――
吉田茂:次は「さて、この隣の男のもとより、かく(なむありける)」です。接続助詞「さて」は前の部分を受け、「そうこうするうちに」の意味です。そうこうするうちに、この隣の男の元から、「筒井筒 いづつにかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに」の歌を送ってきた、ということです。「筒井筒」を枕詞とする説もあります。「いづつにかけし」の「かけ」はいくつかの説があるのですが、ここでは「背丈をいづつに掛けて(当てて)測り比べた」という意味の「かけ」としておきます。「し」は自分が経験した過去を表す助動詞「き」の連体形です。「まろ」は自分を指す代名詞で「私」の意です。「過ぎにけらしな」は、「過ぎにけるらしな」が短くなった言い方で、「過ぎてしまったらしいなあ」の意です。「らしな」は現代語の「らしいなあ」に当たる表現です。「らし」は推定の助動詞、「な」は詠嘆の終助詞です。また、「妹」は重要な語です。
木本景子:どんな意味なんですか?
吉田茂:これは男性が「愛しい女性」を指す表現です。逆に女性から見て「愛しい」と思う男性を「背」といい、「背中の背」という漢字を当てます。「見ざるまに」は「見ないうちに」の意味です。通して訳すと、「筒井の井戸の囲いで高さを比べた私の背丈も、その高さを超えてしまったようです。愛しいあなたを見ないうちに」となります。木本さん、歌の大意(おおまかな意味)はどうなりますか?
木本景子:はい。「背丈も伸びて大人になりました。結婚してほしい」という「プロポーズの歌」でしょうか?
吉田茂:その通りです。それに対して女が歌った歌は、「くらべこし 振り分け髪も 肩過ぎぬ 君ならずして 誰か上ぐべき」です。
木本景子:どんな歌になっているんでしょうか?
吉田茂:「くらべこし 振り分け髪も 肩過ぎぬ」。「比べ合いっこした私の振り分け髪も肩を過ぎた」です。「振り分け髪」とは、頭の頂から左右に分けて、肩のあたりで切り揃えた男の子・女の子の髪型で、それも肩を過ぎ長くなったということです。「君ならずして 誰か」は、「君でなくて誰のために」。「あぐ」は、少女の髪型から大人の髪型にするため、髪を上げ、頭の頂で結び、後ろに垂れ下げる形にすることで、「髪上げ」ともいい、女子が成人したことを表します。「長さを比べ合った私の振り分け髪も肩を過ぎました。あなたではなく誰のために『髪上げ』をしましょうか」という意味の歌です。
木本景子:なるほど。男が「自分の背丈が伸びたこと」を歌ったのに対して女は「髪が長くなった」と応じているんですね。
吉田茂:はい。このように詠み交わされた歌を「贈答歌」というのです。男の送った歌に対して、見事に女が答えていることがわかります。男の求婚に対して、直接的な表現は取りませんが、女は「結婚しましょう」と答えたのです。
木本景子:歌の送り合いで、それぞれの思いを伝えていて、とても素敵ですね。
吉田茂:そうですね。そして、「など言い言いて、ついに本意のごとく会いにけり」は、などとお互いに歌を詠み交わして、とうとう元からの望み通り結婚した、というわけです。
――男の行動とそれに対する女の行動や思いを読み取る――
吉田茂:次は「さて、年頃経るほどに、女、親なく頼りなくなるままに」。「はい、そうして『年頃』はここでは『数年』の意味で、数年経つうちに女の親が亡くなり、『頼り』は『経済的な支え』のことです。経済的な支えがなくなるにつれて」となります。
木本景子:今回の初めに、当時の親が経済的支援をすることが多いことを確認しました。
吉田茂:はい、そうです。経済的支援がなくなったのは「痛手」です。「(男は、)もろともに言う甲斐なくてあらんやはとて」は、形容詞「言う甲斐なし」は「言っても仕方がない」というのが元々の意味で、ここでは「惨めだ」の意味になります。男は「女と一緒にいて、惨めな生活をしていられようか」と考えて、「河内の国、高安の郡に、行き通う所出で来にけり」で、「河内の国(今の大阪府)の高安の郡に、新に通っていくところができてしまった」というのです。「あらんやは」の「やは」は「反語」の係助詞です。
木本景子:えっ、別の女のところに通い始めたということですか?
吉田茂:はい、そうなんです。「さりけれど、この元の女、悪しと思える気色もなくていだしやりければ」は、「だが、元の女は、『悪し』は『不快だ』の意味ですから、不快だと思っている様子もなく、男を送り出したので」と続きます。すると、「男、異心ありてかかるにやあらんと思い疑いて」のところでは、「異心」がポイントです。
木本景子:どのような意味になるんでしょうか?
吉田茂:「夫以外の他の男に惹かれる心」のことです。男は、「女が他の男に惹かれる心があって、心地よく送り出すのではないか」と思い疑ってということです。
木本景子:えっ! 自分のことは棚に上げて、ですか? 許せないですよね。それでどうしたんでしょうか?
吉田茂:はい。「前栽の中に隠れて」は、前に「栽培」の「栽」で「前栽」と読みます。「前栽」は「庭の植え込み」のことですから、そこに隠れて座って、「河内へ往ぬる顔にて見れば、いとよく化粧じて、打ち眺めて」は、高安の女のところへ行くふりをして、女の様子を見ていると、女はたいそう念入りに化粧をして、河内の方を眺めて、となります。「眺む」は「物思いに耽りながら、ぼんやりと見やる」の意味を表した重要な動詞です。憔悴の様でぼんやりと見て、歌を詠むのです。ちなみに、「化粧ず」というサ変動詞は、「化粧する」の意味のほか、に「身繕いをする」という意味も表します。
木本景子:歌は、どんな歌を詠んだんですか?
吉田茂:はい。「風吹けば 沖つ白波 たつた山 夜半にや君が ひとり越ゆらむ」。「風が吹くと沖の白波が『立つ』」ことから、「立つ」には「白波が立つ」と、河内の国へ行く途中にある「竜田山」の、二つの意味を持たせています。これを「掛詞」と言います。その「たつ」を介して、「竜田山を夜中にあなたは一人超えているのでしょうか」の意味の歌です。女は夜、別の女のところに通っていく夫のことを心配しているのです。
木本景子:健気というか、こう、深い愛情が伝わってきますね。
吉田茂:はい。「風吹けば 沖つ白波」までは、「たつ」を導く「序詞」です。当時の流行にあった歌と言えます。「と詠みけるを聞きて、限りなく愛しと思いて、河内へも行かずなりにけり」。「愛し」は「愛しい」という意味ですから、妻の歌を聞いて、限りなく愛しいと思って、高安の女のところへは行かなくなったというのです。
木本景子:なにか「歌の力」を感じます。それでは、今回の講座をまとめましょう。学習のポイントは、1.男女の成長と心の変化を理解する、2.男女の歌の贈答を読み味わう、3.男の行動とそれに対する女の行動や思いを読み取る。この三つでした。幼なじみの二人は、歌の贈答によって心を通わせ、めでたく結婚しましたが、妻の親が亡くなり経済的支援を受けられなくなると、男は「惨めな生活をするよりも」と考え、新たな女を作り、通い出すのです。しかし、元の女は不快な様子を見せず、別の女のところに通っていく夫を心配する歌を読みます。それを聞いて男は改心し、高安の女のところには通わなくなったというのです。実は、この話には「続き」があるのです。それは次回読むことにします。さて今回は、吉田茂先生と「筒井筒」の前半を読みました。吉田先生、ありがとうございました。
吉田茂:ありがとうございました。
NHK高校講座 言語文化。木本景子と吉田茂先生でお送りしました。