(♪ オープニング音楽)
河: NHK 高校 講座、言語 文化、始まります。
河: 皆さん、ご機嫌いかがですか。河 実里夏です。今回は絵仏師良秀を読みます。このお話は稚児の空寝と同じ『宇治拾遺物語』に収められているお話なんだそうですね。どんなお話なんでしょうか。講師は 吉田 茂 先生です。よろしくお願いします。
吉田: こちらこそよろしくお願いします。
(♪ 音楽)
吉田: 今回と次回の2回にわたって『宇治拾遺物語』に収められてる説話を読んでいきます。
河: 『宇治拾遺物語』は鎌倉時代初期の説話集ということでしたが、どれくらいの説話が収められているんですか?
吉田: 200 近い説話が収められています。でも『宇治拾遺物語』よりも前に成立した『今昔物語集』などの説話集と共通する話も少なくありません。
河: なぜなんでしょうか?
吉田: 説話集そのものが民間に伝わる面白い話を、いろいろな人から聞き取って編まれたものなので、複数の説話集に載るということがあるんだと思います。
吉田: 今回読む「絵仏師良秀」も『宇治拾遺物語』よりも後、鎌倉時代の中ごろに成立した『十訓抄』という説話集に同じ話が載っています。『十訓抄』とは数字の十に教訓の訓、手偏に少ないの抄と書きます。でもそれは『宇治拾遺物語』からの影響と考えられますので、絵仏師良秀は『宇治拾遺物語』のオリジナルと考えてよいと思います。
河: ということは、『十訓抄』の作者は絵仏師良秀を面白いと思ったんですね。
吉田: そうだと思いますよ。
河: どんな面白いお話なんでしょうか。楽しみです。
河: それでは、今回の学習のポイントです。一、良秀の人物像を読み取る。 二、動詞の活用 その一。 三、良秀の心情と行動の意味を考える。以上の三つです。それでは、学習を始めましょう。
(♪ ジングル)
表題: 良秀の人物像を読み取る
吉田: それでは、絵仏師良秀の前半の朗読を聞いてみましょう。朗読は 高山 久美子さんです。
高山 (朗読): これも今は昔、絵仏師良秀というありけり。
高山 (朗読): 家の隣より火出で来て、風押し覆いて攻めければ、逃げ出でて大路へ出でにけり。
高山 (朗読): 人の書かする仏も御座しけり。また衣着ぬ妻子なども、さながら内にありけり。
高山 (朗読): それも知らず、ただ逃げ出でたるをことにして、向いのつらに立てり。
高山 (朗読): 見れば、すでに我が家に移りて、煙、炎、燻りけるまで、大方向いのつらに立ちて眺めければ、
高山 (朗読): 「あさましきこと」とて、人ども来訪いけれど、騒がず。
高山 (朗読): 「いかに」と人言いければ、向いに立ちて、家の焼くるを見て、うちうなづきて、時々笑いけり。
吉田: では、本文を読んで解釈していきます。
吉田: これも今は昔、絵仏師良秀というありけり。
吉田: 「これも今は昔」と始まっています。「これも今となっては昔の話だが」という、説話に多く用いられる書き出しです。
河: あ、そうですね。以前読んだ「稚児の空寝」も同じ書き出しでした。説話集『宇治拾遺物語』の多くは「これも今は昔」で始まるんですよね。
吉田: その通りです。
吉田: 絵仏師とは、寺などに飾る仏像や仏の絵を描くことを仕事にしている人です。これも今は昔のことだが、絵仏師の良秀という人がいた、となります。
吉田: 河さん、そういうお仕事をされている方をどのように想像されますか?
河: そうですね、真面目な人、仏さまの絵を描く人ですから、信仰心に厚い人、そのために尊敬されているイメージでしょうか。
吉田: そうですね。そのように想像される絵仏師良秀の... 家の隣より火出で来て。
吉田: これは現代語訳する必要はなく、わかりますね。
河: はい、わかります。良秀の家の隣から火が出てきた。つまり、隣の家が火事になった、ということですよね。
吉田: その通りです。良秀の隣の家から出火した火が、
吉田: 風押し覆いて攻めければ。
吉田: 風が火に覆いかぶさるように吹いたため、火が迫ってきたので、
吉田: 逃げ出でて大路に出でにけり。
吉田: 以前、現代語訳をする際の注意点で触れましたが、ここでは主語を補って、良秀は自分の家から逃げ出して大きな通りに出た、というわけです。
河: わあ、助かったーという感じでしょうか。
吉田: はい。
吉田: でも、人の書かする仏も御座しけり。
吉田: ここの「御座しけり」の「御座し」は、仏を敬う尊敬語ですから、家の中には人が注文して良秀に書かせている仏もいらっしゃった。
吉田: 仏ばかりではありません。
吉田: また衣着ぬ妻子などもさながら内にありけり。
吉田: また、衣着ぬ妻子、夜、衣を脱いでそれを上に掛けて寝ていた妻や子も。「さながら」はそっくりそのままの意ですから、妻や子もそのまま、まだ家の中で寝ているのです。
河: え、良秀は助けに行かないのですか?
吉田: そうなんです。良秀という男は仏の絵も、さらに妻子までも残して、自分一人だけで逃げ出したのです。
河: 最初想像した人物像と全然違いました。
吉田: はい。
吉田: 続きは、それも知らず、ただ逃げ出でたるをことにして、向いのつらに立てり。
吉田: 「それも知らず」は「お構いなく」とか「無視して」とかです。
吉田: ただ自分が逃げ出したのを、次の「こと」は訳が難しいのですが、「特別なこと」「幸いなこと」と訳すといいですね。ですから、「ただ自分だけが逃げ出したことを幸いなこととして」と訳しましょう。
吉田: 「つら」は、あるものに面したところを指しますので、大路に面した向こう側に立っているのです。
河: はあ、信じられないです。良秀さん、それでいいのって思います。
吉田: そうですね。
(♪ ジングル)
表題: 動詞の活用 その一
吉田: 今回は動詞の活用を学んでいきましょう。さっき読んだ「向いのつらに立てり」の「立て」が動詞です。立ちて眺めければの「立ち」も同じ動詞です。同じ意味の動詞ですが、語の形が変化しています。
河: これを活用しているというのでしたね。
吉田: はい。変化していない部分「立」を語幹、変化している部分「て」「ち」を活用語尾、または語尾と言います。この動詞は、未然形・連用形・終止形・連体形・已然形・命令形の順に活用させると、「立・立・立・立・立・立」と、タ行のア段・イ段・ウ段・エ段の四段にわたって活用します。このような活用を四段活用と言います。
河: なるほど。とすると、「立つ」はタ行四段活用の動詞なんですね。
吉田: はい、その通りです。
吉田: そして、先ほど解釈した「衣着ぬ」の「着」は、語幹と語尾とが区別できない動詞で、「着・着・着る・着る・着れ・着よ」と活用します。全て「キ」のイ段の音が共通します。五十音図を思い浮かべてください。イ段は真ん中のウ段より上にありますね。ですから、上一段動詞と言います。子音を外して活用させれば、「い・い・いる・いる・いれ・いよ」となります。後に出てくる「見れば」の「見る」も同じ上一段動詞です。
吉田: 河さん、この「見る」を活用させてください。
河: はい。えー、マ行で活用させればいいわけですから、「見・見・見る・見る・見れ・見よ」でしょうか。
吉田: はい、その通りです。さっきの「着る」はカ行上一段動詞、今の「見る」はマ行上一段動詞です。
吉田: 次は下一段動詞です。これは「蹴る」の一語のみです。古文では蹴鞠の場面で出てきます。鹿の皮で作った鞠を蹴り合って遊んだり、競ったりします。「蹴る」は「蹴・蹴・蹴る・蹴る・蹴れ・蹴よ」と活用します。
河: イの音が「エ」の音に変わりましたね。先ほどの「着る」はイ段で活用したので上一段動詞だったんですが、この「蹴る」はエの段の音で活用するので下一段動詞と言うんですね。
吉田: はい、その通りです。上一段活用を覚えておけば応用できますね。
吉田: 次は、大路へ出でにけりの「出で」です。「出で」の終止形は語尾の「で」の音をウ段の音に変えればいいので、「出づ」です。「出づ」を活用させると、「出で・出で・出づ・出づる・出づれ・出でよ」となります。語尾の子音を取ると「え・え・う・うる・うれ・えよ」となります。エ段とウ段の音にわたっていますから、下二段活用と言います。
河: ということは、「出づ」はダ行下二段動詞ですか?
吉田: そうです。
吉田: また、逃げ出でての「逃げ」の終止形・基本形は「逃げる」ではなく、語尾の「げ」をウ段の音に変えて「逃ぐ」となります。活用させると、「逃げ・逃げ・逃ぐ・逃ぐる・逃ぐれ・逃げよ」となります。上一段動詞に対して下一段動詞があったように、下二段動詞に対して上二段動詞もあるのです。
河: 上二段ですか?
吉田: 絵仏師良秀には出てきていませんので、現代語の「起きる」の古語を借りて説明しましょう。古語の終止形は「起きる」ではなく「起く」です。「起き・起き・起く・起くる・起くれ・起きよ」と活用し、イ段とウ段に活用していますので、「起く」はカ行上二段動詞と説明できます。前と同様に、語尾の子音を外してしまえば、「い・い・う・うる・うれ・いよ」となります。
河: なるほど。下二段活用の「エ」が「イ」に変わっただけですね。
吉田: そうですね。ここまで学んだだけでも、四段、上一段、下一段、上二段、下二段活用の5種類があります。また、これらの活用の動詞には法則性がありますので、子音を外したものを書き出してみるとよいと思います。するとその法則性がよくわかりますよ。
河: ああ、ではその法則を覚えればいいんですね。
吉田: そうですね。その法則性を頭に入れることが、動詞の活用を覚える早道だと思います。
吉田: 活用は他にもあるのですが、それは次回学ぶことにしましょう。
(♪ ジングル)
表題: 良秀の心情と行動の意味を考える
吉田: それでは、絵仏師良秀の解釈に戻りましょう。
吉田: 見れば、すでに我が家に移りて。
吉田: ここも主語がありませんが、「すでに我が家に移りて」とありますので、良秀が見ると、火はすでに自分の家まで燃え移って、となります。
吉田: 煙、炎、燻りけるまで。
吉田: 煙や炎が立ち上がった時まで。ここでも「時」を補うとわかりやすくなりますね。
河: はい。
吉田: 大方向いのつらに立ちて眺めければ。
吉田: 良秀は通りの向かい側に立って、自分の家の燃えるのを眺めていたのです。
河: 家の中には妻子もいるんですよね。
吉田: はい、そうです。ここで周りの人たちはこう言うんです。
吉田: あさましきこと。
吉田: 古語の「あさまし」は、予想と違ったことに驚き呆れた、という気持ちを表す形容詞です。
河: 現代語の「あさましい」とは少し意味が違いますね。
吉田: はい。ここでは「驚き呆れて、たいへんなことですね」となります。
吉田: 来訪いけれど騒がず。
吉田: 「訪い」には訪問するの意もありますが、ここでは「見舞う」の意で「たいへんですね」と言って、近くの人たちが火事見舞いに来たけれど、良秀は少しも騒がない、というのです。
河: 自分の家が焼けてたらバタバタ慌てますよ。ましては妻子が中にいるんですから。どうしよう、どうしようと思
吉田: そうですよね。でも良秀は騒がず、ただ黙って燃える火を見つめているのです。
河: なぜなんでしょうか。
吉田: はい。なぜでしょうか。
吉田: 「いかに」と人言いければの、この「いかに」は現代語でも使う副詞です。「どうしたのですか」と見舞いの人が言うと、
吉田: 向いに立ちて、家の焼くるを見て、うちうなづきて、時々笑いけり。
吉田: 通りの向かいに立って、自分の家が焼けるのを見て、ふむふむとうなづいては、時々笑っていた、というのです。
河: 良秀さん、どうしてしまったのでしょうか。
吉田: どうでしょう。
吉田: ここまで良秀の行動を見てきました。まとめますと、隣の家が火事になったので、仏の絵や妻子などお構いなしで一人逃げ出す。自分の家にも火が移ってきても、慌てず騒がず、じっとその燃える様を見ている。そしてうなづいて、時々笑っていた、というのです。良秀の行動についてはわかったと思いますが、良秀の心理はどのようなものだったんでしょうか。この続きは次回読むことにしましょう。
(♪ 音楽)
河: さて、今回の講座のポイントをまとめておきましょう。学習のポイントは、一、良秀の人物像を読み取る。二、動詞の活用 その一。三、良秀の心情と行動の意味を考える。この三つでした。
吉田: まず絵仏師とは、寺などに納める仏像の絵や仏さまの絵を描くことで生活している人です。初めに河さんが信仰心に厚く、周りから尊敬される人が想像されるとおっしゃいましたが、どうもそのような人物ではなく、良秀は薄情にも家の中にいる妻子を放っておいて、一人逃げ出して、通りの向こうから自分の家が燃えているのを見ているのです。
河: 想像したイメージと全く違ってました。
吉田: そうですよね。
吉田: 次に動詞の活用を学びました。これを覚えるには口で唱えるのもいいですが、紙に書き出してみるのもいいですね。
河: はい。
吉田: また、法則性に注目すると覚えやすいと思います。
吉田: さて、この良秀、火事見舞いに来た人々から「たいへんですね」と声をかけられても無反応で、ただじっと燃える
河: 良秀の行動は読み取れたのですが、そのような行動が良秀のどのような心情と関係があるのか、まだよくわかりません。謎ですね。
吉田: そうですね。その謎を解き明かすために、次回はこの続きを読んでみましょう。
(♪ 音楽)
河: さて、今回は 吉田 茂 先生と絵仏師良秀の前半を読みました。吉田先生、ありがとうございました。
吉田: ありがとうございました。
河: NHK 高校講座、言語文化。河 実里夏と、吉田 茂 先生でお送りしました。
(♪ エンディング音楽)
(♪ 音楽)
河: NHK 高校 講座、言語 文化、始まります。
河: 皆さん、ご機嫌いかがですか。河 実里夏です。今回は前回に続いて、絵仏師良秀の後半を読んでいきましょう。前回は良秀が燃える家を見てうなづいているところまででした。続きはどうなるんでしょうか。講師は 吉田 茂 先生です。よろしくお願いします。
吉田: こちらこそよろしくお願いします。
(♪ 音楽)
吉田: 今回は絵仏師良秀の後半を読みます。前回は絵仏師の良秀の家が火事になったのですが、良秀は道の向かいに立って、仏の絵や妻子が家の中に残っているのに、自分の家が燃えるのをうなづきながら見ている、というところまででした。
河: そうでしたね。うなづくだけでなく、時々笑っていましたね。
吉田: はい。前回少し触れた『十訓抄』には、「うちうなづき、うちうなづきして、時々笑いて」と書かれています。ですからここは、ちょっとうなづいて、ではなく、何度もうなづいて、と読んだほうがよいと思います。そして良秀はうなづくだけでなく笑っていた、というのです。
河: なぜ家が燃えるのを見てうなづいて笑っていたんでしょうか。続きが気になりますね。
河: それでは、今回の学習のポイントです。一、良秀の言葉の意味を読み取る。二、動詞の活用 その二。三、良秀の絵に対する姿勢を考えた後、この話の影響を理解する。以上の三つです。それでは、学習を始めましょう。
(♪ ジングル)
吉田: それでは、絵仏師良秀の後半の朗読を聞いてみましょう。朗読は 高山 久美子さんです。
高山 (朗読): あはれ、しつる聖徳かな。 年頃はわろく書きけるものかな、と言ふ時に、 訪ひに来るものども、 こはいかに、かくては立ち給へるぞ。 あさましきことかな。ものの憑き給へるか、と言いければ、 なんでふものの憑くべきぞ。 年頃不動尊の火炎をあしく書きけるなり。 今見れば、かうこそ燃えけれと心得つるなり。 これこそ聖徳よ。 この道を立てて世にあらむには、仏だに良く書き奉らば、 百千の家も出で来なむ。 わ堂達こそ、させる能も御座せねば、ものをも惜しみ給へ、 と言ひて、あざ笑ひてこそ立てりけれ。
高山 (朗読): その後にや、良秀がよぢり不動とて、今に人々愛で合へり。
(♪ ジングル)
表題: 良秀の言葉の意味を読み取る
吉田: では、解釈をしていきます。
吉田: あはれ、しつる聖徳かな。
吉田: 「あはれ」は「ああ」という意味の感動詞です。「ああ、たいへんな儲け物をしたことよ」というのです。「聖徳」は漢字を当てれば「所得」、収入の意味の「所得」の意味で、これを「儲け物」と訳したのです。
吉田: 年頃はわろく書きけるものかな。
吉田: 「年頃」はここでは「長年」がよいでしょう。仏の絵を長年不十分に書いてきたものだな、です。「かな」は現代でも「素晴らしきかな人生」などと古めかしい言い方がありますが、その「かな」ですね。文法的には詠嘆の助詞と言います。「あはれかな」と感動表現が連続して用いられるところに注意したいですね。良秀は自分の家が燃えるのを見て、「儲け物だ」「不十分な絵であった」と強く思って言葉を発していることがわかります。
河: なるほど。
吉田: 火事見舞いに来ている者たちは、
吉田: こはいかに、かくては立ち給へるぞ。あさましきことかな。ものの憑き給へるか、と言うのです。
吉田: 難しいところですね。現代語訳しますと、「これはまたどうして、このようにお立ちになっているのですか」ということです。そして「あさまし」。これは2度目の登場です。
河: 前回は「たいへんですね」と訳しました。
吉田: そうでしたね。ここでは本来の意味、「驚き呆れる」ですから、「驚き呆れたことよ」と訳します。そして「もの」という言葉は、古文では正体がわからず、人間に害をなすものを指すことがあるのです。「物の怪」の「もの」もそうで、人間に害をなす霊を指しています。ですから、「何か霊が取り憑いていらっしゃるのか」となります。妻子を助けようともせず、家の燃えるのを見てうなづいたり笑ったりしている、その良秀を心配しての言葉でしょう。
河: 家が燃えるのを見てうなづいたり笑ったりしてたら、そう思われますよね。
吉田: はい。それに対して良秀は、
吉田: なんでふものの憑くべきぞ。年頃不動尊の火炎をあしく書きけるなり。
吉田: 今の出だしのところは、元の文章では「なんでふ」と書いてありますが、「なんじょう」と読みました。これは現代語の「なんでそうするの?」の「なんで」と同じですから、「どうして霊が取り憑くはずがあろうか。いや、霊に取り憑かれてなどいない」と、きっぱり否定します。そして、「長年不動尊の火炎(炎)をひどく、下手に書いたものだ」と言っているのです。不動尊は不動明王のことで、この仏は背後に火炎を背負った姿で描かれますね。
河: そういう仏さまなんですね。
吉田: そうなんです。
吉田: 今見れば、かうこそ燃えけれと心得つるなり。
吉田: 今見ると、炎はこのように燃えていたのだと、わかったのだ、と続けます。
河: どういうことですか?
吉田: 今まで何度も炎の絵を描いてきたが、全て下手であったということを、自分の家の燃える火炎を見て思い知った、ということです。
吉田: だから、これこそ聖徳よ。この道を立てて世にあらむには、仏だに良く書き奉らば、百千の家も出で来なむ、と言います。
吉田: 「これこそ儲け物だ。この絵の道を職業として世を生きていくからには」となって、次の「奉る」は謙譲語で、仏さまを敬う謙譲語です。「見事な仏画を描き申し上げるならば、どんどん注文も入り豊かになり、百千の家も建てることができるだろう」と、良秀は言っています。
河: だから良秀はうなづいて笑っていたんですね。
吉田: はい。
吉田: さらに良秀は続けます。
吉田: わ堂達こそ、させる能も御座せねば、ものをも惜しみ給へ、と言ひて、あざ笑ひてこそ立てりけれ。
吉田: 「お前さんたちこそ、さほどの才能も御ありでないので、物を惜しみなさるのだ」と言って、あざ笑いながら立っていた、というのです。
河: なるほど。見舞いに来た人々を指して、さほどの才能がない者は物を惜しむものだ。おれは違うがね、ふふふふ、という感じでしょうか。
吉田: その通りです。ここまで読んでくれば、良秀がうなづいて笑っていた時の心情が想像できますね。
河: はい、謎が解けました。でも、絵仏師ですから、見事な仏画を描いて絵の道を極めたいという良秀の気持ちには共感できますが、妻子のことを顧みず、仏画のことばかり考えているのは、どうでしょうか。
吉田: そうですね。でも妻子のことを顧みず、仏画の道に身を捧げるような生き方も、もしかしたらあるのかもしれませんね。あまりに傲慢なのはいけませんが、どこかで良秀のような生き方に憧れる人もいるのではないのでしょうか。
河: 確かに、私もちょっと憧れる部分もありますね。良くも悪くも、良秀は強烈な人です。
吉田: はい。
(♪ ジングル)
表題: 動詞の活用 その二
吉田: 今回も前回に続いて、動詞の活用について学んでいきましょう。前回は規則的に活用する動詞を5種類説明しました。
河: はい。えーっと、四段、上一段、下一段、上二段、下二段活用の5種類でしたね。
吉田: そうです、その5種類です。その他に、古文では不規則に活用する動詞の4種類があります。カ行変格活用、サ行変格活用、ナ行変格活用、ラ行変格活用です。これを横に並べて書き、一番上の字だけを読むと「カサナラ」となり、「ない」をつけて「カサナラない変格活用」と覚えるとよいでしょう。
河: なるほど。「カサナラない」ですね。
吉田: カ行変格活用は現代語の「来る」で、古語では終止形である基本形は「来」となります。この動詞の前に別の動詞、たとえば「出で」がつくような複合動詞を除けば、カ行変格活用の動詞は「来」一語です。
河: 一語しかないんですか?
吉田: そうなんです。未然形から已然形まで、「来・来・来・来る・来れ」となり、命令形は「来」「来よ」の二つの活用を持ちます。
吉田: サ行変格活用は、現代語の「する」にあたる「す」と、今回出てきた「御座す」の二語です。「せ・し・す・する・すれ・せよ」と活用します。「仏も御座しけり」の「御座し」は、サ行変格活用の動詞「御座す」の連用形と文法的に説明できます。最後の方に出てきた「能も御座せねば」の「御座せ」は、サ行変格活用の動詞「御座す」の未然形です。
河: なるほど。
吉田: 次に、ナ行変格活用は「死ぬ」と、何処そこへ「行く」の意を表す「往ぬ」の二語のみです。ナ行変格活用の活用語尾は、「な・に・ぬ・ぬる・ぬれ・ね」と活用します。
吉田: 河さん、「往ぬ」はどのように活用しますか?
河: はい。語幹を含めて活用させるんですよね。えー、「往な・往に・往ぬ・往ぬる・往ぬれ・往ね」ですか?
吉田: はい、その通りです。
吉田: 最後のラ行変格活用の動詞には、「あり」「をり」(これはワ行の「を」です)、「はべり」「いまそかり」(これは「いますかり」となることがあります)が、この四語だけです。ラ行変格活用の活用語尾は、「ら・り・り・る・れ・れ」となります。ラ行変格活用の終止形が「り」であるのに対し、ラ行四段活用では「る」となりますので、そこだけが違って他は同じです。
河: なるほど、覚えやすいですね。
吉田: はい。「世にあらむには」の「あら」を文法的に説明すると、ラ行変格活用の動詞「あり」の未然形となります。ここまで変格活用の4種類を説明してきました。これらの変格活用に属する動詞は数が少ないので、そのまま覚えてしまうとよいですね。
河: そうですね。これくらいなら覚えられるかもしれません。
(♪ ジングル)
表題: 良秀の絵に対する姿勢を考えた後、この話の影響を理解する
河: 良くも悪くも強烈な良秀でしたが、最終部分も気になりますので、解説をお願いします。
吉田: はい。
吉田: その後にや、良秀がよぢり不動とて、今に人々愛で合へり。
吉田: 「その後のことか、良秀の書いた絵を『良秀のよぢり不動』と言って、今でも人々は賞賛し合っている」ということです。良秀「が」の「が」は、現代語の「の」にあたります。
河: 先生、「よぢり不動」って何ですか?
吉田: 「よぢり不動」とは、不動尊が背負う火炎がリアルに再現され、よぢれたように描かれ、さらにその火炎のために身をよぢらせているような姿として不動明王を描いた仏画のことです。その仏画は良秀が亡くなった今でも、人々によって賞賛され続けている、というのです。
河: なるほど。良秀は傑作を描くことができたということですね。
吉田: はい。火事の際に、妻子や家のことよりも、燃え上がる火炎を見て不動尊の火炎を描くヒントを得たことが、彼の喜びだったのでしょう。そしてその経験を絵に表現して、本物の不動尊を描くことができたことに、何よりの幸せを感じたのだと思います。
河: 彼にとって一番大切なのは、家でも妻子でもなく、仏画、芸術だったということでしょうか。
吉田: その通りです。現代であればこの強烈な個性は人間として非難されるかもしれませんが、『宇治拾遺物語』の書かれた時代では、良秀が道徳的であろうがなかろうが、芸術に身を捧げ、名作を残した人物に興味のあった人々が多かった、ということを物語る話だと思います。だから絵仏師良秀の話を説話の一つとして書き残す意味があったのです。
河: なるほど。良秀の人物をどう評価するかは別として、この男の強烈な個性、また、妻子などに目もくれず芸術だけに人生を捧げようとした良秀の生き方に、強い興味を持った人々がいた、ということですね。
吉田: その通りです。後の時代ですが、その一人が近代の作家である芥川龍之介です。芥川は後で学ぶように『今昔物語集』の話から材料を得て「羅生門」を書きました。それと同様に、芥川はこの絵仏師良秀の話などから想を得て、「地獄変」という小説を書きました。河さん、お読みになったことはありますか?
河: 読んだことなかったんですけど、今回のお話を聞いて読んでみたいと思いました。
吉田: そうですか。皆さんもぜひお読みください。
吉田: 芸術の鬼のような良秀の姿は、『宇治拾遺物語』で提示され、それが前に触れた『十訓抄』に引き継がれ、それがだいぶ時代を隔てて近代になって芥川の小説「地獄変」、そして戦後、同名の歌舞伎や映画がそれを継承しました。ここに良秀にまつわる言語文化の連続性を見ることができます。
(♪ 音楽)
河: さて、今回の講座のポイントをまとめておきましょう。学習のポイントは、一、良秀の言葉の意味を読み取る。二、動詞の活用 その二。三、良秀の絵に対する姿勢を考えた後、この話の影響を理解する。この三つでした。
吉田: 今回の内容をまとめておきましょう。良秀は仏画や妻子もろとも家が焼けてしまっても、不動尊の背負う火炎(炎)がうまくかければよいと考える人物でした。また、火事見舞いに来た人々を下すんでいました。
河: はい。
吉田: 動詞の活用では、変格活用の4種類を学びました。属する語が少ないので、覚えてしまいましょう。
吉田: そして、良秀の絵は火炎の見事さと、その火炎のために身をよじっているかのような不動尊の絵は評判となり、後の世でも賞賛されたという話でした。絵仏師良秀の話は後、形は変わりますが、現代まで継承されてきたことに触れました。これはこの話が現代でも人間の生き方を考えさせる材料となっていることを意味するのだと思います。
(♪ 音楽)
河: さて、今回は 吉田 茂 先生と絵仏師良秀の後半を読みました。吉田先生、ありがとうございました。
吉田: ありがとうございました。
河: NHK 高校講座、言語文化。河 実里夏と、吉田 茂 先生でお送りしました。
(♪ エンディング音楽)