NHKえぬえいちけい高校こうこう講座こうざ 言語げんご文化ぶんかはじまります。ご機嫌きげんいかがですか?かわ実里夏みりかです。今回こんかい芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ小説しょうせつ羅生門らしょうもん』の4回目かいめです。講師こうし斎藤さいとうゆう先生せんせいです。よろしくおねがいします。

斎藤さいとう:はい、よろしくおねがいします。今回こんかい芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけの『羅生門らしょうもん』をんでいきましょう。

かわ:それでは、今回こんかい学習がくしゅうのポイントを紹介しょうかいします。
下人げにん決意けつい
老婆ろうばえがかれかた
全体ぜんたいかえ
この3つです。それでは、学習がくしゅうはじめましょう。

下人げにん決意けつい

斎藤さいとう:まずは、今回こんかい学習がくしゅうする箇所かしょ朗読ろうどくいてみましょう。朗読ろうどく高山たかやま久美子くみこさんです。

高山たかやま下人げにんは、老婆ろうばこたえが存外ぞんがい平凡へいぼんなのに失望しつぼうした。そうして失望しつぼうすると同時どうじに、またまえ憎悪ぞうおが、ややかな侮蔑ぶべつといっしょに、こころなかはいってきた。
するとその気色けしき先方せんぽうへもつうじたのであろう。老婆ろうば片手かたてに、まだ死骸しがいあたまからったながったなり、ひきのつぶやくようなこえくちごもりながら、こんなことをった。
「なるほどな。しびとの髪の毛かみのけくということも、なんぼうわるいことかもしれぬ。じゃが、ここにいるしびとどもは、みな、そのくらいなことをされてもいい人間にんげんだぞよ。現に、わしが今髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと言うて、太刀帯の陣へ売りに行ったわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに行っていたことであろう。それもよ、この女の売る干魚は味が良いと言うて、太刀帯どもが欠かさず、菜料に買っていたそうな。わしは、この女のしたことが悪いとは思っていない。せねば、餓死をするのじゃて、仕方なくしたことであろう。うされば今また、わしのしていたことも悪いこととは思わぬぞよ。これも、やはりせねば、餓死をするじゃ。仕方なくすることじゃわいの。じゃ、その仕方がなということをよく知っていたこの女は、おおかたわしのすることも、大目に見てくれるであろう」
老婆ろうばはだいたいこんな意味いみのことをった。
下人げにん太刀たちさやおさめて、その太刀たちつかひだりおさえながら、冷然れいぜんとしてこのはなしいていた。もちろん、みぎでは、あかほううみったおおきな面皰にきびにしながらいているのである。しかし、これをいているうちに、下人げにんこころには、ある勇気ゆうきまれてきた。それはさっき、もんしたでこのおとこにはけていた勇気ゆうきである。そうしてまたさっき、このもんうえがってこの老婆ろうばとらえたとき勇気ゆうきとは、全然ぜんぜん反対はんたい方向ほうこううごこうとする勇気ゆうきである。下人げにん餓死うえじにをするか盗人ぬすびとになるかにまよわなかったばかりではない。そのときのこのおとこ心持こころもちからえば、餓死うえじになどということも、ほとんどかんがえることさえできないほど、意識いしきそとされていた。
「きっとそうか」
老婆ろうばはなしわると、下人げにんあざけるようなこえねんした。そうして一足ひとあしまえると、不意ふいみぎ面皰にきびからはなして、老婆ろうば襟上えりがみつかみながら、みつくようにこうった。
「では、おれが剥剥はぎはぎをしようとうらむまいな。おれもそうしなければ、餓死うえじにをするからだなのだ」
下人げにん素早すばや老婆ろうば着物きものった。それからあしにしがみつこうとする老婆ろうばを、手荒てあら死骸しがいうえ蹴倒けたおした。梯子はしごくちまではわずかに5かぞえるばかりである。下人げにんった檜皮色ひわだいろ着物きものわきかかえて、またたくきゅう梯子はしごそこけりた。
しばらく、んだようにたおれていた老婆ろうばが、死骸しがいなかからそのはだかからだこしたのは、それからもなくのことであった。老婆ろうばはつぶやくような、うめくようなこえてながら、まだえているひかりたよりに、梯子はしごくちまでっていった。そしてそこから、みじか白髪しらが逆様さかさまにして、もんしたのぞんだ。外には、ただ、黒黒こくこく洞洞とうとうたるがあるばかりである。
下人げにん行方ゆくえは、だれもらない。

斎藤さいとう:まずは、老婆ろうばはなし整理せいりからはじめてみましょう。老婆ろうば弁解べんかいはおおよそ、つぎのような意味いみです。現代語げんだいごしめしてみます。かわさん、んでみてください。

かわ:「なるほど、死人しにん髪の毛かみのけくというのは、どんなにかわるいことなのかもしれない。しかし、ここにいる死人しにんたちはみな、そのくらいなことをされてもいいものばかりだ。現に、わたし髪の毛かみのけいていたおんなは、へびってしたものを『干魚ほしうおだ』とって、護衛ごえいつとめる役人やくにんたちへりにっていた。役人やくにんたちもこのおんな干魚ほしうおあじいとって、かならずおかずとしてもとめていたほどだ。しかし、わたしはこのおんなのしたことをわるいとは思っていない。そうしなければ餓死うえじにをしてしまうから、仕方しかたなくしたことだろうから。だからいまわたしがしていることも、わるいことだとは思わない。これもまた、そうしなければ餓死うえじにをしてしまうので、仕方しかたなくしていることだからだ。それをよくわかっていたこのおんなは、わたしのすることをゆるしてくれるだろう」。――ひらなおったかんじがしますね。

斎藤さいとう:そうですよね。老婆ろうばはなしは、死人しにん髪の毛かみのけくのはわるいことかもしれないとことわりながらも、『羅生門らしょうもん』がかれた悲惨ひさん状況じょうきょうや、死骸しがい生前せいぜん様子ようす、そして現在げんざい自分じぶんてららしわせると、免責めんせきされる。すなわちつみ責任せきにんわれるようなことにはならない、という自己じこ弁護べんごになっています。通常つうじょう方法ほうほうではきていけないことを前提ぜんていとし、その立場たちばまれたものとして、餓死うえじにをしないためにかんがえた結果けっか選択せんたくなのだということをうったえているのです。一方いっぽう、ついさきほどまでろううえ得体えたいれない不気味ぶきみなものがひそんでいると恐怖きょうふしていた下人げにんは、老婆ろうば言葉ことば冷然れいぜんいています。

かわ下人げにん様子ようすがだいぶわりましたね。

斎藤さいとう:はい。相手あいてしたやかな態度たいどかくしません。老婆ろうば生死せいし自分じぶんにぎられていることにづいた下人げにんは、それまでおさえがたくがっていた「憎悪ぞうおこころ」をましてしまいます。自分じぶん腕力わんりょく老婆ろうばをねじふせた下人げにんは、相手あいてるにらない存在そんざいであることをみとめ、憎悪ぞうお対象たいしょうけるにはふさわしくないとかんじたのでしょう。ようするに、相手あいてくびってもいいものだとさげすんだのです。そして、下人げにんには、もんしたではけていた「ある勇気ゆうき」がまれます。

かわ:どんな勇気ゆうきなんでしょうか?

斎藤さいとう:この作品さくひんなかでは、「勇気ゆうき」はたびたび登場とうじょうしています。はじめは冒頭ぼうとうです。――下人げにんは、手段しゅだんえらばないということを肯定こうていしながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然とうぜんそのあとたるべき「盗人ぬすびとになるよりほかに仕方しかたがない」ということを、積極的せっきょくてき肯定こうていするだけの、勇気ゆうきずにいたのである。――
つぎが、――下人げにんにとっては、このあめに、この『羅生門らしょうもん』のしたで、死人しにん髪の毛かみのけくということが、それだけで、すでにゆるすべきからざるあくであった。――という、老婆ろうばとらえたとき勇気ゆうき。そして最後さいごが、――しかし、これをいているうちに、下人げにんの心には、ある勇気ゆうきまれてきた。――という箇所かしょの「ある勇気ゆうき」です。

かわ:だんだんわってきていますね。

斎藤さいとう:そうですね。では、老婆ろうばはなしいたあとなぜ下人げにんにこの「ある勇気ゆうき」がまれてきたのでしょうか。それをかんがえるために、まず「勇気ゆうき条件じょうけん」についてかんがえてみましょう。勇気ゆうきってえませんよね。でも、勇気ゆうきがあるとわたしたちがおもうのは、いのなかに「勇気ゆうきがなければできないこと」をっているからです。勇気ゆうきあるいの前提ぜんていとなるのは、つぎのような条件じょうけんとして想定そうていされます。
① それをなすには、おおきな危険きけん恐怖きょうふともなうこと。
おおきな危険きけん恐怖きょうふ克服こくふくしなければならないこと。
③ そのうえで、実行じっこううつされなければならないこと。
④ ただし、無謀むぼうとならぬよう、リスクを見積みつも必要ひつようがあること。
価値かち、あるいは意義いぎある行為こういでなければならないこと。
この5つです。

かわ:『羅生門らしょうもん』にはどのようにあてはまるんでしょうか?

斎藤さいとう比較ひかくのために、「老婆ろうばとらえたとき勇気ゆうき」と、最後さいごの「ある勇気ゆうき」の2てんについてかんがえます。『羅生門らしょうもん』のろううえのぼ梯子はしごあしをかけた下人げにんは、楼上ろうじょう人間にんげん気配けはいかんじ、かくしながらおそおそろううえのぞんでいました。

かわ:「頭身とうしんふとる」の場面ばめんですね。

斎藤さいとう:そうです。あの場面ばめん下人げにん獲得かくとくした勇気ゆうき背景はいけいを、こんなふうにとらかえすことができます。ろううえるには、さきほどの「勇気ゆうき条件じょうけん」の①、おおきな危険きけん恐怖きょうふともなっていました。下人げにん楼上ろうじょう人物じんぶつをさらすことは、当然とうぜん危険きけん恐怖きょうふともないます。つづいて、勇気ゆうき条件じょうけん②、そのおおきな危険きけん恐怖きょうふを、下人げにん克服こくふくしなければならず、③、危険きけん恐怖きょうふ承知しょうちのうえで楼上ろうじょうることが、実行じっこううつされなければなりません。ただし、勇気ゆうき条件じょうけん④、無謀むぼうとならぬよう、老婆ろうば見定みさだめてその様子ようすをうかがい、⑤、「あくにくこころ」をれることによって、老婆ろうばうことに「正義せいぎ」という価値かちまれています。
一方いっぽう最後さいごてくる「ある勇気ゆうき」は、端的たんてきえば「盗人ぬすびとになる勇気ゆうき」のことですが、冒頭ぼうとう場面ばめんからあきらかなように、①、盗人ぬすびとになることにはおおきな危険きけん恐怖きょうふともない、②、その危険きけん恐怖きょうふ克服こくふくし、③、そのうえで実行じっこううつされなければなりません。くわえて、④、無謀むぼうとならぬようリスクを見積みつもって、⑤、自分じぶんきるという「価値かち」、あるいは「意義いぎ」のための勇気ゆうき、ということになります。
下人げにんは、老婆ろうばはなしいたあとあざけるようなこえで「きっとそうか」とねんしているように、咄嗟とっさ衝動しょうどう行動こうどうしたわけではありません。「やかな侮蔑ぶべつ」という表現ひょうげんにもえるように、下人げにん老婆ろうば着物きものをはぎるという行為こういおよぶのは、下人げにんなかまれた「つよ確信かくしん」にのっとって決断けつだんされています。下人げにんは、自分じぶんがこれまでかたくなにおそれていた「盗人ぬすびとになってまでいてみせる」という気概きがいを、「ある勇気ゆうき」としてれるのです。

老婆ろうばえがかれかた

斎藤さいとう文中ぶんちゅう老婆ろうば姿すがた非常ひじょう印象的いんしょうてきな「動物どうぶつ比喩ひゆ」でかたられています。

かわ:はい。はじめは「さるのような老婆ろうば」とありました。

斎藤さいとう:はい。そのあとは、――さるおやさるしらみるように――、――とりあしのような――、――肉食鳥にくしょくちょうのようなするど――、――からすくようなこえ――、――ひきのつぶやくようなこえ――、などです。さる、とり、ひきがえる……と、場面ばめん自体じたいがさがっていくのにしたがって、あたかも「生物せいぶつ進化しんか過程かてい退化たいかしていく」ような比喩ひゆが、老婆ろうばにあてられていることにがつきます。

かわたとえられているものが、どんどんちいさな動物どうぶつになっていますね。

斎藤さいとう:そうなのです。これはちょうど、下人げにん老婆ろうばたいして「つよもの立場たちば獲得かくとくしていく」ことに、反比例はんぴれいしているかのようにもれます。また、老婆ろうばといえば、最後さいご場面ばめんの「視点してん変化へんか」も重要じゅうようですね。

かわ:それはどういうことでしょうか?

斎藤さいとう:はい。この物語ものがたりはずっと、下人げにん視点してんえがかれてきました。もっとうと、下人げにん心情しんじょう表現ひょうげんがそこかしこにりばめられることによって、心情しんじょう刻刻こくこく変化へんかしていくさまえがくことに焦点化しょうてんかされてきた、ともえます。ところが最後さいご場面ばめん下人げにん老婆ろうば着物きものをはぎったあとだけ、老婆ろうば視点してんかたられているのです。いたの……以前いぜん下人げにんた」ではなく「下人げにんた」という部分ぶぶん紹介しょうかいしましたが、ここの部分ぶぶんだけ、下人げにんはもう1ひとり登場とうじょう人物じんぶつである老婆ろうばによって「られるがわ」にまわっているんです。

かわ本当ほんとうですね。きがつきませんでした。

斎藤さいとう:そうすると、ずっと物語ものがたり中心ちゅうしんえられ、下人げにんがどのような状況じょうきょうかれているのか、かれにはなにはえていて、どんな心情しんじょうなのか……ここまではつまびらかにかたられてきたをですが、最後さいごだけ、なにはをかんがえているのかわからない人物じんぶつとしてえがかれていることになります。下人げにんは、物語ものがたり外側そとがわしていくのです。

全体ぜんたいかえる】

斎藤さいとうすさんでしまった今日きょうみやこはし、かつてはみやこ城門じょうもんとしてそそりっていた『羅生門らしょうもん』は、いまはもう、るも無残むざんてようとしていました。

かわ最初さいしょほうは、本当ほんとうくら場面ばめんだったという印象いんしょうがあります。

斎藤さいとう:そうでしたね。たった1ひとりろううえ死体したいとともにかそうとした下人げにんでしたが、そこで出会であった老婆ろうばによって、かれは「くための理屈りくつ」をれます。すなわち、餓死うえじにをしないためなら、自分じぶんきるためなら、悪事あくじはたらくことは仕方しかたがないという「ひらなおり」です。

かわ前半ぜんはん後半こうはんで、下人げにん様子ようすがまったくちがっていました。

斎藤さいとう:はい。おそらく、これまでだれからも見向みむきもされなかったおとこが、老婆ろうば生死せいしをそのにぎり、支配しはいすることができたときかれは「自分じぶんなやんでいたことがいかにちっぽけであったか」にづいたのかもしれません。しかし、かれのこのあとあゆみが、「そこ」や「黒黒こくこく洞洞とうとうたる」という表現ひょうげん暗示あんじされているのだとすると、けっしてこの選択せんたくが、下人げにんきていくみちあかるくらすものでないことは容易ようい想像そうぞうされます。
さて、今回こんかい講座こうざのポイントをまとめておきましょう。
下人げにん決意けつい
老婆ろうばえがかれかた
全体ぜんたいかえ
以上いじょうの3つでした。

斎藤さいとう今日きょう老婆ろうばはなしまえたうえで、下人げにんくだした判断はんだん、それから非常ひじょう特徴的とくちょうてき物語ものがたりの「視点してん変化へんか」についててきました。次回じかいは、あらためてこの物語ものがたりをどのように解釈かいしゃくできるのかについてかんがえてみましょう。さて、今回こんかい斎藤さいとうゆう先生せんせい芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけの『羅生門らしょうもん』をんできました。斎藤さいとう先生せんせい、ありがとうございました。

斎藤さいとう:ありがとうございました。

NHKえぬえいちけい高校こうこう講座こうざ 言語げんご文化ぶんかかわ実里夏みりか斎藤さいとうゆう先生せんせいでおおくりしました。