NHK高校講座 言語文化、始まります。
河:ご機嫌いかがですか?河実里夏です。今回は芥川龍之介の小説『羅生門』の2回目です。講師は斎藤優先生です。よろしくお願いします。
斎藤:はい、よろしくお願いします。前回は、「1人の下人が、盗人になるよりほかに仕方がないということを、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである」というところまで読みました。その先を読んでいきましょう。
河:さて、お話はどうなっていくんでしょうか。それでは、今回の学習のポイントを紹介します。
1 あらすじを確認しよう。
2 下人、羅生門の楼の上へ。
3 物語の小道具。
この3つです。それでは、学習を始めましょう。
〈1〉あらすじを確認しよう。
斎藤:ここまでのあらすじを確認しておきましょう。
河:はい。『羅生門』にいる下人が主人公でした。羅生門の近辺には、男のほかに人の姿はなく、雨に降り込められた下人が、仕事もなくなって、途方に暮れていました。明日の暮らしをどうしようか考えていましたが、どうすることもできず、「盗人」になるしかないとも思い始めていました。
河:暗くなってしまいそうなお話ですね。
斎藤:もう、本当に周りのね、風景もそうをんですが……。さて、続きはどうなるんでしょうか。朗読を聞いてみましょう。朗読は、高山久美子さんです。
――下人は大きな嚔をして、それから大儀に立ち上がった。夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇とともに遠慮なく吹き抜ける。丹塗りの柱に止まっていたきりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。下人は首を縮めながら、山吹の汗衫に重ねた紺の襖の肩を高くして、門のまわりを見回した。雨風の憂えのない、人目にかかる恐れのない、一晩楽に寝られそうなところがあれば、そこでともかくも夜を明かそうと思ったからである。すると幸い、門の上の楼へ登る、幅の広い、これも丹を塗ったはしごが目についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。下人は、そこで腰に下げた聖柄の太刀が鞘走らないように気をつけながら、わら草履を履いた足を、そのはしごの一番下の段へ……。――
河:先生、「嚔」ってなんですか?
斎藤:はい。これは「くしゃみ」をことですね。下人は大きなくしゃみをして、立ち上がります。寒さを感じる描写があって、そこに「きりぎりす」の描写もありました。
河:「丹塗りの柱に止まっていたきりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった」とありましたね。
斎藤:そうですね。ただ1匹だけ、きりぎりすが描かれていました。これもですね、え、だいぶね、季節外れのものだと捉えることができます。また「きりぎりす」って書いてありますけど、我々が想像するようなあの緑色の虫ではなく、「コオロギ」のことだったと考えられます。そうすると、秋の虫でさえ、ちょっとこう、季節外れですから、ま、冬が近くに迫っているっていうのが分かりますし、ほかには、これ以外になんにも出てこないので、ま、そのあたりがいかに寂しい様子かっていうのも分かるを思います。いつもなら見えるはずの庶民たちの姿もなく、烏さえ寄りつかない門周辺の雰囲気が、より一層、場面に寂しさを、下人の孤独な様を浮かび上がらせています。
河:はい。下人が着ているものも描かれていますよね。
斎藤:はい。「山吹の汗衫」に「紺の襖」を着ています。これは山吹色の下着の上に「襖」ですから、布でできた衣服で、これもですね、脇のところが開いている服をので、とってもこれから冬を迎えようっていう格好ではないをですね。それでも「聖柄の太刀」だけは、あ、身につけています。ほかに、もうなにも持ち物もなさそうをんですが、ま、護身用だとは思いますけれども、「立派な太刀」だけは持っているっていうのが特徴的です。一方、この男には、もうそれしか持ち物がなくなってしまっている、そう読み取ることもできますね。
〈2〉下人、羅生門の楼の上へ。
斎藤:降りる雨は止む気配もなく、腹をすかせた下人に夜の訪れが迫ってきます。「どうにもならないこの状況」をなんとかやり過ごそうと、下人は今夜、『羅生門』の楼上に登って明日を待とうと、動き出します。火桶が欲しいほどの寒さに包まれ、衰微の京都には、秋の終わりが近づいています。
河:とっても寒そうな雰囲気が伝わってきますね。
斎藤:そうですね。そこで下人は、「楼の上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである」と高をくくって、大きなはしご、我々のイメージだと急な階段といってもいいを思いますが、あ、そこに歩みを進めます。朗読を続けましょう。聞いてください。
――それから何分かの後である。『羅生門』の楼の上へ出る、幅の広いはしごの中段に、1人の男が、猫のように身を縮めて、息を殺しながら、上の様子を伺っていた。楼の上からさす火の光が、僅かにその男の右の方を濡らしている。短い髭の中に、赤く膿を持った面皰のある頰である。下人は初めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高をくくっていた。それがはしごを2、3段登ってみると、上では誰か火を点ぼして、しかもその火をそこここと動かしているらしい。これは、その濁った黄色い光が、隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この『羅生門』の上で、火を点しているからには、どうせただの者ではない。下人は、壁蝨のように足音を盗んで、やっと急なはしごを一番上の段まで、這うようにして登り詰めた。そうして体をできるだけ平らにしながら、首をできるだけ前へ出して、恐る恐る楼のうちを覗いてみた。見ると、楼のうちには、噂に聞いた通り、いくつの死骸が無造作に捨ててあるが、火の光の及ぶ範囲が思ったより狭いので、数はいくつとも分からない。ただ、おぼろげながら知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるということである。もちろん中には女も男も混じっているらしい。そして、その死骸は皆、それがかつて生きていた人間だという事実さえ疑われるほど、土をこねて作った人形のように、口を開いたり手を伸ばしたりして、ごろごろ床の上に転がっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光を受けて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖のごとく黙っていた。――
河:『羅生門』の楼の上は、地獄みたいになっていますね。
斎藤:本当ですよね。楼のうちには、噂に聞いた通り、死骸が無造作に捨てられています。それが分かるのも、楼の上で誰かが松明のようなもので明かりをつけていたをです。ゆらめく火の光に影が大きく浮かび上がっている。その様子が想像できます。そんなところに、いったいだれが……。
斎藤:生きている人間はだれもいないと思っていた下人は、ここで「猫のように身を縮めて」、「壁蝨のように足音を盗んで」、這うようにしてはしごを登っていきます。楼の上の人の気配に気がついたをですね。さらに「体をできるだけ平らにしながら」とありますから、楼の上にいるらしき何者かには絶対に見つからないように、細心の注意を払いながら。それでも一方で、「首をできるだけ前へ出して」とあるので、抑えきれない好奇心を抱えつつ。「恐る恐る」ですから、やっぱり恐怖心も捨てられないという、下人が抱えている非常に複雑な、不安と興味と緊張とが伝わってきます。
河:はい。緊張感のある場面ですね。
斎藤:本当そうですね。下人がはしごから見ている光景が、非常に詳細に書いてあります。
河:はい。
斎藤:上で誰か明かりをつけているをで、ぼんやりと浮かび上がるをですね。
河:はい。
斎藤:噂に聞いてたように、どうやら死体が転がっている。でも、全部は見えないので、数がいくつをかわからない。で、影しか見えないので、裸なのか服を着ているのか、それさえも判然ではないし、女もいるようだし、男もいるようだし……。
河:はい。
斎藤:こう、なにか見えるんだけど、はっきり見えないっていう恐怖が、場面として描かれてますね。
河:はい。
斎藤:そうすると、音がまったく聞こえないので、人間なのか、人形なのかもわからないし、それぞれの格好も、口をあけていたり、手をのばしていたり……非常にこう「光と影」のコントラストが、鮮やかに描かれてますね。
河:はい。
斎藤:で、しかもここ、下から男が見上げているをで、いろんなものの影が、ぼんやり大きな形で、『羅生門』の天井あたりに映ってるんだろうっていうような光景になってますね。
河:見上げてその光景があったら、とっても怖いですね。
〈3〉物語の小道具。
斎藤:この小説は、登場人物が非常に少ないことも、特徴としてあげられます。ここまでは、語り手が下人の様子を語っているだけでした。
河:そうをですよね。1人しか出てきていません。今回の朗読の最後の方で、ようやく火を灯している誰かが出てきていますが、冒頭の場面を振り返ってみると、「市女笠」をかぶった女性や、「揉烏帽子」をかぶった男性っていう表現が……。
斎藤:いてもいいはずをにない、っていう書かれ方でしたね。それから、もとなら夕方ごろにこう、烏が飛び回っているをだけれども、今日はその烏たちさえない、という書かれ方をしていました。結果的に「生きているもの」は、この男のほかに、たった1匹止まっている季節外れの「きりぎりす」だけだったっていうのが、ま、ここまでの人物の整理になってますね。
河:はい。とても殺風景ですよね。
斎藤:そうなのです。この「きりぎりす」のほかに、ま、物語の舞台立てとして、小道具として使われているものを考えると、下人がしきりに気にしている「ニキビ」も、その1つに数えることができると思います。
斎藤:河さん、「ニキビ」気がつきました?
河:冒頭に出てきた文章のニキビですね。
斎藤:はい。はい。
河:気になりました。
斎藤:ですよね。
河:はい。
斎藤:あれがこう、なん回か出てきています。「長年使われていた主人から」という表現があるをで、年配の男性なをかな、と読み取る読者もあるをかもしれませんが……ま、この時代、10歳かそこらで奉公に出されてしまうのは珍しいことではないをで、物心ついたころから、この男は主人の家に仕えていたのではないかと思われます。ゆえに「大きなニキビ」を気にしている下人というのは、ま、10歳ごろからもう10年近くそこで働いていて、暇を出されてしまった、追い出されてしまった。それでもまだ、年端のいかない青年である、というふうに読むこともできます。さきほどの朗読にあった場面では、「下人」と呼ばれていた男が「1人の男」と言い換えられていて、「幅の広いはしごの中段に、1人の男が、猫のように身を縮めて」とありましたね。
河:そうをんですよね。これ教室で、え、生徒の皆さんと一緒に読むと、「先生この男ってだれですか?」って、あの、質問が出てくる時もあります。
斎藤:はい。ここまで徹底して「下人」という言い方をしていたをに、「それから何分か後である」っていう形で1つこう、区切りは打ってあるをんですが、呼び名を変えることで、その場面をどのくらいの距離感でつかまえているをかっていう「転換」がはかられています。これは、カメラワークでいうところの「引きのテクニック」で、あたかもちょっとはなれたところから登場人物を捉えているかのように見せることで、周りの風景を全体として描こうとする。その風景の中に人物が映り込んでいる、という表し方になっています。ここで「下人」と、ここまで描かれてきた下人と、いま見えている「1人の男」が同一人物であるっていうことを示しているのが、さきほど出てきた「赤く膿を持ったニキビ」ということになります。この「ニキビ」、この後も出てくるをんですが、下人が大きな決断をする際のキーワードともなりますをで、注意して聞いてみてください。
河:はい。
河:さて、今回の講座のポイントをまとめておきましょう。 学習のポイントは、
1 あらすじを確認しよう。
2 下人、羅生門の楼の上へ。
3 物語の小道具。
以上の3つでした。
斎藤:下人と「きりぎりす」以外には、生き物の気配が失われた門の下の場面から、はしごを伝って下人が、まるで動物か、爬虫類のような様子で、門の上へとあがっていくところまでを読んできました。非常に静かな始まりだった物語が、一気に緊張感を増していく場面です。この後、下人は楼の上に潜む何者かと「対決」することになります。
河:さて、今回も斎藤優先生と、芥川龍之介の『羅生門』を読んできました。斎藤先生、ありがとうございました。
斎藤:ありがとうございました。
NHK高校講座 言語文化、河実里夏と斎藤優先生でお送りしました。