NHKエヌエイチケイ高校こうこう講座こうざ 言語げんご文化ぶんかはじまります。

かわ:ご機嫌きげんいかがですか?かわ実里夏みりかです。今回こんかいから芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ小説しょうせつ羅生門らしょうもん』をんでいきます。講師こうし斎藤さいとうゆう先生せんせいです。よろしくおねがいします。

斎藤さいとう:はい、よろしくおねがいします。『羅生門らしょうもん』は大正たいしょう時代じだい作家さっか芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけいた小説しょうせつで、日本にっぽん古典こてん下敷したじきにした作品さくひんです。こんな出出でだしです。

斎藤さいとう:――ある暮方くれがたのことである。1ひとり下人げにん羅生門らしょうもんした雨止あまやみをっていた。――このたった2つのぶんで、物語ものがたり舞台ぶたいととのっているのが分かわかります。

かわ:それでは、今回こんかい学習がくしゅうのポイントを紹介しょうかいします。
1 いつのおはなし
だれのおはなし
3 どんなおはなし
この3つです。それでは、学習がくしゅう始めはじめましょう。

〈1〉いつのおはなし

斎藤さいとう作者さくしゃ芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけは、大正たいしょう時代じだい活躍かつやくした小説家しょうせつかです。今回こんかいあつかう『羅生門らしょうもん』のほかに、『はな』や『地獄変じごくへん』など、短編たんぺん小説しょうせつ名手めいしゅとして知らしられています。その芥川あくたがわ書いかいいたのが1915ねん。この『羅生門らしょうもん』が書かかかれたのは、もう100ねんまえのおはなしになります。それでも舞台ぶたいはさらにむかし平安へいあん時代じだい末期まっき飢饉ききん辻風つじかぜなどの天変地異てんぺんちい続きつづき衰微すいびしていた今日きょうみやこ様子ようす描かえがかれています。

かわ:だいぶむかし舞台ぶたいにしたおはなしなんですね。

斎藤さいとう:そうなんです。ただ、これにはもとになったおはなしがあるんです。

かわ:そうなんですね。

斎藤さいとう:はい。基本きほん的には『今昔こんじゃく物語集ものがたりしゅう』というなかてくる説話せつわ。これも2つのおはなしがミックスされていますし、冒頭ぼうとう部分ぶぶんてくる「旧記きゅうきによると」というかたされているところは、仏像ぶつぞう仏具ぶつぐなどがたきぎしろ使わつかわれている、それぐらいみやこがさびれているっていうのは、かも長明ちょうめい方丈記ほうじょうき』を踏まえふまえているんですね。あの、いろんな作品さくひんがミックスして、それが大正たいしょう時代じだいの、ま、近代きんだい作品さくひんとして、え、リライトされているっていうのが、『羅生門らしょうもん』の面白いおもしろいところです。まずは冒頭ぼうとう部分ぶぶん朗読ろうどく聞いきいてみましょう。朗読ろうどくは、高山たかやま久美子くみこさんです。

――『羅生門らしょうもん芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ
ある暮方くれがたのことである。1ひとり下人げにん羅生門らしょうもんした雨止あまやみを待っまっていた。広いひろいもんしたには、このおとこのほかにだれもいない。ただ所々ところどころりのはげた大きなおおきな丸柱まるばしらに、きりぎりすが1ぴき止まっとまっている。羅生門らしょうもん朱雀大路すざくおおじにある以上いじょうは、このおとこのほかにも雨止あまやみをする市女笠いちめがさ揉烏帽子もみえぼしが、もう2、3にんはありそうなものである。それが、このおとこのほかにはだれもいない。なぜかというと、この2、3ねん京都きょうとには地震じしんとか辻風つじかぜとか火事かじとか飢饉ききんとかいうわざわいが続いつづい起っおこった。そこで楽中らくちゅうのさびれかた一通りひととおりではない。旧記きゅうきによると、仏像ぶつぞう仏具ぶつぐ打ち砕いうちくだいて、そのがついたり、金銀きんぎんはくがついたりしたを、道端みちばた積み重ねつみかさねて、たきぎしろ売っうっていたということである。楽中らくちゅうがその始末しまつであるから、羅生門らしょうもん修理しゅうりなどは、もとよりだれ捨てすて顧みるかえりみるものがなかった。するとその荒れ果てあれはてたのをよいことにして、狐狸こり棲むすむ盗人ぬすびと棲むすむ。とうとうしまいには、引き取り手ひきとりてのない死人しにんをこのもん持っもって、捨てすてていくという習慣しゅうかんさえできた。そこで見えみえなくなると、だれでも気味きみ悪がっわるがって、このもん近所きんじょへは足踏みあしぶみをしないことになってしまったのである。そのかわりまたからすがどこからかたくさん集まっあつまってきた。昼間ひるま見るみるとそのからすが、何話なんわとなく描いえがいて、高いたかい鴟尾しびのまわりを鳴きなきながら飛び回っとびまわっている。ことにもんうえそら夕焼けゆうやけ赤くあかくなるときには、それが胡麻ごまをまいたようにはっきり見えみえた。からすは、もちろん、もんうえにある死人しにんにく啄みついばみるのである。もっとも、今日きょう刻限こくげん遅いおそいせいか、1見えみえない。ただ、所々ところどころ崩れくずれかかった、そうしてその崩れ目くずれめ長いながいくさ生えはえ石段いしだんうえに、からすくそ点々てんてん白くしろくこびりついているのが見えみえる。下人げにんは、7だんある石段いしだん一番いちばんうえだんに、洗いざらしあらいざらしこんあおしり据えすえて、みぎほうにできた大きなおおきな面皰にきび気にきにしながら、ぼんやりあめ降るふるのを眺めながめていた。――

かわ朗読ろうどく途中とちゅうに「旧記きゅうきによると」とありましたね。あのあたりが『方丈記ほうじょうき』を参考さんこう書かかかれているんですか?

斎藤さいとう:そうなんです。このタイトルになっている『羅生門らしょうもん』とは、今日きょうみやこ朱雀大路すざくおおじにある平安京へいあんきょう正門せいもんの「羅城門らじょうもん」のことです。もんといっても、現代げんだい私たちがわたしたちがイメージするような簡易的かんいてき鳥居とりいのようなものではなくて、階段かいだんがついていて2かい部分ぶぶん上がるあがることのできるような大きなおおきな建造物けんぞうぶつのことを指しさします。また、本来ほんらいは「しろ」と書いかい羅城門らじょうもんですが、近世きんせいにおいては「きる」の用いもちいて、え、『羅生門らしょうもん』『羅生門らしょうもん』と表記ひょうきされることもあったようです。芥川あくたがわはこの「きる」のほう採用さいようしています。

かわ:なぜ「きる」のほう採用さいようしたんでしょうか?

斎藤さいとう正解せいかいはないのですが、読むよむがわとしては、「しろ」ではなく「きる」という使わつかわれたことによって、落中らくちゅう落外らくがいさかいとしてのもんという意味だけでなく、せい境界きょうかいとしてのもんという意味も象徴的しょうちょうてき与えあたえられていると考えるかんがえることができます。また『今昔こんじゃく物語集ものがたりしゅう』にてくる2つの説話せつわ内容ないよう踏まえふまえ書かかかれていることも、そこと関連かんれんしてきます。

かわ冒頭ぼうとう部分ぶぶん読んよんだだけでも、だいぶおどろおどろしい様子ようす分かわかりますね。「引き取り手ひきとりてのない死人しにん捨てすてていく」っていうのが、だいぶ怖いこわいですね。

斎藤さいとう:そうですよね。ま、『羅生門らしょうもん』はあ、人々がひとびとがもうをかけられなくなって、かわりに「狐狸こり」すなわちきつねたぬき棲みつくすみつくようになって、盗人ぬすびと潜んひそんでいる場所ばしょとなり、行き場いきばのない死体したい置かおかれていく、捨てすてられていくような場所ばしょなり果てなりはてているのです。それでは、続きつづき朗読ろうどく聞いきいて下さい。

――作者さくしゃはさっき「下人げにん雨止あまやみを待っまっていた」と書いかいた。しかし下人げにんあめ止んやんでも、格別かくべつどうしようという当てあてはない。普段ふだんならもちろん、主人しゅじんいえ帰るかえるべきはずである。ところがその主人しゅじんからは、4まえひま出さだされた。まえにも書いかいたように、当時とうじ京都きょうとまちは、一通りひととおりならず衰微すいびしていた。いまこの下人げにんが、長年ながねん使わつかわれていた主人しゅじんからひま出さだされたのも、じつはこの衰微すいび小さなちいさな余波よはにほかならない。だから「下人げにん雨止あまやみを待っまっていた」というよりも、「あめ降り込めふりこめられた下人げにんが、行き所ゆきどころがなくて、途方とほう暮れくれていた」というほう適当てきとうである。そのうえ今日きょう空模様そらもようも、少なからずすくなからず平安朝へいあんちょう下人げにんのサンチマンタリスムに影響えいきょうした。――
――さる刻下がりこくさがりから降り出しふりだしあめは、未だにいまだに上がるあがる景色けしきがない。そこで下人げにんは、なにをおいても差当りさしあたり明日あす暮らしくらしをどうにかしようとして、いわば「どうにもならないこと」を「どうにかしよう」として、取り止めとりとめない考えかんがえをたどりながら、さっきから朱雀大路すざくおおじ降るふるあめおとを、聞くきくともなく聞いきいていたのである。あめ羅生門らしょうもん包んつつんで、遠くとおくからざあというおと集めあつめてくる。夕闇ゆうやみ次第にしだいにそら低くひくくして、見上げるみあげると、もん屋根やねが、斜めななめ突き出しつきだし鴟尾しびさきに、重たくおもたく薄暗いうすぐらいくも支えささえている。――

〈2〉だれのおはなし

かわ先生せんせい、「したひと」と書いかいて「下人げにん」って、どういうひと指すさすんですか?

斎藤さいとう:はい。「下人げにん」とは身分みぶん低いひくいもの指すさす言葉ことばで、主人しゅじん仕えるつかえるものという意味があります。この人物じんぶつ最後さいごまで「下人げにん」、あるいは「おとこ」と呼ばよばれて、名前なまえ一切いっさいてこないんですね。これは「下人げにん」という言葉ことば持っもっている「卑しいいやしいもの」という意味いみ相まってあまって、え、持つもつほどの存在そんざいではないことが告げつげられているといえます。あめ降るふるある夕方ゆうがた、『羅生門らしょうもん』のしたあめ止むやむのを待っまっている、どこにでもいそうなおとこ主人公しゅじんこうなのです。

かわ:『羅生門らしょうもん』もだいぶさびれていますよね。

斎藤さいとう:そうですよね。今日きょうみやこには、あいだ空けあけずに、地震じしん起さおきたり、辻風つじかぜ吹いふいたり、火事かじ起きおきたり、飢饉ききんになったり、災害さいがい襲いかかっおそいかかったと書かかかれています。その影響えいきょうで、みやことしての勢いいきおいがすっかり失わうしなわれています。そのような影響えいきょう受けうけて、この下人げにんも、長年ながねん勤めつとめていたという奉公先ほうこうさきから「ひま出さだされる」、罷免ひめんされる、クビくびになってしまうのです。つまり、この「下人げにん」は、正確せいかくには「もと下人げにん」ということになります。奉公先ほうこうさきは、仕事しごとだけでなく、住まいすまい兼ねかねていたはずなので、奉公先ほうこうさきからひま出さだされるということは、すぐさま食事しょくじだけでなく、住みかすみか失っうしなってしまうことを意味いみします。下人げにんはそのような状態じょうたいで、もう4、5にちあいだ食べるたべることさえままならない状態じょうたい過ごしすごしているのです。

かわ:それは大変たいへん辛いつらい状況じょうきょうですね。

斎藤さいとう:ですよね。それから、作者さくしゃはさっき、「下人げにん雨止あまやみを待っまっていたと書いかいた」というかたちで、物語ものがたり語り手かたりてである人物じんぶつ前面ぜんめんてくるというのも特徴的とくちょうてきです。

かわ作者さくしゃ登場とうじょうするんですね。

斎藤さいとう:はい。あまり見かけみかけない書き方かきかたですよね。「下人げにん雨止あまやみを待っまっていた」と自分はじぶんは一旦いったん書いかいてみたけれども、実際じっさいのところ、「待っまっていた」というより「途方とほう暮れくれていた」というほう適当てきとうである、というかたち上書きうわがきするのです。これは、事実じじつがどうであるというより、それをどのように描くえがくのかを念頭ねんとう置いおい表現ひょうげんだということができます。ほかにも、急にきゅうにフランスてきますね。「サンチマンタリスム」とてきたり、――夕闇ゆうやみ次第にしだいにそら低くひくくして、見上げるみあげると、もん屋根やねが、斜めななめ突き出しつきだし鴟尾しびさきに、重たくおもたく薄暗いうすぐらいくも支えささえている。――これも、下人げにん目線めせん沿っそっ風景ふうけい描写びょうしゃすることで、重苦しいおもくるしい下人げにん心情しんじょう象徴的しょうちょうてき表しあらわしてみたりと、「ただの昔話むかしばなしではないよ」と、作者さくしゃ囁かささやかれているようながしてきます。それでは、続きつづき朗読ろうどく聞いきいてみましょう。

――「どうにもならないこと」を「どうにかする」ためには、手段しゅだん選んえらんでいるいとまはない。選んえらんでいれば、築土ついじしたか、道端みちばたつちうえで、飢死うえじにをするばかりである。そうしてこのもんうえ持っもって、いぬのように捨てすてられてしまうばかりである。選ばえらばないとすれば――。 下人げにん考えかんがえは、なんどもうなじみち低徊ていかいした挙句あげくに、やっとこの局所きょくしょ放着ほうちゃくした。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局けっきょく「すれば」であった。下人げにんは、手段しゅだん選ばえらばないということを肯定こうていしながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然とうぜんそのあとたるべき「盗人ぬすびとになるよりほかに仕方しかたがない」ということを、積極的せっきょくてき肯定こうていするだけの、勇気ゆうきずにいたのである。――

〈3〉どんなおはなし

斎藤さいとう奉公先ほうこうさきにいられなくなった「下人げにん」は、もう食べるたべるものもなく、このままならば「飢死うえじにに」してしまうという危機きき迎えむかえています。「飢死うえじにに」をしないためには、「盗人ぬすびと」になるほかないという、思い詰めおもいつめ状態じょうたいに「下人げにん」は追い込まおいこまれているのです。かわさん、ここまで読んよんでみて、どのような印象いんしょう持ちもちましたか?

かわ:はい。4、5にち食べるたべるものもなくて、「飢死うえじにに」するか、「盗っ人ぬすっと」になるか、究極きゅうきょく選択せんたく迫らせまられているなと感じかんじました。

斎藤さいとう:うん。そうですよね。1にち、2にちじゃないんですよね。

かわ:はい。

斎藤さいとう:4、5にちとなったときに、もう、もうどうしようもないと。もうこれ「ひとのものを盗んぬすんでまで」っていう状態じょうたいなんですね。でもそれでも、「盗人ぬすびと」になるっていうこと、躊躇ちゅうちょしている様子ようす伺えるうかがえるをですが、なにがかれをこう、引き止めひきとめているんでしょうね。

かわ善悪ぜんあくの、うん、うん、人間にんげんとして、っていうところなのかなって感じかんじました。

斎藤さいとう:うん。もうみやこはさびれてしまって、

かわ:はい。

斎藤さいとう:で、ま、それこそ、もんうえ死体したい捨てすてられてしまうような状況じょうきょうであっても、

かわ:はい。

斎藤さいとう:ここからさきは「行っいってはいけない」みたいな、そういうラインが、この段階だんかいだとあって、

かわ:はい。

斎藤さいとう:で、かれ自身じしんがこう非常ひじょう葛藤かっとうしているのが分かわかりますよね。

かわ:はい。うん。

斎藤さいとうかわさん、この風景ふうけい描き方かきかたなんか、読んよんでみてどうですか?

かわ:はい。かなり情景じょうけい描写びょうしゃがあったので、そのあたま情景じょうけい浮かんうかんて、とってもおどろおどろしいというか、怖いこわいなって、ダークな部分ぶぶん見えみえました。

斎藤さいとう:ダークですね。

かわ:はい。

斎藤さいとう:これ「さるこく」ってあるので、ま、午後ごごの4過ぎすぎなんですね。そのころからあめ降り出しふりだして、

かわ:はい。

斎藤さいとう:で、だんだんだんだんこう、ひかり届かとどかなくなって、そらのこう「灰色はいいろ」が色濃くいろこくくなっていく、で『羅生門らしょうもん』なんかも、ま、非常ひじょう大きいおおきい建物たてものなので、ま、かげ濃くこくなって、やみ部分ぶぶんすこしずつ増えふえていく。そんな時間帯じかんたいなんですよね。これがこのあと動き出すうごきだす場面ばめんへとつながっていくので、ぜひ楽しみたのしみにしてください。

かわ:さて、今回こんかい講座こうざのポイントをまとめておきましょう。 学習がくしゅうのポイントは、
1 いつのおはなし
だれのおはなし
3 どんなおはなし
以上いじょうの3つでした。

斎藤さいとう今日きょう物語ものがたり冒頭ぼうとう部分ぶぶん読んよんでみました。『羅生門らしょうもん』は1000ねんまえ今日きょうみやこ舞台ぶたいに、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけが100ねんまえ書いかい小説しょうせつです。それを100ねん現代げんだい生きるいきる我々がわれわれが読んよんでいるという構図こうずになっています。筋書きすじがきはすでにあったものを使いつかいながら、それを発表はっぴょう当時とうじ時代じだいでも新しくあたらしく読めるよめるように、作者さくしゃによって工夫くふう施さほどこされているのが分かわかります。さて、このあと下人げにん佇むたたずむ羅生門らしょうもん』には、暗くくらく冷たいつめたいとばり降りおりてきます。果たしてはたして下人げにん運命うんめいはどうなってしまうのでしょうか。

かわ:さて、今回こんかいは、斎藤さいとうゆう先生せんせいと、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけの『羅生門らしょうもん』を読んよんできました。先生せんせい、ありがとうございました。

斎藤さいとう:ありがとうございました。

NHKエヌエイチケイ高校こうこう講座こうざ 言語げんご文化ぶんかかわ実里夏みりか斎藤さいとうゆう先生せんせいでお送りおくりしました。