言語文化 #46-50
講師 齋藤 祐
学習のねらい
小説の舞台を確認し、作品世界を理解するための準備をします。また、作品の構造や表現技法に着目し、文学作品を読み深めるための技能の獲得を目指します。
確認小說的舞台,為理解作品世界做準備。並且,著眼於作品的構造或表現技法,目標是獲得加深閱讀文學作品的技能。
●学習のポイント●
〈一〉いつのお話?
〈二〉誰のお話?
〈三〉どんなお話?
〈一〉是何時的故事? 〈二〉是誰的故事? 〈三〉是怎樣的故事?
作者の芥川龍之介は、大正時代に活躍した小説家です。今回扱う「羅生門」のほかに、「鼻」や「地獄変」など、短編小説の名手として知られています。今でも「芥川賞」というのは新進の作家に与えられる名誉ある文学賞として知られていますが、この賞の由来となっている作家です。
作者芥川龍之介是活躍於大正時代的小說家。除本回所處理的「羅生門」之外,他以「鼻」「地獄變」等作品作為短篇小說的名手而為人所知。現在還有「芥川賞」這個給予新人作家的、有名譽的文學獎,他就是此獎名稱來源的作家。
「羅生門」の舞台は平安時代の末期。飢饉や辻風(竜巻)などの天変地異が続き、衰微していた京の都の様子が描かれています。これには出典があって、作品の中では「旧記によると」と言われていますが、仏像や仏具などが薪の料に使われていたという部分は鴨長明の「方丈記」を踏まえています。また、筋立てについては、『今昔物語集』の「羅城門登上層見死人盗人語」(らじょうもんのうわこしにのぼりてしにんをみるぬすびとのこと)と、「太刀帯陣売魚媼語」(たてわきのじんにうおをうりしおうなのこと)の内容を踏まえて書かれたと言われています。
「羅生門」的舞台是平安時代末期。描繪了飢饉、辻風(龍捲風)等天變地異持續發生、衰微的京都的樣子。這部分有出處,作品中說「根據舊記」,但「佛像、佛具被當作柴薪原料」這部分是基於鴨長明的「方丈記」。又,劇情上據說是基於《今昔物語集》的「羅城門登上層見死人盜人語」(在羅城門的上層見到死人的盜人之事)與「太刀帶陣賣魚媼語」(在太刀帶之陣賣魚的老媼之事)的內容寫成的。
「羅生門」とは、今日の都・朱雀大路にある平安京の正門の羅城門のことです。本来は「城」と書いて「羅城門」ですが、近世においては「生」の字を用いて「羅生門」と表記されることもあったようです。芥川は「生」のほうを採用しました。「城」ではなく「生」という字が使われたことによって、洛中と洛外の境としての門という意味だけでなく、生と死の境界としての門という意味も象徴的に与えられていると考えることができます。
「羅生門」是位於今天京都・朱雀大路上的平安京正門「羅城門」。本來寫作「城」、稱為「羅城門」,但在近世,似乎也有用「生」字寫作「羅生門」的情況。芥川採用了「生」字。藉由使用「生」而非「城」這個字,不僅給予「作為洛中與洛外境界之門」這個意義,還給予「作為生與死境界之門」這個意義,可以說具有象徵性的含義。
主人公は「下人」と呼ばれる若い男です。京の都が衰微した影響を受けて、奉公先を罷免されてしまい、もう数日の間、食べることさえままならない状態で過ごしてきています。雨の降るある日の夕方、羅生門の下で雨がやむのを待っている下人の様子から物語が始まっていきます。「作者はさっき、『下人が雨やみを待っていた。』と書いた」という形で、物語の語り手である人物が前面に出てくるというのも特徴的です。
主角是被稱為「下人」的年輕男子。受到京都衰微的影響,被解雇了奉公的地方,已經數日連飯都吃不上的狀態下度過著。一個下雨的日子的傍晚,從在羅生門下等雨停的下人的樣子開始,物語展開。「作者剛才寫『下人在等雨停。』」——以這樣的形式,作為物語敘述者的人物出現於前面——這也是特徵性的。
奉公先にいられなくなった下人はもう食べるものもなく、このままならば飢え死にしてしまうという危機を迎えていました。飢え死にをしないためには、盗人になるほかないという、思いつめた状態に下人は追い込まれているのです。
已無法繼續奉公的下人,連吃的也沒有,正面臨著「如此下去會餓死」的危機。為了不餓死,「除了當盜人別無他法」——下人被逼到這樣窮思的狀態。
ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、ところどころ丹塗りの剝げた、大きな円柱に、きりぎりすが一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかににも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二、三人はありそうなものである。それが、この男のほかにには誰もいない。
なぜかというと、この二、三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか飢饉とかいう災いが続いて起こった。そこで洛中のさびれ方はひととおりではない。旧記によると、仏像や仏具を打ち砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、道端に積み重ねて、薪の料に売っていたということである。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、もとより誰も捨てて顧みる者がなかった。するとその荒れ果てたのをよいことにして、狐狸が棲む。盗人が棲む。とうとうしまいには、引き取り手のない死人を、この門へ持ってきて、捨てていくという習慣さえできた。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪がって、この門の近所へは足ぶみをしないことになってしまったのである。
その代わりまたからすがどこからか、たくさん集まってきた。昼間見ると、そのからすが、何羽となく輪を描いて、高い鴟尾のまわりを鳴きながら、飛びまわっている。殊に門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいたように、はっきり見えた。からすは、もちろん、門の上にある死人の肉を、ついばみに来るのである。──もっとも今日は、刻限が遅いせいか、一羽も見えない。ただ、ところどころ、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、からすの糞が、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段のいちばん上の段に、洗いざらした紺の襖の尻を据えて、右の頰にできた、大きなにきびを気にしながら、ぼんやり、雨の降るのを眺めていた。
作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた。」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようという当てはない。ふだんなら、もちろん、主人の家へ帰るべきはずである。ところがその主人からは、四、五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町はひととおりならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた。」と言うよりも、「雨に降りこめられた下人が、行ゆき所がなくて、途方にくれていた。」と言うほうが、適当である。そのうえ、今日の空模様も少なからず、この平安朝の下人のサンチマンタリスムに影響した。申の刻下がりから降り出した雨は、いまだに上がる気色がない。そこで、下人は、何をおいてもさしあたり明日の暮らしをどう
にかしようとして──いわばどうにもならないことを、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路に降る雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっという音をあつめてくる。夕闇はしだいに空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜めに突き出した甍の先に、重たく薄暗い雲を支えている。
どうにもならないことを、どうにかするためには、手段を選んでいるいとまはない。選んでいれば、築土の下か、道端の土の上で、飢え死にをするばかりである。そうして、この門の上へ持ってきて、犬のように捨てられてしまうばかりである。選ばないどすれば──下人の考えは、何度も同じ道を低徊したあげくに、やっとこの局所へ逢着した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないということを肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来るべき「盗人になるよりほかにしかたがない」ということを、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。
下人は、大きなくさめをして、それから、大儀そうに立ち上がった。夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇とともに遠慮なく、吹き抜ける。丹塗りの柱にとまっていたきりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。
下人は、首をちぢめながら、山吹の汗衫に重ねた、紺の襖の肩を高くして、門のまわりを見まわした。雨風の憂えのない、人目にかかるおそれのない、一晩楽に寝られそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上がる、幅の広い、これも丹を塗ったはしごが目についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。下人はそこで、腰にさげた聖柄の太刀が鞘走らないように気をつけながら、わら草履をはいた足を、そのはしごのいちばん下の段へふみかけた。
それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広いはしごの中段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の様子をうかがっていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頰をぬらしている。短いひげの中に、赤くうみを持ったにきびのある頰である。下人は、はじめから、この上にいる者は、死人ばかりだと高をくくっていた。それが、はしごを二、三段上がってみると、上では誰か火をともして、しかもその火をそこここと、動かしているらしい。これは、その濁った、黄色い光が、隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。
下人は、やもりのように足音をぬすんで、やっと急なはしごを、いちばん上の段まではうようにして上りつめた。そうして体をできるだけ、平らにしながら、首をできるだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内をのぞいてみた。
見ると、楼の内には、うわさに聞いたとおり、幾つかの死骸が、無造作に捨ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからな
い。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるということである。もちろん、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だという事実さえ疑われるほど、土をこねて造った人形のように、口を開いたり手を伸ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影をいっそう暗くしながら、永久におしのどく黙っていた。
下人は、それらの死骸の腐乱した臭気に思わず、鼻をおおった。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻をおおうことを忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからである。
下人の目は、その時、はじめて、その死骸の中にうずくまっている人間を見た。檜皮色の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木切れを持って、その死骸の一つの顔をのぞきこむように眺めていた。髪の毛の長いところを見ると、たぶん女の死骸であろう。
下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は息をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身の毛も太る」ように感じたのである。すると、老婆は、松の木切れを、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、ちょうど、猿の親が猿の子のしらみをとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。
その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えていった。そうして、それと同時に、この老婆に対する激しい憎悪が、少しずつ動いてきた。──いや、この老婆に対すると言っては、語弊があるかもしれない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分ごとに強さを増してきたのである。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、飢え死にをするか盗人になるかという問題を、改めて持ち出したら、恐らく下人は、なんの未練もなく、飢え死にを選んだことであろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木切れのように、勢いよく燃え上がりだしていたのである。
下人には、もちろん、なぜ老婆が死人の髪の毛を抜くかかわからなかった。したがって、合理的には、それを善悪のいずれにかたづけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くということが、それだけで既に許すべからざる悪であった。もちろん、下人は、さっきまで、自分が、盗人になる気でいたことなぞは、とうに忘れているのである。
そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、はしごから上へ飛び上がった。そうして聖柄の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩み寄った。老婆が驚いたのは言うまでもない。
老婆は、一目下人を見ると、まるでお弩にでもはじかれたように、飛び上がった。
「おのれ、どこへ行く。」
下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行く手を塞いて、こう罵った。老婆は、それでも下人を突きのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は死骸の中で、しばらく、
無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は、はじめから、わかっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。ちょうど、鶏の脚のような、骨と皮ばかりの腕である。
「何をしていた。言え。言わぬと、これだぞよ。」
下人は、老婆を突き放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、白い鋼の色を、その目の前へ突きつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、目を、眼球がまぶたの外へ出そうになるほど、見開いて、おしのようように執拗に黙っている。これを見ると、下人ははじめて明白に、この老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されているということを意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を、見下ろしながら、少し声をやわらげてこう言った。
「俺は検非違使の庁の役人などではない。今しがたこの門の下を通りかかった旅の者だ。だからおまえに縄をかけて、どうしようというようなことはない。ただ、今時分、この門の上で、何をしていたのだか、それを俺に話しさえすればいいのだ。」
すると、老婆は、見開いていた目を、いっそう大きくして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い目で見たのである。それから、しわで、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でもかんでいるように、動かした。細い喉で、とがった喉仏の動いているのが見える。その時、その喉から、からすの鳴くような声が、あえぎあえぎ、下人の耳へ伝わってきた。
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、かつらにしようと思うたのじゃ。」
下人は、老婆の答えが存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷ややかな侮蔑といっしょに、心の中へ入ってきた。すると、その気色が、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死骸の頭からとった長い抜け毛を持ったなり、蟇のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんなことを言った。
「なるほどな、死人の髪の毛を抜くということが、なんぼう悪いことかもしれぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいなことを、されてもいい人間ばかりだぞよ。現に、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干し魚だど言うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいたことであろ。それもよ、この女の売る干し魚は、味がよいと言うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。わしは、この女のしたことが悪いとは思うていぬ。せねば、飢え死にをするのじゃて、しかたがなくしたことであろ。されば、今また、わしのしていたことも悪いこととは思うわぬぞよ。これとてやはりせねば、飢え死にをするじゃて、しかたがなくすることじゃわいの。じゃて、そのしかたがないことを、よく知っていたこの女は、おおかなわしのすることも大目に見てくれるであろ。」
老婆は、だいたいこんな意味のことを言った。
下人は、太刀を鞘におさめて、その太刀の柄を左の手でおさえながら、冷然と
して、この話を聞いていた。もちろん、右の手では、赤く頰にうみを持った大きなにきびを気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いているうちに、下人の心には、ある勇気が生まれてきた。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上がって、この老婆を捕らえた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、飢え死にをするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時の、この男の心持ちから言えば、飢え死になぞというこどは、ほとんど、考えることさえできないほど、意識の外に追い出されていた。
「きっと、そうか。」
老婆の話が終わると、下人は嘲るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手をにきびから離して、老婆の襟髪をつかみながら、かみつくようにこう言った。
「では、俺が引剥ぎをしようと恨むまいな。俺もそうしなければ、飢え死にをする体なのだ。」
下人は、すばやく、老婆の着物を剝ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。はしごの口までは、僅かに五歩を数えるばかりである。下人は、剝ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急なはしごを夜の底へかけ下りた。
しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起こしたのは、それから間も無くのことである。老婆は、つぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、はしごの口まで、はっていった。そうして、そこから、短い白髪を逆さまにして、門の下をのぞきこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。
下人の行方は、誰も知らない。◦
● 芥川龍之介 一八九二年[明治 25]─ 一九二七年 [昭和 2]。
東京都生まれ。小説家。 本文は『芥川龍之介全集』第一巻(一九七七年刊)による。
このページの文書・画像の無断転載及び商用利用を固く禁じます。
嚴禁未經授權轉載及商用本頁文件、圖像。