言語げんご文化ぶんか #46-50

現代げんだいぶん

葛藤かっとうするこころ小説しょうせつ2]

羅生門らしょうもん全五回ぜんごかい-①】

芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ

講師こうし 齋藤さいとう たすく

羅生門らしょうもんいち

学習がくしゅうのねらい

小説しょうせつ舞台ぶたい確認かくにんし、作品さくひん世界せかい理解りかいするための準備じゅんびをします。また、作品さくひん構造こうぞう表現ひょうげん技法ぎほう着目ちゃくもくし、文学ぶんがく作品さくひん読み深めるよみふかめるための技能ぎのう獲得かくとく目指めざします。

文法・表現

〜を確認し、〜準備をします(並列+目的)
を確認し、準備をします」=「確認…,做準備」。
〜に着目し、〜獲得を目指します(注目+目標)
に着目し、獲得を目指します」=「著眼於…,以獲得…為目標」。

中文翻譯

確認小說的舞台,為理解作品世界做準備。並且,著眼於作品的構造或表現技法,目標是獲得加深閱讀文學作品的技能。

学習がくしゅうのポイント●

いち〉いつのおはなし
だれのおはなし
さん〉どんなおはなし

文法・表現

〜のお話?(口語の疑問)
のお話?」=「是…的故事?」。

中文翻譯

〈一〉是何時的故事? 〈二〉是誰的故事? 〈三〉是怎樣的故事?

■いつのおはなし

作者さくしゃ芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけは、大正たいしょう時代じだい活躍かつやくした小説家しょうせつかです。今回こんかい扱うあつかう羅生門らしょうもん」のほかに、「はな」や「地獄変じごくへん」など、短編たんぺん小説しょうせつ名手めいしゅとしてられています。いまでも「芥川賞あくたがわしょう」というのは新進しんしん作家さっか与えあたえられる名誉めいよある文学賞ぶんがくしょうとしてられていますが、このしょう由来ゆらいとなっている作家さっかです。

文法・表現

〜に活躍した〜です(連体+判斷)
に活躍した小説家です」=「活躍於…的小說家」。
〜のほかに、〜として知られています(範围+資格)
のほかに、〜として知られています」=「除…外,作為…而被知曉」。
〜の由来となっている作家です(連体+判斷)
の由来となっている作家です」=「是…名稱來源的作家」。

中文翻譯

作者芥川龍之介是活躍於大正時代的小說家。除本回所處理的「羅生門」之外,他以「鼻」「地獄變」等作品作為短篇小說的名手而為人所知。現在還有「芥川賞」這個給予新人作家的、有名譽的文學獎,他就是此獎名稱來源的作家。

羅生門らしょうもん」の舞台ぶたい平安へいあん時代じだい末期まっき飢饉ききん辻風つじかぜ竜巻たつまき)などの天変地異てんぺんちい続きつづき衰微すいびしていたきょうみやこ様子ようす描かえがかれています。これには出典しゅってんがあって、作品さくひんなかでは「旧記きゅうきによると」と言わいわれていますが、仏像ぶつぞう仏具ぶつぐなどがまきしろ使わつかわれていたという部分ぶぶん鴨長明かものちょうめいの「方丈記ほうじょうき」を踏まえふまえています。また、筋立てすじたてについては、『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』の「羅城門らじょうもん登上層とうじょうそうけん死人しにん盗人ぬすびとことば」(らじょうもんのうわこしにのぼりてしにんをみるぬすびとのこと)と、「太刀帯たてわきじんうりうおおうなことば」(たてわきのじんにうおをうりしおうなのこと)の内容ないよう踏まえふまえ書かかかれたと言わいわれています。

文法・表現

〜が続き、〜様子が描かれています(並列+受身)
が続き、〜様子が描かれています」=「…持續,…的樣子被描繪」。
〜には出典があって、〜と言われていますが、〜を踏まえています(補足+伝聞+根拠)
には出典があって、と言われていますが、を踏まえています」=「有出處,雖被說…但基於…」。
〜については、〜と言われています(範圍+伝聞)
については、と言われています」=「關於…,據說…」。

中文翻譯

「羅生門」的舞台是平安時代末期。描繪了飢饉、辻風(龍捲風)等天變地異持續發生、衰微的京都的樣子。這部分有出處,作品中說「根據舊記」,但「佛像、佛具被當作柴薪原料」這部分是基於鴨長明的「方丈記」。又,劇情上據說是基於《今昔物語集》的「羅城門登上層見死人盜人語」(在羅城門的上層見到死人的盜人之事)與「太刀帶陣賣魚媼語」(在太刀帶之陣賣魚的老媼之事)的內容寫成的。

羅生門らしょうもん」とは、今日きょうみやこ朱雀大路すざくおおじにある平安京へいあんきょう正門せいもん羅城門らじょうもんのことです。本来ほんらいは「じょう」と書いかいて「羅城門らじょうもん」ですが、近世きんせいにおいては「しょう」の用いもちいて「羅生門らしょうもん」と表記ひょうきされることもあったようです。芥川あくたがわは「しょう」のほうを採用さいようしました。「じょう」ではなく「しょう」という使わつかわれたことによって、洛中らくちゅう洛外らくがいさかいとしてのもんという意味いみだけでなく、せい境界きょうかいとしてのもんという意味いみ象徴的しょうちょうてき与えあたえられていると考えるかんがえることができます。

文法・表現

〜とは、〜のことです(定義)
とは、〜のことです」=「所謂…就是…」。
〜と書いて〜ですが、〜と表記されることもあったようです(記法+受身+過去推量)
と書いて〜ですが、と表記されることもあったようです」=「寫作…,但也有時被寫作…」。
〜が使われたことによって、〜だけでなく、〜も〜与えられている(手段+範圍拡張+受身)
が使われたことによって、〜だけでなく、〜も与えられている」=「藉由…,不只…,也被給予…」。

中文翻譯

「羅生門」是位於今天京都・朱雀大路上的平安京正門「羅城門」。本來寫作「城」、稱為「羅城門」,但在近世,似乎也有用「生」字寫作「羅生門」的情況。芥川採用了「生」字。藉由使用「生」而非「城」這個字,不僅給予「作為洛中與洛外境界之門」這個意義,還給予「作為生與死境界之門」這個意義,可以說具有象徵性的含義。

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だれのおはなし

主人公しゅじんこうは「下人げにん」と呼ばよばれる若いわかいおとこです。きょうみやこ衰微すいびした影響えいきょう受けうけて、奉公先ほうこうさき罷免ひめんされてしまい、もう数日すうじつあいだ食べるたべることさえままならない状態じょうたい過ごしすごしてきています。あめ降るふるある夕方ゆうがた羅生門らしょうもんしたあめがやむのを待っまっている下人げにん様子ようすから物語ものがたり始まっはじまっていきます。「作者さくしゃはさっき、『下人げにんあめやみを待っまっていた。』と書いかいた」というかたちで、物語ものがたり語り手かたりてである人物じんぶつ前面ぜんめんてくるというのも特徴的とくちょうてきです。

文法・表現

〜と呼ばれる〜です(受身連体)
と呼ばれる若い男」=「被稱為…的年輕男子」。
〜を受けて、〜ままならない状態で過ごしてきています(影響+持續)
を受けて、〜ままならない状態で過ごしてきています」=「受到…,以無法…的狀態度過」。
〜から物語が始まっていきます(起點+進行)
から物語が始まっていきます」=「從…物語開始」。
〜という形で、〜が前面に出てくる(手段+出現)
という形で、前面に出てくる」=「以…的形式,出現於前面」。

中文翻譯

主角是被稱為「下人」的年輕男子。受到京都衰微的影響,被解雇了奉公的地方,已經數日連飯都吃不上的狀態下度過著。一個下雨的日子的傍晚,從在羅生門下等雨停的下人的樣子開始,物語展開。「作者剛才寫『下人在等雨停。』」——以這樣的形式,作為物語敘述者的人物出現於前面——這也是特徵性的。

■どんなおはなし??

奉公先ほうこうさきにいられなくなった下人げにんはもう食べるたべるものもなく、このままならば飢え死にうえじにしてしまうという危機きき迎えむかえていました。飢え死にうえじにをしないためには、盗人ぬすびとになるほかないという、思いつめおもいつめ状態じょうたい下人げにん追い込まおいこまれているのです。

文法・表現

〜なくなった〜はもう〜もなく、〜という危機を迎えていました(連体+並列+帰結)
なくなった〜はもう〜もなく、〜という危機を迎えていました」=「已無…的他連…都沒有,迎來了…的危機」。
〜になるほかないという、〜状態に追い込まれている(限定+受身的状況)
になるほかないという、〜状態に追い込まれている」=「除…別無他法、被逼到…狀態」。

中文翻譯

已無法繼續奉公的下人,連吃的也沒有,正面臨著「如此下去會餓死」的危機。為了不餓死,「除了當盜人別無他法」——下人被逼到這樣窮思的狀態。

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現代げんだいぶん

羅生門らしょうもん

芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ

ある暮れ方くれがたのことである。一人ひとり下人げにんが、羅生門らしょうもんしたあまやみを待っまっていた。

広いひろいもんしたには、このおとこのほかにだれもいない。ただ、ところどころりのげた、大きなおおきな円柱まるばしらに、きりぎりすが一匹いっぴきとまっている。羅生門らしょうもんが、朱雀大路すざくおおじにある以上いじょうは、このおとこのほかににも、あまやみをする市女笠いちめがさ揉烏帽子もみえぼしが、もうふたさんにんはありそうなものである。それが、このおとこのほかににはだれもいない。

なぜかというと、このふたさんねん京都きょうとには、地震じしんとか辻風つじかぜとか火事かじとか飢饉ききんとかいう災いわざわい続いつづい起こっおこった。そこで洛中らくちゅうのさびれかたはひととおりではない。旧記きゅうきによると、仏像ぶつぞう仏具ぶつぐ打ち砕いうちくだいて、そのたんがついたり、金銀きんぎんはくがついたりしたを、道端みちばた積み重ねつみかさねて、まきしろ売っうっていたということである。洛中らくちゅうがその始末しまつであるから、羅生門らしょうもん修理しゅうりなどは、もとよりだれ捨てすて顧みるかえりみるものがなかった。するとその荒れ果てあれはてたのをよいことにして、狐狸こり棲むすむ盗人ぬすびと棲むすむ。とうとうしまいには、引き取りひきとりのない死人しにんを、このもん持っもってきて、捨てすてていくという習慣しゅうかんさえできた。そこで、見えみえなくなると、だれでも気味きみ悪がっわるがって、このもん近所きんじょへは足ぶみあしぶみをしないことになってしまったのである。

その代わりかわりまたからすがどこからか、たくさん集まっあつまってきた。昼間ひるま見るみると、そのからすが、何羽なんわとなく描いえがいて、高いたかい鴟尾しびのまわりを鳴きなきながら、飛びまわっとびまわっている。殊にことにもん上のうえのそらが、夕焼けゆうやけであかくなるときには、それが胡麻ごまをまいたように、はっきり見えみえた。からすは、もちろん、もんうえにある死人しにんにくを、ついばみに来るくるのである。──もっとも今日きょうは、刻限こくげん遅いおそいせいか、一羽いちわ見えみえない。ただ、ところどころ、崩れくずれかかった、そうしてその崩れくずれ長いながいくさのはえた石段いしだんうえに、からすのくそが、点々てんてん白くしろくこびりついているのが見えみえる。下人げにん七段ななだんある石段いしだんのいちばんうえだんに、洗いざらしあらいざらしこんあおしり据えすえて、みぎほおにできた、大きなおおきなにきびをにしながら、ぼんやり、あめ降るふるのを眺めながめていた。

作者さくしゃはさっき、「下人げにんあめやみを待っまっていた。」と書いかいた。しかし、下人げにんあめがやんでも、格別かくべつどうしようという当てあてはない。ふだんなら、もちろん、主人しゅじんいえ帰るかえるべきはずである。ところがその主人しゅじんからは、五日いつかまえひま出さだされた。まえにも書いかいたように、当時とうじ京都きょうとまちはひととおりならず衰微すいびしていた。今この下人げにんが、永年えいねん使わつかわれていた主人しゅじんから、ひま出さだされたのも、実はじつはこの衰微すいび小さなちいさな余波よはにほかならない。だから「下人げにんあめやみを待っまっていた。」と言うゆうよりも、「あめ降りこめふりこめられた下人げにんが、行ゆき所いきどころがなくて、途方とほうにくれていた。」と言うゆうほうが、適当てきとうである。そのうえ、今日きょう空模様そらもよう少なからずすくなからず、この平安朝へいあんちょう下人げにんサンチマンタリスムsentimentalisme影響えいきょうした。さるこく下がりさがりから降り出しふりだしあめは、いまだに上がるあがる気色けしきがない。そこで、下人げにんは、なにをおいてもさしあたり明日あした暮らしくらしをどう

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にかしようとして──いわばどうにもならないことを、どうにかしようとして、とりとめもない考えかんがえをたどりながら、さっきから朱雀大路すざくおおじ降るふるあめおとを、聞くきくともなく聞いきいていたのである。

あめは、羅生門らしょうもんをつつんで、遠くとおくから、ざあっというおとをあつめてくる。夕闇ゆうやみはしだいにそら低くひくくして、見上げるみあげると、もん屋根やねが、斜めななめ突き出しつきだしいらかさきに、重たくおもたく薄暗いうすぐらいくも支えささえている。

どうにもならないことを、どうにかするためには、手段しゅだん選んえらんでいるいとまはない。選んえらんでいれば、築土ついじしたか、道端みちばたつちうえで、飢え死にうえじにをするばかりである。そうして、このもんうえ持っもってきて、いぬのように捨てすてられてしまうばかりである。選ばえらばないどすれば──下人げにん考えかんがえは、なん同じおなじみち低徊ていかいしたあげくに、やっとこの局所きょくしょ逢着ほうちゃくした。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局けっきょく「すれば」であった。下人げにんは、手段しゅだん選ばえらばないということを肯定こうていしながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然とうぜん、そのあときたるべき「盗人ぬすびとになるよりほかにしかたがない」ということを、積極的せっきょくてき肯定こうていするだけの、勇気ゆうきずにいたのである。

下人げにんは、大きなおおきなくさめをして、それから、大儀たいぎそうに立ち上がったちあがった。夕冷えゆうびえのする京都きょうとは、もう火桶ひおけ欲しいほしいほどの寒ささむさである。かぜもんはしらはしらとのあいだを、夕闇ゆうやみとともに遠慮えんりょなく、吹き抜けるふきぬける丹塗りにぬりはしらにとまっていたきりぎりすも、もうどこかへ行っいってしまった。

下人げにんは、くびをちぢめながら、山吹やまぶき汗衫かざみ重ねかさねた、こんあおかた高くたかくして、もんのまわりを見まわしみまわした。雨風あめかぜ憂えうれえのない、人目ひとめにかかるおそれのない、一晩ひとばんらくられそうなところがあれば、そこでともかくも、明かそあかそうと思っおもったからである。すると、幸いさいわいもん上のうえのろう上がるあがるはば広いひろい、これもたん塗っぬったはしごがについた。うえなら、ひとがいたにしても、どうせ死人しにんばかりである。下人げにんはそこで、こしにさげた聖柄ひじりづか太刀たち鞘走らさやばしらないようにをつけながら、わら草履ぞうりをはいたあしを、そのはしごのいちばんしただんへふみかけた。

それから、何分なんぷんかののちである。羅生門らしょうもんろううえ出るでるはば広いひろいはしごの中段ちゅうだんに、一人ひとりおとこが、ねこのようにをちぢめて、いき殺しころしながら、うえ様子ようすをうかがっていた。ろううえからさすひかりが、かすかに、そのおとこみぎほおをぬらしている。短いみじかいひげのなかに、赤くあかくうみを持っもったにきびのあるほおである。下人げにんは、はじめから、このうえにいるものは、死人しにんばかりだとたかをくくっていた。それが、はしごをふた三段さんだん上がっあがってみると、うえでは誰かだれかをともして、しかもそのをそこここと、動かしうごかしているらしい。これは、その濁っにごった、黄色いきいろいひかりが、隅々すみずみ蜘蛛くもをかけた天井裏てんじょううらに、揺れゆれながら映っうつったので、すぐにそれと知れしれたのである。このあめに、この羅生門らしょうもんうえで、をともしているからは、どうせただのものではない。

下人げにんは、やもりのように足音あしおとをぬすんで、やっと急なきゅうなはしごを、いちばんうえだんまではうようにして上りつめのぼりつめた。そうしてからだをできるだけ、平らたいらにしながら、くびをできるだけ、まえ出しだして、恐る恐るおそるおそるろううちをのぞいてみた。

見るみると、ろううちには、うわさに聞いきいたとおり、幾つかいくつが死骸しがいが、無造作むぞうさ捨てすててあるが、ひかり及ぶおよぶ範囲はんいが、思っおもったより狭いせまいので、かず幾ついくつともわからな

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い。ただ、おぼろげながら、知れしれるのは、そのなかはだか死骸しがいと、着物きもの死骸しがいとがあるということである。もちろん、なかにはおんなおとこもまじっているらしい。そうして、その死骸しがいみな、それが、かつて、生きいきていた人間にんげんだという事実じじつさえ疑わうたがわれるほど、つちをこねて造っつくっ人形にんぎょうのように、くち開いあいたり伸ばしのばしたりして、ごろごろゆかうえにころがっていた。しかも、かたとかむねとかの高くたかくなっている部分ぶぶんに、ぼんやりしたひかりをうけて、低くひくくなっている部分ぶぶんかげをいっそう暗くくらくしながら、永久えいきゅうにおしのどく黙っだまっていた。

下人げにんは、それらの死骸しがい腐乱ふらんした臭気しゅうき思わおもわず、はなをおおった。しかし、そのは、つぎ瞬間しゅんかんには、もうはなをおおうことを忘れわすれていた。ある強いつよい感情かんじょうが、ほとんどことごとくこのおとこ嗅覚きゅうかく奪っうばってしまったからである。

下人げにんは、そのとき、はじめて、その死骸しがいなかにうずくまっている人間にんげんた。檜皮色ひわだいろ着物きものた、低いひくい痩せやせた、白髪頭しらがあたまの、さるのような老婆ろうばである。その老婆ろうばは、みぎをともしたまつ木切れきぎれ持っもって、その死骸しがい一つひとつかおをのぞきこむように眺めながめていた。髪の毛かみのけ長いながいところを見るみると、たぶんおんな死骸しがいであろう。

下人げにんは、六分ろくぶ恐怖きょうふ四分しぶ好奇心こうきしんとに動かさうごかされて、暫時ざんじいきをするのさえ忘れわすれていた。旧記きゅうき記者きしゃ借りれかりれば、「頭身とうしん太るふとる」ように感じかんじたのである。すると、老婆ろうばは、まつ木切れきぎれを、床板とこいたあいだ挿しさして、それから、いままで眺めながめていた死骸しがいくび両手りょうてをかけると、ちょうど、さるおやさるのしらみをとるように、その長いながい髪の毛かみのけ一本いっぽんずつ抜きぬきはじめた。かみ従っしたがっ抜けるぬけるらしい。

その髪の毛かみのけが、一本いっぽんずつ抜けるぬけるのに従っしたがって、下人げにんこころからは、恐怖きょうふ少しずつすこしずつ消えきえていった。そうして、それと同時どうじに、この老婆ろうば対するたいする激しいはげしい憎悪ぞうおが、少しずつすこしずつ動いうごいてきた。──いや、この老婆ろうば対するたいする言っいっては、語弊ごへいがあるかもしれない。むしろ、あらゆるあく対するたいする反感はんかんが、一分いっぷんごとに強さつよさ増しましてきたのである。このとき誰かだれかがこの下人げにんに、さっきもんしたでこのおとこ考えかんがえていた、飢え死にうえじにをするか盗人ぬすびとになるかという問題もんだいを、改めてあらためて持ち出しもちだしたら、恐らくおそらく下人げにんは、なんの未練みれんもなく、飢え死にうえじに選んえらんだことであろう。それほど、このおとこあく憎むにくむこころは、老婆ろうばゆか挿しさしまつ木切れきぎれのように、勢いいきおいよく燃え上がりもえあがりだしていたのである。

下人げにんには、もちろん、なぜ老婆ろうば死人しにん髪の毛かみのけ抜くぬくかかわからなかった。したがって、合理的ごうりてきには、それを善悪ぜんあくのいずれにかたづけてよいか知らしらなかった。しかし下人げにんにとっては、このあめに、この羅生門らしょうもんうえで、死人しにん髪の毛かみのけ抜くぬくということが、それだけで既にすでに許すゆるすべからざるあくであった。もちろん、下人げにんは、さっきまで、自分じぶんが、盗人ぬすびとになるでいたことなぞは、とうに忘れわすれているのである。

そこで、下人げにんは、両足りょうあしちから入れいれて、いきなり、はしごからうえ飛び上がっとびあがった。そうして聖柄ひじりづか太刀たちをかけながら、大股おおまた老婆ろうばまえ歩み寄っあゆみよった。老婆ろうば驚いおどろいたのは言ういうまでもない。

老婆ろうばは、一目ひとめ下人げにん見るみると、まるでおいしゆみにでもはじかれたように、飛び上がっとびあがった。

「おのれ、どこへ行くゆく。」

下人げにんは、老婆ろうば死骸しがいにつまずきながら、慌てふためいあわてふためい逃げよにげようとする行く手ゆくて塞いふさいて、こう罵っののしった。老婆ろうばは、それでも下人げにん突きのけつきのけこうとする。下人げにんはまた、それを行かいかすまいとして、押しもどすおしもどす二人ふたり死骸しがいなかで、しばらく、

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無言むごんのまま、つかみ合っあった。しかし勝敗しょうはいは、はじめから、わかっている。下人げにんはとうとう、老婆ろうばうでをつかんで、無理むりにそこへねじ倒したおした。ちょうど、とりあしのような、ほねかわばかりのうでである。

なにをしていた。言えいえ言わいわぬと、これだぞよ。」

下人げにんは、老婆ろうば突き放すつきはなすと、いきなり、太刀たちさや払っはらって、白いしろいはがねいろを、そのまえ突きつけつきつけた。けれども、老婆ろうば黙っだまっている。両手りょうてをわなわなふるわせて、かたいき切りきりながら、を、眼球がんきゅうがまぶたのそとそうになるほど、見開いみひらいて、おしのようように執拗しゅうよう黙っだまっている。これを見るみると、下人げにんははじめて明白めいはくに、この老婆ろうば生死せいしが、全然ぜんぜん自分じぶん意志いし支配しはいされているということを意識いしきした。そうしてこの意識いしきは、いままでけわしく燃えもえていた憎悪ぞうおこころを、いつのにか冷ましさましてしまった。あと残っのこったのは、ただ、ある仕事しごとをして、それが円満えんまん成就じょうじゅしたときの、安らかやすらか得意とくい満足まんぞくとがあるばかりである。そこで、下人げにんは、老婆ろうばを、見下ろしみおろしながら、少しすこしこえをやわらげてこう言っいった。

おれ検非違使けびいしちょう役人やくにんなどではない。今しがたいましがたこのもんした通りかかっとおりかかったびものだ。だからおまえになわをかけて、どうしようというようなことはない。ただ、今時分いまじぶん、このもんうえで、なにをしていたのだか、それをおれ話しはなしさえすればいいのだ。」

すると、老婆ろうばは、見開いみひらいていたを、いっそう大きくおおきくして、じっとその下人げにんかお見守っみまもった。まぶたの赤くあかくなった、肉食にくしょくどりのような、鋭いするどいたのである。それから、しわで、ほとんど、はな一つひとつになったくちびるを、なにものでもかんでいるように、動かしうごかした。細いほそいのどで、とがった喉仏のどぼとけ動いうごいているのが見えみえる。そのとき、そののどから、からすの鳴くなくようなこえが、あえぎあえぎ、下人げにんみみ伝わっつたわってきた。

「このかみ抜いぬいてな、このかみ抜いぬいてな、かつらにしようと思うおもうたのじゃ。」

下人げにんは、老婆ろうば答えこたえ存外ぞんがい平凡へいぼんなのに失望しつぼうした。そうして失望しつぼうすると同時どうじに、またまえ憎悪ぞうおが、冷ややかひややか侮蔑ぶべつといっしょに、こころなか入っはいってきた。すると、その気色きしょくが、先方せんぽうへも通じつうじたのであろう。老婆ろうばは、片手かたてに、まだ死骸しがいあたまからとった長いながい抜け毛ぬけげ持っもったなり、ひきのつぶやくようなこえで、口ごもりくちごもりながら、こんなことを言っいった。

「なるほどな、死人しにびと髪の毛かみのけ抜くぬくということが、なんぼう悪いわるいことかもしれぬ。じゃが、ここにいる死人しにんどもは、みな、そのくらいなことを、されてもいい人間にんげんばかりだぞよ。現にげんに、わしがいまかみ抜いぬいおんななどはな、へび四寸しすんばかりずつに切っきっ干しほしたのを、干し魚ほしうおだど言うゆうて、太刀帯たてわきじん売りうり往んいんだわ。疫病えきびょうにかかって死なしななんだら、いまでも売りうり往んいんでいたことであろ。それもよ、このおんな売るうる干し魚ほしうおは、あじがよいと言うゆうて、太刀帯たてわきどもが、欠かさかかさ菜料さいりょう買っかっていたそうな。わしは、このおんなのしたことが悪いわるいとは思うおもうていぬ。せねば、飢え死にうえじにをするのじゃて、しかたがなくしたことであろ。されば、いままた、わしのしていたことも悪いわるいこととは思うおもうわぬぞよ。これとてやはりせねば、飢え死にうえじにをするじゃて、しかたがなくすることじゃわいの。じゃて、そのしかたがないことを、よく知っしっていたこのおんなは、おおかなわしのすることも大目おおめてくれるであろ。」

老婆ろうばは、だいたいこんな意味いみのことを言っいった。

下人げにんは、太刀たちさやにおさめて、その太刀たちつかひだりでおさえながら、冷然れいぜん

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して、このはなし聞いきいていた。もちろん、みぎでは、赤くあかくほおにうみを持っもっ大きなおおきなにきびをにしながら、聞いきいているのである。しかし、これを聞いきいているうちに、下人げにんこころには、ある勇気ゆうき生まれうまれてきた。それは、さっきもんしたで、このおとこには欠けかけていた勇気ゆうきである。そうして、またさっきこのもんうえ上がっあがって、この老婆ろうば捕らえとらえとき勇気ゆうきとは、全然ぜんぜん反対はんたい方向ほうこう動こうごこうとする勇気ゆうきである。下人げにんは、飢え死にうえじにをするか盗人ぬすびとになるかに、迷わまよわなかったばかりではない。そのときの、このおとこ心持ちこころもちから言えいえば、飢え死にうえじになぞというこどは、ほとんど、考えるかんがえることさえできないほど、意識いしきそと追い出さおいだされていた。

「きっと、そうか。」

老婆ろうばはなし終わるおわると、下人げにん嘲るあざけるようなこえねん押しおした。そうして、一足いっそくまえ出るでると、不意ふいみぎをにきびから離しはなして、老婆ろうば襟髪えりがみをつかみながら、かみつくようにこう言っいった。

「では、おれ引剥ひはぎをしようと恨むうらむまいな。おれもそうしなければ、飢え死にうえじにをするからだなのだ。」

下人げにんは、すばやく、老婆ろうば着物きもの剝ぎはぎとった。それから、あしにしがみつこうとする老婆ろうばを、手荒くてあらく死骸しがいうえ蹴倒しけたおした。はしごのくちまでは、僅かわずか五歩ごほ数えるかぞえるばかりである。下人げにんは、剝ぎはぎとった檜皮色ひわだいろ着物きものをわきにかかえて、またたく急なきゅうなはしごをそこへかけ下りくだりた。

しばらく、死んしんだように倒れたおれていた老婆ろうばが、死骸しがいなかから、そのはだかからだ起こしおこしたのは、それから間も無くまもなくのことである。老婆ろうばは、つぶやくような、うめくようなこえ立てたてながら、まだ燃えもえているひかりをたよりに、はしごのくちまで、はっていった。そうして、そこから、短いみじかい白髪しらが逆さまさかさまにして、もんしたをのぞきこんだ。そとには、ただ、黒洞々こくとうとうたるがあるばかりである。

下人げにん行方ゆくえは、だれ知らしらない。◦

芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ 一八九二年[明治めいじ 25]─ 一九二七年 [昭和しょうわ 2]。
東京都とうきょうと生まれうまれ小説家しょうせつか本文ほんぶんは『芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ全集ぜんしゅうだいいっかん(一九七七年かん)による。

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文法・表現

〜及び〜を〜禁じます(漢語並列)
正式・告知の文体

中文翻譯

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