NHK高校講座 言語文化
(音楽)
ナレーション:
NHK高校講座、言語文化。始まります。
木本 景子:
ご機嫌いかがですか? 木本 景子です。
今回から三回にわたって、「雨漏りの音」という小説を読んでいきます。
どんなお話なんでしょうか? 小山 志門先生と一緒に読み進めていきましょう。
それでは小山先生、よろしくお願いします。
小山 志門:
小山です。よろしくお願いします。
前回の「とんかつ」に引き続き小説の学習を進めましょう。
本作品は物語の始めと終わりは現在の時間帯で進みますが、中盤は過去の出来事を思い出すという構造になっています。
そういう物語を読む際には、まずどこで場面が切り替わっているかに注意しましょう。
そしてその過去を振り返るきっかけになる出来事は何か?
また現在と過去の繋がりなどは何かを意識して読むと良いです。
それでは今回の学習のポイントを紹介しましょう。
一つ目、場面の整理をする。
二つ目、「雨漏り」に対する二人の反応を整理する。
三つ目、「床」を見た「茜」の心情について考える。
以上の三つです。
それでは学習を始めましょう。
(間奏)
木本 景子:
「場面の整理をする」。
小山 志門:
さて、「雨漏りの音」と題されたこの小説。
雨漏りというのは分かると思いますが、実際雨漏りに遭遇したことがある人はどれくらいいるでしょうか?
頭では分かる事象なんだけど実感が湧かない。
そんな人も少なくないかもしれません。
さらに雨漏りの音って一体どんな音でしょうか?
作品の題名になっているものですから、きっと大事なアイテムとして登場するはずですが、いまいちその音は想像しづらいです。
そんな細かいこともイメージを膨らませながら読み進めたいと思います。
それでは今回学習するところの朗読を聞いてみましょう。朗読は高山 久美子さんです。
(朗読)
雨漏りの音 長嶋有
見取り図の下部の「雨漏りする箇所あり」という特記事項に、茜と晴人はまるで異なる反応を同時に見せた。
「え、それはちょっと」
「へぇー。」
二人とも、具体的な好悪の言葉は続かなかったが、へぇーと感心した茜は内心しくじったと思った。
間違えた。そこは「それはちょっと」が正しい反応だ。
家の雨漏りは欠陥であり、よくないこと。楽しい、ワクワクする装置ではない。
「築年の古い家ですから。でも、修理はきくと思いますよ。」
軽自動車のハンドルを握る不動産屋の女は後部座席の二人にとりなして、赤信号で停車する。
晴人は腕組みをして顔をあげた。
もとよりリフォーム前提で検討している物件だったが、雨漏りはさらに費用がかさむ案件だ。
茜の暮らした実家は最近のリフォームまで雨が漏っていた。
そう告げると、晴人の眉間にしわがよる。
やはり、雨漏りに対する反応の正解はそっちだった。
「そういえばたしかに去年、お伺いするときに言ってたっけ、最近まで雨漏りしてたんだって。」
「うん。」
「その『最近』っていつのこと?平成になっても雨漏ってた?」
「うん、漏る漏る……いや、漏った漏った。二年くらい前まで。」
今度は眉間にしわではなく、うわあと純粋に驚く顔。
「え、あの家ってそんなに古かったっけ?」
「いや、だって、晴人が来たときはリフォーム後だから。」
晴人を連れて帰省したとき、茜は内心驚いていたのだ。きれいになった!と。
エンジンのかかる音がして顔を前に向けると、軽自動車が青信号になった十字路を直進した。
これも『最近』だ。
アイドリングストップ機能で、停車が長いとエンジンが自動でストップする。
この世の進化は毎年毎月、たゆまずに行われているだろうが、個々の暮らしはそのようには進まない。
リフォームし続けたり、毎年車を買い替えたりはできない。
あるときまである技術の中に囲まれて変わらずに暮らし、あるタイミングでいきなりそのときの最新に切り替えるから、家の内装でも自動車でも、必ず格段の変化をみせつけられる。
ついさっき、不動産屋の裏手にとめられたこの車に乗り込んだとき、晴人も「広いなあ」とつぶやいたが、あれも過去のそれと比較しないと出てこない感慨だ。
車は大きな通りから住宅街に入り込み、一軒の家の前に寄せて停車した。
「着きました。」
鍵を受け取り、駐車してくるという女の車を見送り、二人でいきなり中に入らずに家を見上げた。
「なんか……『トキワ荘』みたい。」
「分かる!」
茜は驚いて晴人の顔をみた。
同じ固有名詞を思い浮かべていたのだ。
アパートではなく一軒家なのに。
それに、かつて天才漫画家が集った有名なアパートの姿を実際にはちゃんと知っているわけでもないのに。
住宅街の中の、昭和っぽいたたずまいの家のイメージが二人とも漫画で知ったそれしかなかった。
晴人が鍵を差し込み引き戸を動かす。
ガラガラガラ。
これも「古い」と感じさせる音がしてその奥に暗い玄関と廊下が現れる。
ひんやりした玄関に入り込むとき、「トキワ荘」のような不思議な既視感を二人は再び味わった。
「おっと、気を付けて。」
靴脱ぎからの段差を先に越えた晴人が慇懃に差し出した手を、茜はわざとらしい、と笑いながらとる。
だいたいの内見を終え玄関に戻ると、遅れてきた不動産屋の女が制服姿のお尻をこちらに向けながら、二人の靴をそろえ直していた。
茜は女に、雨漏りする場所を尋ねた。
晴人が尋ねなかったのは、雨漏りの有無以前に借りる気がなかったからだろう。
茜も茜で気乗りしなかった。
間取りが複雑で、思った以上に住みにくそうだ。
先に図らずも露呈した、駐車のしにくさもデメリットだ。
隣家の塀と敷地間の近さや、ジメジメした気配も気になる。
だから、尋ねる必要はなかったのだが。
三人で台所まで戻り、女が天井を指さすと染みのようなものがみえる。
ということは……。
晴人と女はずっと天井を見上げていたが、茜だけすぐに視線を床に移した。
ということは、このへんに洗面器を置いたか。
ビニール樹脂製というのか、ひと昔前によくみたタイプの床の、ここに。
小山 志門:
まず舞台設定の確認をします。
誰が何をしているか読めましたか?木本さんいかがですか?
木本 景子:
そうですね。
茜と晴人が家の見取り図を眺めていますし、ハンドルを握る不動産屋の女という人物も出てきていますよね。
二人は不動産屋に案内してもらって家探しをしているようです。
小山 志門:
ありがとうございます。
これから住む家の物件を探しているこの二人はどんな関係でしょう?
晴人を連れて帰省したなどの表現も合わせて考えると、この二人はこれから結婚して人生を共にしていく夫婦のようです。
木本 景子:
なるほど。自分たちが過ごす新居を探しているんですね。
小山 志門:
そうですよね。
結婚を控え、新しい生活を始めようとする二人の心境というのはどんなものか想像できますか?
期待や希望、幸せに溢れた感じでしょうか?
逆に新しく二人で過ごすことに不安を感じる人もいるかもしれませんね。
本文を読んでみて、作品の中の二人には先ほど想像したウキウキしたような気持ちって見つけられますか?
木本 景子:
うーん。探してみたんですけれど、あんまり見つからないような気がします。
小山 志門:
そうなんですよね。
ま、そもそも雨漏りという話題や物件が古い家であること、ジメジメした気配などから新婚生活に胸を踊らせているという軽やかな状況ではなさそうです。
晴人の心情は想像するしかないのですが、少なくとも茜は新婚生活に胸を踊らせている単純な状況ではなさそうです。
むしろ少し理屈っぽく考えようとする茜の行動も重なって、少し重くて慎重な雰囲気が滲み出てます。
木本 景子:
はい。新婚夫婦という明るいイメージをあんまり感じませんね。
小山 志門:
そうですよね。
どうして新婚生活を控えた茜がこのように少し重い雰囲気でいるのか。
言葉で表現される茜の心情を中心に追いかけながら、晴人を始めとした周りの人と茜との関係を考えながら読み進めるといいと思います。
小山 志門:
「雨漏り」に対する二人の反応を整理する。
物語の場面を確認できたら登場人物の関係や心情を掴んでいきましょう。
茜は冷静で慎重です。本文中にも分析的で多少理屈っぽい人物像が思い浮かびます。
その茜の心情表現を丁寧に拾いながら読み進めましょう。
まず物語冒頭の一文を改めて読んでみてください。
木本 景子:
「見取り図の下部の『雨漏りする箇所あり』という特記事項に、茜と晴人はまるで異なる反応を同時に見せた」です。
小山 志門:
晴人は「え、それはちょっと」と困惑した感じでした。
それは雨漏りはNOだという拒否の反応ですよね。
それに対し茜は「へぇー」でした。
これってどんな心境なんでしょう?
木本 景子:
なんだか雨漏りに興味があるみたいな感じですね。
小山 志門:
続きにある「楽しい、ワクワクする装置ではない」と書かれているように、雨漏りを楽しんでいるような反応だったんです。
新居が雨漏りする家だと分かったら、おそらく晴人のように「それはちょっと困るな」というのが普通です。
木本 景子:
どうして茜はワクワクしたんでしょうか?
小山 志門:
茜の実家が最近まで雨漏りしてたようですから、そんな経験の中から雨漏りに対する反応が出たんでしょう。
みなさんこの二人の雨漏りに対する反応の違いについてどう感じたでしょうか?木本さんいかがですか?
木本 景子:
なんだか正反対な感じの反応ですね。
小山 志門:
そうでしたよね。
私はここに作品の意図を組んで考えて欲しいと思ってます。
何しろ物語の冒頭にいきなり描かれた出来事です。
つまりこの二人の違いを読者にしっかり注目させたかったはずなんです。
二人はどんな状況にいるんでしたか?
木本 景子:
新婚生活を始める二人ですね。
小山 志門:
そうです。
その家というのは生活の土台、その土台となるべき家に関するズレです。
些細なズレとは言えません。
敏感に茜はそれを感じ取ったのではないでしょうか。
雨漏りの他にも、例えば物件に入っていく時のシーンにもズレが見られます。
段差を先に超えた晴人が慇懃に手を差し出し、茜は「わざとらしい」と笑いながら取るという場面です。
「慇懃に」とはどういう意味ですか?
木本 景子:
慇懃は丁寧に優しく接するということです。
小山 志門:
これは新婚夫婦の弾んだ様子にも見えますが、その晴人の行為に違和感がなければ、あえて感じないはずの「わざとらしさ」を見つけています。
茜のズレの意識を読み取れます。
このように物語では、茜の意識の中にある晴人との間のズレが全体的に描かれてるように思います。
これが新婚なのに少し重い雰囲気になってるのではないでしょうか。
小山 志門:
「床」を見た茜の心情について考える。
新婚生活をやっていけないとかそんな深刻ではないのですが、人間関係は単純ではないものです。
そういう違いも見つめながら新しい生活を始めていくわけです。
木本 景子:
新しい生活は少し不安もありますよね。
小山 志門:
そうですね。
物件探しという点ではこの雨漏り物件には二人とも借りる気がない様子でしたよね。
ですが、茜は尋ねる必要はなかったのだが、雨漏りする場所を不動産屋の女にわざわざ確認をします。
この確認が物語を次の場面へ誘導するきっかけとなります。
さらに場所を教えてもらった時の茜はどのような行動を取ってますか?そう。
木本 景子:
そうですね。晴人と不動産屋の女はずっと天井を見上げていましたが、茜だけすぐに視線を床に移したとありますね。
小山 志門:
そうなんです。
そして「ということはこの辺に洗面器を置いたか」と続きます。
雨漏りを受け止める床を眺めるというのは実際その行為を知っている人だからこその行為ですよね。
雨が漏る天井を見る。そこから漏れる雨粒を想像し、落ちていく場所を探す。
そこから茜は自分の雨漏りに関わる経験を思い出していきます。
その物思いは茜の頭の中でどんどん深まっていきます。
床を眺めそこに意識を集中していく。
視界はそこに絞られ、頭はぼんやりと現実から離れていきます。
木本 景子:
あ、そんな風にしてこう自分の世界に入り込んでいったんですね。
小山 志門:
読者もその茜の思い出に誘い込まれていくんです。
さて、茜がどんな思いを巡らせているのかは次回読んでいきましょう。
さて、今回の講座のポイントをまとめておきましょうか。
学習のポイントは、
一つ目、場面の整理をする。
二つ目、雨漏りに対する二人の反応を整理する。
三つ目、「床」を見た茜の心情について考える。
この三つでした。
今回は茜と晴人の関係、茜の人物像や性格に注目しました。
ここから茜の過去の回想に繋がっていきます。
どんな過去を思い出すのか次回も読み進めていきましょう。
さて今回は「雨漏りの音」という小説を読みました。
小山先生、ありがとうございました。
小山 志門:
ありがとうございました。
木本 景子:
NHK高校講座、言語文化。木本景子と小山志門先生でお送りしました。