NHK高校講座 言語文化
(音楽)
ナレーション:
NHK高校講座、言語文化の時間です。
木本 景子:
皆さん、ご機嫌いかがですか? 木本 景子です。
今回は「漢詩と日本文学」です。
講師は渡辺 恭子先生です。よろしくお願いします。
渡辺 恭子:
渡辺 恭子です。よろしくお願いします。
一緒に楽しく漢詩を学びましょう。
前回までで四つの漢詩を学習しました。今回は「漢詩と日本文学」という題で、漢詩がどのように日本文学に影響を与えたのか、漢詩と日本文学との関係の一端を具体的に見ていきましょう。
それでは今回の学習のポイントを確認しておきましょう。
一、漢詩と日本文学について。
二、清少納言「雪のいと高う降りたるを」と白居易の漢詩。
三、「春暁」の訳詩について。
以上の三つです。
それでは学習を始めましょう。
(間奏)
木本 景子:
「漢詩と日本文学について」。
渡辺 恭子:
学習の初回に、孟浩然の「春暁」を学びましたが、その一句目「春眠暁を覚えず」などのように、私たちがつい口ずさんでしまう詩句もたくさんあります。
木本 景子:
はい。「国破れて山河在り」も漢詩からですよね。
渡辺 恭子:
そうですね。漢詩は昔から現在まで、絵画や書道の世界、詩吟などはもちろんのこと、日本の精神文化に大きな影響を与えてきました。
日本人は長い間にわたって、中国の進んだ文化を尊いものとして敬い、それを取り入れながら工夫し、独自の文化を生み出す努力をしてきたのです。
平安時代には遣唐使の派遣によって、唐風文化が黄金期を迎えます。
この時代、日本の古典を見ると、外国の文学作品である漢詩が驚くほどよく使われています。つまり当時の知識人の意識の中では、漢詩はもはや外国のものではなく、日本の古典として存在していたと言えますね。
木本 景子:
「清少納言『雪のいと高う降りたるを』と白居易の漢詩」。
渡辺 恭子:
ここでは実際に二つの作品、白居易の漢詩と清少納言の『枕草子』を読んで、漢詩と日本文学がどのように関係しているのか、その一例を見ていきましょう。
木本 景子:
はい。
渡辺 恭子:
まずは白居易の作品。「香炉峰下、新たに山居を卜し、草堂初めて成り、偶東壁に題す」という長い題名の漢詩からです。
それでは木本さん、ちょっと読んでみてください。
木本 景子:
はい。
「香炉峰下、新たに山居を卜し、草堂初めて成り、偶東壁に題す 白居易
日高く睡り足りて猶お起きるに慵し
小閣に衾を重ねて寒を怕れず
遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き
香炉峰の雪は簾を撥げて看る
匡廬は便ち是れ名を逃るるの地
司馬は仍お是れ老を送るの官
心泰く身寧きは是れ帰する処
故郷何ぞ独り長安に在るのみならんや」
渡辺 恭子:
はい、大変上手に読んでくださいましてありがとうございます。
この詩は一句が七字でできていて、全部で八句ありますから、詩の形式は七言律詩ですね。
題名の「香炉峰下、新たに山居を卜し、草堂初めて成り、偶東壁に題す」は、どのように訳すのでしょうか?
木本 景子:
はい。訳すと、「香炉峰の麓に新しく山居を占って定め、草堂が出来上がったばかりの時に、ふと歌って東壁に書きつけた詩」ということになります。
この詩は、白居易が四十六歳の時に江州というところに左遷されて、長官を補佐する暇な役職、「司馬」というのに就いた時の作品です。
この詩は五首連作詩の一つで、四番目に当たります。
では、この詩を現代語に訳すとこうなります。
「日は高く昇り、睡眠も十分取ったが、まだ起きるのは面倒だ。
この小さな家で、掛け布団を何枚も重ねているから、寒さの心配もない。
遺愛寺の鐘の音は、枕を傾けて高くして聴き、香炉峰に白く積もる雪は、手を伸ばして簾の端の方を少し持ち上げて眺める。
ここ廬山こそは、世俗の名利を避けて暮らすのに適した土地であり、司馬という仕事もやはり余生を送るのに適した暇な職務である。
身も心も平穏でいられる場所こそ、人間の安住の地。
故郷はどうしてただ長安にあるだけであろうか。いや、長安だけが故郷ではあるまい。」
木本 景子:
これはどういう状況を歌っているんですか?
渡辺 恭子:
はい。この前半、一句から四句は、ある朝のことを、「日はすでに高く昇ってしまったのに、なかなか布団から抜け出せない。役所に出向いたところで仕事があるわけじゃないし」と、のんびり鐘の音を聞き、峰の雪を眺めやる。そんなのどかな様子を歌っています。
そして後半は、左遷の境遇での白居易の人生観を述べています。普通なら長安に帰りたいと思う気持ちを、「心身共に安らかなら、どこだって故郷のようではないか」と言っているのです。
しかしこれは本心ではなく、「都長安だけが故郷ではない」とわざわざ言う、その言葉の裏に、やはり切々たる長安への慕情が読み取れる、というのが一般的なこの詩の解釈です。
木本 景子:
なるほど。やっぱり都に対する思いというのはあるんですね。
渡辺 恭子:
はい。ところで、この詩の頷聯、三句、四句、「遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き、香炉峰の雪は簾を撥げて看る」は、特に日本人には馴染みの深いフレーズです。
この二句は、名句である『千載佳句』や、藤原公任撰の『和漢朗詠集』にも収録されているので、ますます有名になりました。
『枕草子』の二百八十段、「雪のいと高う降りたるを」や、『源氏物語』、「総角の巻」にも登場しています。
木本 景子:
『枕草子』にも影響を与えているんですか?
渡辺 恭子:
そうなんですよ。
それでは、白居易の漢詩が使われた『枕草子』の「雪のいと高う降りたるを」、実際に見てみましょう。
まず木本さん読んでください。
木本 景子:
はい。
「雪のいと高う降りたるを 清少納言
雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子参りて、炭櫃に火おこして、物語などして集まり候ふに、
『少納言よ、香炉峰の雪いかならむ』
と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑わせたまふ。」
渡辺 恭子:
はい、とてもきれいに読んでいただいてありがとうございます。情景がとてもよく思い浮かびました。
この話を少し説明します。
ある雪の降った朝、中宮様が清少納言に、「香炉峰の雪はどうであろう」とおっしゃったわけですね。
すると清少納言がすかさず、スルスルと御簾を上げて見せました、ということです。
もちろん中宮様のところから香炉峰が見えるわけはありません。
清少納言は、白居易の「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」という句を覚えていて、見事に中宮様の期待に応えたのです。
そして、この清少納言の機転の早さに、他の女官たちも拍手喝采、盛り上がった場面です。
最後の中宮様の「笑い」は、自分の思った通りに行動した清少納言に対する賞賛と満足の気持ちでしょう。
また、清少納言も、この出来事を『枕草子』に書きつけたぐらいですから、この上ない得意な気持ちだったに違いありません。
木本 景子:
パッと句が出てきて行動できるくらいですから、とっても馴染み深かったということですね。
渡辺 恭子:
はい。この話からも分かるように、平安時代の貴族たちは、中国の詩文に対する教養をみんな身につけていました。
特に漢文は当時男性の学問であるとされていましたが、清少納言は清原家という学者の家庭で育っただけに、漢文の教養も持ち合わせていました。
この話からも、清少納言が仕えた中宮定子様のサロンでは、機知に富んだ明るい会話が日常的になされていたことが分かりますよね。
(間奏)
木本 景子:
「『春暁』の訳詩について」。
渡辺 恭子:
漢詩の「訳詩」というのは、基本的には漢詩を日本語に訳すことです。
しかしその訳し方は様々で、作者の内面に迫り、それを踏まえつつも、自由詩、創作詩として訳出されることがほとんどです。
木本 景子:
訳す人の個性が出るわけですね。
渡辺 恭子:
そうなんです。今回は漢詩「春暁」について、三人の訳詩を見ていきます。
それでは木本さんに「春暁」の訳詩を一つずつ読んでもらいますが、注目してほしいのは、それぞれの着眼点や表記の仕方、そして「春暁」のイメージの捉え方です。
初めは、広島県出身の昭和の小説家、井伏鱒二さんの訳詩です。
では木本さんお願いします。
木本 景子:
「春暁 井伏鱒二訳
ハルノネザメノウツツデ聞ケバ
トリノナクネデ目ガサメマシタ
ヨルノアラシニ雨マジリ
散ツタ木ノ花イカホドバカリ」
渡辺 恭子:
はい、ありがとうございます。いかがですか?
カタカナと漢字交じりの表記ですよね。どんな感じがしますか? 読みにくいですか?
カタカナは漢文訓読の送り仮名に用いられますから、漢字とカタカナの表記に漢文らしさを感じた人もいるかもしれませんね。
その他に何か気づきませんでしたか?
木本 景子:
そうですね。三句目だけリズムが違いますね。
渡辺 恭子:
そうですね。三つの句のリズムが七・七調なのに、転句だけ七・五調になっていますね。
なぜでしょう?
転句はガラッと場面が変わるところです。それを表現したかったのかもしれません。
また内容としては、二句目の「処々」が訳出されていないこと。
同じ承句で、「トリノナクネデ目ガサメマシタ」と、「目が覚めたのだ」とはっきり言い切っているところが注目点ですね。
次に、明治から昭和初期にかけての歌人であり、国文学者でもあった土岐善麿さんの訳詩です。
木本さん読んでください。
木本 景子:
「春あけぼの 土岐善麿訳
春あけぼののうすねむり
まくらにかよう鳥の声
風まじりなる夜べの雨
花ちりけんか庭もせに」
渡辺 恭子:
はい、さすが歌人だけあって、七・五調のリズムが心地よい訳詩ですよね。
木本さん、何か気づいたことはありますか?
木本 景子:
一句目から三句目までは名詞で終わっていますね。
渡辺 恭子:
うん。そうですね。起句、承句、転句が名詞で終わっています。リズムよく体言止めになっていますね。
結句だけが体言止めになっていないことで、かえって印象に残ります。
また結句の最後、「庭もせに」の「せに」ですが、「狭い」という漢字に「二」と書きます。
つまりここは、花が所狭しとたくさん散り落ちた庭の様子を想像しているのです。
歌人だけあって全体的にきれいな訳詩ですね。
さて、最後は昭和から平成初めにかけての中国文学者、前野直彬さんの訳詩です。
前野直彬さんは、専門書から学習参考書まで、たくさんの中国関係の本を書いています。
余計なことですが、私と誕生日が同じなので、ご著書を親近感を持って拝読していました。
木本さん読んでみてください。
木本 景子:
「春のあかつき 前野直彬訳
春の眠りに明けそめたとも知らなかったが
あちらでもこちらでもさえずる鳥の声
そうだ ゆうべは風雨の音がしていた
さて花はどれほど散ったかしら」
渡辺 恭子:
はい、ありがとうございます。口語体なので分かりやすいですね。
作者孟浩然の言葉と気持ちに忠実に、丁寧に、そして私たちが分かりやすいように工夫して訳しているように思われます。さすが学者さんですね。
「春暁」の訳詩を三つ鑑賞しましたが、それぞれ特徴がありました。
皆さんはどの訳詩が一番好きですか?
(間奏)
木本 景子:
それでは今回の講座のポイントをまとめましょう。学習のポイントは、
一、漢詩と日本文学について。
二、清少納言「雪のいと高う降りたるを」と白居易の漢詩。
三、「春暁」の訳詩について。
以上の三つでした。
渡辺 恭子:
今回は「漢詩と日本文学」について学習しました。
漢詩と日本文学とが身近なことが分かったでしょうか?
皆さんも是非漢詩を読んでくださいね。
木本 景子:
さて今回は、渡辺 恭子先生と「漢詩と日本文学」について学習しました。渡辺先生、ありがとうございました。
渡辺 恭子:
ありがとうございました。
木本 景子:
NHK高校講座、言語文化。木本 景子と渡辺 恭子先生でお送りしました。