NHK 高校講座 言語文化 第17回
テーマ:「古文の窓 兼好法師、こんな一面も」 [cite: 135, 136]
(音楽・オープニング)
河実里夏(進行役): [cite: 98, 99]
NHK 高校講座 言語文化 始まります。皆さんご機嫌いかがですか? 河実里夏です。
今回のテーマは「古文の窓 兼好法師 こんな一面も」です。どんなことを学習するんでしょうか?
講師は、山本章博先生です。よろしくお願いします。 [cite: 85, 88]
山本章博(講師):
こちらこそよろしくお願いします。
さて、これまで『徒然草』の4つの段を読んできましたが、皆さんどの段が印象に残っているでしょうか? 河さんはいかがですか?
河:
はい、私は第189段の、人生について書かれていた段がとても印象に残っています。
山本:
なるほど。なかなか深いことが書いてありましたね。今回は兼好法師という人物について深堀りしてみましょう。
河:
それでは今回の学習のポイントです。
1. 出家者としての兼好法師を知る [cite: 139]
2. 歌人としての兼好法師を知る [cite: 140]
3. 兼好法師の和歌を読む [cite: 141]
以上の3つです。では学習を始めましょう。
(チャイム)
河:
「出家者としての兼好法師を知る」。
山本先生、『徒然草』が書かれたのは鎌倉時代の終わりで、今から700年くらい前ですよね。そんな昔のことはどうやって知ることができるんですか?
山本:
はい。はるか昔の人がどのような人であったのか、これを知ることは大変難しいことです。その人物について書いたものがあれば、そこから考えることができますよね。その書いたものがたくさん残れば良いのですけれども、兼好の場合はほんのわずかな記録しかありません。
河:
ではどうしたらいいんでしょうか?
山本:
当時の本があればそれを見ればいいのですが、ここで少し当時の本の話をします。『徒然草』が書かれた鎌倉時代では、物語や和歌や随筆などの文学作品は、印刷して本にするということはありませんでした。今なら欲しい本があれば本屋さんに行って買えば良いのですが、当時本屋さんはありません。
河:
誰かに借りたんですか?
山本:
その通りです。人から借りてきて読むんでした。そして手元に残しておきたい場合、どうしたと思いますか? もちろんコピー機などはありません。
河:
コピー機がないとなるとどうしていたんですか?
山本:
手書きで書き写して自分のものにしたのです。このように書き写した本を「写本(しゃほん)」と言います 。『徒然草』については、作者兼好法師自身が書いた元々の本は残念ながら残っていません。長い年月の中でどこかでなくなってしまいました。でも写本が残っているので、私たちは『徒然草』を読むことができるのです。
その『徒然草』の写本で最も古いものは、「正徹(しょうてつ)」という人物が写したものです 。
河:
それはいつくらいの事なんですか?
山本:
室町時代の中期です [cite: 148]。この正徹は『徒然草』の成立からおよそ50年後に生まれた人で歌人ですが、兼好法師についてよく知っていたようで、『正徹物語』という作品の中で兼好法師について書いてくれています [cite: 145]。これによって兼好法師はどのような人であったのか、わずかですが知ることができるのです。
河:
どんな風に書かれているんですか?
山本:
はい。それによると、兼好は出家して僧侶になる前は、「兼好」という名前でした 。僧侶の呼び名として「兼好」の字をそのままにして音読みするようにしたのです。『方丈記』を書いた鴨長明も、出家前の名前は、字はそのままにして「長明」と言いました。
河:
兼好法師は出家する前は何をしていたんですか?
山本:
はい。宮廷を警備する武士であったようなのです [cite: 150]。今回読んだ『徒然草』の4つの段では出てきませんでしたが、『徒然草』には宮廷の中の様子が詳しく書かれている段が多くあります。兼好は宮廷を警備していたわけですから、その中の様子を知ることができたのですね。
河:
武士だった兼好はなぜ出家したんですか?
山本:
『正徹物語』には、「後宇多上皇(ごうだじょうこう)」が亡くなった、それをきっかけに出家したと書かれています 。これについては本当のことかどうか疑う説もありますが、兼好は宮廷を警備する武士として天皇上皇に仕え、近く側に働いていたのだと思います。出家したのは30歳前後ではないかと考えられています [cite: 143]。
河:
結構若い頃に出家したんですね。
山本:
そうですね。宮廷に出入りするほどの身分であったのですから、まだまだ若く出世の道もあったでしょう。それでもそれを捨てて僧侶になったのです。
「つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて」。「退屈に任せて1日中硯に向かって」とありましたが、そうした自由な時間というものは、出家したからこそ得られたものなのかもしれません。
河:
なるほど。私たちも学校へ行ったり会社へ行ったり忙しく、なかなか自由な時間は得られませんよね。兼好はそうした忙しい一般社会の生活を離れて、ゆっくりと少し外から社会を眺め、人間を眺めて書き記したのが『徒然草』ということになります。
河:
「歌人としての兼好法師を知る」。ここでは歌人としての兼好についてお話しましょう。
山本:
随筆を書いて和歌も詠めたって多彩な人だったんですね。そうなんです。先ほどの『正徹物語』で正徹は、兼好が大変優れた歌人であったとも記しています。歌人とは5・7・5・7・7の和歌を詠む人のことですね。兼好が和歌の詠み方を習った先生は、「二条為世(にじょうためよ)」という人です [cite: 153, 154]。この人は聞いたことがないでしょう。河さんどうですか?
河:
うん。聞いたことない人ですね。
山本:
そうですよね。それでは「藤原定家(ふじわらのていか)」という歌人は知っていますか?
河:
藤原定家は知っています。百人一首を選んだ人ですよね。
山本:
その通りです。兼好の和歌の師匠、二条為世はその藤原定家の曾孫にあたります 。
河:
そういう関係なんですね。
山本:
そうです。定家の子供も孫も大変有名な歌人で、この定家の家柄は歌の家として確立していきました。つまり当時最も権威のある先生に兼好は歌を学んだわけです。
河:
はあ。そんな有名な人に和歌を教えてもらったんですか?
山本:
そうなんです。その二条為世には教え子がたくさんいましたが、その中でも特に優秀な4人の弟子がいて「和歌四天王(わかしてんのう)」と呼ばれていました 。兼好はなんとその1人であったのです 。
河:
「兼好法師の和歌を読む」。ここでは兼好の和歌を読んでみたいと思います。
山本:
先ほど触れた和歌四天王の1人に、「頓阿(とんあ)」という僧侶の歌人がいました [cite: 166]。兼好とその頓阿がやり取りした和歌を挙げてみましょう。世の中が不安定で落ち着かなかった頃、次の和歌を兼好は頓阿に送りました。
「夜も涼し 寝覚めの仮庵 手枕も 真袖も秋に隔てなき風」 [cite: 172]
河:
どんな意味ですか?
山本:
それでは解釈してみましょう。
「夜も涼し」、夜も涼しい。
「寝覚めの仮庵」、寝覚めは夜中にふと目が覚めることです。仮庵は粗末な小屋のような建物のことです [cite: 177]。
「手枕」、自分の腕を枕とすること。
「真袖」、真袖は左右揃った袖のことです。
手枕にも真袖にも秋の風は隔てなく吹く。
粗末な小屋のような建物で夜寝ていて、ふと目が覚めると秋の涼しい風が感じられたというような歌です。秋の独り寝の寂しさを詠んだものですね [cite: 177, 178]。
河:
1人で寂しいということを伝えたんですか?
山本:
さあどうでしょうか? 一体兼好は頓阿に何を伝えたかったのでしょうか? その真意は、実は暗号のような形でこの歌の中に隠されているのです。
河:
え、どんなことですか?
山本:
はい。5・7・5・7・7のそれぞれの語の最初の文字を抜き出してみてください [cite: 179]。
河:
はい。「夜も涼し」の「よ」。「寝覚めの仮庵」の「ね」。「手枕も」の「た」。「真袖も秋に」の「ま」。「隔てなき風」の「へ」です。
山本:
はい。それを続けると「よねたまへ」となります [cite: 179]。
河:
「よねたまへ」。どういうことですか?
山本:
「よね」は「お米」のこと。「たまへ」は「ください」という意味です [cite: 179]。
河:
お米をください。
山本:
そうです。お米をください。これが隠されているのです。
河:
そんなことが隠されているんですね。驚きました。
山本:
でもまだこれだけではありません。
河:
まだ何か隠されているんですか?
山本:
今度は5・7・5・7・7のそれぞれの句の最後の文字を抜き出してみてください。第2句「寝覚めの仮庵」の最後の「ほ」は読みは「お」ですけれども文字としては「ほ」として考えてください [cite: 180]。
「夜も涼し」の「し」。
「寝覚めの仮庵」の「ほ」。
「手枕も」の「も」。
「真袖も秋に」の「に」。
「隔てなき風」の「ぜ」。
下から続けると「し・ほ・も・に・ぜ」になりました。これはどんな意味なんですか?
河:
はい。意味が通じませんね。
山本:
下から逆に読んでみましょう。「ぜにもほし」となります [cite: 180]。
河:
「ぜにもほし」。何を意味しているんでしょうか?
山本:
これでもまだ分かりませんね。「せにもほし」のどれかの文字1つに濁点を打ってみてください。
河:
はい。あ、「銭も欲し」ですか?
山本:
そうです。「銭も欲し」。銭とはお金のことですから、お金が欲しい。これがさらに隠されているのです [cite: 180]。
「よね賜へ」。「銭も欲し」。お米をください。お金も欲しいと、兼好は頓阿に伝えたということになります。こういう技法を「沓冠(くつかぶり)」と言いますが、和歌の表現技法の中でも特殊なもので、そんなにたくさん見られるものではありません 。
河:
受け取った頓阿はどう答えたんですか?
山本:
さてさて、歌を送られた頓阿はこれに返事をしなければなりません。頓阿は同じ四天王のライバルですし、見事な沓冠の歌を送られてきて、それに負けない歌を詠もうとしたのでしょう。
頓阿が返した歌は次のようなものでした。
「夜も憂し ねたくわが背子 果ては来ず なほざりにだに しばし訪ひこせ」 [cite: 182]
歌の意味は、「夜も辛い。恋しいあの人(夫)は結局来なかった。いい加減な気持ちでもいいから少しでも訪ねてほしい」ということです [cite: 186]。
兼好が1人で夜寝ることの寂しさを詠んできたので、今度は恋しい人が来てくれない寂しさを詠んで、その兼好の歌に応じたものです。
この歌も沓冠の技法の歌です。これはどうなるでしょうか? 考えてみてください。兼好の歌と同じように語の最初の文字を上から読むと、「よねはなし(米は無し)」ですね [cite: 187]。
河:
そうです。つまり「よね(お米)」は「なし(ない)」ということです。また語の1番下の文字を下から読むと「せにすこし」となりますね [cite: 193]。
山本:
あ、「銭少し」ですか? [cite: 193]
河:
その通りですね。「お金なら少しありますよ」ということです。兼好が「米賜へ 銭も欲し」と沓冠の歌で言ってきたのに対して、「米なし 銭少し」と同じ沓冠の歌で答えたということです。
こんな歌のやり取りを見てどんな感想を持ちますか?
山本:
そうですね。同じ沓冠で返そうと思っても、即座にできることではないと思うので、さすがライバル同士なんだなと思いました。
河:
そうですね。それにしてもよく考えられているなと思いますよね。四天王としての歌の技量が遺憾なく発揮された歌だと思います。またこうした兼好と頓阿の関係も何か温かく微笑ましく思われますね。日々のコミュニケーションの中でも、ユーモアを持って言いにくいことを伝えたり、それを柔らかく受け止めたりすることは大切だなと感じました。
それでは今回の講座のポイントをまとめておきましょう。
学習のポイントは、
1. 出家者としての兼好法師を知る [cite: 139]
2. 歌人としての兼好法師を知る [cite: 140]
3. 兼好法師の和歌を読む [cite: 141]
この3つでした。
今回は正徹の記録を元に兼好法師について詳しく学習をしました。元は「兼好」という名で宮廷を警護する武士でしたが、30歳ぐらいで出家したと考えられていること。また和歌四天王に数えられた優れた歌人であったことを押えました。兼好と同じく和歌四天王の1人であった頓阿と実際にやり取りした和歌を読み、2人の和歌の技量を確認しました。『徒然草』の学習は以上になります。ここで読んだのは本の一部ですから、皆さんも是非他の段を読んでみてください。
さて今回は、山本章博先生と「古文の窓 兼好法師 こんな一面も」というテーマで学習をしてきました。山本先生、ありがとうございました。
山本:
ありがとうございました。
河:
NHK 高校講座 言語文化。河実里夏と山本章博先生でお送りしました。