NHK高校講座 言語文化
木本景子(MC):
NHK高校講座「言語文化」の時間です。皆さんご機嫌いかがですか?木本景子です。
今回は「亀山殿の御池に」というお話を読んでいきます。このお話は『徒然草』に収められているんだそうです。その『徒然草』についても勉強していきます。
講師は山本章博先生です。よろしくお願いします。
山本章博(講師):
え、山本です。よろしくお願いします。
改めまして、山本章博です。言語文化の主に古文を担当します。私は高校時代の古文の授業で日本の古典、特に和歌の面白さを知り、国語の教員になろうと思いました。皆さんにも少しでも古典の面白さを伝えることができればと思っています。
木本:
よろしくお願いいたします。それでは今回の学習のポイントです。
一、『徒然草』について知る。
二、二つの水車の違いを理解する。
三、この段の教訓を考える。
以上の三つです。
始めましょう。
木本:
『徒然草』について知る。
山本:
今回から六回にわたって『徒然草』を読んでいきます。皆さんは『徒然草』について何か知っていることはあるでしょうか?木本さんはいかがですか?
木本:
一回目の「古文に親しむ」で出てきましたが、「つれづれなるままに、日暮らし」で始まるんでしたよね。
山本:
そうですね。「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて」という冒頭の一文は有名ですね。
まずは『徒然草』の基本的なことを押えておきましょう。
成立、書かれた時代は鎌倉時代の終わり頃。西暦で言うと1330年頃です。
木本:
今からおよそ700年くらい前ですね。
山本:
はい。作者は兼好法師という僧侶、お坊さんです。詳しくはもう少し後の回で説明しますが、僧侶になる前の名前は卜部兼好と言います。
三十歳頃に出家、つまり僧侶になり、兼好と名乗りました。また、和歌を詠む人としても有名な人でした。
木本:
お坊さんでさらに和歌を詠むということで、多彩な人なんですね。
山本:
そうですね。この『徒然草』はジャンルとしては「随筆」に分類されます。随筆はエッセイとも言いますが、自分が経験したことや考えたことなどを自由な形式で書き記したものです。
古典文学の随筆としては、この他に平安時代の清少納言の『枕草子』や、鎌倉時代の初めに書かれた鴨長明の『方丈記』がよく知られています。
木本:
『枕草子』も『方丈記』も全文は読んだことはありませんが、冒頭などに少し触れたことはあります。
山本:
さて、『徒然草』には作者・兼好法師が実際に見たことや聞いたことが書かれているわけですが、その内容は実に様々で、全部で243の話から成り立っています。
『徒然草』では通常「段」と呼びますが、序段を含めて、この後読んでいきたいと思います。
その前に、先にも触れた序段の「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて」の一文の意味を考えてみましょう。木本さん、冒頭の文を読んでみてください。
木本:
はい。
「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」
山本:
ありがとうございます。書名にもなっている「つれづれ」は「暇、退屈」という意味です。「退屈なまま、日暮らし(一日中)、硯に向かって」、今で言えば机に向かってということですね。「心にうつりゆく(心に浮かんでは消えていく)」、「よしなしごと(どうでもよいこと、たわいないこと)」を、「そこはかとなく(なんとなく)」書きつくれば(書いていると)、「あやしうこそものぐるほしけれ(不思議と気が変になりそうだ)」。
つまり、この『徒然草』は、どうでも良いことを暇に任せてなんとなく書いたものに過ぎず、あまりにもおかしくなっていて、我ながら頭がクラクラしそうだ、と言っているんですね。
木本:
なんだか随分と謙遜していますね。
山本:
そうなんですね。とは言いながら、結構自信があったんではないかと思いますが、どうでしょうか。「僕全然ダメなんです」と言いながら、内心結構自信があったりする、そんなことはありますよね。
木本:
はは、確かにそういうこともありますよね。
山本:
はい。書かれた当時の評判については資料がなくわかりませんが、後の時代の人々に高く評価されて、こうして古典として長く読み継がれてきたのです。
木本:
およそ700年も前に書かれたものが今も読まれているというのはすごいことですね。
山本:
はい。それでは今回学習する「亀山殿の御池に」の朗読を聞いてください。朗読は高山久美子さんです。
高山久美子(朗読):
亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて、大井の土民に仰せて、水車を造らせられけり。
多くの銭を賜ひて、数日に営み出だして、掛けたりけるに、おほかた廻らざりければ、とかく直(なオ)しけれども、つひに回らで、いたづらに立てりけり。
さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るること、めでたかりけり。
よろづに、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。
木本:
二つの水車の違いを理解する。
山本:
それでは解釈をしていきましょう。
「亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて」。
この「亀山殿」は、鎌倉時代の上皇、後嵯峨上皇が造った御所で、現在で言うと京都の西北部、嵯峨と呼ばれるところにありました。「大井川」はその亀山殿の近くを流れる川で、今は桂川と呼んでいます。「水をまかせる」というのは、その川の水を池に引き入れることです。
木本:
では現代語訳すると、「後嵯峨上皇の御所の池に、大井川の水を引き入れなさろうとした」ということですね。
山本:
はい、その通りです。
そして「大井の土民に仰せて、水車を造らせられけり」。「大井の土民」はその大井川沿いに住む住人のことです。上皇は大井の人々に依頼なさって、川の水を池に引き入れるために水車を造らせました。
木本:
その水車で川の水を引き入れようとしたんですね。うまくいったんでしょうか?
山本:
さあどうでしょうか。
「多くの銭を賜ひて、数日に営み出だして」。この「銭」はお金のこと、「賜ひて」はお与えになってという意味です。「数日に営み出だして」は、数日間をかけて造り出したということです。
上皇は多くの金銭をお与えになって、大井の人々はその資金を使い、数日間をかけて水車を完成させました。
「掛けたりけるに、おほかた廻らざりければ」。
「おほかた」は「全く」という意味になります。その完成した水車を川に掛け、設置したところ、全く回らなかったのです。
木本:
なんと、失敗してしまったんですか?
山本:
はい。そうなんですね。お金も時間もかけて造ったのに大失敗してしまったわけです。
「とかく直しけれども、つひに回らで、いたづらに立てりけり」。
それでも諦められなかったんでしょう。「とかく(あれこれと)」直しけれども(修理したけれども)、「つひに(最後まで、結局)」回らで(回らないで)、残念ながら結局最後まで回らないで、「いたづらに立てりけり」。何の役にも立たない状態で、水車はその後立ち続けていました。
「いたづらに」は「いたづらなり」という形容動詞で、「役に立たない、無駄である、むなしい」という意味になります。
え、私たちも「いたずらをする」と言いますけれども、いたずらのような悪ふざけは無駄で役に立たないものですよね。
大井の人々は、お金と時間をかけて水車を造ったのですが、うまく造れなかった。これが一つ目の水車のお話です。
木本:
回るものというのはどうでしょうか、少しでも引っかかってしまうと止まってしまいますので、造るのは結構難しかったんじゃないでしょうかね。
山本:
そうですよね。ただ先生、難しいと言っても、水車を造るようにと依頼した上皇様は、できなかったと言われても困りますよね。上皇様はどうされたんでしょうか?
山本:
はい、では続きを読んでみましょう。
「さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ」。
水車が使えないのでは困るということで、上皇は京都の南の方にある「宇治」に住む人々をお呼びになり、水車を造らせました。
「やすらかに結ひて参らせたりけるが」。
そうしたら宇治の人々は、「やすらかに(やすやすと、いとも簡単に)」、「結ひて(水車を造って組み立てて)」、「参らせたりけるが(上皇にお納めしたのですが)」。
木本:
おお。宇治の人たちは簡単に水車を造れたんですね。
山本:
そうなんです。
「思ふやうに廻りて、水を汲み入るること、めでたかりけり」。
思いのままに回って、水を汲み入れること、「めでたかりけり(見事であった)」と言うんです。
木本:
良かったですね。
山本:
はい。「めでたし」は形容詞ですが、「見事だ、素晴らしい」という意味を持ちます。私たちはお祝いする時に「おめでとう」と言いますよね。これは「大変素晴らしいことですね」と言っているのです。これが二つ目の水車の話です。
木本:
なるほど。ではまとめてみると、大井の人々は数日間かけて水車を造って色々直したけれど失敗しましたが、宇治の人々は時間をかけずにいとも簡単に造り、大成功させたというわけですね。
山本:
はい、その通りんです。
木本:
この段の教訓を考える。
では、どうして宇治の人は水車をうまく造ることができたのでしょうか?
山本:
どうしてなんでしょうか?
宇治は京都の南の方にありますが、ここにも「宇治川」という川が流れていて、水車が多いことで有名な場所でした。
木本:
そうすると、宇治の人々は水車を造ることに慣れていたんですね。
山本:
そういうことなんです。上皇は水車を造るのに、近くの人に頼めば良いと思い、大井の人に初め造らせました。しかしうまくいかなかった。そこでどうしようかと考えて、慣れている宇治の人に頼めばうまくいくのではないかと思いついたのです。案の定、宇治の人は完璧な水車を造ってみせました。
さて、以上のような二つの水車についての話を聞いて、皆さんはどんな感想を持ったでしょうか?木本さんはいかがですか?
木本:
そうですね。ま、初めから慣れている人に頼んでいれば早く確実にできてよかったなという気持ちもありますが、ま、何事もやってみないと分からないなとも思いますので、チャレンジすることは大切だなって思いました。
山本:
なるほど。お金とか造った水車が回らないまま放置されているのはもったいないなとか、最初から宇治の人に頼めばよかったのになど、感想を持った人もいるんじゃないでしょうか。
作者の兼好法師は最後に次のように言っています。
「よろづに、その道を知れる者は、やんごとなきものなり」。
「よろづ」は数が非常に多いということで、「万事、たくさん、様々」といった意味になります。「その道を知る」というのは、その専門分野についてよく知っているということですね。その道を極めるというような言い方がありますが、え、それに近いと思います。
では、その次の「やんごとなき」は現代語にはない言葉ですね。
木本:
そうです。「やんごとなし」という形容詞で、今ではほとんど使わない言葉ですが、「そのまま捨てておくことができない」、つまり「優れている、大したものである、大切なものである」という意味になります。
兼好は、様々なことについて、その専門分野についてよく知っている人は、大したものであり、大切にすべき存在だな、という感想を述べているのです。
木本:
現代でも「餅は餅屋」と言いますよね。何でも専門の方に任せるのが安心ですし、早くできますよね。
山本:
そうですね。宇治の里人は水車造りのプロであり、さすがの技術を持っていたわけです。その宇治の地だけではなく、また別の少し離れた嵯峨の地でも、その熟達した技術が広く役に立ったのです。
一つの技術を身につければ、広く人々の役に立つことができる。是非一人一人が何でも良いので、専門的な熟達した技術を身につけるのが良いと、兼好法師は考えているように思うのですが、いかがでしょうか?
木本:
それでは今回の学習のポイントを確認しましょう。
一、『徒然草』について知る。
二、二つの水車の違いを理解する。
三、この段の教訓を考える。
以上の三つでした。
山本:
兼好法師の『徒然草』は、鎌倉時代の終わりに書かれた随筆で、243の様々な話を集めたものです。その中の第五十一段「亀山殿の御池に」を読みました。
上皇の御所・亀山殿の水車を造るにあたって、近くの大井の人々に造らせたがうまくいかず、宇治の人々に造らせたところ簡単に造り上げたという話でした。宇治の人々は水車造りに慣れていて、確かな技術を持っていたのですね。
木本:
そうですね。このようなエピソードに対して、作者の兼好法師は「その専門的な熟練した技術というものは見事なものである」と感想を述べています。専門的な技術を身につけることの大切さ、私たちにも感じさせてくれるお話でした。
さて今回は、山本章博先生と「亀山殿の御池に」を読みました。山本先生、ありがとうございました。
山本:
ありがとうございました。
木本:
NHK高校講座「言語文化」。木本景子と、山本章博先生でお送りしました。