言語文化 #12
講師 山本 章博
学習のねらい
今回から『徒然草』を読んでいきます。『徒然草』は、いつだれが書いたものなのでしょうか。まずは、作品の基礎知識を学びます。次に、「亀山殿の御池に」という段を読みます。水車をめぐる簡単なお話しですが、それを理解して、どのような教訓を読み取ることができるのか、考えてみましょう。
本回開始閱讀《徒然草》。《徒然草》是何時、由何人所寫的呢?首先學習作品的基礎知識。接著閱讀「亀山殿の御池に」這一段。雖然是圍繞水車的小故事,但其中蘊含著讓人思考「適材適所」的內容。讓我們一邊閱讀,一邊思考其教訓吧。
●学習のポイント●
〈一〉『徒然草』について知る
〈二〉二つの水車の違いを理解する
〈三〉この段の教訓を考える
〈一〉了解關於《徒然草》 〈二〉理解兩個水車的差別 〈三〉思考此段的教訓
『徒然草』の基礎知識
● 鎌倉時代末期の成立。
● 作者は、兼好法師。俗名(出家前の名前)は、卜部兼好。
● 随筆。全二百四十三段から成る。
《徒然草》的基礎知識: ●成立於鎌倉時代末期。 ●作者為兼好法師。俗名(出家前的名字)為卜部兼好。 ●隨筆。全書共二百四十三段。
〈序段〉
「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」
(《徒然草》序段)「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」
〈現代語訳〉
退屈なまま、一日中、硯に向かって、心に浮かんでは消えていくたわいもないことを、なんとなく書いていると、不思議と気が変になりそうだ。
(《徒然草》序段現代語譯)「就這麼閒著無聊,整日對著硯臺,把心中浮起又消失的無謂之事,沒個條理地寫下來,竟莫名地像要變得心神不寧似的。」
後嵯峨上皇は、亀山殿と呼ばれた御所の池に大井川の水を引き入れようとして、水車を造らせることになりました。大井の住民に造らせたところ、お金と時間をかけたのにもかかわらず、出来上がった水車はまったく回りませんでした。あれこれ修理しても直らず、そのまま放置されることになりました。そこで、宇治の里人に造らせたところ、いとも簡単に造って、水車は見事に回りました。大井の人は水車造りに失敗し、宇治の人は成功しました。これがこの段の内容です。
後嵯峨上皇為了將大井川的水引入被稱為「亀山殿」的御所之池中,命人造水車。命大井川的住民造,雖然花了金錢與時間造出,但完全不轉。其後,召集了水車有名的宇治的里人來造,據說輕鬆就造出了「能好好轉動的水車」。讀完此話後,請思考以下問題:「為什麼宇治的里人能如此輕易地造出水車呢?兼好法師想透過此話傳達怎樣的訊息呢?」
【重要語句】
● いたづらなり(形容動詞) …… 役に立たない。無駄である。
● めでたし(形容詞) …………… 見事だ。素晴らしい。
●いたづらなり(形容動詞)……沒用、徒勞無功 ●めでたし(形容詞)………出色、了不起
なぜ宇治の里人は、いとも簡単に水車を造ることができたのでしょうか。宇治には宇治川が流れていて、水車が多い所として有名でした。つまり、宇治の人々は、水車を造ることに熟達していたのです。
兼好法師は、この段の最後に、「何ごとにつけても、その専門に熟達している者は、たいしたものである。」と言っています。どんな分野であっても、専門的な熟達した知識や技術は、素晴らしいものであり、広く人の役に立ちます。専門的な熟達した技術を身に付けることの素晴らしさを教えてくれる段です。
為什麼宇治的里人能如此輕易地造出水車呢?宇治有宇治川流過,作為「水車眾多」之地而聞名。也就是說,宇治的人們熟練於造水車。兼好法師透過此段,傳達了「能造水車的不是大井的人,而是宇治的人」——也就是「並非任何人都可以,能勝任這份工作的是擅長此事的人」。換言之,本段傳達了所謂「適材適所」之事。
【重要語句】
● やんごとなし(形容詞) ……… 捨てておくことができない。たいしたものだ。貴重だ。
●やんごとなし(形容詞)………無法輕忽、了不起、貴重
亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて、大井の土民に仰せて、水車を造らせられけり。多くの銭を賜ひて、数日に営み出だして、掛けたりけるに、おほかた廻らざりければ、とかく直しけれども、つひに回らで、いたづらに立てりけり。
さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るること、めでたかりけり。
よろづに、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。
(古文原文)亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて、大井の土民に仰せて、水車を造らせられけり。多くの銭を賜ひて、数日に営み出だして、掛けたりけるに、おほかた廻らざりければ、とかく直しけれども、つひに回らで、いたづらに立てりけり。さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ひてまゐらせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るること、めでたかりけり。万に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。
(後嵯峨上皇は)亀山御所のお池に、大井川の水を引き入れなさろうとして、大井川沿いの住民にお命じになって、水車をお造らせになった。多くの金銭をお与えになって、数日間をかけて造り上げて、取り付けたところ、まったく回らなかったので、あれこれ修理してみたけれども、結局回らないで、(水車は)何の役にも立たずに立っていた。
そこで、宇治の里の人々をお呼びになって、お造らせになったところ、やすやすと組み立てて(上皇に)差し上げたが、思いのままに回って、水を汲み入れることが、見事であった。
何ごとにつけても、その専門に熟達している者は、たいしたものである。
(後嵯峨上皇)打算將大井川的水引入亀山御所的池中,因而命大井川的住民造水車。賜下大量金錢,花費數日造出,掛上之後,大致上卻不轉,怎樣修理也終究不轉,徒然地立在那裡。 於是,召集宇治的里人,命他們造,他們輕易地造好獻上,水車如所願地運轉,將水汲入——真是了不起。 凡事,精通其道之人,是了不起的人啊。
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