言語げんご文化ぶんか #77-80

現代げんだいぶん

現実げんじつこうがわ小説しょうせつ3]

夢十夜ゆめじゅうや全四回ぜんよんかい-③④】

夏目なつめ漱石そうせき

講師こうし 齋藤さいとう たすく

夢十夜ゆめじゅうやさん

学習がくしゅうのねらい

小説しょうせつ世界せかいえがかれた時間じかん空間くうかん構造こうぞうる。

文法・表現

〜に描かれた
被動形+連體修飾:「被描繪在〜中的」。是連接後方名詞「時間と空間の構造」的形容詞子句。
読み取る
複合動詞:読む+取る,意為「讀取、讀解」。在學習目標中常見,表示主動理解的能力目標。

中文翻譯

讀取小說世界中描繪的時間與空間的構造。

学習がくしゅうのポイント●

いち〉 いつのゆめ
表現ひょうげんそくして前半ぜんはん内容ないよう
さん〉 「若いわかいおとこ」は彫刻ちょうこくをどのようなものだとているか

■ いつのゆめ

第六夜だいろくや」は、冒頭ぼうとうに「こんなゆめた」という一節いっせつがないだけでなく、「運慶うんけい」や「護国寺ごこくじ山門さんもん」など、具体的ぐたいてき名前なまえ名称めいしょう登場とうじょうします。この短編たんぺんゆめらしさは、鎌倉時代かまくらじだい人間にんげんである運慶うんけいが、明治時代めいじじだいである現在げんざいまできていて、明治めいじ人間にんげんまえ仁王像におうぞうっているという設定せっていにあります。人物同士じんぶつどうし距離感きょりかん注目ちゅうもくしてんでいきましょう。

文法・表現

〜だけでなく
副助詞的用法:「不只是〜,而且……」。強調追加資訊,比「〜ても」程度更強。
〜という設定にあります
「〜という設定」是引用名詞化,「にあります」表示「在於(此)」。學術文常見的解說語氣。
〜に注目して読んでいきましょう
「〜に注目して」表示「著眼於〜」,「読んでいきましょう」是讓步共同進行的勸誘形,帶引導語氣。

中文翻譯

「第六夜」不僅冒頭沒有「夢見了這樣的夢」這一節,而且還出現了「運慶」、「護國寺山門」等具體的名字和名稱。這篇短篇小說的夢幻感,在於鎌倉時代的人物運慶一直活到明治時代的現在、在明治時代的人們面前雕刻仁王像這一設定。讓我們注目人物之間的距離感來閱讀吧。

表現ひょうげんそくして前半ぜんはん内容ないよう

運慶うんけいは、鎌倉時代かまくらじだい活躍かつやくした仏師ぶっしで、本文ほんぶん登場とうじょうする「仁王像におうぞう」(金剛力士像こんごうりきしぞう)は、いまでも奈良なら東大寺とうだいじ南大門なんだいもんかれています。南大門なんだいもん東大寺とうだいじ正門せいもんたり、奈良時代ならじだいてられましたが、平安時代へいあんじだい一度いちど大風おおがぜたおれています。それを鎌倉時代かまくらじだいはいって再建さいけんし、仁王像におうぞうもこのとき安置あんちされたとわれています。運慶うんけい仁王像におうぞうというわせだけで、複数ふくすう時代じだいえていくイメージがすでにあることがわかります。

文法・表現

〜と言われています
傳聞的客觀表達:「據說〜」。在講義中介紹歷史事實時用於標示資訊來源的不確定性。
〜だけで〜イメージがすでにあることがわかります
「〜だけで」表「僅憑〜就」,「〜ことがわかります」是推論完成式,表示「可以知道〜」。
〜に当たり
「〜に当たる」表「相當於〜、等同於〜」。用來說明位階或對應關係。

中文翻譯

運慶是在鎌倉時代活躍的佛師,文中出現的「仁王像」(金剛力士像)至今仍置於奈良東大寺南大門。南大門相當於東大寺的正門,建於奈良時代,但平安時代曾一度因大風而倒塌。進入鎌倉時代後將其重建,據說仁王像也是在此時被安置的。光是運慶與仁王像這一組合,就可知其已具備超越多個時代的意象。

また「第六夜だいろくや」の舞台ぶたいは「護国寺ごこくじ」となっていますが、この「護国寺ごこくじ」は現在げんざい東京都文京区とうきょうとぶんきょうくにあります。創建そうけん江戸時代えどじだいです。つまり、奈良時代ならじだいてられたもん平安時代へいあんじだいにいったんたおれ、それが鎌倉時代かまくらじだいなおされて、そのもん仁王像におうぞうった仏師ぶっし運慶うんけいが、江戸時代えどじだい創建そうけんされたてら境内けいだいで、明治時代めいじじだい仁王におうきざんでいる、ということにあります。

文法・表現

〜となっていますが
「〜となっている」表示「設定為〜、成為〜」的狀態,「が」接繼前文引出補充說明。
つまり
總括前文,引出核心結論的接續詞:「也就是說、換言之」。講義中用於整理複雜論點。
〜ということにあります
「〜ということ」名詞化引用,「にあります」表「在於此」。常用於說明「夢らしさ」「異常さ」等特徵所在之處。

中文翻譯

另外,「第六夜」的舞台設定為「護國寺」,此「護國寺」現在仍位於東京都文京區。其創建於江戶時代。也就是說,建於奈良時代的門在平安時代一度倒塌,在鎌倉時代重建,而雕刻了那座門前仁王像的佛師運慶,在明治時代於江戶時代創建的寺院境內雕刻著仁王。

では、中身なかみはいっていきましょう。主人公しゅじんこう護国寺ごこくじ散歩さんぽがてらかけていくと、「鎌倉時代かまくらじだいともおもわれる」境内けいだいの「おおきな赤松あかまつ」は、「青空あおぞらまでび」たみきが...

− 269 −

山門さんもんひだりはしはすって」「している」とあります。そして、「ているものは、みんな自分じぶんおなじく、明治めいじ人間にんげんである」とあります。明治めいじ江戸えど鎌倉かまくらみっつの時代じだいが「ゆめ」という時空じくうでつながっているといえます。

文法・表現

〜とあります
引用表達:「文中說〜、文中有〜這樣的記述」。引用原文時的學術文體常用表現。
〜がつながっているといえます
「〜とつながっている」表「相互連結」,「〜といえます」是委婉推論,表「可以說〜」。

中文翻譯

文中寫道「斜切山門的左端」「突出」。接著又寫道「觀看的人,全都和自己一樣,是明治時代的人」。可以說明治、江戶、鎌倉三個時代透過「夢」這一時空相互連結。

その様子ようすながめているのが「車夫しゃふ」です。人力車じんりきしゃひとが「車夫しゃふ」ですが、人力車じんりきしゃはしるようになったのは明治めいじはいってからですので、ているひとたちは『夢十夜ゆめじゅうや』が発表はっぴょうされた当時とうじ現代人げんだいじんということになります。ただ、ここが、明治時代めいじじだいまぎんだ鎌倉時代かまくらじだいであるという、時空じくう交錯こうさくづいているのは、どうやら見物人けんぶつにんなかでも、かたである「自分じぶん」だけのようです。護国寺ごこくじ様子ようすを「鎌倉時代かまくらじだいともおもわれる」とってみたり、運慶うんけい様子ようすを「いかにもふるくさい」と判断はんだんしてみたりしているあたりから、かれだけがちがうというのがわかります。

文法・表現

〜というのは〜ということになります
「〜というのは」提示話題,「〜ということになります」表「因此可以得出〜的結論」。講義中用於推論。
どうやら〜だけのようです
「どうやら」表「看來、似乎」,「〜だけのようです」是限定推測,表「似乎只有〜」。
〜あたりから、〜がわかります
「〜あたりから」表「從〜這個地方」,引出依據。「〜がわかります」表「可以知道〜」。

中文翻譯

眺望那情景的是「車夫」。拉人力車的人稱為「車夫」,而人力車開始行駛是從明治時代開始,因此觀看的人們便是《夢十夜》發表當時的現代人。不過,察覺到這裡是混入明治時代的鎌倉時代這一時空交錯的,在看熱鬧的人群當中,似乎只有作為敘述者的「自己」。從他說護國寺的樣子「讓人覺得彷彿是鎌倉時代」、判斷運慶的樣子「實在很古老」等地方,可以知道只有他不同。

このように、「第六夜だいろくや」が「第一夜だいいちや」とことなるのは、物語空間ものがたりくうかんのありかただといえます。「第一夜だいいちや」の場合ばあい枕元まくらもと腕組うでぐみをしているおとこと、もうにますというおんなおな空間くうかんにいるというのはうたがいようのない設定せっていになっていましたが、「第六夜だいろくや」の場合ばあいは、えている過去かこている現在げんざいとのあいだに、いわば透明とうめいかべがあるのです。

文法・表現

このように
指示副詞:「如此、像這樣」。用於總結前文論點,引出結論。
〜のは〜だといえます
「〜のは」名詞化主語,「〜だといえます」是委婉推論:「〜可以說是〜」。
〜の場合、〜。一方、〜の場合は
對比結構:先說A的情況,再用「〜の場合は」引入B的情況,形成對照。
いわば
副詞:「所謂、可以說是」。用於引入比喻或非正式說法。

中文翻譯

如此看來,「第六夜」與「第一夜」的不同之處,可以說在於故事空間的存在方式。「第一夜」的情況是,在枕邊抱著手臂的男人與說著自己快死了的女人同在一個空間,這是毋庸置疑的設定;而「第六夜」的情況是,所見的過去與觀看的現在之間,存在著一道所謂透明的牆壁。

もう少しくわしく説明せつめいします。たとえば、中心ちゅうしんおなじくしたみっつのえんかんがえてみましょう。一番外側いちばんそとがわえん明治時代めいじじだい、ひとつ内側うちがわえん江戸時代えどじだい、そしてなかちいさいえん鎌倉時代かまくらじだいあらわすとします。一番外側いちばんそとがわ明治時代めいじじだいひとたちは一番外側いちばんそとがわえんから、護国寺ごこくじ江戸時代えどじだい運慶うんけいがいる鎌倉時代かまくらじだいながめている。まるで円形えんけい舞台ぶたいをみんなでながめているようなかんじです。明治めいじから護国寺ごこくじのある江戸えどまではつながっているけれど、鎌倉かまくらまではとどいていません。

文法・表現

〜とします
假設表達:「假設〜、設定〜為〜」。在說明比喻模型時使用。
まるで〜ような感じです
比喻表達:「就像〜一樣的感覺」。「まるで」強調比喻,「ような感じ」委婉描述印象。
〜けれど、〜までは届いていません
「〜けれど」表讓步轉折,「届いていません」是「届く(達到)」的否定持續形,表示未能到達的狀態。

中文翻譯

讓我再詳細說明一下。例如,讓我們想象三個同心圓。假設最外側的圓代表明治時代,內一層的圓代表江戶時代,最中間的小圓代表鎌倉時代。最外側明治時代的人們從最外側的圓,眺望著護國寺所在的江戶時代、運慶所在的鎌倉時代。就像大家一起眺望圓形舞台的感覺。從明治到護國寺所在的江戶是相連的,但卻到達不了鎌倉。

それから、運慶うんけいが 「仁王におうかおあたりをしきりといてゆく」 ってありますが、仁王像におうぞうというのはもともと寄木造よせぎづくりなので、たくさんの部品ぶひんつくって、それをてるものです。だから、たかところってぞうかおあたりを直接ちょくせつるようなことはしません。

第六夜だいろくや」 に登場とうじょうする固有名詞こゆうめいし数々かずかずは、どれも実在じつざいのものにゆかりがありますが、かれかたがちぐはぐなのです。

文法・表現

〜にゆかりがある
慣用表達:「與〜有淵源、有關聯」。ゆかり是「關係、淵源」的名詞。
〜のです(〜なのです)
說明、強調語氣:表示說話者強調某一事實或提供解釋。比「〜です」更帶有強調和解釋的語氣。
ちぐはぐ
形容動詞:「錯位的、不協調的」。指事物之間缺乏一致性或對應關係。

中文翻譯

「第六夜」中登場的眾多固有名詞,雖然都與實際存在的事物有關,但其安置方式卻是錯位的。

■ 「若い男わかいおとこ」 は彫刻ちょうこくをどのようなものだとているか

さて、時空じくうえてやってきた運慶うんけい姿すがたを、明治めいじひとおもわれる 「若い男わかいおとこ」 がめちぎります。「さすがは運慶うんけいだな。眼中がんちゅう我々われわれなしだ。天下てんか英雄えいゆうはただ仁王におうわれとあるのみという態度たいどだ。あっぱれだ」 とあります。ここで 「眼中がんちゅう我々われわれなし」 というのは、自分じぶん仕事しごと没頭ぼっとうしてすこしも集中力しゅうちゅうりょくらさない様子ようすべたもの。「天下てんか英雄えいゆうはただ仁王におうわれとあるのみ」 というのは、自分じぶんもとめるものとそれをもとめる自分じぶんについての信念しんねんるぎのないことをあらわしています。

文法・表現

さて
接續詞:「那麼、好了」。用於話題轉換,從前文論述進入新的討論段落。
〜と思われる
推測被動:「被認為是〜、看起來是〜」。表示說話者基於推測,帶有客觀距離感。
褒めちぎる
複合動詞:褒める+ちぎる,意為「大加讚揚、誇個沒完」。ちぎる在此表示動作的徹底程度。
〜ことを表しています
「〜ことを表す」表示「表達〜、顯示〜」。講義說明登場人物心理時常用。

中文翻譯

那麼,被認為是明治時代人的「年輕男子」對超越時空而來的運慶的姿態大加讚揚。文中說「不愧是運慶啊。眼中沒有我們。天下英雄只有仁王與我這樣的態度。了不起。」這裡的「眼中沒有我們」,是說他全神貫注於自己的工作、絲毫不分散注意力的樣子。「天下英雄只有仁王與我」,則表達了對自己追求之物以及追求它的自己所懷有的信念毫不動搖。

この手前てまえのところに、見物人けんぶつにんたちが仁王におうおおきさやつよさについてはなしている場面ばめんがありましたが、この 「若い男わかいおとこ」 はそうではなく、運慶うんけい技量ぎりょうたかさそのものに注目ちゅうもくしています。

文法・表現

この手前のところに
指示表達:「在此之前的地方」。指文章或故事中稍早出現的內容。
〜はそうではなく
對比表達:「〜並非如此,而是……」。用於區別前述的一般情況與特定人物的不同之處。
〜そのものに注目しています
「〜そのもの」表「〜本身」,強調關注的是事物的核心,而非外在屬性。

中文翻譯

在此之前,有看熱鬧的人們談論仁王像的大小和力量的場面,而這位「年輕男子」則不同,他關注的是運慶高超技藝本身。

このとき 「若い男わかいおとこ」 は、かたである 「自分じぶん」 のほういて、とあります。そ、とめていると同時どうじに 「さすがは運慶うんけいだ」 は 「若い男わかいおとこ」、 かたからすると...

− 270 −

れがわかるほど自分じぶんたしかなんだと、まわりの見物人けんぶつにんたちにほこっているようにもえます。

帽子ぼうし」 もキーワードです。明治めいじから戦後せんごしばらくまで、成人男性せいじんだんせい学生がくせいそとあるくときに帽子ぼうしをかぶるという風潮ふうちょうがありました。「車夫しゃふ」 とおもわれるおとこは 「帽子ぼうしをかぶらずにいる」 だけで 「よほど無教育むきょういくおとこ」 とわれています。それとはちがって、おそらく主人公しゅじんこうは、教養きょうようのあるたたずまいだったでしょうから、このひとなら理解りかいできるとおもって 「若い男わかいおとこ」 が言葉ことばをかけたのだとかんがえられます。だから 「若い男わかいおとこ」 は、最初さいしょ言葉ことば主人公しゅじんこうつたわったとおもうとすかさず、むずかしいかた運慶うんけいわざめるのです。

文法・表現

〜と思われる
推測被動:「被認為是〜、看起來像是〜」。再次出現,表說話者不確定性的委婉推斷。
〜だけで〜と言われています
「〜だけで」表「僅僅因為〜」,「〜と言われている」表「被說是〜」。描述社會評價。
この人なら理解できると思って
「〜なら〜できる」表對特定人的條件判斷,「と思って」表行為的動機或原因。
すかさず
副詞:「立刻、馬上、不失時機地」。表示毫不遲疑的即時反應。

中文翻譯

「帽子」也是關鍵字。從明治到戰後一段時間,成年男性和學生外出行走時有戴帽子的風氣。被認為是「車夫」的男子僅因「沒戴帽子」就被說是「相當沒教養的男人」。與此不同,主人公大概是一副有教養的樣子,因此可以想到,「年輕男子」認為這個人能理解,才主動搭話。所以「年輕男子」一認為第一句話傳達給了主人公,便立刻用難懂的措辭來讚揚運慶的技藝。

若い男わかいおとこ」 は、運慶うんけいのみつち使つかかたを 「大自在だいじざい妙境みょうきょうたっしている」 とくわえています。「大自在だいじざい妙境みょうきょう」 の 「大自在だいじざい」 とは、完全かんぜん自由じゆうであること。「みょう」 は、非常ひじょうすぐれている、並外なみはずれてすばらしいことをあらわしますから、「妙境みょうきょう」 とは、げいわざ高度こうど境地きょうちたっしているさまをします。つまり、「若い男わかいおとこ」 は 「大自在だいじざい妙境みょうきょう」 というかたで、運慶うんけいりたいものをりたいように、自由自在じゆうじざいあやつることができているとべています。そして、主人公しゅじんこうたる 「自分じぶん」 も、この 「若い男わかいおとこ」 の言葉ことばけて、あらたに行動こうどうしていくのです。

文法・表現

〜と付け加えています
「付け加える」表「補充說、追加說明」。現在進行形(〜ています)用於描述文章中人物的言行。
〜をあらわしますから、〜とは〜を差します
「〜をあらわす」表「表示〜」,「〜から」引出根據,「〜とは〜を指す」是定義式解說:「所謂〜是指〜」。
真に受けて
慣用表達:「信以為真、認真對待」。真(ま)に受ける=當真。

中文翻譯

「年輕男子」補充說運慶使用鑿子和槌子的方式已達到「大自在的妙境」。「大自在的妙境」中的「大自在」是指完全自由。「妙」表示非常優秀、出類拔萃地精彩,因此「妙境」是指技藝達到高超境界的狀態。也就是說,「年輕男子」用「大自在的妙境」這一說法,表示運慶能夠隨心所欲地雕刻想雕的東西、自由自在地操控。而作為主人公的「自己」也信以為真地接受了這位「年輕男子」的話,開始採取新的行動。

− 271 −

夢十夜ゆめじゅうやよん

作家さっか視点してんまえて人物じんぶつとその行動こうどう意味いみづける。

文法・表現

〜を踏まえて
複合助詞:「以〜為前提、立足於〜、基於〜」。表示將前述事項作為基礎或依據。
意味づける
動詞:「賦予意義」。意味(意義)+づける(使成為、賦予)的複合動詞結構。

中文翻譯

立足於作家的視點,賦予人物及其行動以意義。

■ 「自分じぶん」 はどのように仁王におうろうとしたか

ゆめなか主人公しゅじんこう (「自分じぶん」) は、運慶うんけい見物けんぶつしている 「若い男わかいおとこ」 と言葉ことばのやりりをしますが、「自分じぶん」 が 「よくああ無造作むぞうさのみ使つかって、おもうようなまゆはなができるものだな」 と独り言ひとりごとのようにぶやくと、「若い男わかいおとこ」 が言葉ことばかえします。「なに、あれはまゆはなのみつくるんじゃない。あのとおりのまゆはななかまっているのを、のみつちちからすまでだ。まるでつちなかからいしすようなものだからけっして間違まちがうはずがない」 と。

文法・表現

〜のようにぶやく(呟く)
「〜のように」表示方式或比喻,「呟く」是「喃喃自語、嘀咕」。
なに、〜
感嘆詞「なに」:表示輕微驚訝或否定,「哦不是的、不不不」。口語中的輕鬆否定語氣。
〜まで(だ)
副助詞用法:「只不過是〜、只是〜罷了」。表示動作的限定,強調簡單性。
決して〜はずはない
強烈否定:「決して〜ない(絕對不〜)」與「〜はずはない(不可能〜)」的組合,雙重強調否定。

中文翻譯

夢中的主人公(「自己」)與觀看運慶的「年輕男子」進行了言語交流,當「自己」像自言自語一樣嘀咕著「真厲害,就那樣漫不經心地使著鑿子,竟然能做出想要的眉毛和鼻子呢」,「年輕男子」回答道:「不,那不是用鑿子做眉毛和鼻子。只是把那樣的眉毛和鼻子本來就埋在木頭裡的挖出來罷了。就像從土裡挖石頭一樣,絕對不會錯。」

無造作むぞうさ」 というのは 「いとも簡単かんたんそうに」 という意味いみなので、この手前てまえにある 「無遠慮むえんりょ」 や 「疑念ぎねんはさんでおらんよう」 という表現ひょうげんまって、運慶うんけいつきのまよいのなさ、信念しんねんらぎのなさに 「自分じぶん」 が感心かんしんしているのがわかります。そして、この 「自分じぶん」 の言葉ことばは、「独り言ひとりごとのようにった」 とありますから、とくに 「若い男わかいおとこ」 にけられたものではありません。

文法・表現

〜というのは〜という意味なので
「〜というのは〜という意味だ」是詞語解說的典型結構,「なので」表原因,引出後文的推論。
〜と相まって
複合助詞:「加上〜、與〜相輔相成」。表示多種因素共同產生效果。
〜のがわかります
「〜のが」名詞化主語,「わかります」表「可以知道、明白」。學術文體中常用的分析表達。
特に〜向けられたものではありません
「〜向けられた」表「針對〜的」,「〜ではありません」否定:「並非是〜」。

中文翻譯

「無造作」意為「看起來輕而易舉」,加上前文中「無遠慮」和「看上去絲毫沒有夾雜疑念」等表達,可以知道「自己」對運慶下手毫不猶豫、信念毫不動搖而感到欽佩。而且,「自己」的這句話文中說是「像自言自語一樣說的」,因此並非特意說給「年輕男子」聽的。

第六夜だいろくや」 は、運慶うんけい周囲しゅうい雑音ざつおんにはみみさない様子ようすですし、主要しゅよう人物同士じんぶつどうし会話かいわ一切成いっさいなっていないのがうかがえます。前回ぜんかい明治めいじ江戸えど鎌倉かまくらというみっつの時代じだいが、みっつのえんのような構造こうぞう物語ものがたり世界せかいたせているというはなしをしました。「若い男わかいおとこ」 と 「自分じぶん」 のあいだも、すんなりと関係かんけいつわけでないような距離感きょりかんかれています。それでも、相手あいてがその言葉尻ことばじりひろって、言葉ことばかさなっていきます。会話かいわでないものが会話かいわになっていく、そして、そうであるがゆえに、相手あいて発言はつげん相手あいて影響えいきょうあたえていくというのも、ゆめらしい設定せっていであるとうことができるでしょう。そして、「自分じぶん」 は、みずからも彫刻ちょうこくをしてみるになります。

文法・表現

〜ですし
列舉用法:「〜而且……」。接在前一句後面,表示追加說明,引導下文。
〜のがうかがえます
「うかがえる(窺える)」表「可以窺見、隱約可知」。表示間接推測,比「わかります」語氣更委婉。
そうであるがゆえに
接續表達:「正是因為如此」。「がゆえに」是書面語的原因表達,比「だから」更正式。
〜と言うことができるでしょう
推論表達:「可以說是〜吧」。「〜と言うことができる」是學術文中的客觀推論,「でしょう」增加委婉語氣。

中文翻譯

在「第六夜」中,運慶對周圍的嘈雜聲也不聞不問,可以看出主要人物之間的對話完全沒有成立。上回說過,明治、江戶、鎌倉三個時代以三個圓形般的構造構成了故事的世界。「年輕男子」與「自己」之間也是以那種關係不能順利建立起來的距離感來描寫的。即便如此,對方拾起話頭,話語便重疊起來。非對話之物成為對話,也正因如此,對方的發言影響著對方,這也可以說是夢境般的設定。而「自己」也開始想親自試著雕刻。

若い男わかいおとこ」 がうように、彫刻ちょうこくというものがそのとおりのかたちなかまっているものであるとすれば、だれにでもできる、自分じぶんにもできるはずではないか、とおもはじめたからです。

文法・表現

〜が言うように
引用方式:「如〜所說」。「ように」在此表示比較方式,引用他人的話作為依據。
〜であるとすれば
假設表達:「如果〜的話」。「とすれば」是比「たら」更書面的假設條件。
〜はずではないか
反問期待:「不是應該〜嗎、應該能〜吧」。はず(應該)+ではないか(反問)表達說話者的推論與期待。
〜からです
原因解釋的倒裝:「因為是〜」。將原因置於句尾,強調說明前文行動的理由。

中文翻譯

因為他開始想,如「年輕男子」所說,如果雕刻這種東西本來的形狀就埋在木頭裡,那麼任何人都能做到,自己也應該能做到吧。

− 272 −
■ 「明治めいじにはとうてい仁王におうまっていないものだとさとった」 とは?

こうして主人公しゅじんこうは、自宅じたくもどって仁王におうそうとします。道具箱どうぐばこからのみ金槌かなづちして、まきにするつもりでっておいたかしを、いきおいよくはじめます。ところが、いくらっても仁王におう見当みあたたりません。かたぱしからんであるまきってみてついに、「明治めいじには仁王におうまっていない」 という結論けつろんたっします。その後、「運慶うんけい今日こんにちまできている理由りゆうもほぼわかった」 とあります。

文法・表現

こうして
接續詞:「於是、如此」。總結前文行動,引出接下來的事態發展。
〜しようとします(〜おうとする)
意向形+とする:「試圖〜、想要〜」。表示主體積極的意圖或嘗試。
いくら〜ても〜ません
讓步表達:「不管怎麼〜都不〜」。強調反覆行動卻徒勞無功。
片っ端から
慣用表達:「從頭到尾、一個接一個地全部」。表示徹底、逐一的行動方式。

中文翻譯

於是主人公回到自家,試圖挖出仁王像。從工具箱取出鑿子和鐵槌,對著原本打算當柴燒而留下的橡木,精力充沛地開始雕刻。然而,不管怎麼雕,仁王像都沒有出現。將堆著的柴薪從頭到尾全部雕過之後,終於得出「明治的木頭裡根本沒有埋著仁王」的結論。此後,文中說「運慶至今還活著的理由也大體明白了」。

ここで 「明治めいじには」 というところがポイントです。主人公しゅじんこうかんがかたを、表現ひょうげんそくして整理せいりしてみるとつぎのようになります。

文法・表現

〜というところがポイントです
講義說明用語:「〜這個地方是重點」。指出文本中需要特別注意的表達或概念。
表現に即して
複合助詞「に即して」:「按照〜、依據〜、緊扣〜」。「即する」表示緊密依從。

中文翻譯

這裡「明治的木頭裡」是重點。按照文章表達來整理主人公的想法,如下所示。

不幸ふこうにして」 や 「運悪うんわるく」 「三番目さんばんめのにも」 というかたからは、たまたまそのから仁王におうつからなかった、ということがわかり、「かくしている」 や 「まっている」 というかたからは、大切たいせつなものはヴェールにかくされているのだ、という価値観かちかんえてきます。

文法・表現

〜という言い方からは〜がわかり
「〜という言い方」是對文章措辭的引用總括,「からは〜がわかる」表「從〜可以知道〜」。
〜という言い方からは〜が見えてきます
「見えてきます」是「見える(看得見)」的漸進形,表示透過分析漸漸浮現出深層含意。
たまたま
副詞:「碰巧、偶然」。表示事件的偶然性,非必然性。

中文翻譯

從「不幸地」和「倒黴地」「第三個也」這樣的說法可知,只是碰巧從那塊木頭裡沒有找到仁王;而從「隱藏著」和「埋著」這樣的說法可以看出,重要的東西是被面紗隱藏著的這一價值觀。

明治めいじ」 に仁王におうまっていないことがわかると同時どうじに、「運慶うんけい今日こんにちまできている理由りゆう」、すなわち、明治めいじ人間にんげん見物けんぶつするただなかに、運慶うんけいあらわれた理由りゆうもわかった、ということでした。ひと言でえば、「明治めいじ時代じだいあたらしい運慶うんけい登場とうじょうしない」 ということです。

文法・表現

〜と同時に
複合助詞:「與〜同時、在〜的同時」。表示兩個認知或事件同步發生。
すなわち
接續詞:「即、也就是說」。書面語的同義解說或等義替換,比「つまり」更正式。
ひと言で言えば
慣用表達:「一言以蔽之、簡而言之」。用於將複雜論點壓縮為一句話。

中文翻譯

在得知「明治的木頭」裡沒有埋著仁王的同時,也明白了「運慶活到今日的理由」,也就是運慶出現在明治人觀看的當中的理由。一言以蔽之,就是「明治時代不會出現新的運慶」。

夏目漱石なつめそうせきについて

夢十夜ゆめじゅうや』 の作者さくしゃ夏目漱石なつめそうせきについてみていきましょう。漱石そうせき夏目金之助なつめきんのすけは、時代じだい明治めいじうつわる直前ちょくぜん慶応三年けいおうさんねん一八六七年せんはっぴゃくろくじゅうななねん東京とうきょうまれました。「漱石そうせき」 というペンネームは、「漱石枕流そうせきちんりゅう」 という故事成語こじせいごからられています。その漱石そうせきくなるのは明治めいじわってもない大正五年たいしょうごねん一九一六せんきゅうひゃくじゅうろく年のことですので、漱石そうせきはちょうど明治めいじはじまりからわりまでをききった、とっていいでしょう。その漱石そうせきが 「明治めいじにはとうてい仁王におうまっていない」 といているわけです。

文法・表現

〜についてみていきましょう
「〜について」表「關於〜」,「みていきましょう」是「見る」的て形+いく+ましょう,表「讓我們一起來看〜」。
〜というペンネームは〜から取られています
被動表達:「〜這個筆名是從〜取來的」。「取られています」是被動持續形。
〜と言っていいでしょう
委婉確認:「可以說〜吧、說〜也不為過吧」。帶有說話者確認的語氣。

中文翻譯

讓我們來了解一下《夢十夜》的作者夏目漱石。漱石・夏目金之助,生於時代即將轉變為明治的慶應三年、一八六七年的東京。「漱石」這個筆名取自「漱石枕流」這一故事成語。漱石去世是在明治結束後不久的大正五年、一九一六年,因此可以說漱石恰好活過了整個明治時代,從始到終。那位漱石寫下了「明治的木頭裡根本不可能埋著仁王」。

ここで漱石そうせきいた晩年ばんねん代表作だいひょうさく 『こころ』 の一節いっせつてみましょう。この小説しょうせつには、明治天皇めいじてんのうくなられたというしらせをけ、みずからそのつまとも殉死じゅんしげた乃木希典のぎまれすけ陸軍大将りくぐんだいしょう訃報ふほうせっして、登場人物とうじょうじんぶつである 「先生せんせい」 が、みずからのの...

− 273 −

瞬間しゅんかんについてべているところがあります。

わたし殉死じゅんしという言葉ことばをほとんどわすれていました。平生へいぜい使つか必要ひつようのない文字もじだから、記憶きおくそこしずんだまま、くたれかけていたものとえます。

つま冗談じょうだんいて始めてはじめてそれをおもしたときわたしつまかってもし自分じぶん殉死じゅんしするならば、明治めいじ精神せいしん殉死じゅんしするつもりだとこたえました。
  (『こころ』下・五六)

もうひとつ、漱石そうせき発言はつげんひろっておきましょう。明治四十四年めいじよんじゅうよねん一九一一年せんきゅうひゃくじゅういちねん学習院大学がくしゅういんだいがくおこなわれた講演録こうえんろく一節いっせつです。

文法・表現

拾っておきましょう
「拾う(引用、採集)」+ておく(預先存放)的命令形勸誘:「讓我們先引用起來備用」。ておく表事先處理的意涵。
〜で行われた講演録の一節です
「〜で行われた」表「在〜舉行的」,「一節(いっせつ)」是「一段、一節」。

中文翻譯

再來引用一段漱石的發言。這是明治四十四年、一九一一年在學習院大學所做的演講記錄中的一節。

現代げんだい日本にほん開化かいか一般いっぱん開化かいかとどこがちがうのかというのが問題もんだいです。もしひと言にしてこの問題もんだいけっしようとするならばわたしはこうだんじたい、西洋せいよう開化かいか(すなわち一般いっぱん開化かいか)は内発的ないはつてきであって、日本にほん現代げんだい開化かいか外発的がいはつてきである。
   (「現代日本げんだいにほん開化かいか」)

文法・表現

〜とどこが違うのかというのが問題です
「〜というのが問題です」是問題提示式結構:「〜這一點是問題所在」。のか名詞化疑問。
〜ようとするならば〜断じたい
「もし〜ようとするならば」表「如果要〜的話」的書面假設,「断じたい」表「想要斷言」的意志形。
内発的 vs 外発的
對義詞對比:内発的(內發的、從內部自然產生的)vs 外発的(外發的、受外部壓力驅動的)。漱石的核心論點。

中文翻譯

現代日本的開化與一般的開化究竟有何不同,這是個問題。如果要用一句話來解決這個問題,我想這樣斷言:西洋的開化(即一般的開化)是內發性的,而日本現代的開化是外發性的。

まずは 『こころ』 のほうからていきましょう。「殉死じゅんし」 というのは、主君しゅくん死亡しぼうしたときに、臣下しんかがあとをって自殺じさつすることですから、封建社会ほうけんしゃかいえた明治時代めいじじだいとはあいいれないところがあります。とはいえ、西郷隆盛さいごうたかもり西南戦争せいなんせんそうやぶれたのが明治十年めいじじゅうねん一八七七年せんはっぴゃくななじゅうななねんのことですから、武士ぶしさむらい気風きふうはつい最近さいきんまでのこっていたというのが、明治末めいじまつ時代状況じだいじょうきょうです。

明治めいじ四十五年よんじゅうごねんまでですから、そのあいだはたった三十五年さんじゅうごねん。そのためか、歴史的れきしてき事実じじつとしての乃木大将のぎたいしょう殉死じゅんしについて、このときまだ新進作家しんしんさっか芥川龍之介あくたがわりゅうのすけらが違和感いわかん表明ひょうめいする一方いっぽう、すでに文豪ぶんごうであった夏目漱石なつめそうせき森鴎外もりおうがいは、殉死じゅんし時代じだいにそぐわないとおもいつつも、どこか同情どうじょうというか共感きょうかんできるものがあったようです。

つぎ講演こうえんのほうをていきましよう。「西洋せいよう開化かいか内発的ないはつてきであって、日本にほん現代げんだい開化かいか外発的がいはつてきである」 とあります。「内発的ないはつてき」 ということは、内側うちがわから自然しぜんこって、開化かいか、あらゆるものが進歩しんぽ変容へんよう進化しんかしていくこと、「外発的がいはつてき」 とは、なに外側そとがわちからによって無理矢理むりやりわってゆくことを強制きょうせいされるさまをしています。

文法・表現

〜ということは〜こと、〜とは〜さまを指しています
並列定義結構:「〜是指……,〜是指……」。用於對比解說兩個相對概念。
無理矢理に〜ことを強制されるさま
「無理矢理に」表「強制性地」,「〜ことを強制される」是被動:「被強制做〜」,「さま」是「情狀、樣子」。

中文翻譯

接下來讓我們來看演講那邊。文中說「西洋的開化是內發的,而日本現代的開化是外發的」。所謂「內發」,是指從內部自然湧起,開化,一切事物都取得進步、變容、進化;所謂「外發」,是指被某種外部力量強制性地使其改變的狀態。

当時とうじ日本にほん文明開化ぶんめいかいかは、江戸末期えどまっき黒船来航くろふねらいこう以来いらい、これまでのおくれをもどそうとするかのようないきおいですすんでいったとかんがえられていますが、さきほど乃木大将のぎたいしょう殉死じゅんしのところでもれたように、つい数十年前すうじゅうねんまえ一世代前ひとせだいまえまではまったくちがった価値観かちかんをもっていたはずなのです。

夏目漱石なつめそうせきは、明治時代めいじじだいあたらしさにたいして批判的ひはんてきだったのでしょうか。彼自身かれじしん言葉ことばかぎり、あまり同時代どうじだいをよくおもっていなかったのでしょう。明治時代めいじじだいみずかいた漱石そうせきがそのような認識にんしきっていたというのは意外いがいこえるかもしれませんが、漱石そうせき見通みとおしていたのは、らしぶりもかんがかたもまるっきりわっていく明治めいじという時代じだいを、そこのところでもささえている唯一絶対ゆいいつぜったいのものなどないのではないか、ということです。これは、着物きもの洋装ようそうになり、帽子ぼうしかむってステッキをいているものの、その内実ないじつからっぽなのではないかと指摘してきしていることになります。このてんは、「第六夜だいろくや」 の 「明治めいじにはとうてい仁王におうまっていない」

文法・表現

〜に対して批判的
「〜に対して」表「對於〜」,「批判的(ひはんてき)」是形容動詞:「批判性的」。
〜を見る限り
慣用表達:「就〜來看、從〜判斷」。「限り(かぎり)」表示觀察的範圍。
〜と指摘していることになります
「〜と指摘する」表「指出〜」,「〜ことになります」表「結果是〜、這等於說〜」。

中文翻譯

夏目漱石對明治時代的新事物持批判態度嗎?從他自身的話語來看,大概對同時代並不怎麼看好。活過明治時代的漱石持有這樣的認識,也許聽起來出乎意料,但漱石所預見的,是在生活方式和思考方式都發生根本改變的明治這個時代,在其根基處也許並沒有什麼唯一絕對的支柱吧。這意味著他在指出,雖然和服換成了洋裝、戴著帽子拄著手杖,但其內在卻是空洞的。

− 274 −

つうじるとえます。

もちろん 『夢十夜ゆめじゅうや』 は、そもそもの設定せっていが 「ゆめ」 なわけですから、はなし筋自体すじじたい荒唐無稽こうとうむけいであることが前提ぜんていです。けれども、漱石そうせきにしてみれば、「明治めいじにはとうてい仁王におうまっていない」 というかたで、明治めいじという時代じだいあたらしくいろんあものが出てきてあもてはやされてはいるものの、人々ひとびと足立あしだっているだけであって、その内実ないじつはかなりあやしいのではないかと見抜みぬいいていたのだとおもわれます。

文法・表現

〜わけですから
「〜わけだ」表「正因如此、理所當然」,「から」引出結論:「正因為〜,所以〜」。
〜にしてみれば
視點表達:「從〜的立場來看、對〜而言」。比「〜にとって」更強調主觀立場的內在視角。
〜のではないかと見抜いていたのだと思われます
「見抜く(看穿)」+ていた(持續過去)表示長期洞見,「〜のだと思われます」是推測:「被認為是〜」。

中文翻譯

當然,《夢十夜》的設定原本就是「夢」,因此故事情節本身荒誕不經是前提。但對漱石而言,通過「明治的木頭裡根本不可能埋著仁王」這一說法,他似乎看透了:明治時代雖然出現了各種新事物而備受追捧,但人們不過是虛浮躁動,其內在相當可疑。

あらためて 「第六夜だいろくや」 にもどると、「明治めいじにはとうてい仁王におうまっていない」、 「運慶うんけい今日こんにちまできている理由りゆうもほぼわかった」 というのは、明治めいじという時代じだい空虚くうきょであるがゆえに、ゆめなかというかたちでいまなお運慶うんけいという人物じんぶつされてしまうのだと、解釈かいしゃくすることができます。明治めいじをいくらっても、仁王におうてくるわけがないのです。漱石自身そうせきじしんはかなり確信犯的かくしんはんてきに、同時代どうじだい批判ひはんしていたのではないかとかんがえられます。

文法・表現

あらためて〜に戻ると
「あらためて」表「重新、再次」,「〜に戻ると」表「回到〜的話」。講義中用於從補充說明回歸主題。
〜であるがゆえに
書面語原因:「正是因為〜」。「がゆえに(故に)」是古典的原因表達,強調因果的必然性。
解釈することができます
「〜と解釈する(解釋為〜)」+ことができます(能夠),是學術文體中常見的分析表達:「可以解讀為〜」。
確信犯的に
副詞用法:「相當有意識地、確信地」。確信犯(かくしんはん)本義是「確信自己行為正確而犯罪的人」,此處引申為「有意為之地」。

中文翻譯

重新回到「第六夜」,「明治的木頭裡根本不可能埋著仁王」、「運慶活到今日的理由也大體明白了」,可以解讀為:正是因為明治這個時代是空洞的,才會以夢境的形式至今仍召喚出運慶這一人物。不管怎麼雕刻明治的木頭,仁王都不可能出現。漱石自身可以說是相當有意識地批判著同時代。

− 275 −
現代げんだいぶん

夢十夜ゆめじゅうや

夏目なつめ漱石そうせき

第六夜だいろくや

運慶うんけい護国寺ごこくじ山門さんもん仁王におうきざんでいるという評判ひょうばんだから、散歩さんぽながらってみると、自分じぶんよりさきにもう大勢おおぜいあつまって、しきりに下馬評げばひょうをやっていた。

山門さんもんまえろくけんところには、おおきな赤松あかまつがあって、そのみきななめに山門さんもんいらかかくして、とお青空あおぞらまでびている。まつみどりしゅりのもんたがいにうつってみごとにえる。そのうえまつ位置いちがいい。もんひだりはし目障めざわりにならないように、はすっていって、うえになるほどはばひろ屋根やねまでしているのがなんとなく古風こふうである。鎌倉時代かまくらじだいともおもわれる。

ところがているものは、みんな自分じぶんおなじく、明治めいじ人間にんげんである。そのうちでも車夫しゃふがいちばんおおい。辻待つじまちをして退屈たいくつだからっているに相違そういない。

おおきなもんたなあ。」とっている。

人間にんげんをこしらえるよりもよっぽどほねれるだろう。」ともっている。

そうかとおもうと、「へえ仁王におうだね。今でも仁王におうるのかね。へえそうかね。わっしゃまた仁王におうはみんなふるいのばかりかとおもってた。」とったおとこがある。

「どうもつよそうですね。なんだってぇますぜ。むかしからだれつよいって、仁王におうほどつよひとぁないっていましぜ。なんでも日本武尊やまとたけるのみことよりもつよいんだってぇからね。」

はなしかけたおとこもある。このおとこしりをはしょって、帽子ぼうしをかぶらずにいた。よほど無教育むきょういくおとことみえる。

運慶うんけい見物人けんぶつにん評判ひょうばんには委細いさい頓着とんじゃくなくのみつちうごかしている。いっこうきもしない。たかところって、仁王におうかおあたりをしきりといてゆく。

運慶うんけいあたまちいさい烏帽子えぼしのようなものをせて、素袍すおうだかなにだかわからないおおきなそで背中せなかでくくっている。その様子ようすがいかにあもふるくさい。わいわいってる見物人けんぶつにんとはまるでいがれないようである。自分じぶんはどうして今時分いまじぶんまで運慶うんけいきているのかなとおもった。どうも不思議ふしぎなことがあるものだとかんがえながら、やはりってていた。

しかし運慶うんけいのほうでは不思議ふしぎとも奇態きたいともとんとかんじえない様子ようす一生懸命いっしょうけんめいっている。あおむいてこの態度たいどながめていた一人ひとり若い男わかいおとこが、自分じぶんほういて、

「さすがは運慶うんけいだな。眼中がんちゅう我々われわれなしだ。天下てんか英雄えいゆうはただ仁王におうわれとあるのみという態度たいどだ。あっぱれだ。」とってめだした。

自分じぶんはこの言葉ことばをおもしろいとおもった。それでちょっと若い男わかいおとこほうると、若い男わかいおとこは、すかさず、

− 276 −

「あののみつち使つかかたたまえ。大自在だいじざい妙境みょうきょうたっしている。」とった。

運慶うんけい今太いまたまゆ一寸いっすんたかさによこいて、のみたてかえすやいなやはすに、うえからつちろした。かたひと刻ひとときみにけずって、あつくずがつちこえおうじてんだとおもったら、小鼻こばなのおっぴらいたいかはな側面そくめんがたちまちきあがってきた。そのかたなかたがいかにも無遠慮むえんりょであった。そうしてすこしも疑念ぎねんはさんでおらんようにえた。

「よくああ無造作むぞうさのみ使つかって、おもうようなまみえはなができるものだな。」と自分じぶんはあんまり感心かんしんしたから独り言ひとりごとのようにった。するとさっきの若い男わかいおとこが、

「なに、あれはまみえはなのみつくるんじゃない。あのとおりのまみえはななかまっているのを、のみつちちからすまでだ。まるでつちなかからいしすようなものだからけっして間違まちがうはずはない。」とった。

自分じぶんはこのときはじめて彫刻ちょうこくとはそんなものかとおもいだした。たしてそうなあらだれにでもできることだどおもいだした。それできゅう自分じぶん仁王におうってみたくなったから見物けんぶつをやめて早速さっそくうちかえった。

道具箱どうぐばこからのみ金槌かなづちして、うらてみると、先日せんだってあらしたおれたかしを、まきにするつもりで、木挽こびきかせた手頃てごろなやつが、たくさんんであった。

自分じぶんはいちばんおおきいのをえらんで、いきおいよくはじめてみたが、不幸ふこうにして、仁王におう見当みあたたらなかった。そのつぎのにも運悪うんわるてることができなかった。三番目さんばんめのにも仁王におうはいなかった。自分じぶんんであるまきかたぱしからってみたが、どれもこれも仁王におうかくしているのはなかった。ついに明治めいじにはとうてい仁王におうまっていないものだどさとった。それで運慶うんけい今日こんにちまできている理由りゆうもほぼわかった。

夏目漱石なつめそうせき 一八六七年せんはっぴゃくろくじゅうななねん慶応けいおう 3] ─ 一九一六せんきゅうひゃくじゅうろくねん大正たいしょう 5]。
東京都とうきょうとまれ。本名ほんみょう金之助きんのすけ小説家しょうせつか英文学者えいぶんがくしゃ本文ほんぶんは 『漱石全集そうせきぜんしゅう第十二巻だいじゅうにかん一九九四年せんきゅうひゃくきゅうじゅうよねんかん) による。

− 277 −

このページの文書ぶんしょ画像がぞう無断転載むだんてんさいおよ商用利用しょうようりようかたきんじます。