言語文化 #77-80
夏目漱石
講師 齋藤 祐
学習のねらい
小説世界に描かれた時間と空間の構造を読み取る。
讀取小說世界中描繪的時間與空間的構造。
●学習のポイント●
〈一〉 いつの夢?
〈二〉 表現に即して前半の内容を読み取る
〈三〉 「若い男」は彫刻をどのようなものだと見ているか
「第六夜」は、冒頭に「こんな夢を見た」という一節がないだけでなく、「運慶」や「護国寺の山門」など、具体的な名前や名称が登場します。この短編の夢らしさは、鎌倉時代の人間である運慶が、明治時代である現在まで生きていて、明治の人間の前で仁王像を彫っているという設定にあります。人物同士の距離感に注目して読んでいきましょう。
「第六夜」不僅冒頭沒有「夢見了這樣的夢」這一節,而且還出現了「運慶」、「護國寺山門」等具體的名字和名稱。這篇短篇小說的夢幻感,在於鎌倉時代的人物運慶一直活到明治時代的現在、在明治時代的人們面前雕刻仁王像這一設定。讓我們注目人物之間的距離感來閱讀吧。
運慶は、鎌倉時代に活躍した仏師で、本文に登場する「仁王像」(金剛力士像)は、いまでも奈良の東大寺南大門に置かれています。南大門は東大寺の正門に当たり、奈良時代に建てられましたが、平安時代に一度、大風で倒れています。それを鎌倉時代に入って再建し、仁王像もこの時に安置されたと言われています。運慶と仁王像という組み合わせだけで、複数の時代を超えていくイメージがすでにあることがわかります。
運慶是在鎌倉時代活躍的佛師,文中出現的「仁王像」(金剛力士像)至今仍置於奈良東大寺南大門。南大門相當於東大寺的正門,建於奈良時代,但平安時代曾一度因大風而倒塌。進入鎌倉時代後將其重建,據說仁王像也是在此時被安置的。光是運慶與仁王像這一組合,就可知其已具備超越多個時代的意象。
また「第六夜」の舞台は「護国寺」となっていますが、この「護国寺」は現在も東京都文京区にあります。創建は江戸時代です。つまり、奈良時代に立てられた門が平安時代にいったん倒れ、それが鎌倉時代に立て直されて、その門に立つ仁王像を彫った仏師・運慶が、江戸時代に創建された寺の境内で、明治時代に仁王を刻んでいる、ということにあります。
另外,「第六夜」的舞台設定為「護國寺」,此「護國寺」現在仍位於東京都文京區。其創建於江戶時代。也就是說,建於奈良時代的門在平安時代一度倒塌,在鎌倉時代重建,而雕刻了那座門前仁王像的佛師運慶,在明治時代於江戶時代創建的寺院境內雕刻著仁王。
では、中身に入っていきましょう。主人公が護国寺へ散歩がてら出かけていくと、「鎌倉時代とも思われる」境内の「大きな赤松」は、「青空まで伸び」た幹が...
「山門の左の端を斜に切って」「突き出している」とあります。そして、「見ている者は、みんな自分と同じく、明治の人間である」とあります。明治と江戸と鎌倉、三つの時代が「夢」という時空でつながっているといえます。
文中寫道「斜切山門的左端」「突出」。接著又寫道「觀看的人,全都和自己一樣,是明治時代的人」。可以說明治、江戶、鎌倉三個時代透過「夢」這一時空相互連結。
その様子を眺めているのが「車夫」です。人力車を引く人が「車夫」ですが、人力車が走るようになったのは明治に入ってからですので、見ている人たちは『夢十夜』が発表された当時の現代人ということになります。ただ、ここが、明治時代に紛れ込んだ鎌倉時代であるという、時空の交錯に気づいているのは、どうやら見物人の中でも、語り手である「自分」だけのようです。護国寺の様子を「鎌倉時代とも思われる」と言ってみたり、運慶の様子を「いかにも古くさい」と判断してみたりしているあたりから、彼だけが違うというのがわかります。
眺望那情景的是「車夫」。拉人力車的人稱為「車夫」,而人力車開始行駛是從明治時代開始,因此觀看的人們便是《夢十夜》發表當時的現代人。不過,察覺到這裡是混入明治時代的鎌倉時代這一時空交錯的,在看熱鬧的人群當中,似乎只有作為敘述者的「自己」。從他說護國寺的樣子「讓人覺得彷彿是鎌倉時代」、判斷運慶的樣子「實在很古老」等地方,可以知道只有他不同。
このように、「第六夜」が「第一夜」と異なるのは、物語空間のあり方だといえます。「第一夜」の場合、枕元で腕組みをしている男と、もう死にますという女が同じ空間にいるというのは疑いようのない設定になっていましたが、「第六夜」の場合は、見えている過去と見ている現在との間に、いわば透明な壁があるのです。
如此看來,「第六夜」與「第一夜」的不同之處,可以說在於故事空間的存在方式。「第一夜」的情況是,在枕邊抱著手臂的男人與說著自己快死了的女人同在一個空間,這是毋庸置疑的設定;而「第六夜」的情況是,所見的過去與觀看的現在之間,存在著一道所謂透明的牆壁。
もう少し詳しく説明します。たとえば、中心を同じくした三つの円を考えてみましょう。一番外側の円が明治時代、ひとつ内側の円が江戸時代、そして真ん中の小さい円が鎌倉時代を表すとします。一番外側の明治時代の人たちは一番外側の円から、護国寺が立つ江戸時代、運慶がいる鎌倉時代を眺めている。まるで円形の舞台をみんなで眺めているような感じです。明治から護国寺のある江戸まではつながっているけれど、鎌倉までは届いていません。
讓我再詳細說明一下。例如,讓我們想象三個同心圓。假設最外側的圓代表明治時代,內一層的圓代表江戶時代,最中間的小圓代表鎌倉時代。最外側明治時代的人們從最外側的圓,眺望著護國寺所在的江戶時代、運慶所在的鎌倉時代。就像大家一起眺望圓形舞台的感覺。從明治到護國寺所在的江戶是相連的,但卻到達不了鎌倉。
それから、運慶が 「仁王の顔の辺りをしきりと掘り抜いてゆく」 ってありますが、仁王像というのはもともと寄木造りなので、たくさんの木で部品を作って、それを組み立てるものです。だから、高い所に乗って像の顔の辺りを直接彫るようなことはしません。
「第六夜」 に登場する固有名詞の数々は、どれも実在のものにゆかりがありますが、置かれ方がちぐはぐなのです。
「第六夜」中登場的眾多固有名詞,雖然都與實際存在的事物有關,但其安置方式卻是錯位的。
さて、時空を超えてやってきた運慶の姿を、明治の人と思われる 「若い男」 が褒めちぎります。「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我とあるのみという態度だ。あっぱれだ」 とあります。ここで 「眼中に我々なし」 というのは、自分の仕事に没頭して少しも集中力を切らさない様子を述べたもの。「天下の英雄はただ仁王と我とあるのみ」 というのは、自分の追い求めるものとそれを追い求める自分についての信念が揺るぎのないことを表しています。
那麼,被認為是明治時代人的「年輕男子」對超越時空而來的運慶的姿態大加讚揚。文中說「不愧是運慶啊。眼中沒有我們。天下英雄只有仁王與我這樣的態度。了不起。」這裡的「眼中沒有我們」,是說他全神貫注於自己的工作、絲毫不分散注意力的樣子。「天下英雄只有仁王與我」,則表達了對自己追求之物以及追求它的自己所懷有的信念毫不動搖。
この手前のところに、見物人たちが仁王の大きさや強さについて話している場面がありましたが、この 「若い男」 はそうではなく、運慶の技量の高さそのものに注目しています。
在此之前,有看熱鬧的人們談論仁王像的大小和力量的場面,而這位「年輕男子」則不同,他關注的是運慶高超技藝本身。
このとき 「若い男」 は、語り手である 「自分」 の方を振り向いて、とあります。そ、と褒めていると同時に 「さすがは運慶だ」 は 「若い男」、 言い方からすると...
れがわかるほど自分の目が確かなんだと、まわりの見物人たちに誇っているようにも見えます。
「帽子」 もキーワードです。明治から戦後しばらくまで、成人男性や学生が外を歩くときに帽子をかぶるという風潮がありました。「車夫」 と思われる男は 「帽子をかぶらずにいる」 だけで 「よほど無教育な男」 と言われています。それとは違って、おそらく主人公は、教養のあるたたずまいだったでしょうから、この人なら理解できると思って 「若い男」 が言葉をかけたのだと考えられます。だから 「若い男」 は、最初の言葉が主人公に伝わったと思うとすかさず、難しい言い方で運慶の技を褒めるのです。
「帽子」也是關鍵字。從明治到戰後一段時間,成年男性和學生外出行走時有戴帽子的風氣。被認為是「車夫」的男子僅因「沒戴帽子」就被說是「相當沒教養的男人」。與此不同,主人公大概是一副有教養的樣子,因此可以想到,「年輕男子」認為這個人能理解,才主動搭話。所以「年輕男子」一認為第一句話傳達給了主人公,便立刻用難懂的措辭來讚揚運慶的技藝。
「若い男」 は、運慶の鑿と槌の使い方を 「大自在の妙境に達している」 と付け加えています。「大自在の妙境」 の 「大自在」 とは、完全に自由であること。「妙」 は、非常に優れている、並外れてすばらしいことをあらわしますから、「妙境」 とは、芸や技が高度な境地に達しているさまを差します。つまり、「若い男」 は 「大自在の妙境」 という言い方で、運慶が彫りたいものを彫りたいように、自由自在に操ることができていると述べています。そして、主人公たる 「自分」 も、この 「若い男」 の言葉を真に受けて、新たに行動を起していくのです。
「年輕男子」補充說運慶使用鑿子和槌子的方式已達到「大自在的妙境」。「大自在的妙境」中的「大自在」是指完全自由。「妙」表示非常優秀、出類拔萃地精彩,因此「妙境」是指技藝達到高超境界的狀態。也就是說,「年輕男子」用「大自在的妙境」這一說法,表示運慶能夠隨心所欲地雕刻想雕的東西、自由自在地操控。而作為主人公的「自己」也信以為真地接受了這位「年輕男子」的話,開始採取新的行動。
作家の視点を踏まえて人物とその行動を意味づける。
立足於作家的視點,賦予人物及其行動以意義。
夢の中の主人公 (「自分」) は、運慶を見物している 「若い男」 と言葉のやり取りをしますが、「自分」 が 「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」 と独り言のようにぶやくと、「若い男」 が言葉を返します。「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あのとおりの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずがない」 と。
夢中的主人公(「自己」)與觀看運慶的「年輕男子」進行了言語交流,當「自己」像自言自語一樣嘀咕著「真厲害,就那樣漫不經心地使著鑿子,竟然能做出想要的眉毛和鼻子呢」,「年輕男子」回答道:「不,那不是用鑿子做眉毛和鼻子。只是把那樣的眉毛和鼻子本來就埋在木頭裡的挖出來罷了。就像從土裡挖石頭一樣,絕對不會錯。」
「無造作」 というのは 「いとも簡単そうに」 という意味なので、この手前にある 「無遠慮」 や 「疑念を差し挟んでおらんよう」 という表現と相まって、運慶の手つきの迷いのなさ、信念の揺らぎのなさに 「自分」 が感心しているのがわかります。そして、この 「自分」 の言葉は、「独り言のように言った」 とありますから、特に 「若い男」 に向けられたものではありません。
「無造作」意為「看起來輕而易舉」,加上前文中「無遠慮」和「看上去絲毫沒有夾雜疑念」等表達,可以知道「自己」對運慶下手毫不猶豫、信念毫不動搖而感到欽佩。而且,「自己」的這句話文中說是「像自言自語一樣說的」,因此並非特意說給「年輕男子」聽的。
「第六夜」 は、運慶も周囲の雑音には耳を貸さない様子ですし、主要な人物同士の会話は一切成り立っていないのがうかがえます。前回、明治と江戸と鎌倉という三つの時代が、三つの円のような構造で物語の世界を成り立たせているという話をしました。「若い男」 と 「自分」 の間も、すんなりと関係が成り立つわけでないような距離感で書かれています。それでも、相手がその言葉尻を拾って、言葉が重なっていきます。会話でないものが会話になっていく、そして、そうであるがゆえに、相手の発言が相手に影響を与えていくというのも、夢らしい設定であると言うことができるでしょう。そして、「自分」 は、みずからも彫刻をしてみる気になります。
在「第六夜」中,運慶對周圍的嘈雜聲也不聞不問,可以看出主要人物之間的對話完全沒有成立。上回說過,明治、江戶、鎌倉三個時代以三個圓形般的構造構成了故事的世界。「年輕男子」與「自己」之間也是以那種關係不能順利建立起來的距離感來描寫的。即便如此,對方拾起話頭,話語便重疊起來。非對話之物成為對話,也正因如此,對方的發言影響著對方,這也可以說是夢境般的設定。而「自己」也開始想親自試著雕刻。
「若い男」 が言うように、彫刻というものがその通りの形が木の中に埋まっているものであるとすれば、誰にでもできる、自分にもできるはずではないか、と思い始めたからです。
因為他開始想,如「年輕男子」所說,如果雕刻這種東西本來的形狀就埋在木頭裡,那麼任何人都能做到,自己也應該能做到吧。
こうして主人公は、自宅に戻って仁王を掘り出そうとします。道具箱から鑿と金槌を持ち出して、薪にするつもりで取っておいた樫の木を、勢いよく彫り始めます。ところが、いくら彫っても仁王は見当たりません。片っ端から積んである薪を彫ってみてついに、「明治の木には仁王は埋まっていない」 という結論に達します。その後、「運慶が今日まで生きている理由もほぼわかった」 とあります。
於是主人公回到自家,試圖挖出仁王像。從工具箱取出鑿子和鐵槌,對著原本打算當柴燒而留下的橡木,精力充沛地開始雕刻。然而,不管怎麼雕,仁王像都沒有出現。將堆著的柴薪從頭到尾全部雕過之後,終於得出「明治的木頭裡根本沒有埋著仁王」的結論。此後,文中說「運慶至今還活著的理由也大體明白了」。
ここで 「明治の木には」 というところがポイントです。主人公の考え方を、表現に即して整理してみると次のようになります。
這裡「明治的木頭裡」是重點。按照文章表達來整理主人公的想法,如下所示。
「不幸にして」 や 「運悪く」 「三番目のにも」 という言い方からは、たまたまその木から仁王は見つからなかった、ということがわかり、「隠している」 や 「埋まっている」 という言い方からは、大切なものはヴェールに隠されているのだ、という価値観が見えてきます。
從「不幸地」和「倒黴地」「第三個也」這樣的說法可知,只是碰巧從那塊木頭裡沒有找到仁王;而從「隱藏著」和「埋著」這樣的說法可以看出,重要的東西是被面紗隱藏著的這一價值觀。
「明治の木」 に仁王が埋まっていないことがわかると同時に、「運慶が今日まで生きている理由」、すなわち、明治の人間が見物するただ中に、運慶が現れた理由もわかった、ということでした。ひと言で言えば、「明治の時代に新しい運慶は登場しない」 ということです。
在得知「明治的木頭」裡沒有埋著仁王的同時,也明白了「運慶活到今日的理由」,也就是運慶出現在明治人觀看的當中的理由。一言以蔽之,就是「明治時代不會出現新的運慶」。
『夢十夜』 の作者、夏目漱石についてみていきましょう。漱石・夏目金之助は、時代が明治に移り変わる直前の慶応三年、一八六七年に東京で生まれました。「漱石」 というペンネームは、「漱石枕流」 という故事成語から取られています。その漱石が亡くなるのは明治が終わって間もない大正五年、一九一六年のことですので、漱石はちょうど明治の始まりから終わりまでを生ききった、と言っていいでしょう。その漱石が 「明治の木にはとうてい仁王は埋まっていない」 と書いているわけです。
讓我們來了解一下《夢十夜》的作者夏目漱石。漱石・夏目金之助,生於時代即將轉變為明治的慶應三年、一八六七年的東京。「漱石」這個筆名取自「漱石枕流」這一故事成語。漱石去世是在明治結束後不久的大正五年、一九一六年,因此可以說漱石恰好活過了整個明治時代,從始到終。那位漱石寫下了「明治的木頭裡根本不可能埋著仁王」。
ここで漱石が書いた晩年の代表作 『こころ』 の一節を見てみましょう。この小説には、明治天皇が亡くなられたという報せを受け、自らその妻と共に殉死を遂げた乃木希典陸軍大将の訃報に接して、登場人物である 「先生」 が、自らの死の...
瞬間について述べているところがあります。
私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。平生使う必要のない文字だから、記憶の底に沈んだまま、腐れかけていたものと見えます。
妻の冗談を聞いて始めてそれを思い出した時、私は妻に向かってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。
(『こころ』下・五六)
もう一つ、漱石の発言を拾っておきましょう。明治四十四年、一九一一年に学習院大学で行われた講演録の一節です。
再來引用一段漱石的發言。這是明治四十四年、一九一一年在學習院大學所做的演講記錄中的一節。
現代の日本の開化は一般の開化とどこが違うのかというのが問題です。もしひと言にしてこの問題を決しようとするならば私はこう断じたい、西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。
(「現代日本の開化」)
現代日本的開化與一般的開化究竟有何不同,這是個問題。如果要用一句話來解決這個問題,我想這樣斷言:西洋的開化(即一般的開化)是內發性的,而日本現代的開化是外發性的。
まずは 『こころ』 のほうから見ていきましょう。「殉死」 というのは、主君が死亡したときに、臣下があとを追って自殺することですから、封建社会を乗り越えた明治時代とは相いれないところがあります。とはいえ、西郷隆盛が西南戦争で敗れたのが明治十年、一八七七年のことですから、武士・侍の気風はつい最近まで残っていたというのが、明治末の時代状況です。
明治は四十五年までですから、その間はたった三十五年。そのためか、歴史的事実としての乃木大将の殉死について、このときまだ新進作家の芥川龍之介らが違和感を表明する一方、すでに文豪であった夏目漱石や森鴎外は、殉死は時代にそぐわないと思いつつも、どこか同情というか共感できるものがあったようです。
次に講演のほうを見ていきましよう。「西洋の開化は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である」 とあります。「内発的」 ということは、内側から自然に沸き起こって、開化、あらゆるものが進歩・変容を遂げ進化していくこと、「外発的」 とは、何か外側の力によって無理矢理に変わってゆくことを強制されるさまを指しています。
接下來讓我們來看演講那邊。文中說「西洋的開化是內發的,而日本現代的開化是外發的」。所謂「內發」,是指從內部自然湧起,開化,一切事物都取得進步、變容、進化;所謂「外發」,是指被某種外部力量強制性地使其改變的狀態。
当時の日本の文明開化は、江戸末期の黒船来航以来、これまでの遅れを取り戻そうとするかのような勢いで進んでいったと考えられていますが、先ほど乃木大将の殉死のところでも触れたように、つい数十年前、一世代前まではまったく違った価値観をもっていたはずなのです。
夏目漱石は、明治時代の新しさに対して批判的だったのでしょうか。彼自身の言葉を見る限り、あまり同時代をよく思っていなかったのでしょう。明治時代を自ら生き抜いた漱石がそのような認識を持っていたというのは意外に聞こえるかもしれませんが、漱石が見通していたのは、暮らしぶりも考え方もまるっきり変わっていく明治という時代を、底のところでも支えている唯一絶対のものなどないのではないか、ということです。これは、着物が洋装になり、帽子を被ってステッキを突いているものの、その内実は空っぽなのではないかと指摘していることになります。この点は、「第六夜」 の 「明治の木にはとうてい仁王は埋まっていない」
夏目漱石對明治時代的新事物持批判態度嗎?從他自身的話語來看,大概對同時代並不怎麼看好。活過明治時代的漱石持有這樣的認識,也許聽起來出乎意料,但漱石所預見的,是在生活方式和思考方式都發生根本改變的明治這個時代,在其根基處也許並沒有什麼唯一絕對的支柱吧。這意味著他在指出,雖然和服換成了洋裝、戴著帽子拄著手杖,但其內在卻是空洞的。
に通じると言えます。
もちろん 『夢十夜』 は、そもそもの設定が 「夢」 なわけですから、話の筋自体が荒唐無稽であることが前提です。けれども、漱石にしてみれば、「明治の木にはとうてい仁王は埋まっていない」 という言い方で、明治という時代は新しくいろんあものが出てきてあもてはやされてはいるものの、人々は浮き足立っているだけであって、その内実はかなり怪しいのではないかと見抜いていたのだと思われます。
當然,《夢十夜》的設定原本就是「夢」,因此故事情節本身荒誕不經是前提。但對漱石而言,通過「明治的木頭裡根本不可能埋著仁王」這一說法,他似乎看透了:明治時代雖然出現了各種新事物而備受追捧,但人們不過是虛浮躁動,其內在相當可疑。
あらためて 「第六夜」 に戻ると、「明治の木にはとうてい仁王は埋まっていない」、 「運慶が今日まで生きている理由もほぼわかった」 というのは、明治という時代が空虚であるがゆえに、夢の中という形でいまなお運慶という人物が呼び出されてしまうのだと、解釈することができます。明治の木をいくら彫っても、仁王は出てくるわけがないのです。漱石自身はかなり確信犯的に、同時代を批判していたのではないかと考えられます。
重新回到「第六夜」,「明治的木頭裡根本不可能埋著仁王」、「運慶活到今日的理由也大體明白了」,可以解讀為:正是因為明治這個時代是空洞的,才會以夢境的形式至今仍召喚出運慶這一人物。不管怎麼雕刻明治的木頭,仁王都不可能出現。漱石自身可以說是相當有意識地批判著同時代。
夏目漱石
運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行ってみると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
山門の前五、六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜めに山門の甍を隠して、遠い青空まで伸びている。松の緑と朱塗りの門が互いに映り合ってみごとに見える。そのうえ松の位置がいい。門の左の端を目障りにならないように、斜に切っていって、上になるほど幅を広く屋根まで突き出しているのがなんとなく古風である。鎌倉時代とも思われる。
ところが見ている者は、みんな自分と同じく、明治の人間である。そのうちでも車夫がいちばん多い。辻待ちをして退屈だから立っているに相違ない。
「大きなもんたなあ。」と言っている。
「人間をこしらえるよりもよっぽど骨が折れるだろう。」とも言っている。
そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫るのかね。へえそうかね。わっしゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた。」と言った男がある。
「どうも強そうですね。なんだってぇますぜ。昔から誰が強いって、仁王ほど強い人ぁないって言いましぜ。なんでも日本武尊よりも強いんだってぇからね。」
と話しかけた男もある。この男は尻をはしょって、帽子をかぶらずにいた。よほど無教育な男とみえる。
運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿と槌を動かしている。いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺りをしきりと彫り抜いてゆく。
運慶は頭に小さい烏帽子のようなものを乗せて、素袍だか何だかわからない大きな袖を背中でくくっている。その様子がいかにあも古くさい。わいわい言ってる見物人とはまるで釣り合いが取れないようである。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議なことがあるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
しかし運慶のほうでは不思議とも奇態ともとんと感じえない様子で一生懸命に彫っている。あおむいてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我とあるのみという態度だ。あっぱれだ。」と言って褒めだした。
自分はこの言葉をおもしろいと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している。」と言った。
運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を縦に返すやいなや斜に、上から槌を打ち下ろした。堅い木をひと刻みに削って、厚い木くずが槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面がたちまち浮きあがってきた。その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を差し挟んでおらんように見えた。
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな。」と自分はあんまり感心したから独り言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あのとおりの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない。」と言った。
自分はこのとき初めて彫刻とはそんなものかと思いだした。果たしてそうなあら誰にでもできることだど思いだした。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめて早速家へ帰った。
道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出てみると、先日の嵐で倒れた樫を、薪にするつもりで、木挽に挽かせた手頃なやつが、たくさん積んであった。
自分はいちばん大きいのを選んで、勢いよく彫り始めてみたが、不幸にして、仁王は見当たらなかった。その次のにも運悪く掘り当てることができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫ってみたが、どれもこれも仁王を隠しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだど悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼわかった。
● 夏目漱石 一八六七年 [慶応 3] ─ 一九一六年 [大正 5]。
東京都生まれ。本名、金之助。小説家、英文学者。本文は 『漱石全集』 第十二巻 (一九九四年刊) による。
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