言語文化 #73
講師 渡辺恭子
学習のねらい
今回から四回にわたって、「史話」を学習します。「史話」とは、簡単に言うと「歴史上の出来事を素材にした話」のことです。今回と次回は、歴史書 正史『三国志』のお話を扱います。ここでの主人公は、三国志時代の武将の一人である魏の「曹操」です。『三国志』の話は、なじみのある人も多いと思います。話の展開にそって、丁寧に内容を理解し、登場人物の生き方や考え方を通して、「史話」の面白さを味わいましょう。
從本回起,連續四回學習「史話」。「史話」簡單說,就是「以歷史上的事件為素材的故事」。本回和下回,講解歷史書正史《三國志》的故事。這裡的主人公,是三國志時代的武將之一、魏的「曹操」。相信很多人對《三國志》的故事都很熟悉。讓我們順著故事的發展,仔細理解內容,通過登場人物的生活方式和思考方式,品味「史話」的有趣之處吧。
●学習のポイント●
〈一〉 本文を声に出して読む
〈二〉 漢字の意味に注意しながら現代語に訳す
〈三〉 荀攸の作戦をまとめよう
漢文の学習では、訓読のきまりに従って、漢文を読めるようにすること、そして、漢文のリズムに慣れることが大切です。訓点(「返り点」「送り仮名」「句読点」)の学習で学んだ知識を生かして、「曹公戦ふ於白馬(曹公白馬に戦ふ)」の文章を声に出して何時も読んでみましょう。主な記号(漢字の向かって左下に書いてある「返り点」)については、「訓読の基本①」の学習メモを、もう一度確認してください。
在漢文的學習中,重要的是要能夠按照訓讀的規則來閱讀漢文,以及習慣漢文的節奏。靈活運用在「訓讀基本知識①」的學習中學到的知識,將「曹公戰於白馬(曹公白馬に戰ふ)」的文章大聲反覆朗讀吧。
「再読文字」の読み方に注意しましょう
・ 将に (まさニ ~ セントす) 今にも ~ しようとする。
…… 未来、将来を表す 「再読文字」
・ 未だ (いまダ ~ ず) まだ ~ ない。
…… 否定を表す 「再読文字」
このお話は、西暦二〇〇年に起こった 「白馬の戦い」 と言われるものです。天下分け目の決戦と言われる 「官渡の戦い」 の前哨戦で、武将である曹操と袁紹とが 「白馬」 という場所で戦いました (「白馬」 は地名です)。このとき曹操は、河南 (黄河の南) の土地を基盤に、献帝という王を擁立して権力者となっていました。一方、袁紹は、河北 (黄河の北) の四つの州を支配し、曹操を上回る勢力を手に入れていました。場所としても、袁紹のほうが恵まれており、兵力差も、袁紹 10 に対して、曹操 1 だったと言われています。
這個故事是西元200年發生的被稱為「白馬之戰」的事件。是被稱為決定天下歸屬的決戰「官渡之戰」的前哨戰,武將曹操和袁紹在叫「白馬」的地方展開了戰鬥(「白馬」是地名)。此時曹操以黃河以南的土地為基盤,擁立名叫獻帝的王而成為了權力者。另一方面,袁紹支配黃河以北的四個州,掌握了超越曹操的勢力。就地理位置而言,袁紹也更為優越,兵力差據說也是袁紹10對曹操1。
さて、この戦い、結果はどどだったのでしょうか。本文を現代語に訳しながら確認していきましょう。
那麼,這場戰鬥,結果究竟如何呢?讓我們一邊將本文譯成現代語,一邊加以確認吧。
【 語句の意味 】
・ 将 (まさに ~ せんとす ・ 再読文字)
…… 今にも ~ しようとする。
・ 河 …………… 黄河。
・ 袁紹 ………… 武将の名。四代にわたって宰相が出ている名門出身。決断力に欠けるところもあったと言われている。
・ 荀攸 ………… 曹操側の軍師。参謀として優れた作戦を立てた人。「白馬の戦い」でも、荀攸の作戦が用いられた。
・ 曹操 ………… 魏建国の土台を築いた。
・ 其の勢 ……… 袁紹の軍勢
・ 乃ち ………… そこで。
・ 可なり ………… 宜しい
・ 若し (~ごどくせば) … ~のようにしたならば、
・ 其の不備 ……… 白馬の防備の不十分な点。隙。
※ 掩其不備 (其の不備を掩わば)
…… 敵の注意を引きつけるためにわざと目立つ行動ををる 「陽動作戦」。
・ 文の最後の 「可」 … 「べき」 と読んで 「できる」 の意味。
※ 荀攸の会話の初めの方に出てきた 「可」 は、 「可なり」 と読んで 「宜しい」 という意味。読み方によって意味が異なる漢字には注意。
・ 聞ク …………… この時代の大きな戦いでは、敵陣にスパイを忍び込ませていた。恐らくスパイの報告で聞いたのだどだろう。
・ 即ち ………… すぐに。
・ 応之 (これニ応ゼシム)
…… 「之」 は 「曹操軍の動き」 を指す。「応ゼシム」 は使役形で、 「 ~ させた」。
・ 兼行 ………… 昼も夜も急いでゆく。
※ 作戦が見破られる前に、できるだけ早く白馬に着くことが大事。
・ 良大驚 (良大イニ驚キ)
…… 顔良は、延津にいるとばかり思っていた曹操の軍が、白馬に現れたので驚いた。
※ 荀攸の作戦が成功し、不意を突かれ愕然としたのだどだろう。
・ 張遼 ………… 曹操に仕えた名将。
・ 関羽 ………… 劉備に仕えていた武将だが、この時は、劉備の行方が分かったら立ち去るのを条件に一時的に曹操に降伏していた。曹操に異例の厚遇で迎えられていた。
・ 使張遼・関羽前登 (張遼 ・ 関羽 ヲシテ前登セシメ)
…… (曹操は) 張遼と関羽に先鋒をさせて。
※ 「 ~ ヲシテ ~ シム 」 使役形 ( ~ に ~ させる )。
・ 遂に (つひニ) … そして、そのまま。
・ 解く …………… 解放する。
・ 囲ヒ …………… 包囲。
「白馬の戦い」 は、 袁紹軍が断然有利な戦いでした。 しかし、 結果は曹操軍の作戦勝ちに終わりました。
「白馬之戰」是袁紹軍處於絕對優勢的戰鬥。然而,結果卻以曹操軍的謀略取勝而告終。
この作戦ですが、 実は、 兵法書 『孫子』 に記された 「運動戦」 というものです。 「運動戦」 とは、 「陽動戦」 ともいいいます。 動き回ることで相手の兵力を分散したり、 分断したりする作戦のことです。 大兵力と小兵力といった兵力に差がある戦いの場合は、 この 「運動戦」 を用いるのが当たり前でした。 荀攸が曹操に進言した作戦ではありましたが、 曹操も 「孫子の兵法」 を愛読していましたので、 当然知っていたのでしょう。 曹操がうまく 「運動戦」 を行って、 このとき関羽が曹操の軍隊にいたので、 顔良 (袁紹側) を撃ち、 白馬を解放することができたのです。
這個作戰,其實是記載於兵法書《孫子》中的「運動戰」。「運動戰」也稱為「陽動戰」。是通過移動來分散或分斷對方兵力的作戰方式。在大兵力對小兵力等兵力懸殊的戰鬥中,使用這種「運動戰」是理所當然的。這是荀攸向曹操進言的作戰,但曹操也酷愛閱讀《孫子兵法》,所以當然早已知曉。
では、 「荀攸の作戦」 を振り返ってまとめましょう。
「荀攸の作戦」
① 袁紹軍が襲撃した白馬の救援にはすぐには向かわず、
② 少し西側に離れた延津から黄河を渡り、 袁紹軍の背後を突く姿勢を見せる。
③ すると、 袁紹軍はそれを阻止するため、 軍勢を西に向ける。
④ そして袁紹の大軍を分散させた後で、
⑤ 手薄になった白馬を、 機動力のある部隊で攻め、 顔良らを急襲する。
というものです。
▼ その他の曹操が勝利を収めた要因 ▲
この 「荀攸の作戦」 が功を奏したのは勿論ですが、 これ以外にも、 次のようなことがいわれています。
曹操軍は、 条件が悪かっただけに、 軍全体が緊張感を持って団結し、 主である曹操は参謀の言うことを聞き、 戦略の統一がなされていた。 それに比べて、 袁紹軍は圧倒的に有利だったがために、 配下同士の権力争いが勃発していて、 一枚岩になりきれなかった。 両者の団結力には大きな違いがあり、 曹操と袁紹との君主としての指導力の差が、 勝負に大いに影響したようです。
這個「荀攸的作戰」奏效固然毋庸置疑,但除此之外,還有以下幾點被提及。曹操軍正因條件惡劣,全軍緊張團結,主公曹操聽取謀士的建議,戰略統一。相比之下,袁紹軍正因佔有壓倒性優勢,配下之間爆發了權力之爭,無法形成鐵板一塊。雙方的凝聚力存在巨大差異,曹操與袁紹作為君主的領導力之差,似乎對勝負產生了重大影響。
『三国志』 の英雄たちは、みん な人間的な魅力にあふれています。 激動の時代を、 それぞれの思いを抱きながら懸命に生き抜いた彼らから、 私たちも学ぶものがたくさんありますね。
《三國志》的英雄們,個個都充滿了人性的魅力。他們在激盪的時代中,各懷心志,拼死生存,我們也能從他們身上學到很多東西呢。
言語文化 #73
講師 渡辺恭子
紹引き兵を至りて黎陽に、将に渡らんとす河を。荀攸説きて公に曰はく、
「今兵少なくして不敵せず。分かたば其の勢を乃ち可なり。公到りて延津に、若し将に兵を渡らせ其の後に向かはんとす者のごとくせば、紹必ず西してこれに応ぜん。然る後に軽兵もて襲ひて白馬を、掩わば其の不備を、顔良禽にす可きなり。」と。
公之に従ふ。
紹聞きて兵の渡るを、即ち兵を分かちて西して之に応ぜしむ。公乃ち引き軍を兼行して趣く白馬に。未だ至らざること十余里、良大いに驚き、来たりて逆戦す。張遼 ・ 関羽をシて前登せしめ、撃破して良を斬る。つひに解く白馬の囲ひを。
紹兵を引き黎陽に到り、将に河を渡らんとす。荀攸公に説きて曰はく、「今兵少なくして敵せず。其の勢を分かたば乃ち可なり。公延津に到り、将に兵を渡らせ其の後に向かはんとす者のごとくせば、紹必ず西して之に応ぜん。然る後に軽兵もて白馬を襲ひ、其の不備を掩わば、顔良をば禽にす可きなり。」と。公之に従ふ。
紹兵の渡るを聞き、即ち兵を分かちて西して之に応ぜしむ。公乃ち軍を引き兼行して白馬に趣く。未だ至らざること十余里、良大いに驚き、来たりて逆戦す。張遼 ・ 関羽をシて前登せしめ、撃破して良を斬る。遂に白馬の囲ひを解く。
〈口語訳〉
袁紹が軍を率いて黎陽まで来て、今にも黄河を渡ろうとした。荀攸が曹公(曹操)に意見を述べたことには、「現在、(味方の)軍勢が少なくて(敵軍に)かなえいません。あちら(=袁紹軍)の勢力を分散すればそこで(戦って)宜しい。曹操さまが延津まで行って、(黄河で)今にも軍を渡らせようとして、(あたかも)あちら(つまり、黄河を渡ろうとする袁紹軍)の背後を襲おうとしているかのように見せかければ、袁紹は必ず西進してこれに対応するでしょう。その後で、軽装の騎兵で白馬(を包囲している袁紹軍)を奇襲し、(防備の)不備を不意に襲えば(袁紹の軍を代表する武将である)顔良を生け捕りにできるのです。」と。
曹操は(荀攸の)意見に従った。
袁紹は(曹操の)軍が(黄河を)渡ったと聞いて、すぐに軍を分散して西進して(曹操軍の)この動きに対応させた。曹操はそこで軍を(延津から)引き上げて、昼も夜も急いで行き白馬に向かった。(白馬まで)まだ行き着かない十里ほど手前で、顔良が(曹操に気づいて)驚いてやって来て、迎え撃った。(曹操は)張遼と関羽に先鋒をさせて、(顔良軍を)打ち破って顔良を討ち取った。そして(そのまま)白馬の包囲を解除した。
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