言語げんご文化ぶんか #7・8

現代げんだいぶん

きるよろこび [随筆ずいひつ

さくらさくらさくら 【ぜんかい

たわら 万智まち

講師こうし 齋藤さいとう ゆう

さくらさくらさくら【いち

学習がくしゅうのねらい

随筆ずいひつんで、筆者ひっしゃのものの見方みかたかんかたり、引用いんよう体験たいけんだん注意ちゅういしながら、日本にほん独特どくとくさくらかんする感性かんせいについて理解りかいふかめよう。

文法・表現

〜を読み取り、〜に注意しながら、〜を深めよう(連用+勧誘)
読み取り、〜注意しながら、理解を深めよう」=「讀取一邊注意加深理解吧」。多動詞連用+勧誘形
〜のものの見方や感じ方
「筆者のものの見方感じ方」=「作者看事物的方式感受方式」。「~方」=方法,加上「もの」表抽象對象。
〜に関する〜(漢語連体修飾)
「桜に関する感性」=「關於櫻花的感性」。書面的格助詞句

中文翻譯

閱讀隨筆,讀取作者看事物的方式與感受方式,一邊注意引用的和歌與體驗談,一邊加深關於櫻花的日本獨有的感性的理解吧。

学習がくしゅうのポイント●

いちみっつの話題わだい整理せいりしよう
海外かいがいの「さくら」のかた確認かくにんしよう
さん〉「さくら」が「女王じょおうさま」?「うたいにくいはな」?

文法・表現

〜しよう(勧誘の縮約)
整理しよう」「確認しよう」=「整理/確認」。勧誘形
受け止め方(漢語+方)
受け止め方」=「接受/看待的方式」。

中文翻譯

〈一〉整理三個話題吧 〈二〉確認海外對「櫻花」的接受方式吧 〈三〉「櫻花」是「女王」?是「難以歌詠的花」?

みっつの話題わだい整理せいりしよう

この文章ぶんしょうは「随筆ずいひつ」というジャンルに位置いちづけられます。「エッセイ」ともいます。「ずい」と「ひつ」は、それぞれつぎのような意味いみっています。

文法・表現

〜に位置づけられます(受身による分類)
に位置づけられます」=「被歸入」。
〜とも言います(言い換え)
「『エッセイ』とも言います」=「也叫『essay』」。
〜のような意味を持っています(属性記述)
のような意味を持っています」=「有著…的意義」。

中文翻譯

本文被歸入「隨筆」這個類型。也叫做「essay(隨筆)」。「隨」與「筆」各自具有如下意義。

ずい」……~にしたがう。~にまかせる。
ひつ」……ふでもちいてくこと。また、いたもの。

文法・表現

〜にしたがう/〜にまかせる(古典的訓義)
にしたがう」=「順從」;「にまかせる」=「任憑」。漢字の訓詁的解釈
〜を用いて〜(手段)
「筆を用いて書く」=「筆寫」。書面的手段表現

中文翻譯

「隨」……順從~。任憑~。 「筆」……用筆書寫,又指所寫的東西。

つまり「随筆ずいひつ随想ずいそう)」とは、筆者ひっしゃふでしたがって、ふでにまかせてかれた文章ぶんしょう、ということです。
随想ずいそうむときには、筆者ひっしゃがどのような体験たいけんをし、その体験たいけんからなにかんり、それをどのようにべているのかをいかけながらむと、筆者ひっしゃ自身じしんえている世界せかい読者どくしゃであるわたしたちも追体験ついたいけんすることができます。
今回こんかい文章ぶんしょうおおきくみっつの話題わだい展開てんかいしています。けて整理せいりすることが、この文章ぶんしょう理解りかいするために大切たいせつなポイントです。
そこで、本文ほんぶんちゅうてくる接続詞せつぞくし注目ちゅうもくしてみましょう。すると、「けれど」ではじまる段落だんらくと「ところで」ではじまる段落だんらくつかります。それぞれで話題わだい転換てんかんしていると判断はんだんし、ぶんをつないでみるとつぎのようになります。

文法・表現

〜とは〜ということです(定義)
「『随筆』とはということです」=「所謂『隨筆』就是…」。定義の定型
〜に随って、〜にまかせて〜(並列・態樣)
「筆に随って、筆にまかせて書く」=「順著筆、任憑筆寫」。並列の連用
〜のかを追いかけてポイントを押さえる(疑問内包+熟語)
「どのように述べているのかを追いかけてポイントを押さえる」=「追蹤如何敘述掌握要點」。
〜の中で、〜部分を見つけよう(範圍+目標)
「話題の中で、転換点を見つけよう」=「話題找出轉換點」。

中文翻譯

也就是說,所謂「隨筆(隨想)」,就是順著作者的筆、任憑筆寫下的文章。閱讀隨想時,追蹤作者體驗了什麼、從中感受了什麼、又是如何敘述的,並掌握其要點。 本文有以下三個話題。請從下面三個話題的內容中,找出「轉折」「焦點變換」的地方吧。

話題わだい1〉和歌わか世界せかいでは「はな」といえばすなわち「さくら」のことをす。
話題わだい2〉けれどさくらたいするおもれは、日本人にほんじん独特どくとくのもののようだ。
話題わだい3〉ところで、歌人かじんにとっては、さくらというのはもっとうたいたくて、もっとうたいにくいはなである。

文法・表現

〜といえばすなわち〜(換言)
「『花』といえばすなわち『桜』」=「說起『花』就是『櫻花』」。同義の換言
〜のようだ(推量)
「日本人独特のもののようだ」=「似乎是日本人獨有的」。柔軟な推量
〜にとっては、〜(観点)
「歌人にとっては」=「對歌人來說」。立場の限定
最も〜たくて、最も〜難しい(最上級の対比)
最も歌いたくて最も歌いにくい」=「想歌詠,卻最難歌詠」。

中文翻譯

〈話題1〉在和歌的世界中,「花」一說即指「櫻花」。 〈話題2〉然而對櫻花的傾心,似乎是日本人獨有的。 〈話題3〉順帶一提,對歌人而言,櫻花是「最想歌詠、最難歌詠」的花。

こうしてみると、接続詞せつぞくしをきっかけに話題わだい展開てんかいしている様子ようすがよくかります。

文法・表現

こうしてみると、〜よく分かります(観察+帰結)
こうしてみると、〜よく分かります」=「這樣一看就清楚地知道」。分析の結論
〜をきっかけに〜(契機)
「接続詞をきっかけに話題が展開」=「以接續詞為契機展開話題」。

中文翻譯

如此一看,便可清楚知道話題是以接續詞為契機而展開的。

海外かいがいの「さくら」のかた確認かくにんしよう

デンマークの高校生こうこうせいにとって、『伊勢いせ物語ものがたり』にえがかれた「さくらへのおもれ」は理解りかいすることがむずかしかったようです。さくらくのかかないのかということに、なぜ、そこまで一生懸命いっしょうけんめいになるのか、ずいぶんおおげさなのではないか、とかんじています。テレビのニュースや新聞しんぶんで「さくら前線ぜんせん」が報道ほうどうされることについても、わざわざらせるほどのものではないとかんがえているのです。一方いっぽうべつのヨーロッパのくにひとは、さくらのこといろを「あんな薄汚うすじょいろはな」とべ、色調しきちょうがはっきりしないことをマイナスにとらえている様子ようすがうかがえます。

文法・表現

〜にとって、〜は〜難しかったようです(観点+推量)
にとって、〜難しかったようです」=「對…來說似乎很難」。
〜に描かれた〜(受身連体修飾)
「『伊勢物語』に描かれた」=「描繪在《伊勢物語》中的」。
〜なぜ、そこまで〜のか(強い疑問)
なぜ、そこまで一生懸命になるのか」=「為什麼要如此認真」。反語的疑問
〜のではないか(推量・控えめ)
「大げさなのではないか」=「未免太過誇張了吧」。
〜とは異なる〜(対比)
「日本人とは異なる受け止め方」=「日本人不同的感受方式」。
〜から、〜が浮き彫りになる(理由+帰結)
から、特別さが浮き彫りになる」=「因此,特殊性變得突顯」。

中文翻譯

對丹麥的高中生而言,《伊勢物語》中所描繪的「對櫻花的傾心」似乎很難理解。為什麼要對「櫻花開不開」這件事這麼認真——這未免太誇張了吧,他們是如此反應。對日本人視為理所當然的櫻花,海外的人卻有與之不同的接受方式。從這一點,可以突顯出日本人對櫻花的特殊感受。

■「さくら」が「女王じょおうさま」?「うたいにくいはな」?

冒頭ぼうとうで「はな」といえばすなわちさくら歌人かじんたちにおおくの名歌めいかませてきた「まさにナンバーワン」とあるので、こと日本にほんにおいては、さくらがあらゆるはなとは別格べっかく位相いそうことなる存在そんざいだということを、「さくら女王じょおうさま」というかたちで、女性じょせい擬人ぎじんしています。
また、さくら日本にほんはる象徴しょうちょうするはなであるがゆえに、歌人かじんとしてはげたいテーマです。ただ、すでかぞれないほど「さくら」のうたまれているので、「名歌めいか」とばれるものもたくさんあります。そのそばに自分じぶんうたならべるとなるとけるので、うたいにくいのでしょう。

文法・表現

〜とあるので、〜(書面の根拠+帰結)
「『〜』とあるので、〜」=「因為(文中)寫著『…』,所以…」。
こと〜においては(書面の場面限定)
こと日本においては」=「就日本而言」。「こと」=「特別に」。
〜が、〜とは別格、〜という形で表現される(評価+受身)
「桜、別格な存在だということを『〜』という形で表現される」=「『櫻花是別格存在』被以『〜』的形式表達」。
〜であると同時に、〜という(対比+並列)
であると同時にという」=「同時又」。
〜から距離を取られる絶妙な存在感(受身+連体)
「敬遠される〜絶妙な存在感」=「敬而遠之的微妙存在感」。

中文翻譯

因為開頭寫著「花」即指櫻花,「讓歌人們詠出眾多名歌」「正是Number One」,所以就日本而言,櫻花是其他花無法與之比較的別格存在——這一點,作者以「櫻花是女王」的形式來表現。同時,櫻花又是「最想歌詠卻最難歌詠的花」,被歌人們敬而遠之,形成微妙的存在感——這就是櫻花對日本人來說的位置。

さくらさくらさくら【

学習がくしゅうのねらい

筆者ひっしゃ短歌たんかさんしゅまえ、「さくら」にたいする日本人にほんじん独特どくとく感覚かんかく筆者ひっしゃかんがえについてまとめてみよう。

文法・表現

〜を踏まえ、〜についてまとめてみよう(前提+勧誘)
「短歌を踏まえ、感覚と考えについてまとめてみよう」=「以…為根據來整理感覺與看法吧」。
〜に対する〜(連体修飾)
「桜に対する感覚」=「櫻花感覺」。
〜独特の〜(限定)
「日本人独特の感覚」=「日本人特有的感覺」。

中文翻譯

以作者的三首短歌為前提,就日本人對「櫻花」獨有的感覺與作者的想法,來整理看看吧。

学習がくしゅうのポイント●

〈1〉筆者ひっしゃ短歌たんかさんしゅてみよう
〉「自分じぶんこころる」?
さん〉「さくら」にたいする日本にほん独特どくとく感覚かんかく筆者ひっしゃかんがえについてまとめよう

文法・表現

〜を見てみよう(試みの勧誘)
見てみよう」=「看看吧」。「~てみる」=試試。

中文翻譯

〈一〉來看看作者的三首短歌吧 〈二〉「自己的心散落」? 〈三〉就對「櫻花」的日本人獨有的感覺與作者的想法整理一下吧

筆者ひっしゃ短歌たんかさんしゅてみよう

こころるならば満開まんかいしたでそっとわれたかったさよなら

文法・表現

心散る(比喩・名詞用法)
心散る」=「心碎、傷心」。作者獨特的表現,借「花散」之意比喻心。
〜ならば、〜(仮定)
「散るならば」=「如果會散落」。仮定条件
〜たかった(過去の願望)
「言われたかった」=「當初希望被說」。過去形のたい=過去未實現的願望。
そっと(副詞・態様)
そっと言われたかった」=「輕輕地說」。静かに

中文翻譯

若心要散落的話 願在滿開的樹下 悄聲被告知 那一句「再見」

このあとに作者さくしゃ自身じしんが「自分じぶんこころるときには、さくらはな満開まんかいであってほしいとおもった」とあるので、場面ばめんはすべて作者さくしゃ空想くうそうです。うたなかに「さよなら」とあるので別離べつり失恋しつれん場面ばめん。さらに「こころ」が「る」のと「さくら」が「る」ことをけていて、わかれをげられた「わたし」のこころが、えだからはなれてひろがりちる無数むすうはなびらにたとえられています。また「そっとわれたかった」とあるので、実際じっさいは「満開まんかいした」ではないところで、相手あいてに、おそらく唐突とうとつわかれをげられたのではないでしょうか。「さくらる」という光景こうけいから「こころる」という造語ぞうごへとむすびつけた連想れんそう見事みごとうたです。

文法・表現

〜ので、〜は空想です(理由+結論)
とあるので、場面は空想です」=「因為(文中)寫到…,所以是空想」。
〜とあるので、別離・失恋の場面(引用+場面判定)
「『さよなら』とあるので、別離・失恋の場面」=「因為有『さよなら』,所以是別離失戀」。
〜のと〜のとが対比される(並列の対比)
「『心』が『散る』のと『桜』が『散る』のとが対比される」=「『心散』『櫻散』形成對比」。
〜は〜なのに、〜(逆接)
「自分の心散るなのに、桜は満開」=「自己的心明明散落,櫻花滿開」。
〜(が)かなわなかった(願望の未実現)
「願いがかなわなかった」=「願望未能實現」。

中文翻譯

後面作者自身寫到:「自己的心散落之時,希望櫻花滿開」——所以可知這是作者的空想場景。因為歌中有「再見(さよなら)」,所以是離別、失戀的場景。再加上自己的「心」散落 與 櫻花的「散」被相互對比。藉此,「自己的心散落,櫻花卻反而正盛開」這份心境形成對比。 短歌的句意:「如果自己的心要散落(傷心)的話,希望是在櫻花滿開的樹下、被悄悄地說出『再見』」——這是強烈的願望,但這份願望未能實現——這份悲傷正是當下的心境。

るという飛翔ひしょうのかたちはなびらはふと微笑ほほえんでえだはなれる

文法・表現

〜という〜のかたち(換言)
「散るという飛翔のかたち」=「『散落』這種稱為飛翔的姿態」。同格
〜微笑んで枝を離れる(擬人法)
「花びらはふと微笑んで枝を離れる」=「花瓣忽然微笑著離開枝頭」。植物擬人化
ふと(副詞・突発)
ふと微笑んで」=「不經意地/忽然微笑」。

中文翻譯

「散落」這稱為「飛翔」的姿態 花瓣忽然微笑著 離開枝頭

こちらも「はなびら」が「微笑ほほえむ」という擬人ぎじんほう使つかっています。「る」ことを「飛翔ひしょう」とえ、あたかもはなびらが自分じぶん意志いしつかのような印象いんしょうあたえています。作者さくしゃ自身じしんべているように「る」ことが「わり」ではなく「飛翔ひしょう」することによってつぎの「はじまり」へとつながっているイメージをもたらし、さくら場面ばめんを「はげまし」のうたへとんでみせています。

文法・表現

〜という擬人法を使っています(用語紹介)
『微笑む』という擬人法を使っています」=「使用了『微笑』這種擬人法」。
〜を〜と読み替え(換言)
「『散る』『飛翔』と読み替え」=「『散』讀作『飛翔』」。
あたかも〜かのような〜(比喩)
あたかも花びらが自分の意志で飛び立つかのような印象」=「彷彿花瓣是出於己意飛立那般的印象」。
〜とも言える(評価の保留)
「積極的なとらえ方とも言える」=「也可以說是積極的看法」。

中文翻譯

這首也使用了「花瓣」「微笑」這樣的擬人法。將「散」讀換為「飛翔」,給人彷彿花瓣是出於自己的意志而飛離的印象。如作者自身也提到,把「散」想成「結束」這種令人感傷的場面,反過來以「飛翔」這種跳躍般的動作來描寫——可說是非常積極的把握方式。

さくらさくらさくらわりなにもなかったような公園こうえん

文法・表現

さくらさくらさくら(反復・印象操作)
さくらさくらさくら」——三反復,以假名書寫,使句子節奏與花飄落的視覺印象一致。
咲き初め咲き終わり(複合動詞の対)
咲き初め咲き終わり」=「開始開結束開」。連用形中止。
〜たような〜(比喩の連体)
「なにもなかったような公園」=「彷彿什麼也沒有過似的公園」。

中文翻譯

櫻花櫻花櫻花 開始綻放 結束綻放 彷彿什麼也未曾發生過的 公園

「さくらさくらさくら」と言葉ことばかえした仮名かなきであらわすことで、あたかもさくら様子ようす文字もじえがいているような印象いんしょうあたえています。また「わり」と最初さいしょ最後さいごつづけてしまうことで、さくらいているみじか時間じかん象徴しょうちょうし、最後さいごに「なにもなかったような公園こうえん」という日頃ひごろ見慣みなれた風景ふうけいとしんでみせているのです。作者さくしゃさくら季節きせつわりを「ひとつのゆめからめたような気分きぶん」「芝居しばいわったときの感覚かんかく」としるしているように、自分じぶんていた満開まんかいさくらが、現実げんじつだったのかまぼろしだったのかからなくなるような不思議ふしぎ感覚かんかく表現ひょうげんされています。

文法・表現

〜を繰り返した〜書きで表すことで、〜印象を与えている
繰り返した仮名書きで表すことで、〜印象を与えている」=「透過重複的假名書寫給予印象」。
あたかも〜のような印象
あたかも桜が散る様子を文字で描いているような印象」=「彷彿用文字描繪櫻花飄散的印象」。
〜と〜を続けてしまうことで(連結の効果)
「咲き初め咲き終わりを続けてしまうことで」=「透過將開始與結束接連起來」。
〜から、〜が見える(観察)
「上の三首から、作者の視点が見える」=「三首歌中可以看出視角」。

中文翻譯

「さくらさくらさくら」這樣以假名書寫重複詞語來表達,藉此給予彷彿用文字描繪花散落樣子的印象。並且,藉由將「咲き初め(開始綻放)」與「咲き終わり(結束綻放)」連接起來,表現出櫻花綻放期間很短、轉眼結束的空蕩感。從上面這三首歌中,可以看見作者「在飛逝之中看見櫻花魅力」這樣的視角。

■「自分じぶんこころる」?

筆者ひっしゃ紹介しょうかいしているひとうたに「こころる」という表現ひょうげんてきます。ぶんにもおな表現ひょうげんがあります。これは筆者ひっしゃ独特どくとくまわしで、自分じぶんおもどおりにことはこばず、気持きもちがみだれたりしおれたりしている様子ようすえがかれています。

文法・表現

〜に〜という表現が出てきます(出現)
『心散る』という表現が出てきます」=「出現了『心散』這個表達」。
地の文にも〜があります(補充)
地の文にも同じ表現があります」=「本文中也有同樣的表達」。
〜独特の言い回し(評価)
筆者独特の言い回し」=「作者獨特的說法」。
〜にとって、〜と考えられそうです(推量+客観性)
筆者にとって、〜と考えられそうです」=「對作者來說,可以這樣推想」。

中文翻譯

在作者所介紹的第一首歌中,出現了「心散る(心散落)」這個表達。在正文中也有同樣的表達。這是作者獨特的說法,描寫「事情不如自己意願、心動搖或消沉的樣子」。對作者而言,「散」表面上是花的姿態,但裡側可說是與「自己的心」的轉變相連——可以這麼想。

■「さくら」にたいする日本人にほんじん独特どくとく感覚かんかく筆者ひっしゃかんがえについてまとめよう

日本人にほんじんさくら大好だいすきです。それは「はな」といえばすなわち「さくら」をあらわすごとく、「はな」の代表だいひょうが「さくら」だとえます。「堂々どうどうたる名花めいか」として「別格べっかく」のさくらは、筆者ひっしゃわせれば「女王じょおうさま」の称号しょうごうにふさわしい。この感覚かんかくは、筆者ひっしゃ実際じっさいおとずれたヨーロッパの人々ひとびとには共感きょうかんされませんでしたが、日本にほんという島国しまぐににおいては、『源氏げんじ物語ものがたり』や『伊勢いせ物語ものがたり』がかれたむかしから現代げんだいへとつらなる、普遍的ふへんてき感性かんせいとしてがれています。歌人かじんとして、うたいたいテーマではありながらうたいたいテーマである「さくら」は、逆説的ぎゃくせつてき意味いみにおいて、「さくらというものがなければ」というおもいをいだかせるほどに、わたしたちをつかんではなさない魅力みりょくそなえているのです。

文法・表現

〜が大好きです(嗜好の最上級)
「桜が大好きです」=「非常喜愛櫻花」。
〜ごとく(古典的副詞句)
「すなわち『桜』を表すごとく」=「正如意指『櫻花』那樣」。文章語の比況。
〜と言える、〜にふさわしい(評価)
と言える」「にふさわしい」=「可以說」「配得上」。
〜には〜できないかもしれない(観点+可能の打消推量)
「海外の人には理解できないかもしれない」=「對海外的人來說,可能無法理解」。
〜であると同時に、〜(並列の評価)
であると同時に」=「同時又」。
〜への向き合い方は貴重な記録(評価)
への向き合い方は貴重な記録」=「對…的應對方式是寶貴的記錄」。
ぜひ〜してみてください(強い勧誘)
ぜひ読んで比較してみてください」=「請務必讀讀看比較看看」。

中文翻譯

日本人非常喜愛櫻花。正如「花」即指「櫻花」一樣,「花」的代表就是櫻花。被視為「堂堂的名花」、地位別格的櫻花,借作者的話來說,配得上「女王」之名。但這樣的感性,對海外的人來說,或許未必能理解。 而作為作家,作者特別喜愛櫻花,但這「最想歌詠之物」同時又是「最難歌詠之物」——對於以歌詠為畢生事業的對象,作者藉由這三首短歌的應對方式正是寶貴的記錄。請務必讀讀其他歌人所詠的櫻花作品,比較看看吧。

現代げんだいぶん

さくらさくらさくら

たわら 万智まち

講師こうし 齋藤さいとう ゆう

和歌わか世界せかいでは、「はな」といえばすなわちさくらのことをす。歌人かじんたちにおおくの名歌めいかませてきたというてんにおいて、さくらはまさにナンバーワンのはな堂々どうどうたる名花めいかだ。
最近さいきんでは、さまざまな輸入ゆにゅうることができるし、かつてないほど洗練せんれんされたバラのはならんはなれることもできる。シクラメンやポインセチアなど、季節きせつ風物詩ふうぶつしとして定着ていちゃくしたものもある。が、そんななかにあっても、さくらだけは別格べっかくというがする。なんというか、「はな」という言葉ことばではくくりきれない、存在そんざいそのものがてしないひろがりをった、まこと不可思議ふかしぎなもの――それがさくらだ。
けれどさくらたいするおもれは、日本人にほんじん独特どくとくのもののようだ。以前いぜん、デンマークの高校こうこう日本にほん古典こてんについてはなしをする機会きかいがあった。言葉ことばふるくなっても、その心情しんじょうにおいては現代げんだいわたしたちがおおいに共感きょうかんできるものがある、というようなことをべ、そのれいとして、『源氏げんじ物語ものがたり』にえがかれた「ひとこいする気持きもち」や『伊勢いせ物語ものがたり』にてくる「さくらへのおもれ」などをげた。『源氏げんじ物語ものがたり』のほうは、デンマークのわかひとたちにもかりやすかったようだ。が、さくらのほうは、どうもぴんとこないというかおをしている。
たとえば、とわたしは、在原ありわら業平なりひらつぎうたげた。
なかえてさくらのなかりせばはるこころはのどけからまし
伊勢いせ物語ものがたり』に登場とうじょうする和歌わかで、『古今こきん和歌わかしゅう』にもおさめられている有名ゆうめい作品さくひんである。
はるになるとわたしたちは、もうすぐさくらくなあとわくわくし、はやかないかなあとイライラもし、けばいたでうきうきする一方いっぽうかぜあめることを心配しんぱいし、はじめるとがっかりしてしまう……。本当ほんとうさくらというのはわたしたちのこころまわすもの。この世このよさくらというものがなければ、はるこころはどんなにかのんびりとおだやかなものであろうか、という逆説的ぎゃくせつてきかたで、さくらのすばらしさと存在感そんざいかんをたたえているんですね。」
われながらうまく説明せつめいできたとおもったのだけれど、学生がくせいたちはぽかんとしている。なぜ、おお大人おとながそこまで一生懸命いっしょうけんめいになるのか、ずいぶんおおげさなんじゃないの、という反応はんのうである。
おおげさなんかじゃありません。いまだって、さくら前線ぜんせんというのがあって、毎日まいにちテレビのニュースや新聞しんぶん報道ほうどうされているんですよ。」とさくら前線ぜんせんのことを紹介しょうかいすると、今度こんどはぽかんをとおして、みんなゲラゲラわらはじめる始末しまつ
はないたとかかないとかいった話題わだいを、毎日まいにちわざわざニュースでやるなんて、ずいぶんのんきなんですね。」というわけだ。
そうわれてみると、たとえば、チューリップ前線ぜんせんとか、ひまわり前線ぜんせんとか、そういうことをねんがら年中ねんじゅうやっているとしたら、これはじつにのんきなかんじがする。

文法・表現

〜といえばすなわち〜(換言)
といえばすなわち」=「說起…即指」。
〜に〜を詠ませてきた(使役の継続)
「歌人たち多くの名歌を詠ませてきた」=「歌人們詠出眾多名歌」。使役+てきた=長期繼續。
〜とは思う/〜では、〜(複合的観点)
とは思うでは、〜」——複雜的判斷與補充。
〜まじまじと感じたのは、〜時のことだ(強調+場面提示)
まじまじと感じたのは、〜時のことだ」=「真切感受到的是…時候」。強調構文
〜たって、〜(口語の譲歩)
「咲いたって、咲かなくたって」=「就算開、就算不開」。口語譲歩
〜のかしら(女性的疑問)
のかしら」=「到底是…呢」。女性用の柔軟な疑問
〜を見せられて、〜(受身+驚き)
を見せられて」=「被給看了」。意外な経験

中文翻譯

在和歌的世界中,所謂「花」即指櫻花。在「讓歌人們詠出眾多名歌」這一點上,櫻花正是Number One的花,是堂堂的名花。 最近,可以看到各種進口花,也能買到前所未有地精緻的玫瑰花和蘭花。仙客來、聖誕紅等也已作為季節的風物詩固定下來。然而即使在這之中,唯獨櫻花是別格——我有這種感覺。怎麼說呢,那是用「花」這個詞無法概括的、存在本身具有無盡廣度的、真正不可思議之物——那就是櫻花。 然而對櫻花的傾心,似乎是日本人獨有的。以前,我有過在丹麥的高中講日本古典的機會。我說了「即使語言變古,在心情層面,現代的我們仍能大為共鳴的東西是有的」這樣的話,作為例子,舉了《源氏物語》中所描繪的「戀慕他人的心情」和《伊勢物語》中出現的「對櫻花的傾心」等。《源氏物語》那邊,對丹麥的年輕人們似乎也容易理解。然而櫻花這邊,他們卻一臉「不太能理解」的樣子。 於是我說「比方說」,便舉了在原業平的下面這首歌。 「世間若沒有櫻花的話 春日的心將會何等悠閒(世の中に絶えて桜のなかりせばはるの心はのどけからまし)」 這是在《伊勢物語》中登場的和歌,也收錄於《古今和歌集》,是有名的作品。 「『一到春天,我們便因為櫻花就快開了而興奮,又因為怎麼還不快點開而焦躁;開了之後雖然雀躍,另一方面又擔心被風雨吹散,等到開始散落便沮喪起來……櫻花真的是把我們的心擺弄得團團轉的東西。「這世上若沒有櫻花這東西,春日的心將會多麼悠閒平和啊」——他以這種逆說的說法,讚頌了櫻花的美妙與存在感。』」 自己覺得說明得不錯,但學生們卻一臉茫然。為什麼大人們會如此認真投入?這未免太誇張了吧——這就是他們的反應。 「『一點都不誇張喔。即使是現在,也有所謂的「櫻前線」,每天電視新聞和報紙都在報道。』」我這樣介紹櫻前線,這次他們不只是茫然,而是大家開始捧腹大笑,落到這個地步。 「『花有沒有開這種話題,每天還特地用新聞報道,真是太悠閒了。』」就是這樣的回應。 這樣一被說,比方說鬱金香前線、向日葵前線之類的,如果一年到頭都這樣搞,那感覺確實是非常悠閒。

そういうおかしさを、かれらはかんじたのだろう。でもでも、さくら前線ぜんせんは、おかしくないのだ。なんてったってさくらである。さくらは、我々われわれ日本人にほんじんにとっては別格べっかく女王じょおうさまなのだ。そこのところが、どうも理解りかいされにくいようだった。
しかも、これはデンマークでの体験たいけんではないのだが、べつのヨーロッパのくにで、「なんで、あんな薄汚うすじょいろはながいいのか?」と質問しつもんされたことがある。たしかに、ピンクといっても、バラやスイートピーのようにはっきりしてはいない。どちらかというと、ねぼけたようないろである。しかしそれが、日本にほんはるやさしい青空あおぞらとぼんやりした空気くうきとに、じつによくうのだ。たとえば真紅しんくさくらなんて、かんがえただけでもまいがしそうだ。
さくらというのは、はなだけをして観賞かんしょうするものではないのかもしれない。さくらいている空間くうかんごと、そして時間じかんごと、日本にほんはるという舞台ぶたいすべてをふくめてさくらなのだというがする。
ところで、歌人かじんにとっては、さくらというのはもっとうたいたくて、もっとうたいにくいはなである。歌人かじんとよばれるからには、さくらはなうたを(それもできれば名歌めいかを)ものしたいとおもう。が、冒頭ぼうとうでもれたように、すでかぞえきれないほどのうたまれており、大先輩だいせんぱい名歌めいかもたくさんある。ってみれば、日本にほん画家がかにとっての富士山ふじさんのようなものだろうか
るという飛翔ひしょうのかたちはなびらはふと微笑ほほえんでえだはなれる
こころるならば満開まんかいしたでそっとわれたかったさよなら
数年すうねんまえんだうたである。自分じぶんこころるときには、さくらはな満開まんかいであってほしいとおもった。そしてまた、さくら様子ようすていると、それは「わる」といううしきのものではなく、まさに飛翔ひしょうしているかのようにかんじられた。ならば、いまろうとしている自分じぶんこころも、飛翔ひしょうへとえることができるかもしれない……。そんなはげましを、もらったようながする。
最後さいごに、わたしはじめてんださくらうたいっしゅ毎年まいとしさくらはな季節きせつわると、ひとつのゆめからめたような気分きぶんになる。それは芝居しばいわったときの感覚かんかくにもている。
さくらさくらさくらわりなにもなかったような公園こうえん

文法・表現

〜のだろう(推量・断定)
感じたのだろう」=「大概感覺到了」。主観的断定
でもでも(口語の強調)
でもでも」=「但是啊但是」。強い対比
なんてったって〜なのだ(口語の強調)
なんてったってなのだ」=「畢竟是櫻花」。
〜にとっては別格の〜である(観点+断定)
我々日本人にとっては別格の女王様なのだ」=「對我們日本人來說是別格的女王」。
〜という〜が、〜(連体修飾+並列)
「歌人にとっての桜というのは、〜」=「對歌人來說的櫻花,是…」。
「期間限定」の感じ(外来語化+名詞句)
『期間限定』の感じ」=「『期間限定』的感覺」。口語的な現代表現

中文翻譯

他們大概是感覺到那種奇怪吧。但是啊但是,櫻前線並不奇怪。畢竟那可是櫻花啊。對我們日本人來說,櫻花是別格的女王大人。這一點,似乎很難被理解。 而且,這雖不是在丹麥的體驗,但在別的歐洲國家,我曾被問過「為什麼那種髒兮兮顏色的花會好?」。的確,雖說是粉紅,卻不像玫瑰或香豌豆花那樣鮮明。硬要說的話,是有點睡眼惺忪般的顏色。但這顏色,與日本之春溫柔的青空和朦朧的空氣,實在非常合拍。比方說真紅的櫻花,光想想就頭暈了。 所謂櫻花,或許不是把花本身單獨取出來觀賞的東西。櫻花綻放的整個空間,以及整個時間,包含日本之春這個舞台的一切——這才是櫻花,我有這種感覺。 順帶一提,對歌人來說,櫻花是最想歌詠、又最難歌詠的花。既然被稱為歌人,便會想要做出一首櫻花的歌(而且如果可能的話希望是名歌)。然而正如開頭也提到的,已有數不清的歌被詠出,大前輩的名歌也很多。打個比方,大概就像對日本畫家來說的富士山一樣吧。 「散」這「飛翔」之姿態 花瓣忽然微笑著 離開枝頭(散るという飛翔のかたち花びらはふと微笑んで枝を離れる) 心若散落的話 願在滿開的樹下 悄聲被告知 那聲再見(心散るならば満開の木の下でそっと言われたかったさよなら) 這是數年前所詠的歌。當自己的心散落之時,希望櫻花滿開——我曾這麼想。同時,看著櫻花散落的樣子,那並不是「結束」這種消極的東西,而像是真的在飛翔一般令人感受到。那麼,現在正要散落的自己的心,或許也能轉化為飛翔……我感覺彷彿得到了這樣的鼓勵。 最後,介紹一首我第一次詠的櫻花歌。每年櫻花季結束時,我都會有一種從一場夢醒來的感覺。那也與看完一齣戲時的感覺相似。 櫻花櫻花櫻花 開始綻放 結束綻放 彷彿什麼也未曾發生過的 公園(さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園)

たわら 万智まち 一九六二年[昭和しょうわ37]~。大阪おおさかまれ。歌人かじん
本文ほんぶんは『かぜ組曲くみきょく』(二〇〇〇ねんかん)による。