言語げんご文化ぶんか #67

現代げんだいぶん

いのちをうたう [詩歌しいか3]

I was born

吉野よしの ひろし

講師こうし 齋藤さいとう たすく

学習がくしゅうのねらい

口語こうご散文さんぶんえがかれる風景ふうけいあじわう。

学習がくしゅうのポイント●

いち〉 この表現ひょうげんやリズムについてがついたてんげよう
〉 「ちち」はどのような気持きもちで「蜉蝣かげろう」のはなしをしたか
さん〉 「I was born」という題名だいめいには、作者さくしゃのどのようなおもいがこめられているか

■この表現ひょうげんやリズムについてがついたてんげよう

「I was born」は、一見いっけんのようなかんじがしない普通ふつう文章ぶんしょうえますが、現代げんだいはな言葉ことばちか言葉ことばかれている「口語こうご散文さんぶん」に分類ぶんるいされます。発表はっぴょうされたのが一九五二年せんきゅうひゃくごじゅうにねん作者さくしゃ二十六歳にじゅうろくさいときのことです。

文法・表現

一見~感じがしない
「乍看之下不像~的感覺」。
口語散文詩
「口語散文詩」。以接近日常口語的語言寫成、不使用固定格律的詩形式。
に分類されます
「被歸類為」。受身形表示分類。

中文翻譯

「I was born」乍看之下感覺不像詩、像普通的文章,但被歸類為用近似現代口語的語言寫成的「口語散文詩」。發表於一九五二年,是作者二十六歲時的作品。

特徴的とくちょうてきなのは、読点とうてん(、)がすべて省略しょうりゃくされていることです。ぶん途中とちゅう読点とうてんたれていないのですが、文末ぶんまつ句点くてんはすべてほどこされていて、前半ぜんはんひとつのぶんみじかく、非常ひじょうにリズムがよいかんじがします。また、「ぼく」と「ちち」の言葉ことば直接ちょくせつ話法わほう引用いんようされています。この表現ひょうげんによって、少年しょうねんちちのそのときのやりりの「こえ」が、臨場感りんじょうかんをもってひびくように工夫くふうされています。

文法・表現

省略されている
「被省略」。受身+ている表示狀態。
直接話法で引用されています
「以直接引語形式被引用」。
臨場感をもって響くように工夫されています
「被巧妙地安排得帶有臨場感而響起」。受身+ように工夫。

中文翻譯

其特徵是讀點(、)全部被省略。文中途沒有打讀點,但句末的句點全部都有,前半部分每個句子很短,感覺節奏非常好。另外,「僕」與「父」的話語以直接引語的形式被引用。通過這種表現,少年與父親當時的對話之「聲音」,被巧妙地安排得帶有臨場感而響起。

■ 「ちち」はどのような気持きもちで「蜉蝣かげろう」のはなしをしたか

冒頭ぼうとうに「英語えいごならはじめてもないころだ」とありますから、「少年しょうねん」は中学生ちゅうがくせいくらいです。十二じゅうに三歳さんさいくらいの少年しょうねんが、ちち一緒いっしょにおてら境内けいだいあゆいていたら、こうがわから白いしろいおんな白いしろいふく女性じょせいが、ちょっとくるしそうに、けだるそうな様子ようすあるいてきます。「るように」とあるように、「なつよい」「青いあおいゆうもや」のなかから、この女性じょせいそのものがしろ輪郭りんかくあたえられて背景はいけいからてくるような、そんな印象いんしょうあたえています。

文法・表現

~とありますから
「因為有~(這樣的說明)」。引用資訊後說明理由。
浮き出るように
「彷彿浮現而出」。比喻表現。
輪郭を与えられて
「被賦予了輪廓」。受身形。

中文翻譯

開頭有「英語を習い始めて間もない頃だ」,所以「少年」大概是中學生。十二、三歲左右的少年與父親一起在寺院境內步行,從對面白色女性,穿著白色衣服的女性,帶著略顯痛苦、倦怠的樣子走了過來。如「浮き出るように」所示,從「夏の宵」「青い夕靄」之中,這位女性彷彿被賦予了白色輪廓從背景中浮現而出,給人如此的印象。

中学生ちゅうがくせいですから、見知みしらぬ女性じょせい姿すがたをじろじろみるのはちょっとけるとおもいますが、それでも、女性じょせいのおなかからはなせなくなります。「あたましたにした胎児たいじ柔軟じゅうなんなうごめきを はらのあたりに連想れんそうし」とあります。胎児たいじさかさまだというのは、「少年しょうねん」が最近さいきん知識ちしきとしてまなんだことなのでしょう。そこから「

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まれることの不思議ふしぎたれていた」とつながっていきます。

英語えいごの「I was born」が「」のかたちることは、「少年しょうねん」にとって、まなんだばかりの知識ちしきにすぎません。ただ、そうであるからこそ、胎児たいじ自分じぶん意志いし誕生たんじょうするわけではないという事態じたい文法ぶんぽう規則きそくとが、一足飛いっそくとびに「連想れんそう」されていきます。

文法・表現

~にすぎません
「不過是~・只不過是~」。
そうであるからこそ
「正因為如此」。強調理由的表現。
一足飛びに「連想」されていきます
「一下子被聯想」。一足飛び=跳躍式。

中文翻譯

英語的「I was born」採用「受身」形式,對「少年」來說不過是剛學到的知識。但正因為如此,胎兒不是憑自己的意志誕生的這一事態,與文法規則,一下子被「聯想」在了一起。

一方いっぽう、「I was born」が文法的ぶんぽうてきにも実際じっさいにも「受身形うけみけい」だという少年しょうねん発見はっけんたいして、父親ちちおやはすぐには反応はんのうしめしません。「無言むごん暫時ざんじあるいたあと」、友人ゆうじんとの「蜉蝣かげろう」をめぐるエピソードをはなはじめます。

文法・表現

すぐには反応を示しません
「並沒有立刻做出反應」。は表示對比・強調。
暫時
「暫時・一會兒」。漢語詞彙,較書面。
話し始めます
「開始談起」。始める表示動作的開始。

中文翻譯

另一方面,對於「I was born」在文法上和實際上都是「受身形」這一少年的發現,父親並沒有立刻做出反應。「無言で暫時歩いたあと」,開始談起了與友人有關「蜉蝣」的插曲。

蜉蝣かげろう」は水中すいちゅう一年以上いちねんいじょうごしたあとに成虫せいちゅうとなりますが、成虫せいちゅうとなったあとは、はやいもので数時間すうじかんながくても一週間いっしゅうかんくらいでんでしまいます。そのため、あさまれれ夕方ゆうがたぬ、短命たんめいではかないもののたとえに使つかわれます。

文法・表現

成虫となりますが
「成為成蟲,但」。が表示逆接的接續。
早いもので
慣用表現。「快的話・最快」。
短命ではかないもののたとえに使われます
「被用來比喻短命虛幻之物」。受身形。

中文翻譯

「蜉蝣」在水中度過一年以上後成為成蟲,但成為成蟲之後,快的話只有數小時,最長也不過一週左右便死去。因此,被用來比喻朝生夕死、短命虛幻之物。

少年しょうねんちちのセリフ、「くちまった退化たいかして食物しょくもつるのにてきしない。 ひらいても はいっているのは空気くうきばかり」とあるように、「蜉蝣かげろう」はまるで、成虫せいちゅうとしてこの謳歌おうかするつもりがないようなからだ構成こうせいになっています。それでも「たまごだけははらなかにぎっしりと充満じゅうまんしていて ほっそりしたむねほうにまでおよんでいる」という様子ようすを、ちちは「まぐるしくかえされるにのかなしみが 咽喉いんこうもとまで こみあげているようにえるのだ」と形容けいようしています。

文法・表現

退化して食物を摂るのに適しない
「退化而不適合攝取食物」。のに表示目的。
謳歌するつもりがないような体の構成
「彷彿沒有打算享受的身體構造」。ような表示比喻。
咽喉もとまでこみあげている
「湧上喉頭」。こみあげる=(情感等)湧上來。

中文翻譯

少年之父的台詞,如「口は全く退化して食物を摂るのに適しない。 胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり」所示,「蜉蝣」彷彿根本沒有打算享受以成蟲之姿活在這世上的體制構造。即便如此,「卵だけは腹の中にぎっしりと充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる」這樣的樣子,父親將其形容為「目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ」。

父親ちちおやにしてみれば、「少年しょうねん」の誕生たんじょうわるようにくなってしまった母親ははおやは、おまえをむという、とんでもない奇跡きせきをリもたらしてくれたんだということを、息子むすこつたえたかったのだとおもわれます。ただ、少年しょうねん父親ちちおやは、自分じぶんかんがえを息子むすこしつけようとする姿勢しせいりません。それがぎゃくに、少年しょうねんにはむしろひびいたのではないでしうか。「はらなかにぎっしり充満じゅうまんしていて」や「ほっそりしたむね」、「咽喉いんこうもとまで こみあげている」という形容けいようのしかたは、蜉蝣かげろうたいしてほどこされている言葉ことばではありますが、このあとのはは姿すがた彷彿ほうふつとさせています。

文法・表現

父親にしてみれば
「對父親來說・從父親的角度」。にしてみれば表示立場。
入れ替わるように亡くなってしまった
「隨著……替換般地離世了」。
押しつけようとする姿勢を取りません
「不採取強加給……的姿態」。
彷彿とさせています
「令人聯想到・讓人浮現出」。彷彿とさせる表示使聯想。

中文翻譯

對父親來說,隨著「少年」的誕生而離世的母親,給予了你誕生這一不可思議的奇蹟——他想把這件事告訴兒子,可以這樣認為。只是,少年的父親並沒有採取將自己的想法強加給兒子的姿態。這反而更打動了少年吧。「腹の中にぎっしり充満していて」、「ほっそりした胸」、「咽喉もとまで こみあげている」這種形容方式,雖是施加在蜉蝣身上的語言,卻令人聯想到此後母親的身影。

■ 「I was born」という題名だいめいには、
    作者さくしゃのどのようなおもいがこめられているか

ちちはなしいた「少年しょうねん」は「ちちはなしのそれからあとは もうおぼえていない」とかたっています。それくらい、このエピソードが印象的いんしょうてきだったというこどです。「いたみのようにせつなく ぼく脳裡のうりきついたもの」、それは「ほっそりしたははむねほうまで 息苦いきぐるしくふさいでいた白いしろいぼく肉体にくたい」でした。ここは、冒頭ぼうとうの「白いしろいおんな」のふくのイメージがそのまま「ぼく肉体にくたい」にかさねられています。

文法・表現

それくらい印象的だったというこど
「這說明留下了如此深刻的印象」。
脳裡に灼きついた
「刻印在腦海中」。灼きつく=(像烙印般)深深刻下。
冒頭のイメージが重ねられています
「開頭的意象被疊加上去了」。受身形。

中文翻譯

聽了父親的話後,「少年」說「父の話のそれからあとは もう覚えていない」。這說明這個插曲留下了多麼深刻的印象。「痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたもの」,那就是「ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体」。這裡,開頭的「白い女」的衣服意象,直接疊加到了「僕の肉体」上。

少年しょうねん」が指摘してきしたように、たしかにこのいのちまれさせられたのかもしれませんが、そのかげに、そのいのちまれさせるために、みずからのいのちしたほかのいのちがあるのならば、自分じぶんのこのいのちを、あえて責任せきにんをもってけるべきは自分以外じぶんいがいにない、ということにもなります。ちちかた蜉蝣かげろうははのエピソードは、「少年しょうねん」がみずからのせいきるかたちのありかたえらなおすきっかけになっているともえるのです。

文法・表現

生まれさせられた
「被生下來的」。使役+受身的複合形式,強調非自主性。
責任をもって引き受けるべきは
「應當負責地接受的是」。べき表示義務・當然。
選び直すきっかけになっている
「成為重新選擇的契機」。なる表示變化。

中文翻譯

誠如「少年」所指出的,這條生命或許確實是被生下來的,但在其背後,為了讓這條生命誕生,若有其他生命將自己的生命奉獻出來,那麼對自己的這條生命負責地接受它的,除了自己以外別無他人,這也是理所當然的。父親所講述的蜉蝣與母親的插曲,也可以說是「少年」重新選擇自身生命、存活方式的契機。

わたしたちは、自分じぶんではないだれかによってまれさせられ、その結果けっかとして自分じぶんいのちれた、というなのはまぎれもない事実じじつです。その意味いみにおいて、なにもの

文法・表現

紛れもない事実
「不爭的事實・毫無疑問的事實」。
本来的にありえません
「從根本上說不存在」。
はらまれているのだと考えることができます
「可以認為蘊含著」。はらむ=孕育・包含。

中文翻譯

我們是被非自己的某人生下來,結果因此獲得了自己的生命,這是不爭的事實。在這個意義上,與任何事物都毫無關係的獨立自我,從根本上說是不存在的。聽起來也許理所當然,但人連出生都無法獨自完成。在如此單純而普遍的事實中,蘊含著如何接受這一生的課題,可以這樣思考。

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ともかかわりいのない独立どくりつした自分じぶん、というのは本来的にほんらいてきにありえません。たりまえこえるかもしれませんが、ひとはひとりではまれることさえできない。そのような単純たんじゅんにして普遍的なふへんてきな事実じじつなかに、このせいをどうやってけるのかという課題かだいがはらまれているのだとかんがえることができます。

「I was born」が「受身形うけみけい」であるということは、どの辞書じしょにもっています。それでも、あるの「少年しょうねん」のづきが、意図いと裏腹うらはら父親ちちおや記憶きおくをたぐりせ、生命せいめい誕生たんじょう奥深おくぶかさをかたってくれています。この名作めいさくといわれるゆえんは、「少年しょうねん」と「ちち」がそれぞれ、相手あいて言葉ことばげかけているというより、どちらかというと自分自身じぶんじしんかせるようなひとごと、モノローグとしてはっせられているにもかかわらず、結果けっかとしてはひびう「対話たいわ」として成立せいりつしている、ところにあるのでしょう。「まれる」、誕生たんじょうするという出来事できごとは、ははからだというきている、人称にんしょうえた奇跡的なきせきてきな出来事できごとなのだということが、このつらぬいているメッセージなのだと言えるかもしれません。

文法・表現

意図と裏腹に
「出乎意料地・與意圖相反地」。裏腹=相反・背離。
たぐり寄せ
「勾起・拉近」。たぐり寄せる=拉近、召回。
モノローグとして発せられているにも関わらず
「儘管是以獨白的形式發出」。逆接表現。
人称を超えた奇跡的な出来事
「超越人稱的奇蹟般的事件」。

中文翻譯

「I was born」是「受身形」,這是任何字典都會記載的。即便如此,某天「少年」的一個發現,出乎意料地勾起了父親的記憶,訴說著生命誕生所蘊含的深邃意義。這首詩被稱為名作的原因,在於「少年」與「父」各自,與其說是向對方拋出話語,不如說是更像自言自語的獨白(モノローグ),儘管如此,結果卻形成了相互呼應的「對話」。「誕生」這件事,是在母親的身體這一場域發生的、超越人稱的奇蹟——這或許是貫穿這首詩的訊息。

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現代げんだいぶん

I was born

吉野よしの ひろし

講師こうし 齋藤さいとう たすく

たしか 英語えいごならはじめてもないころだ。

なつよいちち一緒いっしょてら境内けいだいあゆいてゆくと 青いあおいゆうもやおくから るように 白いしろいおんながこちらへやってくる。 物憂ものうげに ゆっくりと。

おんな身重みおもらしかった。 ちち気兼きがねをしながらもぼくおんなはらからはなさなかった。 あたましたにした胎児たいじ柔軟じゅうなんなうごめきを はらのあたりに連想れんそうし それがやがて まれることの不思議ふしぎたれていた。

おんなはゆきぎた。

少年しょうねん思いおもい飛躍ひやくしやすい。 そのとき ぼくは 〈まれる〉 ということが まさしく 〈受身うけみ〉 であるわけを ふと諒解りょうかいした。 ぼく興奮こうふんしてちちはなしかけた。

── やっぱり I was born なんだね ──

ちち怪訝けげんそうにぼくかおをのぞきこんだ。 ぼくかえした。

── I was born さ。 受身形うけみけいだよ。 ただしくうと人間にんげんまれさせられるんだ。 自分じぶん意志いしではないんだね ──

そのとき どんなおどろきで ちち息子むすこ言葉ことばいたか。 ぼく表情ひょうじょう単にたんに無邪気むじゃきとしてちちにうつりたか。 それをさっするには ぼくはまだあまりにおさなかった。 ぼくにとってこのこと文法ぶんぽうじょう単純なたんじゅんな発見はっけんぎなかったのだから。

ちち無言むごん暫時ざんじあるいたのち 思いおもいがけないはなしをした。

── 蜉蝣かげろう というむしはね。 まれてから三日さんにちぬんだそうだが それなら一体いったい なにためなかてくるのかと そんなことがひどくになったころがあってね ──

ぼくちちた。 ちちつづけた。

── 友人ゆうじんにそのはなしをしたら これが蜉蝣かげろうめすだといって拡大鏡かくだいきょうせてくれた。 説明せつめいによると くちまった退化たいかして食物しょくもつるにてきしない。 ひらいても はいっているのは空気くうきばかり。 ると その通りとおりなんだ。 ところが たまごだけははらなかにぎっしり充満じゅうまんしていて ほっそりしたむねほうにまでおよんでいる。 それはまるで まぐるしくかえされる

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にのかなしみが 咽喉のどもとまで こみあげているようにえるのだ。

さびしい ひかりの粒々つぶつぶだったね。 わたし友人ゆうじんほういて 〈たまご〉 というと かれうなずいてこたえた。 〈せつなげだね〉。 そんなことがあってからもなくのことだったんだよ、 おかあさんがおまえとしてすぐになれたのは ── 。

ちちはなしのそれからあとは もうおぼえていない。 ただひとついたみのようにせつなく ぼく脳裡のうりきついたものがあった。

── ほっそりしたははむねほうまで 息苦いきぐるしくふさいでいた白いしろいぼく肉体にくたい ── 。

吉野よしの ひろし   一九二六年せんきゅうひゃくにじゅうろくねん大正たいしょう 15] ─ 二〇一四年にせんじゅうよねん平成へいせい 26]。
山形県やまがたけんまれ。 詩人しじん本文ほんぶんは 『吉野弘全詩集よしのひろしぜんししゅう 新装版しんそうばん』 (二〇〇四年にせんよねんかん) による。

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