学習のねらい
前回まで「木曽の最期」の場面を読んできましたが、それは『平家物語』のほんの一部にしか過ぎません。今回は、『平家物語』の全体像を捉えてみたいと思います。また、こうした合戦を描く意味についても考えてみましょう。
文法・表現
- ほんの一部にしか過ぎません
- 「不過只是一小部分」。「しか」+否定,強調限定。
- 全体像を捉えてみたい
- 「想要把握整體面貌」。「捉える」+「てみたい」。
- こうした
- 連體詞。「這樣的」。
- ~についても考えてみましょう
- 「也讓我們思考~吧」。「について」+「も」表追加,「てみましょう」勸誘。
中文翻譯
到上回為止一直在閱讀「木曾的最期」的場面,但那不過是《平家物語》的一小部分。本回想要把握《平家物語》的整體面貌。也讓我們思考一下描寫這樣的合戰的意義。
● 学習のポイント ●
〈一〉 『平家物語』の成立と琵琶法師について知る
〈二〉 平家の都落ちの場面について知る
〈三〉 平家の滅亡の場面について知る
■ 『平家物語』の成立と琵琶法師について知る
● 『平家物語』の成立
成立年・作者未詳。一二〇〇年代前半に原型が成立したか。
その後、さまざまな形の『平家物語』が成立していった。
文法・表現
- 未詳
- 「不詳・不明」。漢語詞。
- ~か
- 終助詞。帶有疑問・推測語氣。「或許~」。
- さまざまな
- 連體詞。「各種・多樣的」。
- ~ていった
- 「逐漸~・相繼~」。「ていく」過去形,表示持續的過程。
中文翻譯
成立年份・作者不詳。原型或許成立於1200年代前半。其後,各種形態的《平家物語》相繼成立。
* 現在、一般に読まれている『平家物語』は、覚一本『平家物語』と呼ばれるもの。覚一本『平家物語』は、一三七〇年頃(室町時代)に、明石覚一という琵琶法師によってまとめられた。
文法・表現
- 一般に
- 副詞。「一般地・通常」。
- ~と呼ばれるもの
- 「稱為~的(東西)」。受身形+「もの」。
- ~によってまとめられた
- 「由~彙整而成」。受身形,表示施事者。
中文翻譯
* 現在一般閱讀的《平家物語》,稱為覺一本《平家物語》。覺一本《平家物語》,是於1370年前後(室町時代)由名為明石覺一的琵琶法師彙整而成的。
● 琵琶法師とは
琵琶という楽器を弾きながら、『平家物語』を語って聞かせる僧侶のこと。
↓
『平家物語』は、琵琶法師によって語られた。
↓
『平家物語』の語り物としての表現の特徴。
● 耳で聞いて理解できる。場面が想像しやすい。
● 音便が多い。
文法・表現
- ~ながら
- 「一邊~一邊~」。表示同時並行的動作。
- ~て聞かせる
- 「講給~聽」。「てやる・てあげる」的替換表現,「聞かせる」含使役語感。
- 語り物
- 「說唱物語」。以口頭講述為前提而創作的文學作品。
- 耳で聞いて理解できる
- 「用耳朵聽便能理解」。說唱物語的語言特性。
- 音便が多い
- 「音便較多」。發音省略・變化的現象,在口頭講述中常見。
中文翻譯
指一邊彈奏琵琶這種樂器,一邊講述《平家物語》給人聽的僧侶。↓《平家物語》是由琵琶法師講述的。↓《平家物語》作為說唱物語的表現特徵。●用耳朵聽便能理解。場面容易想像。●音便較多。
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■ 平家の都落ちの場面について知る
● 平清盛の関係系図
清盛 ― 時子
│
徳子 ― 高倉天皇
│
安徳天皇
● 源平の合戦の経過 (「木曽の最期」まで)
一一八〇年 五月 源頼政挙兵 京都の宇治川の戦い
八月 源頼朝挙兵
九月 源義仲(木曽義仲)挙兵
一〇月 富士川の戦い
一一八一年 閏二月 平清盛死去
一一八三年 五月 倶利伽羅峠の戦い
一一八三年 七月 平家都落ち 源義仲入京
一一八四年 一月 源範頼(蒲の冠者)軍と源義経軍が源義仲軍を破る
義仲死去
● 「忠度都落」のあらすじ
平家の武将の平忠度は和歌を好んだ人であった。忠度は都落ちするが、途中で引き返して、藤原俊成のところに、自分の和歌を書いた巻物を渡しにいく。藤原俊成は、藤原定家の父で、ちょうどその時、勅撰和歌集を編集していた。忠度は、その勅撰和歌集に、ぜひ自分の歌を一首でも入れて欲しいということで、俊成のところに、その候補となる歌をたくさん書いた巻物を渡しにいったのである。
文法・表現
- ~を好んだ
- 「喜好~的」。動詞「好む」過去形的連體修飾。
- 都落ちする
- 「棄都而逃」。動詞用法。
- 引き返して
- 「折返」。複合動詞「引き返す」的て形。
- ちょうどその時
- 「正好在那個時候」。
- ぜひ~でも
- 「哪怕~也好」。強調希望的副詞用法。
中文翻譯
平家武將平忠度是個喜好和歌的人。忠度雖然棄都而逃,但途中折返,前往藤原俊成處,交付了寫有自己和歌的卷軸。藤原俊成是藤原定家的父親,當時正好在編撰敕撰和歌集。忠度希望能將自己的歌哪怕一首也好放入那部敕撰和歌集中,因此前往俊成處,交付了寫有許多候選歌的卷軸。
その後、忠度は討ち死にし、平家も滅亡するが、その三年後に『千載和歌集』という勅撰和歌集が完成する。そこに忠度の歌が「よみ人知らず」として一首入った。
文法・表現
- 討ち死にする
- 「戰死」。在戰場上被敵人殺死。
- 滅亡する
- 「滅亡」。
- よみ人知らず
- 「詠者不知」。和歌中的慣用語,表示作者身份不明。
- 入った
- 「入選・收入」。
中文翻譯
此後忠度戰死,平家也滅亡了,但三年後《千載和歌集》這部敕撰和歌集完成。忠度的歌以「詠者不知」之名入選一首。
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■ 平家の滅亡の場面について知る
● 源平の合戦の経過 (「木曽の最期」以降)
一一八四年 二月 一の谷の戦い
一一八五年 二月 屋島の戦い (那須与一)
三月 壇の浦の戦い 平家滅亡
文法・表現
- 一の谷の戦い
- 「一之谷之戰」。1184年,源義経以奇襲大破平家軍。
- 屋島の戦い
- 「屋島之戰」。1185年,那須與一射下平家的扇子的名場面。
- 壇の浦の戦い
- 「壇之浦之戰」。1185年,平家最終滅亡的海戰。
中文翻譯
1184年 二月 一之谷之戰
1185年 二月 屋島之戰(那須與一)
三月 壇之浦之戰 平家滅亡
「壇の浦の戦い」における安徳天皇入水の場面
【 現代語訳 】
安徳天皇は、涙をはげしく流し、小さくかわいらしい手を合わせて、まず東に向かって拝み、伊勢神宮にお別れを申し上げられ、その後、西の極楽浄土の方に向かって、念仏を唱えられたので、二位殿(つまり安徳天皇の祖母の平時子)は、すぐに、天皇を抱きかかえ、「波の下にも都はございますよ」といって、深い海の底へお入りになった。
……御涙におぼれ、ちいさくうつくしき御手をあはせ、まづ東を伏し拝み、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、その後、西に向かはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿やがていだき奉り、「浪の下にも都のさぶらふぞ」となぐさめ奉つて、千尋の底へぞ入り給ふ。
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