言語文化 #29
講師 小山 志門
学習のねらい
短歌や俳句のリズムを味わいながら、描かれた情景や作者の想いを想像し、自分なりに作品を鑑賞しましょう。実際に音読のしかたを工夫したり、自分の心情を短歌や俳句などの形式で表現したりなど、短歌・俳句の表現に親しんでいきましょう。
一邊品味短歌、俳句的節奏,一邊想像所描繪的情景與作者的想法,以自己的方式鑑賞作品吧。實際在朗讀方式上下功夫,或將自己的心情以短歌或俳句等形式來表現——透過這些方式逐漸親近短歌、俳句的表達吧。
●学習のポイント●
〈一〉声に出してみよう
〈二〉何を伝えようとしているのか考えよう
〈三〉自分ならどう表現するか考えてみよう
〈一〉試著朗讀出聲 〈二〉思考作者想傳達什麼 〈三〉若是自己會如何表達、想想看
岡に来て両腕に白い帆を張れば風はさかんな海賊のうた
「岡に来て両腕に白い帆を張れば風はさかんな海賊のうた」
この短歌の音数は〈五八五七七〉と第二句が字余りになっていて、普通に読むと作品のさわやかさやリズム感のよさが出ません。番組で一緒に勉強してくれた高校生の六代さんも、前半が少し読みづらいと言っていました。この短歌のイメージを、うまく表現できるように、六代さんに第二句の「白い」の読み方を工夫してもらいました。「白い」を音数どおり「し・ろ・い」と三拍で読んだり、「しろ・い」のように二拍で読んだりと試してもらいました。すると二拍で読んだ時に「タタン」とスキップをしたようなリズム感が生まれました。広い岡の上をスキップで駆け抜けているような、短歌の内容に近付いたような読み方になります。こんな風に実際に読んで、自分なりにリズムを工夫することにも挑戦してみてください。
俳句のほうも、声に出して読んでみましょう。
這首短歌的音數是〈五八五七七〉,第二句字餘,若用普通方式朗讀,作品的清爽感與節奏感的好處就出不來。在節目中一起學習的高中生六代同學也說前半有點難讀。為了能好好表現出這首短歌的意象,請六代同學在第二句的「白い」的讀法上下功夫。試著讓她按音數「し・ろ・い」三拍讀,或者「しろ・い」二拍讀。結果在以二拍讀的時候,產生出「タタン」如同跳躍般的節奏感。變成像在寬廣的岡上跳著跑過去那樣、貼近短歌內容的讀法。請各位也像這樣實際讀讀看,挑戰以自己的方式對節奏下功夫吧。
こんなにうまい水があふれてゐる
この作品は、〈五七五〉のリズムにとらわれず、表現も形式も自由に書かれた「自由律俳句」です。一緒に勉強した高校生の中田さんは、どこで区切るかに困っていました。そんなときは、情景をしっかりイメージしてから読みましょう。種田山頭火が旅の途中で出会った湧き水。喉がからからの時に出会ったおいしい水ですよ。単なる「うまい」ではなく「こんなにうまい」と書かれています。そこで、この「こんなに」をゆっくり味わい深く響かせて読む意識をしてもらいました。声の調子、速さなどを変えることで印象が変わります。みなさんなら、どう読みますか? みなさんなりに「自由」に音読してみてください。
這首作品是不被〈五七五〉的節奏所束縛、表達與形式都自由地書寫的「自由律俳句」。一起學習的高中生中田同學,也為了該在哪裡斷句而困惑。這種時候,請好好想像情景之後再來讀吧。種田山頭火在旅途中遇到的湧泉。是喉嚨乾渴時遇到的好喝的水啊。不只是單純的「うまい」,而是寫成「こんなにうまい」。於是請她意識到要把這個「こんなに」緩慢地、有韻味地響起來讀。藉由改變聲音的語調、速度等,印象就會改變。各位的話會怎麼讀呢?請以各位自己的方式「自由」地朗讀看看吧。
ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし
「ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし」
この歌にはどんな心情が詠まれているのでしょうか。六代さんにも中田さんにも、まず、ふるさとを離れて生活を送る想像をしてもらいました。新しい土地への移動は、新鮮な気持ちや期待があります。しかし一方で、やはり寂しさを感じるものです。実際、引っ越しの経験がある六代さんは、引っ越した時の、慣れ親しんだ土地を懐かしく思ったことや、人とのつながりの中で寂しさを感じるというような経験を話してくれました。そういった自身の体験に引き寄せながら作品を読み、寺山修司の故郷を思う気持ちを感じられたのはよかったです。
這首歌中歌詠了怎樣的心情呢?首先請六代與中田兩位同學想像「離開故鄉去過生活」的情境。前往新土地,有新鮮感與期待。但另一方面,仍會感到寂寞。實際上,有搬家經驗的六代同學告訴我們——搬家時懷念熟悉的土地、在人與人的連結之中感到寂寞等的經驗。能將這樣的自身體驗拉近作品來閱讀、感受到寺山修司思念故鄉的心情,這真是很好。
さて、この作品は単に故郷を思っているだけではありません。同じふるさと出身の仲間が、訛りをなくし、考え方や生き方のスタイルも変わっていくことに対する気持ちが読み取れます。中田さんは、訛りを失くして都会に染まったように過ごす友人に対する気持きを「不自然」と表現してくれました。六代さんも、自分はまだ都会になじんでないのに、友人は都会に染まっていくことに「悲しさや悔しさ」を感じると表現してくれました。二人とも作品中の「にがし」を受け止めようとしてくれました。さらに、二人とも「モカ珈琲を背伸びして飲んでいる自分」という存在にも気付いてくれていました。ここ、に描かれた「にがさ」は、友達に対しての気持ちだけではなく、二人が言ってくれたように、自分自身に対するものでもあるかもしれませんね。
那麼,這作品並非單純地在思念故鄉。可以讀取出——對於同樣出身故鄉的同伴失去鄉音、連思考方式與生活風格也逐漸改變這件事的心情。中田同學把對失去鄉音、染上都市色彩般生活的朋友所抱有的心情,以「不自然」來表達。六代同學也表示,對於自己尚未融入都市、朋友卻染上都市色彩,感到「悲傷與懊悔」。兩人都試著去接收作品中的「にがし(苦)」這個詞。並且,兩人也注意到——「為配大人裝模作樣地喝モカ珈琲的自己」這個存在。這裡描繪的「苦」,或許不只是對朋友的心情,正如兩人所說,也可能是對自己自身的心情。
さて、次に作者の思いを受け取り、自分なりに味わう、対話的な読み方をしてみましょう。
那麼,接下來試著做做「接收作者的想法、以自己的方式品味」的對話式閱讀吧。
来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり
作者が、旅をして歩いてきた道のりを「ここ、まで来たんだな」と振り返った歌です。振り返ると、「馬酔木」の野がきらきらと広がっていて、春の日ざしを浴びながらこれまでの道のりを肯定的に受け止めている。そんな作者の気持ちが表現されています。
這是作者旅行走來、回望走過的路途、覺得「已經走到這裡了啊」的歌。回頭看,「馬酔木」之原野閃閃發光地擴展開來,沐浴春日陽光,對至今走過的路途以肯定的方式接納。這樣的作者的心情被表現了出來。
そこで、そんなさわやかで、明るくて、前向きな気持ちを、皆さん自身の言葉にアレンジしてみましょう。作者は「馬酔木咲く野」で「日のひかり」を浴びていたと表現したわけですが、皆さんならどう表しますか? 自分にぴったりの風景に書き換えてみましょう。
那麼,把這份清爽、明朗、積極的心情,試著改編為各位自己的言語吧。作者所表現的是在「馬酔木盛開之野」沐浴「日のひかり」,那各位的話會怎麼表現呢?請改寫為適合自己的風景吧。
六代さんは、「来しかたや朧月消え日のひかり」でした。目標や自分がやりたいことなどぼんやり過ごしていたこれまでから、自分が頑張るものが見つかってすっきりした気持ちで頑張れているということを詠んでくれました。
六代同學的句子是:「来しかたや朧月消え日のひかり」。她詠出的是——從目標、自己想做的事都朦朧不清地度過的過往,到找到了自己要努力的事、能以清爽的心情努力下去——這樣的心情。
中田さんは、「来しかたや春の筍日のひかり」でした。高校生になって一つ大人になり、でもまだまだこれから、どんどん成長していきたいという気持ちを詠んでくれます。
中田同學的句子是:「来しかたや春の筍日のひかり」。她詠出的是——成為高中生而稍稍變得大人了一些,但今後還會繼續、不斷地成長下去——這樣的心情。
作品を読み取り、それを自分なりに受け止め、さらにそれを言葉にするというのはとても難しいことです。しかもそれを〈五七五〉の音数に当てはめて表現できたのはとっ、てもすばらしいですね。「朧月」は春の湿度を含んだぼんやりとした月。それが沈み春の輝く日ざしがさし込んでくる。六代さんの気持ちの切り替えがよく伝わってくる表現ができました。
讀取作品、以自己的方式接收、再把它化為言語——這是非常困難的事。何況還能把它套入〈五七五〉的音數中表達出來,真是太棒了。「朧月」是含著春日濕度的、朦朧的月。它沉下去,春日明亮的日光照射進來。六代同學的心情切換被傳達得很好的表達被做出來了。
「春の筍」は、盛の少し手前の筍です。だからこそ一層柔らかくおいしいのです。中田さんがこれからい、ろんなものを柔軟に吸収してすくすく成長していこうとする気持ちがよく表現できました。
「春の筍」是盛產期前一點的筍。正因如此格外柔軟好吃。中田同學想要往後柔軟地吸收各種事物、茁壯成長下去的這份心情,被很好地表達了出來。
皆さんも、ぜひチャレンジしてください。いきなり〈五七五〉にならなくても構いません。向き合った自分の心情をどんな言葉にすればうまく表現できるか、考えて、工夫する作業が大切です。
請各位也務必挑戰看看。即使一開始無法成為〈五七五〉也沒關係。所面對的自己心情,用什麼樣的言語才能好好表達——思考、下功夫的這個作業很重要。
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