最新国語便覧

浜島書店 — pilot v2 OCR + ruby 版(PDF 5–243 ページ)

p.225 近代俳句の流れ(子規/ホトトギス/新傾向/自由律/新興俳句)

月並俳句への革新つきなみ はいくへの かくしん

幕末ばくまつから明治めいじ初期しょき俳諧はいかいは「月並つきなみ俳句はいく」とばれる類型化るいけいか形式化けいしきかおちいっていた。明治めいじ25ねん(1892)、正岡子規まさおか しき新聞しんぶん日本にほん』に「獺祭書屋俳話だっさい しょおく はいわ」を連載れんさいし、写生しゃせい写実しゃじつによる俳句はいく革新かくしん主張しゅちょう月並つきなみ俳句はいく批判ひはんして近代きんだい俳句はいく出発点しゅっぱつてんつくった。子規の「写生しゃせい」は、対象たいしょう客観的きゃっかんてき観察かんさつし、たままいたままを率直そっちょく手法しゅほうで、のち俳句はいくおおきく決定けっていした。

子規とその門下生しきと そのもんかせい

正岡子規まさおか しき(1867–1902)は『俳句はいく分類ぶんるい稿こう』『うたよみにあたふるしょ』『病牀びょうしょう六尺ろくしゃく』などで俳句はいく短歌たんか改革かいかく主導しゅどう早世そうせい(35さい)したのち門下もんか高浜虚子たかはま きょし(1874–1959)と河東碧梧桐かわひがし へきごとう(1873–1937)が、それぞれべつ方向ほうこうで子規の遺志いしいだ。虚子きょしは「ホトトギスほととぎす」(1897ねん創刊そうかん、子規時代じだいから)を主宰しゅさいし、「客観きゃっかん写生しゃせい」「花鳥諷詠かちょう ふうえい」を主張しゅちょう碧梧桐へきごとうは「新傾向しんけいこう俳句はいく」を提唱ていしょう字数じすうわくやぶ自由律じゆうりつ俳句はいく方向ほうこうすすんだ。

新傾向俳句と自由律俳句しんけいこう はいくと じゆうりつ はいく

河東碧梧桐かわひがし へきごとう新傾向しんけいこう俳句はいくは、季語きご五七五ごしちご形式けいしきわくやぶこころみを行った。荻原井泉水おぎわら せいせんすい層雲そううん』(1911創刊そうかん)を中心ちゅうしんに、自由律じゆうりつ俳句はいく運動うんどう確立かくりつ種田山頭火たねだ さんとうか尾崎放哉おざき ほうさい住宅顕信すみたく けんしんらが代表的だいひょうてき自由律じゆうりつ俳人はいじん山頭火さんとうかってもってもあおやま」「うしろすがたのしぐれてゆくか」、放哉ほうさいせきをしてもひとり」など、行脚あんぎゃ孤独こどくなかまれたおおい。

新興俳句しんこう はいく

昭和しょうわ初期しょきホトトギスほととぎす伝統的でんとうてき客観きゃっかん写生しゃせい対抗たいこうして、新興しんこう俳句はいく運動うんどうまれた。水原秋桜子みずはら しゅうおうし馬醉木あしび』を独立どくりつして創刊そうかん(1931)、山口誓子やまぐち せいし高屋窓秋たかや そうしゅう中村草田男なかむら くさたお加藤楸邨かとう しゅうそん石田波郷いしだ はきょうら「人間にんげん探求派たんきゅうは」、平畑静塔ひらはた せいとう西東三鬼さいとう さんき富沢赤黄男とみざわ かきお白井蒼海しらい そうかいらによる「新興しんこう俳句はいく」が並立へいりつ社会しゃかい人間にんげん心理しんりなど、伝統でんとう俳句はいくあつかわなかった題材だいざいむ。新興しんこう俳句はいく戦時下せんじか弾圧だんあつされたが、戦後せんご復活ふっかつした。

現代の俳句げんだいの はいく

戦後せんご山口誓子やまぐち せいし中村草田男なかむら くさたお加藤楸邨かとう しゅうそん石田波郷いしだ はきょうらが復活ふっかつし、「天狼てんろう」(1948)などあたらしい俳誌はいし次々つぎつぎまれた。永田耕衣ながた こうい阿波野青畝あわの せいほ橋本多佳子はしもと たかこ西東三鬼さいとう さんき飯田龍太いいだ りゅうた森澄雄もり すみお金子兜太かねこ とうた海程かいてい』、能村登四郎のむら としろう有馬朗人ありま あきと三橋鷹女みつはし たかじょ中村汀女なかむら ていじょ星野立子ほしの たつこ虚子きょしむすめ)など、女性じょせい俳人はいじん活躍かつやく現代げんだい俳句はいく伝統でんとう前衛ぜんえい並立へいりつし、季語きごわくえた多様たよう表現ひょうげんこころみられている。