p.205 戦争の悲惨 — 空襲・特攻・原爆・沖縄
空襲の恐怖
太平洋戦争末期、米軍B29爆撃機による日本本土への空襲は、1944年末から激化した。東京大空襲(1945年3月10日)では一夜に約10万人が犠牲となった。木造家屋を主体とする日本の都市は焼夷弾に弱く、全国の主要都市が焼け野原となった。
焼夷弾の投下と市街地の被害
B29は4500m上空から焼夷弾を投下した。木製家屋に焼夷弾が引火することで広範囲の火災が起こり、消火活動はほぼ不可能だった。空襲で逃げる人々、防空壕に避難する市民、灯火管制下の街など、戦争の悲惨な姿が記録された。
沖縄戦・特攻作戦の悲劇
1945年4月から6月までの沖縄戦では、約20万人(うち民間人約12万人)が犠牲となった。地上戦の中で、女子学徒隊「ひめゆり学徒隊」「白梅学徒隊」などが看護要員として動員され、多くの犠牲者を出した。同時期、特別攻撃隊(特攻)は航空機・人間魚雷で米艦に体当たり攻撃をした。多くの若者の命が無残に消えた。
原爆の投下
1945年8月6日午前8時15分、広島市に米軍B29「エノラ・ゲイ」がウラン型原子爆弾「リトルボーイ」を投下、約14万人が即死または年内に死亡。8月9日午前11時2分、長崎市にプルトニウム型「ファットマン」が投下され、約7万4千人が犠牲となった。8月15日、日本は無条件降伏。
ひめゆりの塔・沖縄文学
沖縄戦の悲劇を伝える「ひめゆりの塔」「平和の礎」は、戦後の沖縄文学・映画の重要な題材。映画『ひめゆりの塔』、大城立裕『カクテル・パーティー』(沖縄文学初の芥川賞)、目取真俊『水滴』『眼の奥の森』など、沖縄ならではの戦争の記憶が現代も語られ続けている。