日本最初の仮名日記文学
承平5年(935)成立、作者は紀貫之。土佐国の国司の任期を終えて、京に帰る船旅55日間の記録。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり」と始まる、女性に仮託して書かれた最初の本格的な仮名日記文学。
作者は紀貫之(870頃-945、古今集撰者の中心人物)。承平4年(934)12月21日に土佐から出発、翌承平5年(935)2月16日に京に到着。その航海記を仮名で書いた。「男もすなる日記といふものを」と冒頭で女性に仮託することを宣言する。
土佐国府を出てから京の自邸に着くまでの55日間の旅日記。船旅の風景、京を慕う心情、亡き娘への深い悲しみが主題。和歌50余首を含む。海賊の襲撃を恐れる場面、土地土地での宴会と贈答歌、京への憧れの増幅、自邸の荒廃の発見などが詠まれる。
「日記」と名づけるが、平安時代の貴族の日記(漢文書きの公的記録)と異なり、私的・文学的な内容。仮名で書くことで内面・感情の細やかな描写を可能にし、後の日記文学(蜻蛉日記、和泉式部日記、紫式部日記、更級日記など)の道を開いた。文学的価値・形式的新しさで近代文学への影響も大きい。
貫之が土佐の任期中に亡くした娘への深い悲しみが、土佐日記の中核的テーマ。「在りし日の人」「亡き子のこと」が繰り返し語られ、京に帰ってからもその痛みは消えない。「悲しさに堪へがたきこと」「思ひのみ慕ふ」など、文学的に高められた感情表現が見られる。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す。
「男(紀貫之)も書くという日記というものを、私(女のふりをして)もしてみようと思って書くのである。承平4年12月21日の戌の刻(午後8時頃)に門出する。」