高瀬舟

森鴎外




 高瀬舟たかせぶね京都きやうと高瀬川たかせがは上下じやうげする小舟こぶねである。徳川とくがは時代じだい京都きやうと罪人ざいにん遠島ゑんたうまうわたされると、本人ほんにん親類しんるゐ牢屋敷らうやしきされて、そこで暇乞いとまごひをすることをゆるされた。それから罪人ざいにん高瀬舟たかせぶねせられて、大阪おほさかまはされることであつた。それを護送ごそうするのは、京都きやうと町奉行まちぶぎやう配下はいかにゐる同心どうしんで、同心どうしん罪人ざいにん親類しんるゐなかで、主立おもだつつた一人ひとり大阪おほさかまで同船どうせんさせることをゆる慣例くわんれいであつた。これはうへとほつたことではないが、所謂いはゆる大目おほめ見るみるのであつた、默許もくきよであつた。
 當時たうじ遠島ゑんたうまうわたされた罪人ざいにんは、勿論もちろん重いおもいとがしたものとみとめられたひとではあるが、けつしてぬすをするために、ひところ放つはなつたとふやうな、獰惡だうあく人物じんぶつ多數たすうめてゐたわけではない。高瀬舟たかせぶね罪人ざいにん過半くわはんは、所謂いはゆる心得違こゝろえちがひのために、おもはぬとがしたひとであつた。れたたとへげてれば、當時たうじ相對死あひたいじにつた情死じやうしはかつて、相手あひてをんなころして、自分じぶんだけのこつたをとこふやうなたぐひである。
 さう罪人ざいにんせて、入相いりあひかね鳴るなるころされた高瀬舟たかせぶねは、くろずんだ京都きやうとまちいへ々を兩岸りやうがんつつ、ひがしはしつて、加茂川かもがはよこぎつてしたるのであつた。ふねなかで、罪人ざいにん親類しんるゐものとはよ/よるどほしうへかたふ。いつもいつもやんでもかへらぬことである。護送ごそうやくをする同心どうしんは、そばでそれをいて、罪人ざいにんした親戚しんせき眷族けんぞく悲慘ひさん境遇きやうぐうほそかに知るしることが出來できた。所詮しよせん町奉行まちぶぎやうところ白洲しらすで、おもて口供こうきやういたり、役所やくしよつくえうへで、口書くちがきんだりする役人やくにんゆめにもうかがふことの出來でき境遇きやうぐうである。
 同心どうしんつとめるひとにも、種々しゆじゆ性質せいしつがあるから、ときただうるさいとおもつて、みみおほひたく思ふおもふ冷淡れいたん同心どうしんがあるかとおもへば、またしみじみとひとあはけて、役柄やくがらゆゑ氣色けしきにはせぬながら、無言むごんなかわたくしかにむねいためる同心どうしんもあつた。場合ばあひによつて非常ひじやう悲慘ひさん境遇きやうぐうおちいつた罪人ざいにん親類しんるゐとを、とくこころよわい、なみだもろ同心どうしん宰領さいりやうして行くいくことになると、同心どうしんおぼなみだきんぬのであつた。
 そこで高瀬舟たかせぶね護送ごそうは、町奉行まちぶぎやうところ同心どうしん仲間なかまで、不快ふくわい職務しよくむとしていやはれてゐた。

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 いつのころであつたか。多分たぶん白河樂翁侯しらかはらくをうこう政柄せいへいつてゐた寛政くわんせいころででもあつただらう。智恩院ちおんゐんさくら入相いりあひかねはるゆふに、これまでたぐひのない、めづららしい罪人ざいにん高瀬舟たかせぶねせられた。
 それは喜助きすけつて、三十さんじふさいばかりになる、住所ぢゆうしよ不定ふぢやうをとこである。かたより牢屋敷らうやしきされるやうな親類しんるゐはないので、ふねにもただ一人ひとりつた。
 護送ごそういのちぜられて、一しよいつしよふねんだ同心どうしん羽田庄兵衞はねだしやうべゑは、ただ喜助きすけおとうところしの罪人ざいにんだとふことだけをいてゐた。さて牢屋敷らうやしきから棧橋さんばしまでれてあいだ、この痩肉やせじしの、いろあをしろ喜助きすけ樣子やうす見るみるに、いかにも神妙しんべうに、いかにもおとなしく、自分じぶんをば公儀こうぎ役人やくにんとしてうやまつて、何事なにごとにつけてもさからはぬやうにしてゐる。しかもそれが、罪人ざいにんあいだけるやうな、温順をんじゆんよそほつてけんせいびる態度たいどではない。
 庄兵衞しやうべゑ不思議ふしぎおもつた。そしてふねつてからも、たん役目やくめおもてつてゐるばかりでなく、えず喜助きすけ擧動きよどうに、ほそかい注意ちゆういをしてゐた。
 ひ/か暮方くれがたからかぜんで、から一面いちめんおほつたうすくもが、つき輪廓りんくわくをかすませ、やうやうちかつてなつあたたさが、兩岸りやうがんつちからも、川床かはどこつちからも、もやになつてのぼるかとおもはれるよ/よるであつた。下京しもぎやうまちはなれて、加茂川かもがはよこぎつたころからは、あたりがひつそりとして、ただへさきかれるみづのささやきを聞くきくのみである。
 夜舟よぶねることは、罪人ざいにんにもゆるされてゐるのに、喜助きすけよこにならうともせず、くも濃淡のうたんしたがつて、ひかりしたりじたりするつきあふいで、もくつてゐる。ひたひやかでにはかすかなかがやきがある。
 庄兵衞しやうべゑはまともにはてゐぬが、始終しじふ喜助きすけかほからはなさずにゐる。そして不思議ふしぎだ、不思議ふしぎだと、こころうちかへしてゐる。それは喜助きすけかほたてからても、よこからても、いかにもらくしさうで、わか役人やくにんたいする氣兼きがねがなかつたなら、口笛くちぶえきはじめるとか、鼻歌はなうたうたすとかしさうにおもはれたからである。
 庄兵衞しやうべゑこころうちおもつた。これまで高瀬舟たかせぶね宰領さいりやうをしたことはいくたびだかれない。しかしせて行くいく罪人ざいにんは、いつもほとんおなじやうに、てられぬどく樣子やうすをしてゐた。それにをとこはどうしたのだらう。遊山ゆさんふねにでもつたやうなかほをしてゐる。つみおとうところしたのださうだが、よしやおとうとわるやつで、それをどんな行掛ゆきがかりになつてころしたにせよ、ひとじやうとして心持こゝろもちはせぬはずである。このいろあをやせをとこが、そのひとじやうふものがまつたけてゐるほどの、にもまれわるひとであらうか。どうもさうはおもはれない。ひよつとでもくるつてゐるのではあるまいか。いやいや。それにしてはなにひと辻褄つじつまはぬ言語げんご擧動きよどうがない。をとこはどうしたのだらう。庄兵衞しやうべゑがためには喜助きすけ態度たいどかんがへればかんがへるほどわからなくなるのである。

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 しばらくして、庄兵衞しやうべゑはこらへれなくなつてけた。「喜助きすけ。おまへなにおもつてゐるのか。」
「はい」とつてあたりをまはした喜助きすけは、何事なにごとをかお役人やくにんとがめられたのではないかとふらしく、ずまひをなほして庄兵衞しやうべゑ氣色けしきうかがつた。
 庄兵衞しやうべゑ自分じぶん突然とつぜんはつした動機どうきあきして、役目やくめはなれた應對おうたいもとめる分疏いひわけをしなくてはならぬやうにかんじた。そこでかうつた。「いや。わかにわけがあつていたのではない。はな、おのれ先刻せんこくからおまへしま心持こゝろもちいてたかつたのだ。おのれはこれまでふね大勢おほぜいひとしまおくつた。それはしたがいろいろなうへひとだつたが、どれもどれもしまくのをかなしがつて、おくりにて、一しよいつしよふね親類しんるゐのものと、よ/よるどほしくにきはまつてゐた。それにおまへ樣子やうすれば、どうもしまくのをくるにしてはゐないやうだ。ひとていまへはどうおもつてゐるのだい。」
 喜助きすけはにつこりわらつた。「親切しんせつやつてしたすつて、かたうございます。なるほどしまくといふことは、そと/ほかひとにはかなしいことでございませう。心持こゝろもちはわたくしにもおもつて見るみることが出來できます。しかしそれはあいだらくをしてゐたひとだからでございます。京都きやうと結構けっこう土地とちではございますが、その結構けっこう土地とちで、これまでわたくしのいたしてまゐつたやうなくるみは、どこへまゐつてもなからうとぞんじます。おうへのお慈悲じひで、いのちたすけてしまつてしたさいます。しまはよしやつらいところでも、おにところではございますまい。わたくしはこれまで、どことつて自分じぶんのゐてところふものがございませんでした。こんたびうへしまにゐろとやつてしたさいます。そのゐろとやるところいてゐることが出來できますのが、さきなによりもかたことでございます。それにわたくしはこんなにかよわいていではございますが、つひぞ病氣びやうきをいたしたことがございませんから、しまつてから、どんなつらい爲事しごとをしたつて、ていいためるやうなことはあるまいとぞんじます。それからこんたびしまへおしたさるにきまして、二百にひやくふみ/ブン鳥目てうもくいただきました。それをここに持つもつてをります。」かうけて、喜助きすけむねてた。遠島ゑんたうおほけられるものには、鳥目てうもく二百にひやくあかがねすとふのは、當時たうじおきてであつた。
 喜助きすけかたつづいだ。「おはぢかしいことまうげなくてはなりませぬが、わたくしは今日けふまで二百にひやくふみ/ブンふおを、かうしてふところはひれて持つもつてゐたことはございませぬ。どこかで爲事しごときたいとおもつて、爲事しごとたづねてあるきまして、それが見附みつけかりつぎだいほねまずにはたらきました。そしてもらつたぜには、いつもみぎからひだりひとわたさなくてはなりませなんだ。それも現金げんきんものつてべられるときは、わたくしの工面くめんときで、大抵たいていりたものをかへして、またあとりたのでございます。それがおらうはひつてからは、爲事しごとをせずにべさせていただきます。わたくしはそればかりでも、おうへたいしてまないことをいたしてゐるやうでなりませぬ。それにおらうときに、二百にひやくふみ/ブンいただきましたのでございます。かうしてあひらずおうへものべてゐてますれば、二百にひやくふみ/ブンはわたくしが使つかはずに持つもつてゐることが出來できます。お自分じぶんものにして持つもつてゐるとふことは、わたくしにつては、これがはじでございます。しまつてますまでは、どんな爲事しごと出來できるかわかりませんが、わたくしは二百にひやくふみ/ブンしまでする爲事しごと本手ほんてにしようとらくしんでをります。」かうつて、喜助きすけくちつぐんだ。
 庄兵衞しやうべゑは「うん、さうかい」とはつたが、聞くきくことごとあま意表いへうたので、これもしばらなにふことが出來できずに、かんがんでもくつてゐた。
 庄兵衞しやうべゑ彼此かれこれ初老しよらうとどとしになつてゐて、もう女房にようばう子供こどもひとませてゐる。それに老母らうぼきてゐるので、いへななひとくらしである。平生へいぜいひとには吝嗇りんしよくはれるほどの、儉約けんやく生活せいくわつをしてゐて、衣類いるい自分じぶん役目やくめのためにるもののそと/ほか寢卷ねまきしかこしらへぬくらゐにしてゐる。しかし不幸ふかうことには、つま身代しんだい商人しやうにんいへからむかへた。そこで女房にようばうをつと貰ふもらふ扶持米ふちまいくらしをててかうとする善意ぜんいはあるが、ゆたいへ可哀かはいがられてそだつたくせがあるので、をつと滿まんするほど手元てもとめてくらして行くいくことが出來できない。うごもすれば月末げつまつになつて勘定かんぢやうりなくなる。すると女房にようばううちしようさとからきん持つもつ帳尻ちやうじりはせる。それはをつと借財しやくざいふものをむしのやうにいやふからである。さうこと所詮しよせんをつとれずにはゐない。庄兵衞しやうべゑ五節句ごせつくだとつては、里方さとかたからものもらひ、子供こども七五三しちごさんいはひだとつては、里方さとかたから子供こども衣類いるい貰ふもらふのでさへ、こころくるしくおもつてゐるのだから、くらしのあなめてもらつたのにいては、かほはしない。格別かくべつ平和へいわやぶるやうなことのない羽田はねだいへに、をり波風なみかぜ起るおこるのは、これ原因げんゐんである。
 庄兵衞しやうべゑいま喜助きすけはなしいて、喜助きすけうへをわがうへくらべてた。喜助きすけ爲事しごとをして給料きふれうつても、みぎからひだりひとわたしてくしてしまふとつた。いかにもあはな、どく境界きやうがいである。しかしひとてんしてわれ/わがうへかへりみれば、かれわれ/わがとのあいだに、はたしてどれほどがあるか。自分じぶんうへから貰ふもらふ扶持米ふちまいを、みぎからひだりひとわたしてくらしてゐるにぎぬではないか。かれわれ/わがとの相違さうゐは、いははば十露盤そろばんけたつてゐるだけで、喜助きすけかたがる二百にひやくふみ/ブン相當さうたうする貯蓄ちよちくだに、こつちはないのである。
 さてけたへてかんがへてれば、鳥目てうもく二百にひやくふみ/ブンをでも、喜助きすけがそれを貯蓄ちよちくよろこんでゐるのに無理むりはない。心持こゝろもちはこつちからさつしてることが出來できる。しかしいかにけたへてかんがへてても、不思議ふしぎなのは喜助きすけよくのないこと、ることをつてゐることである。
 喜助きすけあいだ爲事しごと見附みつけけるのにくるんだ。それを見附みつけけさへすれば、ほねまずにはたらいて、やうやうくちのりすることの出來できるだけで滿まんした。そこでらうはひつてからは、いままでかたかつたが、ほとんてんからさづけられるやうに、はたらかずにられるのにおどろいて、れてかららぬ滿まんおぼえたのである。
 庄兵衞しやうべゑはいかにけたへてかんがへてても、ここにかれわれ/わがとのあいだに、おほいなる懸隔けんかくのあることをつた。自分じぶん扶持米ふちまいてて行くいくくらしは、をりらぬことがあるにしても、大抵たいてい出納すゐたうつてゐる。ひとぱいの生活せいくわつである。しかるにそこに滿まんおぼえたことはほとん無いないつねさいはとも不幸ふかうともかんぜずにしてゐる。しかしこころおくには、かうしてくらしてゐて、ふいとおやく御免ごめんになつたらどうしよう、大病たいびやうにでもなつたらどうしようと疑懼ぎくもぐんでゐて、をりつま里方さとかたからきんしてあなをしたことなどがわかると、疑懼ぎく意識いしきしきゐうへあたま/かしらもたげてるのである。
 ひとてい懸隔けんかくはどうしてじてるだらう。ただうへへんだけをて、それは喜助きすけには係累けいるいがないのに、こつちにはあるからだとつてしまへばそれまでである。しかしそれは※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)である。よしや自分じぶん一人ひとりものであつたとしても、どうも喜助きすけのやうな心持こゝろもちにはなられさうにない。この根柢こんていはもつと深いふかいしよにあるやうだと、庄兵衞しやうべゑおもつた。
 庄兵衞しやうべゑただ漠然ばくぜんと、ひと一生いつしやうといふやうなことおもつてた。ひとやまがあると、やまがなかつたらと思ふおもふひ/かひ/かがないと、つてかれたらと思ふおもふよろづひととき備へるそなへるたくはがないと、少しすこしでもたくはがあつたらと思ふおもふたくはがあつても、またたくはがもつとおほかつたらと思ふおもふごとくにさきからさきへとかんがへてれば、ひとはどこまでつてまることが出來できるものやらからない。それをいままへまつてせてくれるのが喜助きすけだと、庄兵衞しやうべゑいた。
 庄兵衞しやうべゑいまさらのやうに驚異きやうい※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはつて喜助きすけた。とき庄兵衞しやうべゑからあふいでゐる喜助きすけあたま/かしらから毫光がうくわうがさすやうにおもつた。

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 庄兵衞しやうべゑ喜助きすけかほをまもりつつまた、「喜助きすけさん」とけた。今度こんどは「さん」とつたが、これは十分じふぶん意識いしきもつ稱呼しやうこあらためたわけではない。こゑわれ/わがくちからわれ/わがみみ入るはひるいなや、庄兵衞しやうべゑ稱呼しやうこ穩當をんたうなのにいたが、いまさらすでことばかへすことも出來できなかつた。
「はい」とこたへた喜助きすけも、「さん」とばれたのを不審ふしん思ふおもふらしく、おそる/\庄兵衞しやうべゑ氣色けしきのぞつた。
 庄兵衞しやうべゑ少しすこしあいだわるいのをこらへてつた。「色々いろいろこと聞くきくやうだが、おまへ今度こんどしまられるのは、ひとをあやめたからだとことだ。おのれついにそのわけをはなししてせてくれぬか。」
 喜助きすけはひどくおそはひつた樣子やうすで、「かしこまりました」とつて、こゑはなしした。「どうもんだ心得違こゝろえちがひで、おそろしいことをいたしまして、なんともまうげやうがございませぬ。あとおもつてますと、どうしてあんなこと出來できたかと、自分じぶんながら不思議ふしぎでなりませぬ。まつた夢中むちうでいたしましたのでございます。わたくしはさいとき二親ふたおや時疫じえきくなりまして、おとうと二人ふたりあとのこりました。はじめ丁度ちやうど軒下のきしたれたいぬにふびんをけるやうに町内ちやうないひとたちがおめぐしたさいますので、近所きんじよなかはし使つかなどをいたして、うゑこほえもせずに、そだちました。つぎだいおほきくなりましてしよくさがしますにも、なるたけ二人ふたりはなれないやうにいたして、一しよいつしよにゐて、たすつてはたらきました。去年きよねんあきことでございます。わたくしはおとうと一しよいつしよに、西陣にしぢんはひりまして、空引そらびきふことをいたすことになりました。そのうちおとうと病氣びやうきはたらけなくなつたのでございます。ころわたくしとも北山きたやま掘立ほつたて小屋こや同樣どうやうところ寢起ねおきをいたして、紙屋川かみやがははしわたつてとほつてをりましたが、わたくしがくられてから、食物しよくもつなどをつてかへると、おとうとけてゐて、わたくしを一人ひとりかせがせてはまない/\とまうしてをりました。ひ/かいつものやうになにこころなくかへつてますと、おとうとぬのだんうへしてゐまして、周圍しうゐだらけなのでございます。わたくしはびつくりいたして、持つもつてゐたたけかはつつなにかを、そこへおつぽりして、そばつて『どうした/\』とまうしました。するとおとうとあをかほの、兩方りやうはうほほからあごけてつたのをげて、わたくしをましたが、もの言ふいふことが出來できませぬ。いきをいたすたびに、きずくちでひゆう/\とおとがいたすだけでございます。わたくしにはどうも樣子やうすがわかりませんので、『どうしたのだい、いたのかい』とつて、そばらうといたすと、おとうとみぎゆかつくいて、少しすこしていおこしました。ひだりはしつかりあごしたところへてゐますが、ゆびあいだから黒血くろちかたまりがはみしてゐます。おとうとでわたくしのそば寄るよるのをめるやうにしてくちきました。やう/\ものことへるやうになつたのでございます。『まない。どうぞ堪忍かんにんしてくれ。どうせなほりさうにもない病氣びやうきだから、はやんで少しすこしでもあにきにらくがさせたいとおもつたのだ。ふえつたら、すぐねるだらうとおもつたがいきがそこかられるだけでねない。ふかく/\とおもつて、ちからひとぱいむと、よこへすべつてしまつた。こぼれはしなかつたやうだ。これをむねいてくれたらおのれねるだらうとおもつてゐる。もの言ふいふのがせつなくつてけない。どうぞしていてくれ』とふのでございます。おとうとひだりゆるめるとそこからまたいきります。わたくしはなんとはうにも、こゑませんので、もくつておとうとむせきずのぞいてますと、なんでもみぎ剃刀かみそり持つもつて、よこふえつたが、それではれなかつたので、まま剃刀かみそりを、えぐるやうにふかんだものとえます。がらがやつとふたすんばかりきずくちからてゐます。わたくしはそれだけのことて、どうしようと思案しあんかずに、おとうとかほました。おとうとはぢつとわたくしをめてゐます。わたくしはやつとのことで、『つてゐてくれ、お醫者いしやんでるから』とまうしました。おとうとうらめしさうなをいたしましたが、またひだりのどをしつかりへて、『醫者いしやがなんになる、あゝくるしい、はやいてくれ、たのむ』とふのでございます。わたくしは途方とはうくられたやうな心持こゝろもちになつて、ただおとうとかほばかりてをります。こんなときは、不思議ふしぎなもので、ものことひます。おとうとは『はやくしろ、はやくしろ』とつて、さもうらめしさうにわたくしをてゐます。わたくしのあたま/かしらなかでは、なんだかかうくるまのやうなものがぐる/\まはつてゐるやうでございましたが、おとうとおそろしい催促さいそくめません。それにうらめしさうなのが段々だんだんけはしくなつてて、とう/\かたきかほをでもにらむやうな、にく々しいになつてしまひます。それをてゐて、わたくしはとう/\、これはおとうとことつたとほにしてらなくてはならないとおもひました。わたくしは『しかたがない、いてるぞ』とまうしました。するとおとうといろがからりとつて、やかに、さもうれしさうになりました。わたくしはなんでもひとおもにしなくてはとおもつてひざくやうにしてていまへしました。おとうとつくいてゐたみぎはなして、いままでのどへてゐたひぢゆかつくいて、よこになりました。わたくしは剃刀かみそりがらをしつかりにぎつて、ずつときました。ときわたくしのうちからめていた表口おもてぐちをあけて、近所きんじよ婆あばあさんがはひつてました。留守るすあいだおとうとくすりのみませたりなにかしてくれるやうに、わたくしのたのんでいた婆あばあさんなのでございます。もうだいうちのなかがくらくなつてゐましたから、わたくしには婆あばあさんがどれだけのことたのだかわかりませんでしたが、婆あばあさんはあつとつた表口おもてぐちをあけはなしにしていてしてしまひました。わたくしは剃刀かみそり拔くぬくときはやかう、なほかうとふだけの用心ようじんはいたしましたが、どうもいたとき手應てごたへは、いままでれてゐなかつたところつたやうにおもはれました。そと/ほかはうひてゐましたから、そと/ほかはうれたのでございませう。わたくしは剃刀かみそりにぎつたまま婆あばあさんのはひつてまたしてつたのを、ぼんやりしててをりました。婆あばあさんがつてしまつてから、いておとうとますと、おとうとはもういきれてをりました。きずくちからはたいそうなてをりました。それから年寄衆としよりしゆうがおになつて、役場やくばれてかれますまで、わたくしは剃刀かみそりそばいて、半分はんぶんあいたままんでゐるおとうとかほめてゐたのでございます。」
 少しすこしうつむ加減かげんになつて庄兵衞しやうべゑかほしたからげてはなししてゐた喜助きすけは、かうつてしまつて視線しせんひざうへした。
 喜助きすけはなしでう立つたつてゐる。ほとんでうぎてゐるとつてもくらゐである。これは半年はんとしほどあいだ當時たうじこといくたびおもべてたのと、役場やくばはれ、町奉行まちぶぎやうところ調しらべられるたびごとに、注意ちゆうい注意ちゆういくはへてさらつてさせられたのとのためである。
 庄兵衞しやうべゑ樣子やうすのあたり見るみるやうなおもひをしていてゐたが、これがはたしておとうところしとふものだらうか、人殺ひとごろししとふものだらうかとうたがが、はなし半分はんぶんいたときからおこつてて、いてしまつても、うたがくことが出來できなかつた。おとうと剃刀かみそりいてくれたらなれるだらうから、いてくれとつた。それをいてつてなせたのだ、ころしたのだとははれる。しかしままにしていても、どうせななくてはならぬおとうとであつたらしい。それがはやにたいとつたのは、くるしさにたへへなかつたからである。喜助きすけくるてゐるにしのびなかつた。くるからすくつてらうとおもつていのちつた。それがつみであらうか。ころしたのはつみ相違さうゐない。しかしそれがくるからすくふためであつたと思ふおもふと、そこにうたがじて、どうしてもけぬのである。
 庄兵衞しやうべゑこころなかには、いろ/\にかんがへてすゑに、自分じぶんよりうへのものの判斷はんだん任すまかすそと/ほかないとおも、オオトリテエにしたがそと/ほかないとおもじた。庄兵衞しやうべゑはお奉行ぶぎやうやう判斷はんだんを、まま自分じぶん判斷はんだんにしようとおもつたのである。さうはおもつても、庄兵衞しやうべゑはまだどこやらにちぬものがのこつてゐるので、なんだかお奉行ぶぎやうやういてたくてならなかつた。
 つぎだいけて行くいく朧夜おぼろよに、沈默ちんもくひと二人ふたりせた高瀬舟たかせぶねは、くろみづおもてをすべつてつた。
大正たいしやういつとしひとつき中央公論ちゆうあうこうろんだい三十さんじふひととしだいひとがう





底本:「日本現代文學全集 7 森鴎外集」講談社
   1962(昭和37)年1月19日初版第1刷
   1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷
初出:「中央公論 第三十一年第一號」
   1916(大正5)年1月
入力:青空文庫
校正:青空文庫
1997年10月16日公開
2011年4月27日修正
青空文庫作成ファイル:
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