高瀬舟は
京都の
高瀬川を
上下する
小舟である。
徳川時代に
京都の
罪人が
遠島を
申し
渡されると、
本人の
親類が
牢屋敷へ
呼び
出されて、そこで
暇乞をすることを
許された。それから
罪人は
高瀬舟に
載せられて、
大阪へ
廻されることであつた。それを
護送するのは、
京都町奉行の
配下にゐる
同心で、
此同心は
罪人の
親類の
中で、
主立つた
一人を
大阪まで
同船させることを
許す
慣例であつた。これは
上へ
通つた
事ではないが、
所謂大目に
見るのであつた、
默許であつた。
當時遠島を
申し
渡された
罪人は、
勿論重い科を
犯したものと
認められた
人ではあるが、
決して
盜をするために、
人を
殺し
火を
放つたと
云ふやうな、
獰惡な
人物が
多數を
占めてゐたわけではない。
高瀬舟に
乘る
罪人の
過半は、
所謂心得違のために、
想はぬ
科を
犯した
人であつた。
有り
觸れた
例を
擧げて
見れば、
當時相對死と
云つた
情死を
謀つて、
相手の
女を
殺して、
自分だけ
活き
殘つた
男と
云ふやうな
類である。
さう
云ふ
罪人を
載せて、
入相の
鐘の
鳴る頃に
漕ぎ
出された
高瀬舟は、
黒ずんだ
京都の
町の
家々を
兩岸に
見つつ、
東へ
走つて、
加茂川を
横ぎつて
下るのであつた。
此舟の
中で、
罪人と
其親類の
者とは
夜どほし
身の
上を
語り
合ふ。いつもいつも
悔やんでも
還らぬ
繰言である。
護送の
役をする
同心は、
傍でそれを
聞いて、
罪人を
出した
親戚眷族の
悲慘な
境遇を
細かに
知ることが
出來た。
所詮町奉行所の
白洲で、
表向の
口供を
聞いたり、
役所の
机の
上で、
口書を
讀んだりする
役人の
夢にも
窺ふことの
出來ぬ
境遇である。
同心を
勤める
人にも、
種々の
性質があるから、
此時只うるさいと
思つて、
耳を
掩ひたく
思ふ冷淡な
同心があるかと
思へば、
又しみじみと
人の
哀を
身に
引き
受けて、
役柄ゆゑ
氣色には
見せぬながら、
無言の
中に
私かに
胸を
痛める
同心もあつた。
場合によつて
非常に
悲慘な
境遇に
陷つた
罪人と
其親類とを、
特に
心弱い、
涙脆い
同心が
宰領して
行くことになると、
其同心は
不覺の
涙を
禁じ
得ぬのであつた。
そこで
高瀬舟の
護送は、
町奉行所の
同心仲間で、
不快な
職務として
嫌はれてゐた。
――――――――――――――――
いつの
頃であつたか。
多分江戸で
白河樂翁侯が
政柄を
執つてゐた
寛政の
頃ででもあつただらう。
智恩院の
櫻が
入相の
鐘に
散る
春の
夕に、これまで
類のない、
珍らしい
罪人が
高瀬舟に
載せられた。
それは
名を
喜助と
云つて、
三十歳ばかりになる、
住所不定の
男である。
固より
牢屋敷に
呼び
出されるやうな
親類はないので、
舟にも
只一人で
乘つた。
護送を
命ぜられて、
一しよに
舟に
乘り
込んだ
同心羽田庄兵衞は、
只喜助が
弟殺しの
罪人だと
云ふことだけを
聞いてゐた。さて
牢屋敷から
棧橋まで
連れて
來る
間、この
痩肉の、
色の
蒼白い
喜助の
樣子を
見るに、いかにも
神妙に、いかにもおとなしく、
自分をば
公儀の
役人として
敬つて、
何事につけても
逆はぬやうにしてゐる。しかもそれが、
罪人の
間に
往々
見受けるやうな、
温順を
裝つて
權勢に
媚びる
態度ではない。
庄兵衞は
不思議に
思つた。そして
舟に
乘つてからも、
單に
役目の
表で
見張つてゐるばかりでなく、
絶えず
喜助の
擧動に、
細かい
注意をしてゐた。
其日は
暮方から
風が
歇んで、
空一面を
蔽つた
薄い
雲が、
月の
輪廓をかすませ、やうやう
近寄つて
來る
夏の
温さが、
兩岸の
土からも、
川床の
土からも、
靄になつて
立ち
昇るかと
思はれる
夜であつた。
下京の
町を
離れて、
加茂川を
横ぎつた
頃からは、あたりがひつそりとして、
只舳に
割かれる
水のささやきを
聞くのみである。
夜舟で
寢ることは、
罪人にも
許されてゐるのに、
喜助は
横にならうともせず、
雲の
濃淡に
從つて、
光の
増したり
減じたりする
月を
仰いで、
默つてゐる。
其額は
晴やかで
目には
微かなかがやきがある。
庄兵衞はまともには
見てゐぬが、
始終喜助の
顏から
目を
離さずにゐる。そして
不思議だ、
不思議だと、
心の
内で
繰り
返してゐる。それは
喜助の
顏が
縱から
見ても、
横から
見ても、いかにも
樂しさうで、
若し
役人に
對する
氣兼がなかつたなら、
口笛を
吹きはじめるとか、
鼻歌を
歌ひ
出すとかしさうに
思はれたからである。
庄兵衞は
心の
内に
思つた。これまで
此高瀬舟の
宰領をしたことは
幾度だか
知れない。しかし
載せて
行く罪人は、いつも
殆ど
同じやうに、
目も
當てられぬ
氣の
毒な
樣子をしてゐた。それに
此男はどうしたのだらう。
遊山船にでも
乘つたやうな
顏をしてゐる。
罪は
弟を
殺したのださうだが、よしや
其弟が
惡い
奴で、それをどんな
行掛りになつて
殺したにせよ、
人の
情として
好い
心持はせぬ
筈である。この
色の
蒼い
痩男が、その
人の
情と
云ふものが
全く
缺けてゐる
程の、
世にも
稀な
惡人であらうか。どうもさうは
思はれない。ひよつと
氣でも
狂つてゐるのではあるまいか。いやいや。それにしては
何一つ
辻褄の
合はぬ
言語や
擧動がない。
此男はどうしたのだらう。
庄兵衞がためには
喜助の
態度が
考へれば
考へる
程わからなくなるのである。
――――――――――――――――
暫くして、
庄兵衞はこらへ
切れなくなつて
呼び
掛けた。「
喜助。お
前何を
思つてゐるのか。」
「はい」と
云つてあたりを
見廻した
喜助は、
何事をかお
役人に
見咎められたのではないかと
氣遣ふらしく、
居ずまひを
直して
庄兵衞の
氣色を
伺つた。
庄兵衞は
自分が
突然問を
發した
動機を
明して、
役目を
離れた
應對を
求める
分疏をしなくてはならぬやうに
感じた。そこでかう
云つた。「いや。
別にわけがあつて
聞いたのではない。
實はな、
己は
先刻からお
前の
島へ
往く
心持が
聞いて
見たかつたのだ。
己はこれまで
此舟で
大勢の
人を
島へ
送つた。それは
隨分いろいろな
身の
上の
人だつたが、どれもどれも
島へ
往くのを
悲しがつて、
見送りに
來て、
一しよに
舟に
乘る
親類のものと、
夜どほし
泣くに
極まつてゐた。それにお
前の
樣子を
見れば、どうも
島へ
往くのを
苦にしてはゐないやうだ。
一體お
前はどう
思つてゐるのだい。」
喜助はにつこり
笑つた。「
御親切に
仰やつて
下すつて、
難有うございます。なる
程島へ
往くといふことは、
外の
人には
悲しい
事でございませう。
其心持はわたくしにも
思ひ
遣つて
見ることが
出來ます。しかしそれは
世間で
樂をしてゐた
人だからでございます。
京都は
結構な
土地ではございますが、その
結構な
土地で、これまでわたくしのいたして
參つたやうな
苦みは、どこへ
參つてもなからうと
存じます。お
上のお
慈悲で、
命を
助けて
島へ
遣つて
下さいます。
島はよしやつらい
所でも、
鬼の
栖む
所ではございますまい。わたくしはこれまで、どこと
云つて
自分のゐて
好い
所と
云ふものがございませんでした。こん
度お
上で
島にゐろと
仰やつて
下さいます。そのゐろと
仰やる
所に
落ち
著いてゐることが
出來ますのが、
先づ
何よりも
難有い
事でございます。それにわたくしはこんなにかよわい
體ではございますが、つひぞ
病氣をいたしたことがございませんから、
島へ
往つてから、どんなつらい
爲事をしたつて、
體を
痛めるやうなことはあるまいと
存じます。それからこん
度島へお
遣下さるに
付きまして、
二百文の
鳥目を
戴きました。それをここに
持つてをります。」かう
云ひ
掛けて、
喜助は
胸に
手を
當てた。
遠島を
仰せ
附けられるものには、
鳥目二百銅を
遣すと
云ふのは、
當時の
掟であつた。
喜助は
語を
續いだ。「お
恥かしい
事を
申し
上げなくてはなりませぬが、わたくしは
今日まで
二百文と
云ふお
足を、かうして
懷に
入れて
持つてゐたことはございませぬ。どこかで
爲事に
取り
附きたいと
思つて、
爲事を
尋ねて
歩きまして、それが
見附かり
次第、
骨を
惜まずに
働きました。そして
貰つた
錢は、いつも
右から
左へ
人手に
渡さなくてはなりませなんだ。それも
現金で
物が
買つて
食べられる
時は、わたくしの
工面の
好い
時で、
大抵は
借りたものを
返して、
又跡を
借りたのでございます。それがお
牢に
這入つてからは、
爲事をせずに
食べさせて
戴きます。わたくしはそればかりでも、お
上に
對して
濟まない
事をいたしてゐるやうでなりませぬ。それにお
牢を
出る
時に、
此二百文を
戴きましたのでございます。かうして
相變らずお
上の
物を
食べてゐて
見ますれば、
此二百文はわたくしが
使はずに
持つてゐることが
出來ます。お
足を
自分の
物にして
持つてゐると
云ふことは、わたくしに
取つては、これが
始でございます。
島へ
往つて
見ますまでは、どんな
爲事が
出來るかわかりませんが、わたくしは
此二百文を
島でする
爲事の
本手にしようと
樂しんでをります。」かう
云つて、
喜助は
口を
噤んだ。
庄兵衞は「うん、さうかい」とは
云つたが、
聞く事毎に
餘り
意表に
出たので、これも
暫く
何も
云ふことが
出來ずに、
考へ
込んで
默つてゐた。
庄兵衞は
彼此初老に
手の
屆く
年になつてゐて、もう
女房に
子供を
四人生ませてゐる。それに
老母が
生きてゐるので、
家は
七人暮しである。
平生人には
吝嗇と
云はれる
程の、
儉約な
生活をしてゐて、
衣類は
自分が
役目のために
著るものの
外、
寢卷しか
拵へぬ
位にしてゐる。しかし
不幸な
事には、
妻を
好い
身代の
商人の
家から
迎へた。そこで
女房は
夫の
貰ふ扶持米で
暮しを
立てて
行かうとする
善意はあるが、
裕な
家に
可哀がられて
育つた
癖があるので、
夫が
滿足する
程手元を
引き
締めて
暮して
行くことが
出來ない。
動もすれば
月末になつて
勘定が
足りなくなる。すると
女房が
内證で
里から
金を
持つて
來て
帳尻を
合はせる。それは
夫が
借財と
云ふものを
毛蟲のやうに
嫌ふからである。さう
云ふ
事は
所詮夫に
知れずにはゐない。
庄兵衞は
五節句だと
云つては、
里方から
物を
貰ひ、
子供の
七五三の
祝だと
云つては、
里方から
子供に
衣類を
貰ふのでさへ、
心苦しく
思つてゐるのだから、
暮しの
穴を
填めて
貰つたのに
氣が
附いては、
好い
顏はしない。
格別平和を
破るやうな
事のない
羽田の
家に、
折々
波風の
起るのは、
是が
原因である。
庄兵衞は
今喜助の
話を
聞いて、
喜助の
身の
上をわが
身の
上に
引き
比べて
見た。
喜助は
爲事をして
給料を
取つても、
右から
左へ
人手に
渡して
亡くしてしまふと
云つた。いかにも
哀な、
氣の
毒な
境界である。しかし
一轉して
我身の
上を
顧みれば、
彼と
我との
間に、
果してどれ
程の
差があるか。
自分も
上から
貰ふ扶持米を、
右から
左へ
人手に
渡して
暮してゐるに
過ぎぬではないか。
彼と
我との
相違は、
謂はば
十露盤の
桁が
違つてゐるだけで、
喜助の
難有がる
二百文に
相當する
貯蓄だに、こつちはないのである。
さて
桁を
違へて
考へて
見れば、
鳥目二百文をでも、
喜助がそれを
貯蓄と
見て
喜んでゐるのに
無理はない。
其心持はこつちから
察して
遣ることが
出來る。しかしいかに
桁を
違へて
考へて
見ても、
不思議なのは
喜助の
慾のないこと、
足ることを
知つてゐることである。
喜助は
世間で
爲事を
見附けるのに
苦んだ。それを
見附けさへすれば、
骨を
惜まずに
働いて、やうやう
口を
糊することの
出來るだけで
滿足した。そこで
牢に
入つてからは、
今まで
得難かつた
食が、
殆ど
天から
授けられるやうに、
働かずに
得られるのに
驚いて、
生れてから
知らぬ
滿足を
覺えたのである。
庄兵衞はいかに
桁を
違へて
考へて
見ても、ここに
彼と
我との
間に、
大いなる
懸隔のあることを
知つた。
自分の
扶持米で
立てて
行く暮しは、
折々
足らぬことがあるにしても、
大抵出納が
合つてゐる。
手一ぱいの
生活である。
然るにそこに
滿足を
覺えたことは
殆ど
無い。
常は
幸とも
不幸とも
感ぜずに
過してゐる。しかし
心の
奧には、かうして
暮してゐて、ふいとお
役が
御免になつたらどうしよう、
大病にでもなつたらどうしようと
云ふ
疑懼が
潜んでゐて、
折々
妻が
里方から
金を
取り
出して
來て
穴填をしたことなどがわかると、
此疑懼が
意識の
閾の
上に
頭を
擡げて
來るのである。
一體此懸隔はどうして
生じて
來るだらう。
只上邊だけを
見て、それは
喜助には
身に
係累がないのに、こつちにはあるからだと
云つてしまへばそれまでである。しかしそれは

である。よしや
自分が
一人者であつたとしても、どうも
喜助のやうな
心持にはなられさうにない。この
根柢はもつと
深い處にあるやうだと、
庄兵衞は
思つた。
庄兵衞は
只漠然と、
人の
一生といふやうな
事を
思つて
見た。
人は
身に
病があると、
此病がなかつたらと
思ふ。
其日其日の
食がないと、
食つて
行かれたらと
思ふ。
萬一の
時に
備へる蓄がないと、
少しでも
蓄があつたらと
思ふ。
蓄があつても、
又其蓄がもつと
多かつたらと
思ふ。
此の
如くに
先から
先へと
考へて
見れば、
人はどこまで
往つて
踏み
止まることが
出來るものやら
分からない。それを
今目の
前で
踏み
止まつて
見せてくれるのが
此喜助だと、
庄兵衞は
氣が
附いた。
庄兵衞は
今さらのやうに
驚異の
目を

つて
喜助を
見た。
此時庄兵衞は
空を
仰いでゐる
喜助の
頭から
毫光がさすやうに
思つた。
――――――――――――――――
庄兵衞は
喜助の
顏をまもりつつ
又、「
喜助さん」と
呼び
掛けた。
今度は「さん」と
云つたが、これは
十分の
意識を
以て
稱呼を
改めたわけではない。
其聲が
我口から
出て
我耳に
入るや
否や、
庄兵衞は
此稱呼の
不穩當なのに
氣が
附いたが、
今さら
既に
出た
詞を
取り
返すことも
出來なかつた。
「はい」と
答へた
喜助も、「さん」と
呼ばれたのを
不審に
思ふらしく、おそる/\
庄兵衞の
氣色を
覗つた。
庄兵衞は
少し間の
惡いのをこらへて
云つた。「
色々の
事を
聞くやうだが、お
前が
今度島へ
遣られるのは、
人をあやめたからだと
云ふ
事だ。
己に
序にそのわけを
話して
聞せてくれぬか。」
喜助はひどく
恐れ
入つた
樣子で、「かしこまりました」と
云つて、
小聲で
話し
出した。「どうも
飛んだ
心得違で、
恐ろしい
事をいたしまして、なんとも
申し
上げやうがございませぬ。
跡で
思つて
見ますと、どうしてあんな
事が
出來たかと、
自分ながら
不思議でなりませぬ。
全く
夢中でいたしましたのでございます。わたくしは
小さい
時に
二親が
時疫で
亡くなりまして、
弟と
二人跡に
殘りました。
初は
丁度軒下に
生れた
狗の
子にふびんを
掛けるやうに
町内の
人達がお
惠下さいますので、
近所中の
走使などをいたして、
飢ゑ
凍えもせずに、
育ちました。
次第に
大きくなりまして
職を
搜しますにも、なるたけ
二人が
離れないやうにいたして、
一しよにゐて、
助け
合つて
働きました。
去年の
秋の
事でございます。わたくしは
弟と
一しよに、
西陣の
織場に
這入りまして、
空引と
云ふことをいたすことになりました。そのうち
弟が
病氣で
働けなくなつたのでございます。
其頃わたくし
共は
北山の
掘立小屋同樣の
所に
寢起をいたして、
紙屋川の
橋を
渡つて
織場へ
通つてをりましたが、わたくしが
暮れてから、
食物などを
買つて
歸ると、
弟は
待ち
受けてゐて、わたくしを
一人で
稼がせては
濟まない/\と
申してをりました。
或る
日いつものやうに
何心なく
歸つて
見ますと、
弟は
布團の
上に
突つ
伏してゐまして、
周圍は
血だらけなのでございます。わたくしはびつくりいたして、
手に
持つてゐた
竹の
皮包や
何かを、そこへおつぽり
出して、
傍へ
往つて『どうした/\』と
申しました。すると
弟は
眞蒼な
顏の、
兩方の
頬から
腮へ
掛けて
血に
染つたのを
擧げて、わたくしを
見ましたが、
物を
言ふことが
出來ませぬ。
息をいたす
度に、
創口でひゆう/\と
云ふ
音がいたすだけでございます。わたくしにはどうも
樣子がわかりませんので、『どうしたのだい、
血を
吐いたのかい』と
云つて、
傍へ
寄らうといたすと、
弟は
右の
手を
床に
衝いて、
少し體を
起しました。
左の
手はしつかり
腮の
下の
所を
押へてゐますが、
其指の
間から
黒血の
固まりがはみ
出してゐます。
弟は
目でわたくしの
傍へ
寄るのを
留めるやうにして
口を
利きました。やう/\
物が
言へるやうになつたのでございます。『
濟まない。どうぞ
堪忍してくれ。どうせなほりさうにもない
病氣だから、
早く
死んで
少しでも
兄きに
樂がさせたいと
思つたのだ。
笛を
切つたら、すぐ
死ねるだらうと
思つたが
息がそこから
漏れるだけで
死ねない。
深く/\と
思つて、
力一ぱい
押し
込むと、
横へすべつてしまつた。
刃は
飜れはしなかつたやうだ。これを
旨く
拔いてくれたら
己は
死ねるだらうと
思つてゐる。
物を
言ふのがせつなくつて
可けない。どうぞ
手を
借して
拔いてくれ』と
云ふのでございます。
弟が
左の
手を
弛めるとそこから
又息が
漏ります。わたくしはなんと
云はうにも、
聲が
出ませんので、
默つて
弟の
咽の
創を
覗いて
見ますと、なんでも
右の
手に
剃刀を
持つて、
横に
笛を
切つたが、それでは
死に
切れなかつたので、
其儘剃刀を、
刳るやうに
深く
突つ
込んだものと
見えます。
柄がやつと
二寸ばかり
創口から
出てゐます。わたくしはそれだけの
事を
見て、どうしようと
云ふ
思案も
附かずに、
弟の
顏を
見ました。
弟はぢつとわたくしを
見詰めてゐます。わたくしはやつとの
事で、『
待つてゐてくれ、お
醫者を
呼んで
來るから』と
申しました。
弟は
怨めしさうな
目附をいたしましたが、
又左の
手で
喉をしつかり
押へて、『
醫者がなんになる、あゝ
苦しい、
早く
拔いてくれ、
頼む』と
云ふのでございます。わたくしは
途方に
暮れたやうな
心持になつて、
只弟の
顏ばかり
見てをります。こんな
時は、
不思議なもので、
目が
物を
言ひます。
弟の
目は『
早くしろ、
早くしろ』と
云つて、さも
怨めしさうにわたくしを
見てゐます。わたくしの
頭の
中では、なんだかかう
車の
輪のやうな
物がぐる/\
廻つてゐるやうでございましたが、
弟の
目は
恐ろしい
催促を
罷めません。それに
其目の
怨めしさうなのが
段々險しくなつて
來て、とう/\
敵の
顏をでも
睨むやうな、
憎々しい
目になつてしまひます。それを
見てゐて、わたくしはとう/\、これは
弟の
言つた
通にして
遣らなくてはならないと
思ひました。わたくしは『しかたがない、
拔いて
遣るぞ』と
申しました。すると
弟の
目の
色がからりと
變つて、
晴やかに、さも
嬉しさうになりました。わたくしはなんでも
一と
思にしなくてはと
思つて
膝を
撞くやうにして
體を
前へ
乘り
出しました。
弟は
衝いてゐた
右の
手を
放して、
今まで
喉を
押へてゐた
手の
肘を
床に
衝いて、
横になりました。わたくしは
剃刀の
柄をしつかり
握つて、ずつと
引きました。
此時わたくしの
内から
締めて
置いた
表口の
戸をあけて、
近所の
婆あさんが
這入つて
來ました。
留守の
間、
弟に
藥を
飮ませたり
何かしてくれるやうに、わたくしの
頼んで
置いた
婆あさんなのでございます。もう
大ぶ
内のなかが
暗くなつてゐましたから、わたくしには
婆あさんがどれだけの
事を
見たのだかわかりませんでしたが、
婆あさんはあつと
云つた
切、
表口をあけ
放しにして
置いて
驅け
出してしまひました。わたくしは
剃刀を
拔く時、
手早く
拔かう、
眞直に
拔かうと
云ふだけの
用心はいたしましたが、どうも
拔いた
時の
手應は、
今まで
切れてゐなかつた
所を
切つたやうに
思はれました。
刃が
外の
方へ
向ひてゐましたから、
外の
方が
切れたのでございませう。わたくしは
剃刀を
握つた
儘、
婆あさんの
這入つて
來て
又驅け
出して
行つたのを、ぼんやりして
見てをりました。
婆あさんが
行つてしまつてから、
氣が
附いて
弟を
見ますと、
弟はもう
息が
切れてをりました。
創口からは
大そうな
血が
出てをりました。それから
年寄衆がお
出になつて、
役場へ
連れて
行かれますまで、わたくしは
剃刀を
傍に
置いて、
目を
半分あいた
儘死んでゐる
弟の
顏を
見詰めてゐたのでございます。」
少し俯向き
加減になつて
庄兵衞の
顏を
下から
見上げて
話してゐた
喜助は、かう
云つてしまつて
視線を
膝の
上に
落した。
喜助の
話は
好く
條理が
立つてゐる。
殆ど
條理が
立ち
過ぎてゐると
云つても
好い
位である。これは
半年程の
間、
當時の
事を
幾度も
思ひ
浮べて
見たのと、
役場で
問はれ、
町奉行所で
調べられる
其度毎に、
注意に
注意を
加へて
浚つて
見させられたのとのためである。
庄兵衞は
其場の
樣子を
目のあたり
見るやうな
思ひをして
聞いてゐたが、これが
果して
弟殺しと
云ふものだらうか、
人殺しと
云ふものだらうかと
云ふ
疑が、
話を
半分聞いた
時から
起つて
來て、
聞いてしまつても、
其疑を
解くことが
出來なかつた。
弟は
剃刀を
拔いてくれたら
死なれるだらうから、
拔いてくれと
云つた。それを
拔いて
遣つて
死なせたのだ、
殺したのだとは
云はれる。しかし
其儘にして
置いても、どうせ
死ななくてはならぬ
弟であつたらしい。それが
早く
死にたいと
云つたのは、
苦しさに
耐へなかつたからである。
喜助は
其苦を
見てゐるに
忍びなかつた。
苦から
救つて
遣らうと
思つて
命を
絶つた。それが
罪であらうか。
殺したのは
罪に
相違ない。しかしそれが
苦から
救ふためであつたと
思ふと、そこに
疑が
生じて、どうしても
解けぬのである。
庄兵衞の
心の
中には、いろ/\に
考へて
見た
末に、
自分より
上のものの
判斷に
任す外ないと
云ふ
念、オオトリテエに
從ふ
外ないと
云ふ
念が
生じた。
庄兵衞はお
奉行樣の
判斷を、
其儘自分の
判斷にしようと
思つたのである。さうは
思つても、
庄兵衞はまだどこやらに
腑に
落ちぬものが
殘つてゐるので、なんだかお
奉行樣に
聞いて
見たくてならなかつた。
次第に
更けて
行く朧夜に、
沈默の
人二人を
載せた
高瀬舟は、
黒い
水の
面をすべつて
行つた。
(大正五年一月「中央公論」第三十一年第一號)