NHK高校講座 言語文化の時間です。ご機嫌いかがですか? 木本 景子です。今回は夏目 漱石の小説『夢十夜』の2回目です。講師は齋藤 祐先生です。よろしくお願いします。
齋藤 祐:はい、よろしくお願いします。今回も夏目 漱石の『夢十夜』を読んでいきましょう。『夢十夜』は明治41年の7月から8月にかけて新聞掲載小説として発表されました。この後4か月にわたって『三四郎』の連載が始まりますので、作家漱石にとっても『夢十夜』は長編執筆前のウォーミングアップのような位置付けだったのかもしれません。さて、第一夜の後半は時間の描かれ方に特徴があります。
木本 景子:それでは今回の学習のポイントを確認しましょう。
1.表現の特徴
2.「百年はもう来ていたんだな」
3.第一夜の意味
この3つです。それでは学習を始めましょう。
■表現の特徴
齋藤 祐:前回は語りが進んでいるのに物語の時間が止まっていたり、女の見ているものが男の見ているものと重なっていたりということを読み取りました。
木本 景子:はい。描かれ方がすでに夢らしいということを感じました。
齋藤 祐:そうでしたね。では続きの朗読を聞いてください。朗読は高山 久美子さんです。
高山 久美子(朗読):自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑らかな縁の鋭い貝であった。土を掬うたびに貝の裏に月の光が差してキラキラした。湿った土の匂いもした。穴はしばらくして掘れた。女をその中へ入れた。そうして柔らかい土を上からそっとかけた。かけるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。
それから星の破片の落ちたのを拾ってきて、軽く土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちている間に角が取れて滑らかになったんだろうと思った。抱き上げて土の上へ置くうちに自分の胸と手が少し温かくなった。
高山 久美子(朗読):自分は苔の上に座った。これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら腕組みをして丸い墓石を眺めていた。そのうちに女の言った通り日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の言った通りやがて西へ落ちた。赤いまんまで、のっと落ちて行った。ひとつと自分は勘定した。
しばらくするとまた唐紅の天道がのそりと上ってきた。そうして黙って沈んでしまった。ふたつとまた勘定をした。
高山 久美子(朗読):自分はこういうふうにひとつふたつと勘定していくうちに赤い日をいくつ見たか分からない。勘定しても勘定しても数え尽くせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。終いには苔の生えた丸い石を眺めて、自分は女に騙されたのではなかろうかと思い出した。
すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びてきた。見るまに長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て止まった。と思うと、すらりと揺らぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪のつぼみが、ふっくらと花びらを開いた。真白な百合が鼻の先で骨に堪えるほど匂った。そこへ遥かの上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでフラフラと動いた。
高山 久美子(朗読):自分は首を前へ出して、冷たい露のしたたる白い花びらに接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず遠い空を見たら、暁の星がたったひとつ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時初めて気がついた。
齋藤 祐:では、ここから先の部分についても表現の特徴に即して見いきましょう。
木本 景子:はい、お願いします。
齋藤 祐:前回読んだ女が死んだ後、男は言われた通りに真珠貝で穴を掘り、女の体を埋めます。
木本 景子:貝の裏に月の光が差したり、柔らかい土を上からそっとかけたりする様子は、男の愛情さえ感じられますよね。
齋藤 祐:そうですね。拾ってきた星の破片も、「抱き上げて」とあるように相当大きいようですが、すでに重力からも解放された空間になっているように見えます。穴を掘る時に「湿った土の匂い」がしたり、墓の上に石を置いたら「自分の胸と手が少し温かくなった」とあったりと、埋葬の場面とは思えない静けさや軽やかさが感じられます。
このあたりの展開と描き方は本当に見事だと思います。そして冒頭では女のセリフを繰り返し描いてその間の時間が止まっているように見せていましたが、ここからは逆に、太陽が高速で回転していくような雰囲気で描かれます。男が置いた星の破片の墓石も「苔の生えた丸い石」になっていますね。これは石が苔生すほど長い時間が経ったということです。
木本 景子:あぁ、なるほど。時の流れを表しているんですね。
■「百年はもう来ていたんだな」
齋藤 祐:石が苔生すほど長い時間が経ったはずなのですが、それでも「百年」はまだ来ていません。ついに自分は「女に騙されたのではなかろうか」と思い始めますが、その瞬間、墓石の下から青い茎が伸びてきます。
木本 景子:すごく突然ですし、植物とは思えないスピード感がありますよね。
齋藤 祐:そうですよね。まるで生き物みたいですよね。それがちょうど「自分の胸のあたりまで来て止まった」かと思うと、ふっくらと花びらが開き、真っ白な百合が現れます。
木本 景子:綺麗な場面ですね。
齋藤 祐:綺麗ですよね。男が見下ろしている「極小の世界」と、見上げている「極大の宇宙」とが、落ちてくる露によって交差する瞬間です。この露は女が亡くなる時の涙を、「真っ白な百合」というのは冒頭の女の「真っ白な頬」を連想させます。
木本 景子:本当ですね。
齋藤 祐:女が百合になって、涙は天の露になって降ってくるんです。そういえば木本さん、「ゆり」って漢字だとどう書きますか?
木本 景子:「百」に「合う」ですよね。あ、だから「百」に「合う」で「百年」なんですか?
齋藤 祐:漢字自体は違っていますけれども、もちろんこれは漢字のイメージとストーリーとがたまたま合致しているに過ぎないかもしれませんが、百年後に現れた女の化身が「百合の花」というのをは、字面から見ても整合性があるということです。
木本 景子:おぉ〜すごい。とっても素敵ですね。
齋藤 祐:さて、最後に「暁の星」が見えていますが、これは夜明けの空に消えずに残っている星だとか、「明けの明星」とも呼ばれる金星のことだとかいわれています。どちらにせよ、「百年」という時間がたった一晩の夜明けに重ねられているというのが、『夢十夜』の第一夜らしい結末だといえるでしょう。
そして最後だけ、「自分(男)」のセリフが鍵括弧がついているというのも、女との対話が成立したかのように読めますよね。
木本 景子:確かにそうですね。ねぇ、面白いですね。
■第一夜の意味
齋藤 祐:さて、ここまで『夢十夜』のうちの第一夜を読んできましたが、木本さん、第一夜いかがでしたか?
木本 景子:まず、あの、すごく印象に残ったのは、「百に合う」とかけて「百合の花」なのではないかっていう、言葉の遊びとか選び方もすごく感動しましたね。
齋藤 祐:あれも、あの、まぁ、ゴロ合わせみたいに聞こえるんだけれども、百合のイメージがちょうど、まぁ「百」とつながってるっていうような解釈もできますよね。あとは、「明けの明星」が星なんだとすると、それはビーナスの化身とも読めるので、百年経って帰ってくる女の姿が、女神として描かれているっていう解釈も成り立ちます。
木本 景子:面白いですね。
齋藤 祐:あとね、「百」っていう話で言うと、第三夜が、あの、非常に怖い話で、木本さんの怖い夢は覚えているっておっしゃってましたけど、こう、まぁここもね、主人公は「自分」なんですね。自分が子供を背負ってると。で、どうやら自分の子供らしい、6つくらいの子供なんですね。で、どんどんこう歩いて行くと、その子供が耳元でいろいろささやくんですけど、最後の最後にその子供が、あぁ耳元でつぶやくんですね。「ちょうど百年前、おまえがおれを殺したのも、その杉の根のところだったね」って。
木本 景子:えぇ〜〜!!
齋藤 祐:だからその、まぁ「100」っていう数字が第一夜で出てきたのが、まったく別のストーリーのなかで生かされるなんていうのも、この「十夜」ね、それぞれ面白いんですね。
木本 景子:なんか、いまのお話も、この第一夜も、終わり方がすごく特徴的ですね。すごくインパクトがあります。
齋藤 祐:はい。あと第七夜は今度船の上が舞台なんですけど、こうピアノを弾いている女の人を見てたら、こう急に死にたくなって、で、飛び降りるんですよ。
木本 景子:えぇっ!
齋藤 祐:飛び降りたはいいんだけれども、そこからずっと、「やっぱりやめればよかったかな」とかグダグダ、諦めの悪い描写が続いて、結局そのまま終わるんです。
木本 景子:へぇ〜、結末が分からないんです。
齋藤 祐:そうなんです。船から飛び降りて、で、その水面には届かないまんま終わるんですね。だからそこでもう、時間がね、こうピタッとスローモーションのまま、男の考えがそのまま書かれて、で、バサッと切られて終わるっていう。
木本 景子:じゃあ生き延びたかもしれないし、そのまま亡くなっているかもしれないしっていうのは、結構読者に委ねられている。
齋藤 祐:委ねられてますね。第一夜の解釈なんかも、かなりやっぱり余白があるので、さっきの「そこに映ってるじゃありませんか」っていうのも、正解ないですからね。こう書かれた夢なんだけれども、まぁそこを読むっていう行為と、こういろいろ読書の妙味がつながってますよね。
木本 景子:第一夜も、その「目に映る表現」っていうのもすごく大切にされていて、こういろいろな視点から見れるっていうのがすごく面白そう、面白いなって思いましたし、この「夢の描写」だと分かる表現だったり、こうなんだか他の人の夢を覗き見しているような感じがあって面白かったなと思いました。
齋藤 祐:そうですよね。こう、いきなり知らない女のそばに腕組みして座ってるっていうシチュエーションも不思議だし、背景が全然描かれませんよね。女の顔付近は丁寧に書かれて、挙句の果てには瞳の中しか書かれないんだけれども、あの書き方が逆に、結末部分の「百合」と男との顔の距離感につながってるところもあるので、あの、非常に面白い書き方ですよね。あの穴掘ってるところなんかも、全然こう重労働な感じがしなかったですね。
木本 景子:貝殻で穴掘るって大変そうですけどね、人ひとりが入るだけの大きな穴を作らないといけないですもんね。
齋藤 祐:そうですよね。あのあたりのね、こう無重力感が、非常にSFチックというか、不思議な感じになっていますよね。
木本 景子:なんかその「SF」っていうところでちょっと思ったんですけど、この、たとえば「真珠貝で穴を掘って」の真珠貝だったりとか、あの「墓印にするための星の欠け」だったりっていうのが、こう、ちょっとした無理難題を頼んでいるような感じが、『竹取物語』のかぐや姫のお話にも、なんかちょっとリンクするところがあるなと感じたんですけれども。
齋藤 祐:かぐや姫もね、『竹取物語』もスペースファンタジーですもんね。『夢十夜』の第一夜もやっぱりこう「宇宙感」があって、女と自分と、あと宇宙くらい、こう尺の大きなイメージになっていますよね。「天の」とかこう壮大なところもありますもんね。こう規模感が大きいところが、『竹取』なんかも本当にもう地球か月かっていう話ですからね。あ、その指摘は面白いです。
このように、第一夜は百年経った今でも、いろいろな解釈の余地のある作品になっています。ぜひ皆様も、いろいろな場面を想像してみてください。
さて、今回の講座のポイントをまとめておきましょう。学習のポイントは、
1.表現の特徴
2.「百年はもう来ていたんだな」
3.第一夜の意味
以上の3つでした。第一夜は「時間」という視点で読むと、時間が止まったり早送りになったりするところがありました。ちょっとした宇宙旅行を楽しんだ気分になれる作品でしたね。
さて今回は、齋藤 祐先生と夏目 漱石の『夢十夜』の2回目の学習をしてきました。齋藤先生ありがとうございました。
齋藤 祐:ありがとうございました。
NHK高校講座 言語文化、木本 景子と齋藤 祐先生でお送りしました。