NHK高校講座 言語文化の時間です。皆様ご機嫌いかがですか? 木本景子です。『伊勢物語』の四回目です。講師は吉田茂先生です。よろしくお願いします。
吉田茂:こちらこそよろしくお願いします。「筒井筒」の前半部では、幼馴染の男女が本意のごとく、望みどおり結婚できました。しかし、女の親が亡くなると経済的支援を受けることができなくなり、男は二番目の女、すなわち高安の女のところに通うようになりました。
木本景子:はい。そうでしたね。
吉田茂:ところが、元の女は不快なそぶりを見せずに男を送り出します。そして化粧し、身繕いをして、別の女のところへ通っていく男の無事を祈る歌まで詠むのです。それを前栽の中に隠れて見ていた男は、女をこの上なく愛おしく思って、高安の女のところへは行かなくなったという内容でした。
木本景子:続きは一体どうなるのでしょうか? 楽しみですね。それでは、今回の学習のポイントです。
1.二番目の女の行動や心情を読み取る。
2.男の心情を理解する。
3.歌物語の特徴を考える。
以上の三つです。それでは「筒井筒」の後半の朗読を聞いてみましょう。朗読は高山久美子さんです。
高山久美子:稀稀、かの高安に来て見れば、初こそ心憎くも作りけれ。今は打ち解けて、手ずから飯匙取りて、餉の器物に盛けるを見て、心うがりて行かずなりにけり。
去ければ、かの女、大和の方を見やりて、
「君があたり見つつを居らむ生駒山 雲な隠しそ雨は降るとも」
と言いて見出すに、辛うじて大和人「来む」と言えり。喜びて待つに、度度過ぎぬれば、
「君来むと言いし夜毎に過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経る」
と言いけれど、男住まずなりにけり。
――二番目の女の行動や心情を読み取る――
吉田茂:それでは、解釈に入ります。「稀稀、かの高安に来て見れば」。「稀」は現代語の「稀に」の「まれ」と同じです。それを重ねて「ごく稀に」「たまたま」の意味になります。男がたまたま高安に来て、女の家の中を見ると、です。絵巻などの絵では、男が家の外から見ている姿として描かれています。
木本景子:男は高安の女のところに行くのをやめたんですよね?
吉田茂:そうです。でも、物語の展開上、この部分は必要ですから、男はなにか事情があって行ったと考えておくことにします。「初こそ心憎くも作りけれ」の部分は、女は男が通い始めた頃は、「心憎し」は「奥ゆかしい」という意味の重要な形容詞です。「作り」はここでは「なになにのふりをする」の意です。「けれ」は過去の助動詞「けり」の已然形です。「初めは奥ゆかしいふりをしていたが」という意味になります。「こそ……なになに已然形」が用いられ、強調表現になっていますね。
木本景子:なるほど。
吉田茂:そして「已然形。」ではなく「已然形、」という形を取って、意味の上で切れずに下に続き、逆接の意味を表す用法です。ですから「ふりをしていたが」としました。この表現も重要です。覚えておいてください。
木本景子:はい。
吉田茂:「今は打ち解けて、手ずから飯匙取りて、餉の器物に盛けるを見て」は、「今は打ち解けて、『手ずから』は『自分の手で』の意です。この『ずから』は現代語の『自ずから』『自ら』の『ずから』と同じです。自分の手でしゃもじを取って、家族や使用人の食器に飯をよそったのを見て」となります。ただ、ここは「餉の器物」全体で「食器」と考え、「飯を食器によそったのを見て」と解釈する立場もあります。
木本景子:解釈がいろいろ揺れているんですね。
吉田茂:はい。「心うがりて行かずなりにけり」。つまり、男は女のことが嫌になって、行かなくなってしまった、というのです。
木本景子:どうして女のことが嫌になったんでしょうか?
吉田茂:当時、飯をよそうという行為は侍女にさせるもので、それを女自らがおこなうことは、当時の常識から外れる行為だったのです。『伊勢物語』の特色を「雅」という語で表すことがあります。これは「都会的で優美な」という意味です。女の行為はこの「雅」に反するもので、品のない行為だったのです。そのため、男は嫌気がさしたのです。
木本景子:今とはだいぶ違いますね。
吉田茂:はい。ここで確認しておきたいのは、前に学んだ『枕草子』や、今回読んでいる『伊勢物語』などは、庶民の生活ではなく、主に貴族社会を描き、その常識や考え方が優先されて書かれている、ということです。
木本景子:貴族社会の常識としては、望ましくない行為だということなんですね。
吉田茂:そう考えてよいと思います。前回読んだところですが、元の女は、男が女の浮気を疑うほどに不快感を見せず男を送り出し、念入に化粧をし、身繕いをして、当時の歌の読み方に合った詠みぶりで男の無事を祈る歌を詠みました。ところが、この高安の女は、最初は奥ゆかしく振る舞っていたが、打ち解け、見ていないところでは品のない行為をしてしまいます。元の女と高安の女とが対比的に描かれていることに注意してください。
――男の心情を理解する――
吉田茂:次の「去ければ、かの女、大和の方を見やりて」は、「さりければ」は五つが連続してできた語で、「そういうわけで」という意味の接続詞と考えられます。ここは、男が来ない状態をさします。男が来ないので、その女(高安の女)は大和(今の奈良県)の方を見合って、ということです。
木本景子:大和の方に男がいるんですね。
吉田茂:そうですね。そして歌を歌います。「君があたり見つつを居らむ生駒山 雲な隠しそ雨は降るとも」です。
木本景子:どんな意味なんですか?
吉田茂:「あなたがいるあたりを……」の「見つつを」の「を」は間投助詞と呼ばれる助詞で、強めたり語調を整えたりする時に用います。その下の「おらむ」の部分を品詞分解すると「おら」と「む」に分かれます。「おら」はラ変動詞「をり」の未然形です。未然形につく「む」という助動詞には「推量」と「意志」の意味がありますが、ここは「意志」の助動詞「む」の終止形となります。
木本景子:なるほど。
吉田茂:歌は「おらむ」で切れていますから「二句切れの歌」となります。「生駒山、雲よ隠してくれるな」の意です。「稚児の空寝」のところでも注意しましたが、副詞の「な」を用いた「な……そ」は、重要な禁止表現です。「雨は降るとも」は「たとえ雨が降っても」となり、「雨は降るとも、生駒山よ、雲な隠しそ」が通常の言い方ですから、「倒置表現」にもなっています。この歌は「あなたが来てくれない今は、せめてあなたのいるあたりを見続けていましょう。生駒山を、雲よ、隠してくれるな。たとえ雨が降っても」という意味となります。生駒山がよく見えればやってくる男の姿を早く見付けられますから、男に会いたいという女の強い思いを読み取ることができますね。
木本景子:そうですね。「と言いて見出すに、辛うじて大和人『来む』と言えり」の部分は、などと歌を読んで男が来る方角を見ていると、「辛うじて」は清音で読み、「やっとのことで」の意でした。やっとのことで大和人、すなわち大和の男は、「『来む』、やってこよう」と手紙で言ってきた、というわけです。男は通うのをやめたにもかかわらず、送ってきた女の歌にほだされて、「やってこよう」と手紙を送ったのでしょう。男には躊躇いの気持ちもあったのだと思います。
木本景子:そうですよね、「辛うじて」という表現もありますからね。
吉田茂:はい。「喜びて待つに、度度過ぎぬれば」、女は喜んで男を待っているが、何度もやってこない日が過ぎたので、また歌を詠みます。「君来むと言いし夜毎に過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経る」は、「あなたが『こよう』と言った夜が、毎夜虚しく過ぎていくので、あなたを頼みにはしませんが、それでも恋しく思い続けて日を過ごしています」という歌です。女の気持ちがストレートに表現されています。
木本景子:その後、男はどうしたのでしょう?
吉田茂:「と言いけれど、男住まずなりにけり」ですから、と歌を詠んで送ったけれども、ここの「住む」は「通う」の意味ですから、男は高安の女の元に通わなくなってしまったというのです。経済的なことでいえば、高安の女のところに通うほうがよいわけです。でも男はそうしないで、通うことをきっぱりとやめました。男の強い気持ちが伺われます。
――歌物語の特徴を考える――
吉田茂:高安の女が二種の歌を送ったが、男は結局通ってこないという結果になりました。それはどうしてだと思いますか?
木本景子:うーん……品のない行為をしたからでしょうか?
吉田茂:それも重要なことですね。でも、それだけでしょうか? 前回の「風吹けば」の歌を思い出してください。これは元の女が、自分の悲しみには全く触れず、ただただ愛する夫の無事を祈る歌でした。高安の女の歌は良い歌ではありますが、自分のことに終始していて、感情をストレートに詠んでいます。こうした歌は現代では受け入れられるのでしょうが、当時にあっては少し不躾で、前に上げた言葉で言えば、美の基準である「雅」にはほど遠いものと理解されたのでしょう。この高安の女の歌の詠みぶりや、男からの返じがないにもかかわらず、一方的に歌を送り届けるという態度から、男はこの女のところへ通うのをやめたと理解できるのではないでしょうか。
木本景子:なるほど。それが理由とも考えられるんですね。
吉田茂:はい。私はそう考えています。ですから「稀稀」以下、高安の女の行動や二種の歌が書かれているのですが、高安の女は元の女の「引き立て役」として登場しているようにも思えます。いかがでしょうか?
木本景子:この男が見ていない場面での対比が、ちょっと面白いなというふうに物語として思いましたし、そしてあの、甲斐甲斐しくご飯をよそったり、自分の感情を直接表現する歌を読んだりと、それもとても素敵な女性だなとは感じたんですけれども。これは少し現代的な読み方になるんでしょうか?
吉田茂:うーん、そうですね。価値観の違いを知ることは必要ですが、現代人である木本さんがどのように読むか、ということも大事なことですので、自分の読みを大切にすればよいと思います。
木本景子:はい、わかりました。
吉田茂:さて、「芥川」の学習の始めに、『伊勢物語』は「歌物語」だと紹介しました。
木本景子:はい、そうでした。「筒井筒」を読むと、歌が重要な役割を果たしていましたね。
吉田茂:そうなんです。幼馴染の結婚も、男女の歌の贈答を介して描かれています。「風吹けば」の歌は、男を改心させる歌、歌の力を感じさせる歌でした。高安の女の歌には、女の思いや考え方がよく現れていました。このように、この物語において和歌は重要な役割を果たしていると言えると思います。
木本景子:あ、「芥川」の「白玉か」の歌もそうでしたね。
吉田茂:そうでしたね。男の心情がその歌に凝縮されていました。場面場面で登場人物の心理を凝縮する形で歌が配置されていて、歌以外の部分を「地の文」というのですが、地とは「地面」の地です。歌が地の文以上に物語の展開に貢献している、こうした物語を「歌物語」というのです。これを簡潔に言えば、歌物語とは「歌を中心とする短い物語集」のことです。歌物語は、物語の様式の1つです。
木本景子:なるほど。『伊勢物語』以外にも「歌物語」はあるんですか?
吉田茂:はい。いくつかありますが、有名なのを1つだけあげれば、「大和の国」の「大和」と書く『大和物語』があります。この中には、老人を山に捨てるという「姨捨伝説」をあつかった話もあります。機会があれば読んでみてください。それでは、今回の講座をまとめましょう。学習のポイントは、1.二番目の女の行動や心情を読み取る、2.男の心情を理解する、3.歌物語の特徴を考える。この三つでした。
木本景子:男がたまたま高安の女の元を訪れ、来訪を告げずに家の中を覗くと、初めは奥ゆかしく振る舞っていた女が自ら飯をよっている姿、当時の常識からすると品のない姿を見てしまって嫌気がさし、男は高安の女のところには通わなくなりました。
吉田茂:はい。そうでした。その後、高安の女は二種の歌を詠んで男の来訪を待ちますが、結局男は高安の女のところには通わなくなってしまいました。
木本景子:送ったその歌の内容が災いしてしまったのでしょうか?
吉田茂:そうかもしれません。次に「歌物語」について考えました。歌を中心とする短い物語を「歌物語」と呼び、『伊勢物語』がその代表であることをお話ししました。さて、今回は吉田茂先生と「筒井筒」の後半を読みました。吉田先生、ありがとうございました。
吉田茂:ありがとうございました。
NHK高校講座 言語文化。木本景子と吉田茂先生でお送りしました。