NHK高校講座 言語文化の時間です。皆さんご機嫌いかがですか? 木本景子です。『伊勢物語』の二回目です。講師は吉田茂先生です。よろしくお願いします。
吉田茂:こちらこそよろしくお願いします。『伊勢物語』は成人の儀式を済ませた男の恋の話から始まり、男が死ぬ直前、歌を詠むまでのお話、およそ百二十五段からなっています。いわば男の「一代記」とも言える物語です。この男にはモデルがいるのです。歌人として有名な在原業平がモデルとされています。『伊勢物語』には業平が東国に下った話や、業平が皇子や友人と交流した話などもありますが、一番多いのは恋の話で、前回「芥川」という恋の話を読みました。
木本景子:ある男と女の愛の逃避行のお話でした。
吉田茂:はい。そうでしたね。ところで、『伊勢物語』の原文には、前回の講座で読んだところの「続きの話」が書かれているのです。
木本景子:えっ、そうなんですか? 続きの内容がとても気になります。それでは、今回の学習のポイントです。
1.物語の続きの内容を確認する。
2.この物語における和歌の役割を理解する。
3.『伊勢物語』の後世への影響の一端を知る。
以上の三つです。それでは学習を始めましょう。
――物語の続きの内容を確認する――
吉田茂:物語の続きの部分は、後の人が付け加えたものであるとか、逆に前の部分も含め同一の作者が書いたものであるとか、今なお意見が分かれているところです。ここではそれには深入りしないで、あらすじを紹介することにします。
木本景子:どんなお話ですか?
吉田茂:はい。このお話に出てくる女は、後に天皇の后となって「二条の后」と呼ばれた藤原の高子という姫君だといわれています。この姫君が大変美しい女性であったので、男が盗み出して背負って逃げていったのを、高子の兄である基経と国経が、内裏に参上する途中、ひどく泣いている女がいるのを聞きつけてそれを妹だと知って取り返したというのです。それをこのように「鬼に食われた」と言ったと記しています。さらに高子がとても若く、後宮に入る前のことで、まだ后ではなく普通の人であった時のことだとも書かれています。ここまでのあらすじです。木本さん、どのように感じられましたか?
木本景子:前回のお話とよく似ていますね。そして色々な人物が登場しています。
吉田茂:はい。この「続き」には、当時の読者によく知られている人物を登場させています。男の名は記されませんが、女は「二条の后」と明示されます。この女性は藤原の高子のことで、後に清和天皇の后となって「二条の后」と呼ばれた人物です。兄に、臣下で初めて関白になった藤原の基経と藤原の国経がいたのです。
木本景子:さっき先生がお話しされた、男から妹を取り返した二人ですね。
吉田茂:はい。摂関政治が始まった頃のお話で、九世紀の半ば過ぎ、臣下で初めて摂政となった藤原の良房が権勢をふるった時代です。良房には男子がありませんでしたので、養子としたのが基経です。
木本景子:なるほど。二人が妹を取り戻したのを、「女が鬼に食われた」としたということですね。そしてなおも補足して、高子の後宮に入る前のことであったと言っているのです。この続きのお話が「あるかないか」でだいぶ印象が違ってきますね。
吉田茂:はい。そうですね。この部分がないと考えると、姫君が鬼に食われてしまったという「昔話」を読んでいるような感じがしますね。
木本景子:はい。最後も男の和歌で終わっているので、とてもドラマチックな感じがします。
吉田茂:はい。歌はないのですが、ほぼ同じお話が説話集の『今昔物語集』に、業平の愛する女が鬼に食われた話として載っています。それに連続して、内裏に仕える女房が鬼に食われた話が載っていますから、『今昔物語集』では「不思議な話」として収めたのでしょうね。『伊勢物語』の「芥川」は、昔話・説話的ではありますが、最後に男の歌で結んでいるので、木本さんが指摘されたように、情感豊かなドラマチックな物語になっています。いっぽう、今回紹介した部分を含めて考えると、どのような印象をお持ちになりますか?
木本景子:「種明かし的」な内容が加わって二人の関係がより詳細にわかったような気がします。
吉田茂:そうですね。物語はあくまでもフィクションですが、この女は後に後宮に入り、天皇の后となることを期待されていたわけですから、二人が「結ばれない理由」は想像できます。この男は『古今和歌集』に載る歌や高子との関係から、業平ということになるのですが、うがって考えれば、業平は「摂関政治」のために犠牲になったとも考えることができるかもしれません。もともと「無名の男」と「無名の姫君」との愛の逃避行が、当時よく知られている人物の名を持つことで、一気に「政治的歴史的」な話になってしまうのです。
木本景子:なるほど。それでは「芥川」というお話は、どう読んだらいいんでしょうか?
吉田茂:この話の「成立」の問題も絡みますから、難しい問題ですね。しいていえば、読み方は読者一人一人に委ねられているのではないか、ということです。この話を「愛する女を鬼に食われてしまった男のドラマチックな話」として読むか。業平と高子が登場する「政治的歴史的な物語」として読むか。読者によって違っていいのではないでしょうか。
木本景子:なるほど。読み方や解釈は人それぞれでいいんですね。
吉田茂:はい、そう思います。一人一人が自分の「読み」を見つけることこそ大事であると思います。
――この物語における和歌の役割を理解する――
吉田茂:ここで改めて、「芥川」における男の心情を整理してみましょう。高貴な姫君との愛の逃避行を決行した男の「必死さ」が伝わってきました。また、姫君との幸福な生活を実現するためにも、なんとか姫君を「守り抜こう」とする男の強い気持ちも読み取ることができました。
木本景子:はい。「男、弓、箙を置いて戸口におり、はや夜も明けなむと思いつつ」のところに、それがよく現れていると思います。
吉田茂:そうですね。ところが女が「あなやと悲鳴をあげたにもかかわらず、鬼に一口で食べられてしまいました。夜明けとなり、女がいなくなってしまったことに気づき、男は足ずりをしながら泣き崩れたのではないでしょうか。そして、「白玉か」という歌を詠むのです。悲しい歌ですね。「消えなましものを」と詠んでいるのですものね。男の悲しみや嘆き、絶望感がよく伝わってきます。このように見てくると、男の気持ちの高まりがどこであったか想像できますね。木本さん、いかがでしょう?
木本景子:「白玉か」の歌のところでしょうか?
吉田茂:はい、同感です。物語作者は、男の高まった感情(ここでは悲嘆や絶望感ですが)、これを「歌」という方法で表現して見せたのです。それまでの男と女の言動、特に男の心情すべてを包み込みながら、わずか「三十一文字」の和歌に表したのです。「芥川」という話が、「男の悲しさ」を描く小さな物語であるとしたら、それを端的に、また情感豊かなに表したのが、この「白玉か」の歌だと思います。
木本景子:そうですね。歌が男の心情を見事に表現しているように思います。
吉田茂:はい。ここで和歌の歴史を簡単におさらいします。「八岐大蛇」の退治で有名な素戔嗚尊が、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」と詠んだ歌が、和歌の「起源」とされています。これは神話時代のことですが、皆さんがよく知っている『万葉集』が成立したのが八世紀半ばのことですから、これから数えても千二百年以上も前から、現在まで和歌や短歌が作られてきました。
木本景子:和歌にはそんな長い歴史があるんですね。
吉田茂:はい。その長い歴史を持つ「歌」ですが、この語の起源を解き明かすある説によれば、「歌」とは「高まった感情を声に出して、それによって他者(ほかの人です)、他者に『訴える』ことを指す」というのです。つまり「歌」と「訴える」は語源が同じで、心情を他者に対して訴えるものが「歌」だという考えです。この考えを踏まえて、男が詠んだ歌を考えれば、男の高まった感情(これは必ずしも男にとって望んだものではない感情ではありますが)、男の「絶望感」を他者、今は亡き姫、あるいは読者に対して訴える歌として詠んだと考えることもできるかもしれません。
木本景子:なるほど。そのように考えることもできるんですね。
吉田茂:はい。このように男の詠んだ「白玉か」の歌には、高まった感情が凝縮されている故に「絶唱」となったのだと思います。ですからこの歌の役割を短くまとめれば、「物語の眼目」を表していると言えるのではないでしょうか。またここに、長い歴史によって培われた「歌の力」を感じることができるような気もします。
――『伊勢物語』の後世への影響の一端を知る――
吉田茂:前回、『伊勢物語絵巻』の「絵解き」を行いました。本文と絵巻の絵を比較することによって、絵巻が「説話的な興味」を持たせる描かれ方であるのに対して、『伊勢物語』の「芥川」の方は歌もあることもあり、情感豊かな内容であることが明らかになりました。
木本景子:はい。「絵解き」は楽しかったです。
吉田茂:この絵巻も一例なのですが、『伊勢物語』は古くから「絵」によって受け入れられたようです。フィクションではありますが、『源氏物語』のなかで、左右二組に分かれ、持ち寄った絵の優劣を競う「絵合わせ」に『伊勢物語』の絵が登場しています。『源氏物語』が書かれた十一世紀の初めの頃には、『伊勢物語』は本文だけでなく「絵」として受け入れられたことが想像されます。
木本景子:なるほど。絵であれば気軽に物語の内容を知ることができますよね。
吉田茂:そうですね。また当時は紙が大変貴重でしたから、多くの人が本を持つことができません。ですから、一人の人が本文を読むのを、他の複数の人が「絵を見ながらそれを聞き」、内容を理解したようです。
木本景子:こう、「絵本の読み聞かせ」のようですね。
吉田茂:はい。また、『伊勢物語』の恋の話は、『源氏物語』にも影響を与えたようです。たとえば、「芥川」の続きにあった業平と二条の后との関係をヒントに、「光源氏」と女性との関係を書いたとも言われています。『源氏物語』だけでなく、他の物語にも『伊勢物語』は影響を及ぼしています。鎌倉時代になると、『伊勢物語』は「和歌作りの教科書」になりました。『伊勢物語』には「二百首以上」の歌があります。歌人たちはこれを学んで、歌作りに活かしたのです。そして室町時代には、今「伝統芸能」と言われる「能」という芸能が誕生します。木本さん、「世阿弥」という名前を聞いたことがありますか?
木本景子:はい。いたことはありますが、詳しくは知らないですね。
吉田茂:世阿弥は「能」を完成させた人と言われます。世阿弥作の『雲林院』という能は、業平と高子の「逃避行」などを素材にしたものです。また、次回から読んでいく「筒井筒」に取材して書かれた『井筒』という能もあります。
木本景子:『伊勢物語』は芸能にも影響を与えたんですか?
吉田茂:はい、その通りです。江戸時代は、『伊勢物語』が1番読まれた時代だと考えられます。というのは、この時代の初めに「木版印刷」の技術が普及し、それによって「絵入りの『伊勢物語』」がたたくさん出版されました。これによって『伊勢物語』は多くの読者を獲得することになり、そのなかには『伊勢物語』を「パロディ」にしてしまおうとするものまで現れました。『仁勢物語』という作品が書かれました。題名までパロディになっていますね。
木本景子:『伊勢物語』に「似せた物語」ということでしょうか?
吉田茂:はい。そうでしょうね。現代でも「桜」という文章を現代文で学びましたが、その作者である俵万智は『恋する伊勢物語』という作品を書いています。これも『伊勢物語』からの影響の1つと言えます。
木本景子:現代の作品にまで影響を与えているんですね。
吉田茂:はい。今、『伊勢物語』の後世への影響の一端として、「文学」や「芸能」に限定してお話ししてきました。でも、これはほんの一部です。「絵画」や「工芸」の世界にも多くの影響を及ぼしています。また、影響を与えるだけでなく、『伊勢物語』そのものが長く読み継がれ、愛され続けた作品です。今後も「言語文化」の1つとして読み継がれていくことでしょう。それでは、今回の講座をまとめましょう。学習のポイントは、1.物語の続きの内容を確認する。2.この物語における和歌の役割を理解する。3.『伊勢物語』の構成への影響の一端を知る。この3つでした。物語の「続き」を読むことで、「芥川」の段の印象が違ってくることを確認しました。次に、『伊勢物語』における「和歌」の役割を考えました。そして、「文学・芸能」の一部を取り上げるだけでも、『伊勢物語』の後世への影響の大きさが認められるということをお話ししました。さて、今回は吉田茂先生と『伊勢物語』を学習してきました。吉田先生、ありがとうございました。
吉田茂:ありがとうございました。
NHK高校講座 言語文化。木本景子と吉田茂先生でお送りしました。