NHK高校講座 言語文化、始まります。ご機嫌いかがですか?河実里夏です。今回も芥川龍之介の小説『羅生門』を勉強していきます。講師は斎藤優先生です。よろしくお願いします。
斎藤:はい、よろしくお願いします。さて、今回も芥川龍之介の『羅生門』を読んでいきましょう。
河:それでは今回の学習のポイントを紹介します。
1 『羅生門』の初出
2 『羅生門』の書き換え
3 『羅生門』から読み取れること
この3つです。それでは学習を始めましょう。
【『羅生門』の初出】
斎藤:芥川龍之介によって書かれた『羅生門』は、彼がまだ東京帝国大学に在学していた頃、作家としてはまったくの無名時代に書かれました。
河:学生の時に書いた作品なんですか?
斎藤:そうなんです。大正4年、1915年に『帝国文学』という文学雑誌に掲載されたのが『羅生門』の初出なんです。
河:100年以上前に発表された作品なんですね。
斎藤:そうなんです。この後、芥川はいくつかの短編といっしょにまとめて1冊の本を出版するのですが、そのタイトルが『羅生門』とされているように、彼自身にとっても非常に思い入れのある作品だったようです。
河:そうだったんですね。
斎藤:はい。えー、今日はですね、初版の復刻版を持ってきたので、ちょっと紹介します。芥川自身は短編集『羅生門』の後書きで、次のように述べています。「自分は羅生門以前にもいくつかの短編を書いていた。おそらく未完成の作をも加えたら、この集に入れたものの二倍には登っていたことであろう。当時発表する意志も発表する機関もなかった自分には、作家と読者と批評家とを一心に兼ねて、それで格別不満にも思わなかった」。後書きからは、ここまでにに、しておきます。そんな彼が描いた短編『鼻』が、夏目漱石の目に止まり、執筆依頼が届くようになります。最初に刊行された短編集『羅生門』は、作家・芥川龍之介の華々しいデビューという意味もあるのです。
河:そんな行折があったんですね。そういえば日本の映画にも『羅生門』ってありましたよね。
斎藤:あります。日本を代表する映画監督である黒澤明は、『羅生門』というタイトルの映画を制作しています。今から70年以上前、1950年の作品ではありますが、黒澤明の映画手法は、世界中の映画監督に影響をあたえたと言われています。
河:その黒澤監督の映画も、原作は芥川龍之介の『羅生門』なんですか?
斎藤:いえ、実は違うんです。映画の原作自体は『羅生門』ではなく、芥川による別の短編『藪の中』が主なストーリーとなっています。ただ、舞台立てとして、雨宿りのために登場人物たちが『羅生門』に集まる、という設定になっています。『藪の中』は、「真相は藪の中」という慣用句の語源にもなっている作品ですので、機会があれば映画とともにぜひ手にとってみてください。
【『羅生門』の書き換え】
斎藤:『羅生門』の最後の結びの1文は、たびたび変更されています。今回学習した『羅生門』の最後の部分の朗読を聞いてみましょう。朗読は高山久美子さんです。
高山:「では、おれが剥ぎをしようと恨むまいな。おれもそうしなければ、餓死をする体なのだ」。下人は、すばやく老婆の着物を剥ぎ取った。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、わずかに五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎ取った檜皮色の着物を脇に抱えて、またたく間に急な梯子を、夜の底へ駆け下りた。しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中からその裸の体を起こしたのは、それから間もなくのことであった。老婆は、つぶやくような、呻くような声を立てながら、まだ燃えている火の光を頼りに、梯子の口まで這っていった。そうして、そこから短い白髪を逆様にして、門の下を覗き込んだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。下人の行方は、誰も知らない。
河:「下人の行方はだれも知らない」で終わっていますね。
斎藤:そうですね。さきほどお話したとおり、『羅生門』は1915年、文学雑誌に掲載されたのが最初でした。この時の最後の箇所は、「下人の行方はだれも知らない」ではなくて、「下人は、すでに、雨を冒して、京都の町へ、強盗を働きに、急ぎつつあった」という文でした。
河:最初のものだと、下人がどうなったか分かってスッキリする感じがしますが、今回学習したまのだと、「下人はどうしたんだろう?」って想像がふくらみますね。
斎藤:そうですね。この最後の箇所は、さきほどご紹介した第一短編集『羅生門』を刊行する際に、もう1度手が入れられて、「下人はすでに雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急いでいた」となって、この後もさらに『鼻』という短編集をだすをですけれど、その時に修正されて、現在のような「下人の行方はだれも知らない」となったようです。
河:ずいぶんいろいろ書き換えられたんですね。
斎藤:そうなんです。改稿される前も後も、行先もなく途方にくれていた若い男が、『羅生門』の楼上での老婆との出会いを通じて、自身が生きようとする意思を獲得していくストーリーとなっています。ただ、作品の始めの方で、作者は「さっき下人が雨止みを待っていたと書いた」という形で、えー、全面に語り手が出てくるところがあるをですが、この語り手が物語のすべてを統括しているように書かれていたのが、最後の1文を現在の形のような「下人の行方はだれも知らない」と語る時、作家たる自分の筆からも、登場人物がすり抜けていったかのような書き方になっている、と見ることができます。この結果、下人を待ち受ける行先が、決して穏やかなものであるはずがない、という読後の余白を読み手に、もたらしているということができるでしょう。「下人の行方はだれも知らない」で閉じられる現在の物語は、結末部分に余白をのこすことによって、さらに作品の普遍性を高めたと言えるのではないでしょうか。
河:なるほど。そういう読み方ができるをですね。
【『羅生門』から読み取れること】
斎藤:もう少し物語の内容について考察を加えてみましょう。最後の方で老婆が、「鬘を作るために死人の髪の毛を抜いている」と告げた時、下人は老婆に対して別の感情を抱きますよね。
河:はい。「冷やかな侮蔑」とありました。
斎藤:では、なぜ下人は老婆に対して「侮蔑の感情」を抱いたのでしょうか。
河:難しいですね。「老婆の答えが平凡なのに失望した」とはありましたが、たしかにどうしてなのでしょう?
斎藤:「侮蔑」とは相手をあなどりさげすむ感情のことで、相手を見下しているゆえに生じるまのです。ただ、そもそもこの感情って、相手と自分を「同等のまの」とみなしていないと発生しないんですよね。
河:どういうことでしょうか?
斎藤:相手を自分より劣った相手だとみなすためには、自分と相手がくらべられる、すなわち「比較可能な状態」にあることが前提となります。自分とくらべられない相手には、上も下もないわけですから。
河:なるほど。たしかにそうですね。
斎藤:すると、「相手より自分がまさっているという優越感」は、実は「自分が相手より劣っているという劣等感の裏返し」なのだ、ということができます。下人にしてみれば、老婆は自分にはできなかった「盗人になる」ということを、いとも簡単にやってみせている存在です。その老婆の答えが平凡だったとすれば、ひるがえって、ずっとその問題に答えをだせないでグズグズしていた下人は、「老婆にさえ劣る、平凡以下だ」ということになります。それゆえ、自分の状況に納得できていない下人のすぐそばで、自分より力の弱い老婆が、生きるために死人の髪の毛を抜いているのだと知った時、下人にわきおこったのは、老婆への「嫉妬」にもにた感情だったのではないでしょうか。そして、下人は自分の劣等感の裏返しとして、相手を見下す「侮蔑の感情」を抱いたのだと考えることができます。
河:下人が老婆に「嫉妬」しているということですか?
斎藤:はい。「嫉妬」は、現在の状況に納得できていない人が、自分の身近にいて、かつ実力的には自分と同等か、それより下の人が、自分にできないことを実現している場合に発生し、その結果として相手に憎しみを覚え、攻撃したくなるというまのです。そして、この文中に唯一登場するフランス語表記の部分に、あいつうじているのではないかと私は考えています。
河:あー、「サンチマンタリスム」のところですね。
斎藤:そうです。サンチマンタリスムは「感傷主義」という訳語がわたえられていますが、ここでわざわざフランス語の表記が採用されている理由を考えると、下人の負の感情は、ドイツの哲学家ニーチェが提唱したところの「ルサンチマン」の考えに、つうじるところがあると言えるのです。
河:「ルサンチマン」とはどういう意味でしょう?
斎藤:はい。ルサンチマンは、弱者がかなわない強者に対して、強いものに対して内面に抱える「憤り」、それから「憎しみ」、「嫉み」、「嫉み」といった感情のことをさします。で、そこから「弱い自分が善で、いいもので、強い相手が悪なんだ」という「価値の転倒」を意味する言葉なんですね。さきほど、あの、嫉妬とか、あー、劣等感、侮蔑の話をしましたけれども、それも「ルサンチマン」という言葉をつかって考えてみると、いろいろなまのがこういりまじって、かつ下人自身が「悪をこう恐れないで生きていく意思」を獲得したんだ、というような読み方もできるんじゃないかなと、おもいます。
斎藤:さて、『羅生門』全体を「語り手の視点」でもう1度見直してみましょう。冒頭からずっと、語り手の位置は主人公である下人に、よりそっていました。しかし最後の場面において急に、「老婆の視点」にのりうつります。
河:最後で急に、視線が変わる感じがしますね。
斎藤:そうですよね。下人に着物を奪われた老婆は、下人がきえ、きえていった梯子の口まで這っていくと、短い白髪を逆様にして、門の下をのぞきこみます。老婆の視線としては「天地が逆」になっていますが、門の外の光景、見え方自体は影響をうけていません。なぜなら、どこをみわたしても「漆黒の闇」。黒黒洞洞たる夜がひろがっているばかりだからです。まさに「善悪の彼岸」ともよべる『羅生門』という空間をこえでた時、「夜の底」へとあらわされる闇へと、下人は姿をけしていくのです。
河:『羅生門』は高校時代に私も勉強したをですが、こうして今読み返してみても、おくの深い作品だと感じました。
斎藤:構造がしっかりしていますよね。『羅生門』っていうまのが、まー、大きな建築物なんだ、っていうことを考えると、
河:はい。
斎藤:昼の世界とか、『羅生門』の1階部分が、ま、「生の世界」とか「全の世界」とすれば、下人が梯子をのぼったことで、「夜の世界」であり「悪の世界」であり、まー、「闇の世界」へと越境していくような要素があります。
河:はい。2階には死体も転がっていましたからね。
斎藤:はい。で、そうすると、さきほどの老婆の視点がこう、「さかさまになっている」っていうまの、もう1捻り解釈をくわえることができて、
河:はい、はい。
斎藤:『羅生門』からおりたその先には、もはやさきほどまでの1階部分を支配していた「光とか全の世界」っていうまのはもうひろがっていなくって、
河:はい。
斎藤:夕方からふりだした雨……の様子が、きこえなくなると同時に、もうとっぷりと夜がくれた場面で、えー、物語がとじられますから、
河:はい。
斎藤:そこはもう、全でも悪でもないような、ただどこまでつづくかわからない闇がひろがっているような、そういう世界観として読み取ることもできます。
河:さて、今回の講座のポイントをまとめておきます。学習のポイントは、
1 『羅生門』の初出
2 『羅生門』の書き換え
3 『羅生門』から読み取れること
以上の3つでした。
斎藤:今日は、作品がかかえた「改稿の経緯」と、それによってこの物語が「普遍性を獲得した経緯」についてかんがえてみました。
河:さきほどの「嫉妬の話」がとても面白かったです。
斎藤:あのー、作品読んでくとね、最後にその下人の、その感情の振れ幅が、大きすぎるんですよね。
河:はい。
斎藤:教室で、生徒といっしょに読んでると、やっぱそこに「疑問」をかんじる生徒っていて、
河:はい。
斎藤:下人にしてみれば、老婆っていうまのは、「ありえたかもしれない自分の姿」を具現化している存在なまので、
河:はい。
斎藤:その老婆の「生死」を手ににぎっている、っていう、こう「仕事を終えた、成就した後の満足感」みたいなまのって、いろいろな感情がいりまじってるんだろうな、っていうのは、想像できるをですけど……。
河:はい。
斎藤:ぜんぜん違う相手には、「嫉妬」って、もたないですよね。
河:はい。たしかにそうかもしれないです。
斎藤:はい。高校野球の選手が、まー、メジャーリーガーには嫉妬しないはずなまので、
河:はい。
斎藤:自分と同じで、でちょっと違うところにいる人に対して、「嫉み」をもったり、「憎しみ」をもったり……なんていうところで、老婆と下人の関係って読めるんじゃないかなと、今は、おもっています。さて、今回も、斎藤優先生と、芥川龍之介の『羅生門』を学習してきました。斎藤先生、ありがとうございました。
斎藤:ありがとうございました。
NHK高校講座 言語文化、河実里夏と斎藤優先生でお送りしました。
ラジオ高校講座言語文化には、ホームページがあります。ホームページには、番組の内容が事前にわかる「学習メモ」、学習した内容が理解できているかどうか確認できる「理解度チェック」があります。また、ラジオの放送が終わったあとで、番組が聴けるようになっています。なん度でもくりかえして聴くことができるので、わからなかったところは、わかるまで聴いてください。ラジオとホームページを活用して、言語文化を学んでいってください。