NHK高校講座 言語文化
(音楽)
ナレーション:
NHK高校講座、言語文化。始まります。
河 実里夏:
皆さん、ご機嫌いかがですか? 河 実里夏です。
今回は「とんかつ」の三回目です。小山 志門先生と一緒に読み進めていきましょう。
それではよろしくお願いします。
小山 志門:
小山です。よろしくお願いします。
小説「とんかつ」の学習も三回目になります。場面の雰囲気や設定を掴み、登場人物の心情を整理してきました。
今回は物語の終盤を読みましょう。女将が息子や母親と再会する場面です。
河 実里夏:
それでは今回の学習のポイントを紹介しましょう。今回のポイントは、
一つ目、息子の成長について。
二つ目、語り手について考える。
三つ目、変化したものは何だろう?
三つです。
それでは学習を始めましょう。
小山 志門:
息子の成長について。
では最後の場面を読んでいきましょう。朗読は高山 久美子さんです。
(朗読)
それから一年近く経った翌年の二月、母親だけが一人でひょっこり訪ねてきた。
面会などしないと強気でいても、やはり一度顔を見ずにはいられなくなったのだろうと思ったが、そうではなかった。
修行中の息子が雪作務の時、僧房の屋根から雪と一緒に転落し、右足を骨折して今は市内の病院に入院しているのだという。
もう歩ける風が、どういうことになっているやらと思いましてな。
相変わらず地味な和装の小鬢に白いものが目につくようになった母親は、決して面会ではなく、ただちょっと見舞いに来ただけだといった。
息子の手紙には病院に来てはいけない。夕方六時に去年の宿で待っているようにとあったというから。
じゃあお夕食はご一緒ですね。でも去年とは違いますから何をお出しすればいいのかしら。
さあ、修行中の身ですからになあ。
舌がやっぱし……
分かりました。お任せくださいと引き下がって女中にとんかつの用意を言いつけた。
夕方六時きっかりに衣姿の雲水が玄関に立った。
びっくりした。
わずか一年足らずの間に顔からも体つきからも可憐さがすっかり消えて見違えるような凜とした僧になっている。
去年人前では口をつぐんだままだった彼は思いがけなく練れた太い声で「お久しぶりです。その節はお世話になりました」と言った。
それから調理場から漂ってくる好物の匂いに気づいたらしく、ふと目を和ませてこちらを見た。
「よろしかったでしょうか?」
彼は無言で合掌の礼をすると右足を少し引きずるようにしながら母親の待つ二階へゆっくり階段を登っていった。
小山 志門:
ここは一年近く経った翌年の二月。
修行中に右足を骨折して入院した息子のお見舞いに母親がやってくる場面ですね。
その二人の再会の場が物語の舞台であるこの宿です。
息子と母親の再会の時間は夕方六時、ちょうど夕飯時です。
宿での食事といえば前回の放送にも出てきましたが一年前何を食べていたか覚えてますか?
河 実里夏:
とんかつでしたね。
小山 志門:
そうです。今回はどうでしょう?前回は入門前でしたが、今回は完全に修行中の身。
そんな息子にとんかつを出していいものか。女将も母親も少し躊躇いはあるようでした。
それでも舌がやっぱし……分かりました。お任せくださいと
お互い気持ちを察し合い、息子が一番好きなとんかつを用意します。
この女将と母親のやり取りの場面は母親の親心がよく伝わってきますし、一年間の母親の苦労を想像することもできます。
また女将の温かい思いやりや強い応援の気持ち、人間の気持ちを戒律よりも大事にしようとする人情味など読み応えのある場面ですね。
さて、いよいよ息子が登場するわけですが、みなさん物語の最初の息子の様子は覚えてますか?川さんはいかがですか?
河 実里夏:
はい。青白い顔のひょろりとしたひ弱そうな少年と痛々しいほど可憐に見えたともありました。
小山 志門:
そして女将はその様子に修行に耐えられるかという心配を抱くほどであったのを思い出せるでしょうか。
そんな息子が一年ぶりにやってきます。
一年ぶりにやってきた息子の様子はどうでしたか?
河 実里夏:
息子の様子を見た女将がびっくりしたとありました。
小山 志門:
そうですね。わずか一年足らずの間に顔からも体つきからも可憐さがすっかり消えて凜とした僧になっていると表現されています。
修行に耐えられるのかという心配はもうなさそうですね。
凜としたとはキリっと凛々しく引き締まって力強さの様子です。
河 実里夏:
全く違う感じになりましたね。
小山 志門:
そうですね。一年の修行の成果でしょうか。
一年前人前に出るのも照れていて、母親の後ろで言葉も発しなかった少年が「お久しぶりです。その節はお世話になりました」という立派な挨拶を練れた太い声でしています。
練れたという言葉は分かりにくいかもしれませんが鍛錬の練の字です。鍛えるという意味です。
つまり修行で鍛えられて心も体も成長して練れて声も太くなっているのでしょうね。
河 実里夏:
前回あった時より随分大人っぽくなりましたね。
小山 志門:
そうですよね。さて、最後の最後の場面を読んでみると少年の成長が感じられると思いますがいかがでしょう?
好物のとんかつに気づいた少年と女将のやり取りです。
このようなやり取りはなんだか大人っぽいですよね。
無言で合掌する仕草も表情も気持ちのやり取りも随分成長したことが分かります。
自分だったらこんなやり取りができそうでしょうか?
この「とんかつ」という作品で最も大きな変化をしたのはやっぱりこの息子ですよね。
小山 志門:
語り手について考える。
さて不思議な雰囲気の二人の客と宿の女将との交流が描かれた「とんかつ」
息子の大きな成長を確認して幕が降りました。
次は物語の構造を意識してみようと思います。
川さん、今回の物語の主人公って誰だと思いましたか?
河 実里夏:
主に登場したのは母親、息子、女将ですよね。
うーん。主人公を決めるのは難しいですね。
小山 志門:
確かに難しいですよね。
物語の主人公が一体どんな存在を指すか、その捉え方によって変わっていきます。
主人公をストーリーの展開の中心になるものであったり物語全般を通して最も大きく変化するものと捉えてみるといいでしょう。
河 実里夏:
大きく変化したものと考えるとやはり息子かなと思います。
小山 志門:
はい。
この物語は北陸の地味な旅館が舞台ですが、親子にとってはここを訪れる前の父親の死から始まり、入門して一年後に至るまでの時間の経過があります。
それを通してひ弱そうな少年が大人になる。そんな成長が見られる物語だといえそうです。
でも主人公が女将だと思った人も少なくないのではないでしょうか。
おそらくこの物語が女将の語りになっていたからだと思います。
女将が見た二人の様子が描かれ、女将の目を通して二人の様子や心情が語られていたのです。
ですから読者である私たちは自然と女将の立場から物語を眺めていたんです。
河 実里夏:
なるほど。そのような見方もできるんですね。
そういえば二人の心情は言葉では描かれていませんでしたよね。
女将の心情は言葉になっていました。
だからこそ母親と息子の様子を客観的に眺めることができたのかもしれません。
小山 志門:
このように物語を読む時に語り手というものを意識したことはみなさんありますか?
どんな目線で私たちがその物語を見ているのか。
そこにも作者の意図がありますから注目してみてください。
小山 志門:
変化したものはなんだろう?
物語を読む際には変化を意識してくださいとお話してきました。
変化という点では息子の変化について確認をしましたね。
河 実里夏:
はい。
ひ弱だった少年がすっかり成長したのが大きな変化でした。
びっくりしました。
小山 志門:
しかし物語が進行して主人公に変化が訪れるということは時間の経過がある以上その周りにいる人たちも何らかの変化が起きている気がしませんか?
河 実里夏:
あ、確かに。他の人たちも変化があってもおかしくないですよね。
小山 志門:
家族や友人たちの中で誰かだけに事件が起きて誰かだけが成長するということはありえません。
今回も息子が成長していった時にその周りにいる人にも変化はないか見てみましょう。
河 実里夏:
はい。
小山 志門:
まず母親を見てみましょう。
母親は冒頭から地味な控えめな雰囲気で息子に対する愛情、親心が現れていました。
最後の場面でとんかつを注文するあたりも同じで一貫して同じ女性像で描かれています。
ただ細かいところからも想像を豊かに読み進めると物語はさらに厚みを増し面白くなります。
河 実里夏:
どの部分に注目したらいいですか?
小山 志門:
入門後に見舞いにやってきた際の母親の様子に注目してみてください。
河 実里夏:
相変わらず地味な和装の小鬢に白いものが目につくようになった母親とありました。
小山 志門:
小鬢というのは側頭部の髪の毛。
白いものが目につくというのは白髪が目立つようになったということです。
白髪が目立つようになったという表現から想像してみてほしいんです。
子供を入門させて一年足らずの間母親はどんな風に過ごしてきたのか想像できますか?
河 実里夏:
不安や心配がたくさんあったと思います。
小山 志門:
そうですよね。
寺の住職である夫を交通事故でなくし、その後継ぎである息子を修行に出しています。
夫も息子もいない間の一年、きっと母親が一人で寺を守っていたんです。
いろんな苦労があったことでしょう。
お寺の仕事、檀家との関係、お金のこと、いろんなことを一人で乗り越えたその果ての小鬢の白いものです。
疲労もあるし、精神的にも疲れたことでしょう。
大変な一年だったんでしょうね。
そして女将の方はどうでしょうか?
女将はこの物語が女将の視点を通して語られてきたので細かい変化もたくさんあります。
物語の全体の流れの中で変化はあったでしょうか?
河 実里夏:
親子の印象が大きく変わっていました。
小山 志門:
不思議な雰囲気の二人に対する疑念を超えて最終的には心から応援する気持ちになっていましたよね。
息子に対する気持ちは入門してやっていけるかという心配を強く抱いてましたが、一年後の力強い様子を見て、そんな気持ちはすっかり吹き飛んだ様子でした。
私はこの女将の息子に対する心情にはすごく深いものを感じました。
何しろ仏道で修行する人間に直接頼まれてないと進んで出してあげたんですから。
母親が頼めない気持ちを察し、息子が面会を断りつつ母親との出会いを宿で迎えた気持ちを察し、戒律なんかよりも大事なものを優先させようとしたそんな姿を見たような気がします。
川 実里夏:
私も女将は大きな変化があったなと思いました。
小山 志門:
女将や母親の変化と重ね合わせて考えると、この物語で主人公である息子が迎えた本当の意味での成長が見えるような気がしませんか?
こんな風に書かれている世界を味わい、いろんな変化を見つけ、自分なりに作品の意味や面白さを見つけて欲しいなと思います。
さて、今回の講座のポイントをまとめておきましょう。
学習のポイントは、
一つ目、息子の成長について。
二つ目、語り手について考える。
三つ目、変化したものは何だろう?
この三つでした。
三回にわたって小説「とんかつ」を読んできました。
小説の読み方の整理から心情描写の読み取りまで色々と取り組みました。
いろんな表現や描写が人物や心情に繋がっていたり、前に描かれていたことが後の展開に繋がっていたりしたので、謎解きのように面白く読めた人もいたと思います。
一方で描かれていない気持ちを他の表現から探らなければならないので難しいなと感じた人もいたかもしれません。
現実でも人の気持ちを理解するのは簡単なことではありません。
小説の中にあるいろんな表現をヒントに登場人物の気持ちを探ることは現実での人間理解に繋がると思います。
是非楽しみながら自分なりに理解を深めて欲しいと思います。
さて三回にわたって小説「とんかつ」を読んできました。
小山先生、ありがとうございました。
小山 志門:
ありがとうございました。
河 実里夏:
NHK高校講座、言語文化。河 実里夏と小山 志門先生でお送りしました。